ふと気になる人。

2003年6月1日
夜、部屋に一人でいると、いろいろと考え事をしてしまうのは
以前も書いたとおり。本を読んだり、音楽を聞いたり、
携帯のメールを読んだりと考え事をする時のきっかけめいたものは実にたくさん。
 そんな中、携帯のアドレス帳に入ってる名前をなんとなく
流して読んでいるそんな時もあります。まぁ、暇つぶしなんですが。

 そのアドレス帳を見ていると、ふと長いこと連絡を取っていない
人の名前がいくつも出てくる。「どうしてるのかなぁ」と
思ってみても、電話番号もメアドも変わってしまっているので、
連絡する方法もないのですが。住所とか教えてもらっておけば
手紙出すとかそういった手段もあるんでしょうけど。
 そう思ってみても、結局は何もせずに思いを馳せるだけ
なんでしょうけどね。今もちょっとそんなことを考えていたもので。

 しかしまぁ、今どうしてるのかな、あの人。
 連絡取りたいけど。うーん。

物事の始まり

2003年5月31日
 いつも新しいことを始める時はそうなんですけども、
どうにもこうにも不思議な高揚感めいたものがあります。
なんというか、楽しくて。今までも結構いろいろなことを
やってきましたけども、また一つ夏あたりを目処にやってみようかと。
いや、別に仕事とか英語(難しい……)とかベースは普段通り
続けているんですけども。ただ、ちょっとだけ昔やっていたことを
また始めてみようかなって。

 それで、昨日、そのことを知り合いに話したら快く協力して
くれるということなので、とりあえずはよかったなぁ、と。
ただなぁ、この手のことは一人で出来ないこともないけども、
やっぱり協力してくれる人がいた方がいいし。
後はどれぐらい先まで続けることが出来るかということ。
人をどれだけ集められるかはあまり気にしてないし。
コンセプトは高品質低価格。なんとかしてみせましょう。
「前々から言いたかったんだけど、水瀬は何がしたいのかって
いうのが他人に伝わらないんだよな」。
 何気なくしていた会話の中、途中までの流れは関係ないので
省きますが、そんなことを言われました。別にこれを聞いて
怒りだした……ってわけではなくて、多少考え込んでしまったんです。

 確かに、「こういう風に生きたい」「こんな風になりたい」とか
いうようなビジョンが定まっていないし。そこから通じて、
「結局、何がやりたいんだろう?」というのをずっと考え込んでしまって。
特にやりたいことがないまま、ふわふわと過ごしながらも、
「やりたいこと、やるべきこと」を見つけられない自分に
どこかイライラなんて現状が続いている状態ってのは、
どうにもこうにも格好悪い。というか、よろしくない。
改めて「目標」の重大さを感じるわけで。

 となると、他の人は果たしてどうなんだろうか。
 「僕(私)はこうしたい、こういう風になりたい!」と
胸を張って主張できている人はどれだけいるんだろうか。
「人が目標を持ってないんだから、自分だって持たなくていいや」って
考えなんて毛頭からないんですけど、こんな状況に陥っているのは
自分だけなのかどうか。

 こんな風に生きてしまったら、きっと変化無く沈滞したままに
なってしまうなぁ。波瀾万丈の人生を送りたいとかそんな
偏向したものじゃなくて。
 うわ、やばい。なんか焦り気味だ。目標も持てないほど
ダメ人間ってことなんだろうか。それは苦しいな。
 結局のところ、僕は何がしたいんだろう?
 どんな風に生きていきたいんだろう?

