練り雲雀にしてくれるわ!
2004年1月13日 だいぶ昔、それこそ僕が中学生か高校生くらいの頃だったと
思うんですけども、「クイズ殿様の野望」なんてゲームがありました。
織田信長、徳川家康、毛利元就、伊達政宗などの武将となり、
他の武将達とクイズ合戦を繰り広げながら、全国統一を目指すという
ちょっと一風変わったクイズゲームです。
あのゲームが出ていた頃から、僕もゲーセンに足繁く通う
ダメ人間でしたものですから、当然のように戦国武将になりきって
全国統一を目指していたものでした。
このゲーム、敵国に攻め込む時に自分の「決めセリフ」みたいな
ものを叫ぶという妙なシステムがあり、そのセリフも
いろいろなものがありました。「いざ、出陣!」とか、
「刀の錆にしてくれるわ!」などと勇ましいものばかりなのですが、
唯一今だもって意味の分からないものが一つあるんです。
「練り雲雀(ねりひばり)にしてくれるわ!」
……このセリフを、先程の「刀の錆にしてくれるわ!」と
同じようなニュアンスで使うわけですよ。皆様、「練り雲雀」って
一体なんだかご存じですか? 広辞苑によるとこんな感じだそうです。
練り雲雀(ネリヒバリ)・・羽毛の抜け替わる頃、すなわち夏の頃の雲雀の称。
これしか書いていません。
夏の頃のヒバリというのは、羽根が抜け替わる時期なので
相当みすぼらしい格好になっているんだそうです。そこから転じて、
「ボコボコにしてやるからな!」っていう意味になったのでしょう。
まぁ、ジャイアンが良く言う「メッタメタのギタギタにしてやる!」という
感じの、「意味はよく分からないが、とにかくすごい迫力」というのは
伝わるわけでありまして。
これだけ意味はよく分からないけど、迫力のあるセリフでありながら、
実社会では使われたという話を僕は全然聞いたことがありません。
格ゲーのセリフでも使われた記憶無いし。
誰か使っているのを目撃した方、水瀬つかさのホームページ
「私は練り雲雀を見た!」係までご一報をお願いいたします。
思うんですけども、「クイズ殿様の野望」なんてゲームがありました。
織田信長、徳川家康、毛利元就、伊達政宗などの武将となり、
他の武将達とクイズ合戦を繰り広げながら、全国統一を目指すという
ちょっと一風変わったクイズゲームです。
あのゲームが出ていた頃から、僕もゲーセンに足繁く通う
ダメ人間でしたものですから、当然のように戦国武将になりきって
全国統一を目指していたものでした。
このゲーム、敵国に攻め込む時に自分の「決めセリフ」みたいな
ものを叫ぶという妙なシステムがあり、そのセリフも
いろいろなものがありました。「いざ、出陣!」とか、
「刀の錆にしてくれるわ!」などと勇ましいものばかりなのですが、
唯一今だもって意味の分からないものが一つあるんです。
「練り雲雀(ねりひばり)にしてくれるわ!」
……このセリフを、先程の「刀の錆にしてくれるわ!」と
同じようなニュアンスで使うわけですよ。皆様、「練り雲雀」って
一体なんだかご存じですか? 広辞苑によるとこんな感じだそうです。
練り雲雀(ネリヒバリ)・・羽毛の抜け替わる頃、すなわち夏の頃の雲雀の称。
これしか書いていません。
夏の頃のヒバリというのは、羽根が抜け替わる時期なので
相当みすぼらしい格好になっているんだそうです。そこから転じて、
「ボコボコにしてやるからな!」っていう意味になったのでしょう。
まぁ、ジャイアンが良く言う「メッタメタのギタギタにしてやる!」という
感じの、「意味はよく分からないが、とにかくすごい迫力」というのは
伝わるわけでありまして。
これだけ意味はよく分からないけど、迫力のあるセリフでありながら、
実社会では使われたという話を僕は全然聞いたことがありません。
格ゲーのセリフでも使われた記憶無いし。
誰か使っているのを目撃した方、水瀬つかさのホームページ
「私は練り雲雀を見た!」係までご一報をお願いいたします。
風邪気味により
2004年1月10日 性懲りもなく風邪ひいております。とはいうものの、
症状としては、いつものように鼻づまりや咳や頭痛という
極めてスタンダードなものでありますので、普通に家で
暖かくして寝ていれば自然と回復するという類の物なんでしょう。
……と、いいますか、多少の風邪くらいなら押し切って
出かけるとかしてやろうとか思ったりもするわけなんですけど、
明日仕事があるもんですから、風邪をこじらすわけには
いかないわけでありまして。
何かと言いますと、明日はうちの市の成人祭があって、
その手伝いに出なければいけないんですよ。成人祭の手伝い自体は
去年も出ているんですが、今年もどういうわけかお呼びが
かかってしまいまして。ちょうど部署が成人祭の主管課と
同じだったっていうところもあるんですけどもね。そんな感じで、
今日は札幌に出かける予定だったんですが中止に。なんだか、
表は物凄い吹雪なので、ちょっと気後れしていたところも
あるんですが。まぁ、行こうと思ったのはベース関係のことで
いろいろ見ておきたいものがあったのと、ちょっと会っておきたい
人がいるっていうことがあるんですが。今度またご披露しようと
うちのバンドマスターが考えておりまして。楽曲探しっていうのも
あるんですけども。うーん、来週にしよう。来週に。
症状としては、いつものように鼻づまりや咳や頭痛という
極めてスタンダードなものでありますので、普通に家で
暖かくして寝ていれば自然と回復するという類の物なんでしょう。
……と、いいますか、多少の風邪くらいなら押し切って
出かけるとかしてやろうとか思ったりもするわけなんですけど、
明日仕事があるもんですから、風邪をこじらすわけには
いかないわけでありまして。
何かと言いますと、明日はうちの市の成人祭があって、
その手伝いに出なければいけないんですよ。成人祭の手伝い自体は
去年も出ているんですが、今年もどういうわけかお呼びが
かかってしまいまして。ちょうど部署が成人祭の主管課と
同じだったっていうところもあるんですけどもね。そんな感じで、
今日は札幌に出かける予定だったんですが中止に。なんだか、
表は物凄い吹雪なので、ちょっと気後れしていたところも
あるんですが。まぁ、行こうと思ったのはベース関係のことで
いろいろ見ておきたいものがあったのと、ちょっと会っておきたい
人がいるっていうことがあるんですが。今度またご披露しようと
うちのバンドマスターが考えておりまして。楽曲探しっていうのも
あるんですけども。うーん、来週にしよう。来週に。
掲示板のカキコ
2004年1月9日 人は何故、ネットだとあんなに気が大きくなるんだろう。
まぁ、「言いたいことが言える」っていうのがネットの
利点だとは思うんだけども、それにしても随分とまぁ
半分荒らしに近いようなことをバンバンと言い放っているんだなぁ、と。
普通の会話じゃまず出来ないもんなぁ。
いや、別にこれはネットで意見を言うなってことじゃなくて。
最初からもう確信犯的に言葉遣いメチャクチャで、
暴論をぶちまけるってタイプは分かりやすいの。言いたいことも
結果的にはボロボロだけども一応、意味としては分かるし、
その中からも「これは」というものを拾い上げることだって
出来ない訳じゃないし、そんな例だって一度や二度じゃない。
問題なのはそれとは逆に丁寧に振る舞って、「あなたは何故、
私の意見に反対するのか分からない、何か恨みがあるのですか?」
というような、慇懃無礼に振る舞うような感じのもの。
これがまた、まとわりつくようでしっくりこない。
僕が批判めいた文を書く時に急に慇懃無礼になるのは、
あの手法を取り入れたものでして。ただ、ネットで論争してる方々は
もう本当に口先だけは丁寧なんですけども、本音はもうドロドロな世界。
実社会での論戦なら、ある程度相手の言い分を考えて
その上で自分の意見を述べるというような感じで、あまりにも
脊髄反射な言葉遣いはしなくて済むのに、ネットだと
何故にあんなに「相手を言い負かさないといけない」って