お祭り

2003年5月25日
 昨日今日と地元……というか、ごく近所でお祭りがありました。
「桜まつり」ということなんですが、ホンの少し桜の季節とは
ズレてるようなそんな気もするんですが、それでも割と
人が集まっているものでして。
 一応、主催は連合町内会らしいのですが、いろいろと
後援・協力がある上に、会場が広い公園というのも相まってか
盛り上がってるようです。でも、お祭り自体は今年で5年目
程だというので、昔からあるお祭りではないようで。

 盛り上がってる一つの要因には、数多くの露店や出店が
出てるっていうこともあるんでしょうね。地元では、
一時期お祭りの時の夜店を「暴力団の資金源に繋がる」と言って、
全面排除してしまったことがあるんです。そうすると、
市内のお祭り自体が非常に盛り上がらないものになってしまったようで、
数年前から町内会とかボランティアとかの夜店を徐々に
復活させてきてるようです。それによって、閑散としていた
お祭りにも客足が戻ってきたようです。
 考えて見りゃ、お祭りとはいいながらも、焼きそばや
焼き鳥、チョコバナナなんかをかなりの高値で売ることが
出来るというんだから、その手の人達が来ていない訳が
なかったんですけども。それでも、大通りや大きな公園なんかに
たくさん立ち並ぶ夜店を見るとなんか楽しげな気分になったものでした。

 今日行ったその「桜まつり」も、そういった「夜店」の
雰囲気が出ていてなおのこと楽しかったです。こういう
雰囲気を出来るだけ長く楽しめるようになるといいなぁとか
考えてますけど、果たしていつまで出来るかな。
(それよりも、祭り当日はもう少し暖かくなって欲しい。
やっぱり、寒いと長時間外にはいられないし。わざわざ
厚着するのもなんだかなぁ)

ボウリング場にて

2003年5月24日
 ボウリングを久々にやりました。
割と調子よくて、ターキー取ったりと気分なかなか良かったんですが、
その時場内で流れていたのが「月光」「infection」
「シャイン」とか鬼束ちひろの「重い方の曲」だったって
いうのが極めて微妙な心境だったんですが。どういう構成で
選曲されていたのかよく分からなかったんですけども。

今更になって

2003年5月23日
 本日は誕生日でございまして、どうにかこうにか24歳になりました。
かれこれ干支も二巡目を終了して、今度は三巡目に入るという
ことなんですけども……改めて考えてみると、全然自分の中身は
変わっちゃいないなぁ、と思ったりしています。

 自分の長所みたいなものは今もって自覚出来ていないし、
考え方は甘ちゃんだし。中学・高校生の頃、大学生の頃の
自分とは何か少しでも成長してきてるのかなぁとか改めて
考えてみたりしています。実際の所はさっぱり変化して
いないんでしょうけど。変わったのは、ただ単純に体重が
増えたことと、職に就いたことと、ほんの少しだけ文章を
書くことが好きになったということぐらいかなぁ……。

 こうして、何かの節目ごとに自分のことを改めて考えて
みるのもいいんじゃないのかなぁ、とか思ってます。
 どういう経緯なのかよく分からないんですが、6月にうちの市で
アコーディオン奏者のcobaさんのコンサートがあるということなので、
ポスターを見た翌日にチケットを購入しました。
 「おしゃれカンケイ」で使われていたのは知っていたんですが、
それ以外はたまに「笑っていいとも」に出てるのを見るくらいで、
実はゆっくり曲を聞いたことなどありもしなかったわけで。

 とまぁ、そんなことで、曲も知らずにコンサートに行くのは
いかがなものかということで、札幌に行った際に買ってきましたですよ。
アルバム「運命のレシピ」。今回のコンサートはここから
演奏されるものが多いのだとか。やっぱり、こういうインスト系の
楽曲には妙に弱いんだよなぁ。歌入りじゃなくて、最近は
ずっとインストだけのを聞きまくっていたりするし。
そういえば、cobaさんといえば今まで「おしゃれカンケイ」で
使っていた楽曲を集めたアルバムも同時に売り出されている
ようなので、よろしければそちらもどうぞ。

 でも、インストのコンサートって実際にはどんな感じなんだろ。
結局スカパラのコンサートは行けずじまいだったし。
ジャズのコンサートとはまたちょっと違うんだろうなぁ。
まぁ、とりあえずは6月が楽しみであります。でも、その前に
仕事が山積みなんだよなぁ、たはは。……頑張ろう。

ゴミ拾い&花見

2003年5月10日
 今日はゴミ拾いボランティア&花見の日。砂浜のゴミ拾いは
社会人になって2回目だけども、実に「こんなにゴミあるのかい!」って
何度も思いました。これじゃ、キリが無いよなってくらい。
……個人的に定期的にやってやろうか。どう見ても、
「需要と供給」が釣り合っていないような気がするけども。

 それと、後半の花見では今年度の新人職員さんと一緒に
食べることに。今年度の新人さんには、ちょうど知ってる人が
2名ほどいて、なかなか楽しかったです。しかし、昔の事って
覚えてるもんだよなぁ。嫌な記憶じゃないから、思い出しても
害がないので実にいい気分なんですよ。2人ともぜひとも
頑張って欲しいなぁ。僕みたいなダメダメへっぽこ職員でなく。

 帰りに、今年度の新人さん達が仲良く集まって帰るのを
横目に、一人車を走らせていると急に自分のことが寂しくなった。
「1人なんて慣れてるよ」ってのが一時期の口癖だったくせに。
ダメダメだよなぁ。
 いやいや、でもみんな仲良くなってくれていれば、別に
僕がどうなろうといいんです、ええ。本当に。

なんだか

2003年5月8日
 「飲み会とは暴れて良いものである」と勘違いしてる
人がいる。そういう人が得意げに「大暴れして楽しかった」
なんて事を言ってると微妙に腹が立つ。どれだけ周りに迷惑を
かけているかも知らないで。自戒も兼ねてこれは思うけども。

 普段でも「暴れる」とか「暴走」とかいう言葉を自分の
「美徳」として嬉しそうに語る人もどうも好きになれない。
大抵の人は本人が言うほど実際には暴走していないんだけども、
まれに自分では「そうでもない」なんて思ってる割には、
大暴れしてしまっている人がいるけども、一番厄介なのは
そういう人達。エネルギー発散するってのも良し悪しだなぁ、と。
 例のAETの先生から電話がありました。ただでさえ、直接会って
話をしていてもほとんど通じない僕の英語が、電話ということで
なおのこと通じません。
 普段は身振り手振りや手書きのメモなんかを混ぜて、
無理矢理意志疎通を図ろうと懸命になるわけですけども、
残念ながら電話ではその手法は使えません。もう、ほとんど
日本語+英単語だけの会話を続けること数分、結果として
まとまったのは、「AETの先生が急用が出来て都合が悪くなり
水瀬さんの所に行けなくなったので、明日の昼に事務所へと
顔を出します。で、その時に住宅関係の書類も持っていきます」と
いうそれだけのこと。日本文にして、たかだか数十字程度の
文章すらまともに伝えられないとはどうなってるのでしょう。
もうちょっと頑張らないといけないなぁ、と思って受話器を置きました。

 その数分後、隣の課にいる職場の先輩が僕にこう言いました。
「あのね、さっき棚の向こうから呪文が聞こえたのよ。
で、何かなぁと思って棚の向こうに回ってみたら、水瀬君が
受話器で英語喋っていたんだよね。いやー、何かと思った」
 ……むむむ、やはりそんなレベルかぁ。新任AETの着任まであと3ヶ月。
せめて「これは英語である」ということは普通に理解出来るような
レベルになっていないとなぁ。今のままじゃ「今喋ってる
言葉が何語かすら分からない」って感じだもの。精進あるのみ。

 しかし、不思議なのは見えないと分かってるのに、
なんとか伝えようと受話器を持ちながら身振り手振りをしたり、
メモ書きをしてしまったりすること。誰に見せるわけでも
ないのに、これは不思議だなぁ。個人レベルの癖っていうのが
ほとんどなんだろうけど、妙な気分。

同窓会?

2003年5月3日
 妙に人数が大量に集まった、大学の友達との飲み会。
当初は自分を含め5人くらいでやろうと思っていたんですが、
あれよあれよという間に開始時には9人に。その後も人数は
増えつづけ、最終的には12人の大所帯に。幹事泣かせの
大増員とはこのことなんですが、それはあくまで「幹事」という
業務上のこと。個人としては、再び知ってる人に会えるというのが
とても嬉しくそして楽しかったわけでして。

 それにしても、友達や先輩の近況を聞くにつけ、「大変なんだなぁ」と
ため息。それから考えると僕なんてまだまだ恵まれてる方なのか。
仕事とかで落ち込むことも多いけども、大変なのは自分だけで
ないなぁ、と改めて思った次第です。でも、こういう場が
あるのはやっぱりいいよなぁ。企画者以外みな札幌在住という
ことを除けば。幹事だけが住んでる町が違うんだもんなぁ。

 まぁ、なにはともあれ皆さんには体を気をつけて、
精一杯頑張って生きていってほしいです。もちろん、僕も。
 ちょっと2日間ばかり弘前と青森に行っていました。
ちょうど桜は満開だし、ねぷたは見られるしで、すごく
楽しかったんですが、気がかりなのは一人旅だということ。
 まぁ、一人旅自体は何回もやってるので、慣れてるんですが、
綺麗な物や楽しいことがあっても、一人っていうのは
なんか寂しいですね。
 誰か誘えばよかったんでしょうけども、いきなりその日に
思い立ったので急に予定の合う人なんているはずもなく。
まぁ、その辺はその辺で。

 旅行中、ホムペの方に写真(携帯で撮ったものだけど)を
アップする予定です。うーん、やっぱり携帯だと今ひとつ
綺麗じゃないんだよな。
 仕事の関係で、土曜日だというのに中学校へ出かけた
時に、ふと立ち寄った図書室の黒板にこんな言葉が書かれていました。

「人生 → いいもの」

 ……深い言葉です。ここに来るまでは、仕事で来た僕ら以外は
中学生しかいなかったはずですから、おそらく彼らが
書いたものなんでしょう。
 一緒にいた先輩は「至言だね」と感服していました。
確かに。僕が中学生だった当時はこんな境地には達して
いなかったような気がします。うむむ、恐るべし今時の中学生。
13〜15歳くらいで「人生はいいもの」なんてことは
考えられなかったなぁ。今ほど自己嫌悪は酷くなかったけど、
だからといっていいものだというセリフも出てこなかったし。

 まぁ、ただのイタズラ書きだったとしても、なんとなく
深い意味を読みとってみようとか、面白半分であっても
考えてみたくなるものでして。
 でもいつかは、僕も「人生 → いいもの」って答えられる
ような人生を送られるようになるんだろうかな。

英語のお時間!

2003年4月25日
 仕事の関係上、学校に行っている「AET」(アシスタント・
イングリッシュ・ティーチャー。外国人の英語の先生です)と
話す機会が多くて、職場にやってくるその日はそんな感じで無理やり
「英語のお時間」が開催されるというわけで。……と、いうか
いつのまにやらその「AET担当」ということになって
しまっているんですよねぇ。

 実際には、担当の先生と一緒にスケジュールとか授業計画とかを
話す他は大抵世間話に終始するんですが、これがまたなかなか難しい。
なにせ、中学高校と英語はかなりの苦手科目。単語ならまだしも、
文章を作るのなんて、夢のまた夢みたいな世界でありまして。
 そんな僕がネイティブの外国人と対等に渡り合えるような
英語力なんてそうは身に付きません。海外生活も無ければ、
生まれてこのかた日本以外の土を踏んだことが無いのに、
一体どうすりゃいいんでしょう。困ったもんです。
 TOEFLやTOEICなんて、大学にいた時は一流企業に就職するような
いわゆる「エリートさん」にしか関係がないやと思ってたのになぁ。
これからはあんまり他人事じゃないかもしれないし。

 で、実際にそのAETの先生と話したりするわけなんですけども、
あちらは既に日本に1年半くらいいるもんですから少しだけ
日本語が分かるご様子。それに対する僕の方は、日本語すら
こんな風にはっきりしないもので、英語なんて大の苦手。
それでも、仕事なので逃げ出すわけにいかず、なんとか
担当の先生と一緒に話し始める。
 学校での仕事に必要なことは、最初に先生が話してくれるので、
それについての補足説明をするくらい。事務的なことは
僕が話すことになるんですけど、それはまぁ前の担当の人が
英訳文めいたものを用意してくれていたために、その辺での
心配はあまり無し。(やっぱり重要なことだし、その辺は
職場としてもしっかり考えているわけで)
 ただ問題はその後のちょっとした世間話。さすがに、
仕事での伝言だけやって、あとは「はい、さようなら」では
なかなかちょっと冷たい対応になってしまうので、何かと
話をするわけです。「週末はどこか行くの?」とか「学校の
生徒は英語よく分かってくれる?」とか「大リーグ見るの?」とか
そんな本当の普通の話。担当の先生はもう2年目ということもあり、
かなりスムーズに話せるんですが、僕はもう悪戦苦闘。
向かい合わせになると何を喋って良いのか全然分からなくて。

「Anything else?(他に何かあるかい?)」とか聞かれてもなぁとか
思って。でも、なんとか一生懸命伝えようと思って出た
文章がこんなのという微妙なもの。
「I’m allergies to hard work and waking up early.」
(僕は一生懸命働くことと早起きのアレルギー持ちなんですよ)

 この文章を何も見ずにスラッと出てくるならまだいいんでしょうけど、
これは昨日のラジオで言っていた文章を丸暗記したもの。
だから、大事な要点とかなんとかってのは全く理解してません。
とりあえずなんか文章の感じが面白かったので、ネタとして
使ってやろうと思ったんでして。
 それに対するAETの反応は「Me too.Everybody so.」というもの。
まぁ、なんというか通じてよかったなぁ、と。(当たり前か)

 しかし、それにしても、一生懸命頭の中で考えて「これなら
通じるだろう!」って英文を得意げに(自分では)発音良く
言ってみたら、「What’s?」って顔をされるとなかなか
ガックリします。まぁ、AETの先生曰く「お前はもうちょっと、
しゃべりの方を練習した方がいい」ということなので、
その辺もうちょっと頑張ってみようかと。
 ただ、こうやってネイティブの英語聞けるのって、
実はかなり幸せなのかも。

疲れる生き方

2003年4月24日
 どうやら、そんな生き方してるみたいです。普段から
どうでもいいことしか考えていない……っていうか、
何にも考えていないんですけどね。自分ではこれほどまでに
見事に何も考えてないちゃらんぽらんな生き方してるので、
「いい加減真面目に物事考えて行動しなきゃダメだなぁ」とか
思っていただけに、そう言われたのは意外だったんですけども。

「そんなに、いろいろ考えながら仕事やったり、遊んだりしてると
疲れないかなぁ」というのは先輩の談。でも、普段仕事
やってる中で、何も考えないで仕事は出来ないし、仮に
考えてるとしたらもっとスムーズに仕事をこなせてるはずだ
という考え方があるものですから。周りの人がみんなとても
優秀なだけに、何も出来ない自分の存在がどうにもこうにも
嫌な感じがして。それだったら、一生懸命努力して追いついてやれば
いいんだろうと思うんですけども、一生懸命やっても
普通の人のレベルよりずっと手前で頭打ちになってしまう。
そんな自分がとても嫌です。というか、自分で自分のことが
心底嫌いなものでして。

 もう少しだけ、時間が経てばもうちょっとだけ自分のことを
しっかり見つめることができるんでしょうけど……その時は
今以上にダメな自分を見つめることになるんだろうから、
その時はやっぱり気落ちするかも。だとしたら、今はまだ
この程度で済んでるのがいいのかもしれないなぁ。

 すいません、いつもながらこんな内容で。

考え方の優先順位

2003年4月23日
 選挙も大詰めを迎えて、いろんな人達が町中で演説しています。
いろんな方向の人達の主張は聞いていて実にためになります。いろんな意味で。
 そういえば、選挙の2週間前ほどに僕の家に「平和と
反戦のために署名と募金をお願いします」という人達が来ました。
丁重にお断りした所、帰り際にドアを思いっきり蹴っていって
下さいました。実に礼儀正しい人達です。「立つ鳥跡を濁さず」
なんて言葉を身をもって僕らに教えてくれる良い人達です。

 でも、こういう人達の「何者にも反抗されない、強制されない、
不服従を貫く」って目がキラキラと輝いているのを見ると
なんとも言えない極めて微妙な感じがするんですけども。
 自分達の意見をいっぱいに主張して、世の中のおかしい所を
出来るだけ直していきたいという考え方自体は嫌いじゃない。
むしろ、そういう人間っていうのは必要だし、誰も何も
物事を話さないっていうのは少なくとも「健全な状態」とは
なかなか理解されにくい所があると思う。だからこそ、
いろいろな人が本を書いたり、テレビに出たりしてるんだから。

 ただ、違和感を感じるのはどの方向の考え方の人もそうなんだけど、
(もちろん、自分も含めて)「自分の主張することは、
他の誰にとっても、それは最優先で考えなければいけない」と
考えてしまう傾向にあるということ。

 半月ぐらい前に、出かけた先で反戦デモがあって、
その中に3〜4歳くらいの子供を連れながら一生懸命ビラ配り
していた女の人がいたんです。なんとなく僕は渡されたビラを片手に
ぼーっと反戦デモが行き去るのを眺めていました。

 そうしていると、不意に連れていた子供がぐずりだして
みるみるうちに泣きだし始めました。
「おかぁさーん、トイレ行きたいよぉ」
 トイレと言っても、ここはオフィス街のど真ん中。
公衆トイレは近くに無くても、どこかのビルのトイレを
貸してもらうことは出来ました。それでも、その子の母親は
「ガマンしなさい!」の一点張り。「おかぁさん、トイレー!」という
言葉にも全く耳を貸そうとしません。そして、とうとう
大声で泣き出してしまいました。間に合わなかったのでしょう。

 子供の声にようやく気付いた母親は、何を思ったのか
いきなり子供の頬を平手打ちしたんです。
「何考えてるの、こんな所で! お母さんは大事なことを
やっているのよ! あんたもトイレくらい自分でしなさい!」と
物凄い大声で怒鳴り始めたのです。子供はもうどうしていいのか
分からずに大泣きしています。そのやりとりを聞いていた
人達が回りを囲み始めたので、居心地が悪くなったのでしょう、
母親は子供を連れて手近なビルへと入っていきました。

 その一部始終を見てしまった僕は、どうしたら良かったんだろうと
考えていました。素知らぬふりをして立ち去れば良かったのか、
子供を奪うようにしてでもトイレに連れていった方が良かったのか、
それとも何かもっと別な方法があったんだろうか。
 まぁ、それらについては本筋から外れるのでパスするとして。

 この光景を見ていて、「あぁ、このお母さんは自分の子供が
トイレ行きたいって泣き叫ぶのは、『見知らぬイラクの子供のため
(本音は別にありそうだけど)』にビラ配りすることに
比べれば大したことではないんだな」と。
 自分の子供がどんなに泣き叫ぼうと平気な母親が、
他国の子供を「私達が助けないと!」って目をきらきらさせるのは
何かおかしいとか思うもんですから。
 その手の団体の人は、自分達の優先順位(この場合だと反戦)を
侵す人間は許さないけれども、それと同じように自分達の
主張を受け入れて優先順位を変えない人々に対しては
「ヒトデナシ」扱いして構わないという、非常にご立派な
思想信条を持っている方が多いらしくて。

 思想・信条の自由を守れと声高に言っている人達って、
自分達のは必死になって守ろうとするけど、他人の「思想・信条の
自由」って平気で踏みにじろうとするもんね。不思議だよね。

 なんか、長く書きすぎましたけど、こんなもんです。
 知り合いとたまにそんな話をします。
 大学の時にそんな話をしていたせいもあってか、お互い社会人に
なった今でも、時々メールでそんな話をしていたりします。
まぁ、自殺だのリスカだの多重人格だのという関係の話とかは
「まっとうな大学生」の話題ではないらしいですから、
僕らの大学生活ってのはそんな意味では手一杯ねじれていたわけで。

 で。
 あの頃から「死にたいってどういうことなんだろうね」なんて
全く非生産的なことを考えておりまして。その当時の僕は
時折「死にたい」なんてことを口走る人間でしたけど、
その知り合いは特にそういったことはない人でした。
その割にはその方面での話が良くできた人だったのですが。

 比較的若い人が「死にたい」とかなんとか口走る背景には
一体何があるんだろうということで、関連書籍やネットを
読み漁ってみました。何か見えてこないだろうかなってことで。
 原因はいろいろあるようなのですが、すこし気になったのは
「死にたい」ってメッセージを送る人には、割と「消えたい」って
言葉も同時に表現しているということでした。はて、
こういうことを言う人は「死にたい」んだろうか、「消えたい」の
だろうか、と。
 自殺する人にはいろいろな悩みがあります。身体的なことだったり、
経済的なことだったり、人間関係だったり、本当にいろいろ。
その中で、精神的なストレスや心境のほんの微妙な線から
思い悩んで死を選ぶ人もいます。そんな人の言葉を聞くと、
「これ以上、自分が存在しているのが耐えられない。
自分が嫌でたまらない。消えたい……」と。ネットの掲示板に
ある書き込みでも「消えたいです」というものが結構あります。

 「死にたい」けど、醜く死んでいくのは嫌だ。同じ死ぬなら、
綺麗に死んでいきたい。出来ることならば、霞の中に
溶け込むように自分自身がふっ……と消えていきたい。
そういうのが理想なのだろうということで話は進んでいきました。
 お湯を張った浴槽に入れた手首に刃を当てると、お湯が
どんどんと赤く染まっていく。薄らいでいく意識の中、
赤く染まる浴槽を見つめながら、ゆっくりと死の淵へと
沈んでいく……といったある種耽美的なイメージがその手段を
とらせる一つの要因になっているんじゃないだろうか、とも。
(前にも書きましたが、実際の所リスカでは死ねないんだそうです。)

 「死にたい」。でも、醜く死んでいくのではなく、
綺麗に「消えて」いきたい。でも、そんな風に死ねる手段がない。
近頃話題になった「練炭自殺」も実際には未遂がとても多い。
どうしよう……と思い悩んでる人が世の中には大勢いるそうです。
 すり鉢に投げ込まれたビー玉のようにぐるぐると思いを
巡らせて、一生懸命にそこから抜けだそうと足掻いても、
重力に引き寄せられてついにはすり鉢の底へと落ち込んでいってしまう。

 そういう話を聞く度に、なんとかしてあげたいんだけど……
とは思うものの、実際には何も出来ない自分がかなりもどかしい。
ボランティアか何かの形で関わってはいけないだろうかと、
そんなことを最近考えています。
 小さい頃から、大人になったら持ってみたかったものに
「クレジットカード」がありました。小さい頃はカードの
引き落としの仕組みなんてよく分からなかったんですが、
あのカード一枚で何でも買い物出来るということがとても
「格好いいこと」のように思えたわけでして。「お金が無くても
買い物できる」とはさすがに思わなかったんですが。
 今、こうして社会人になってカードを持つようになると、
あの時小さい頃の目の前でどういうことが行われていたか、
痛いくらいよく分かります。

 日本以上のカード大国は果たしてどこか。
 それはもう、アメリカ以外にはありえません。
 そのカード大国アメリカでは、過去に例を見ないスピードで
個人破産が増えているんだそうです。
 今の世界経済はほとんど「アメリカの消費」によって
支えられていると言っても過言ではありません。そのアメリカの
消費は大部分が個人消費で、それこそ「借金してでも
欲しい物を買う」という思想が根底にあるわけでして。
「天国には札束を持って行けない。それだったら、今のうちに
人生を精一杯楽しんでいた方がいいと思わない?」というのが
その消費を支える人達の考えにはあるわけです。
 
 しかし、カードでの買い物は一種の依存性があります。
自分の収入では賄いきれないほどの出費をしてしまうと、
後はもうどんどん転がっていってしまいます。借金を返すために
また借金。以前のサラ金地獄や自転車操業状態の会社なんかで
よく見られた光景ですけども、この手の話は洋の東西を問いません。

 また、投資目的で住宅を買う人も多いのだとか。
 土地よりもその上にのっかっている家に価値が左右されるので、
リフォームがブームになっているそうです。土地と建物を
安く手に入れ、リフォームで価値を上げて高く売る。
こういう投機的なこともされているようです。
 が、しかし。その住宅も供給過剰になりつつあるという
空気が流れ出すと一気に頭打ちになり、価格上昇を見込んで
いた人は頭を抱えてしまったという現実もあるわけでして。

 その結果、抱え込んだローンや金利を払いきれずに、
自己破産をしてしまうというケースが後を絶たないという
悲惨な状況になっています。生活を楽しむために、
どんどん消費していったら、いつの間にか自分の家や生活までも
消費の対象にしてしまったというある種笑えない状況にさえ
なっているということで。

 こういった現実があるもんですから、カードは使わない方が
いいのかなぁと思いながらも、やはりどこか捨てがたい。
職場の先輩は「うちはいつも買い物する時は現金払いだよ」と
言うものの、一度カードの恩恵に与るとなかなかそこからは
抜け出せるようなものではなくて。
 やっぱり、身の丈に合わないようなことはするもんでは
ないんだろうなぁ。
今にして思えば、もうちょっといろいろなこと出来たかなって
考えてしまったり。それこそもっとボランティア活動やっていたりとか、
自分自身を成長させられるようなこととかやっていけたような
そんな感じがしないでもなかったり。

 そう思うのは、最近になって大学の入学式の映像が
流れているから。ああいうのを見ると「もう1回学生を
やってみたいな」とかそんなことを思ったり。
 まぁ、あの頃はお金は無かったけど、時間はあったからなぁ。
後半の方とかは無為に時間を浪費してしまったようなそんな
意識さえあるから、余計にそう思うのかもしれないけど。

 ちょっと前にも書いたけど、「チャンスを逃したら、
願望が生まれてくる」っていうのはこういうことかもしれない。
自分がそれを出来る機会があるうちはどうとも思わないけども、
チャンスを逃すと途端にどうしようもなく、そのことが
やりたくなってくるといった感じのもの。そういう症状に
かかっているのかな。
 そう思わないように、今の自分は少なくとも将来後悔しないような
行動したいよなぁ。ただ、これはあくまで願望であって、
何年か後になって「やっぱりああしておけば良かった」なんて
思わない保証はどこにもないんだろうけどさ。

その辺の不思議

2003年4月9日
 大学の頃、よく「死にたい病」にかかっていた自分が、
人から「ダメだよ! 辛くてもなんとか生きなきゃ」って
励まされていた。
 その人が「死にたい病」にかかっていた時なんかは、
こっちが「そんなこと言うんじゃないよ!」って言ってた。
それで踏みとどまれたっていうのはそれこそ結構な数になる。
自分の知ってる限りでは踏みとどまれずに……という人は
今のところいない。それを幸いというか不幸というかは
判断にちょっとだけ迷いがあるところ。

 不思議なのは、自分が死にたい病の時は同じ事考えてるのに、
人が言ってると「ダメ!」って強く思うこと。その辺、
ちょっとばかり複雑だなと思ってみたり。上手くバランスを
取っていけるならいいんだろうけど。そうは上手に出来て
いないんだよな。不思議なことに。
 それだけに「死にたい病」ってのは厄介なわけでして。

 最近、幸いなことに「死にたい病」は再発しておりません。

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