切迫感にかられるんだろうかなぁと思ってしまうんですよ。
うちの市のホムペにも掲示板があるんですが、そこでも
やっぱり「相手を論破したい」と目をギラギラさせている人達が
いっぱいいます。最初こんな目的で作ったはずじゃないんだけどなぁと
ちょっぴり寂しがりながら、掲示板での論戦を見ています。
あれだけ論戦をしておきながら、何か実社会に良い影響を与えたかと
いうことになると、これが一つもないからより寂しくなります。
悲しいというか、寂しくなりますね。
まぁ、「言いたいことが言える」っていうのがネットの
利点だとは思うんだけども、それにしても随分とまぁ
半分荒らしに近いようなことをバンバンと言い放っているんだなぁ、と。
普通の会話じゃまず出来ないもんなぁ。
いや、別にこれはネットで意見を言うなってことじゃなくて。
最初からもう確信犯的に言葉遣いメチャクチャで、
暴論をぶちまけるってタイプは分かりやすいの。言いたいことも
結果的にはボロボロだけども一応、意味としては分かるし、
その中からも「これは」というものを拾い上げることだって
出来ない訳じゃないし、そんな例だって一度や二度じゃない。
問題なのはそれとは逆に丁寧に振る舞って、「あなたは何故、
私の意見に反対するのか分からない、何か恨みがあるのですか?」
というような、慇懃無礼に振る舞うような感じのもの。
これがまた、まとわりつくようでしっくりこない。
僕が批判めいた文を書く時に急に慇懃無礼になるのは、
あの手法を取り入れたものでして。ただ、ネットで論争してる方々は
もう本当に口先だけは丁寧なんですけども、本音はもうドロドロな世界。
実社会での論戦なら、ある程度相手の言い分を考えて
その上で自分の意見を述べるというような感じで、あまりにも
脊髄反射な言葉遣いはしなくて済むのに、ネットだと
何故にあんなに「相手を言い負かさないといけない」って
切迫感にかられるんだろうかなぁと思ってしまうんですよ。
うちの市のホムペにも掲示板があるんですが、そこでも
やっぱり「相手を論破したい」と目をギラギラさせている人達が
いっぱいいます。最初こんな目的で作ったはずじゃないんだけどなぁと
ちょっぴり寂しがりながら、掲示板での論戦を見ています。
あれだけ論戦をしておきながら、何か実社会に良い影響を与えたかと
いうことになると、これが一つもないからより寂しくなります。
悲しいというか、寂しくなりますね。
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しゃべる如くは神田山陽。
2004年1月8日 日記を書いていて結構長いことなるんですが、最近になって
書く時、読む時それぞれになんだか一定のリズムがあるような
気がするようなことにふと気が付いたんですよ。
一回文章を全部書き上げて、更新をかけた後に何気なく
全体に目を通していると頭の中に不思議なリズムが。
なんとなくそのリズムが誰かの声のように聞こえるんですよ。
聞いたことあるような無いような……と職場への行き帰りの間
ぼんやりと考えていたところ、家で見たテレビにその正解が出ていたのです。
その人の名は神田山陽。講談界だけでなく、幅広い世界で
活躍されている方です。んー、そうだそうだ、この人の
声とリズムがなんとなくこの日記の流れに似ているんだ。
そうなのかーと一人納得。
しかし、ここで一つ疑問が。果たして僕の日記なんてものは、
あの講談のように畳みかけるような文章で書かれているかということ。
文章の内容はともかく、文章のリズムとしてはかなり
読みにくい部類じゃなかろうかと思うわけでありまして。
もちろん、講談として壇をバンバン叩きながら読み上げるような
ものとして書いているわけじゃないので、いかな名講談師の
神田山陽さんであっても読み上げるのは難しいのじゃなかろうか。
それとも、思い切ってとある日の日記を講談調に書いてみようか。
七五調でリズミカルに日々思ったことをビシバシと。
やはり七五調のリズムは日本人によく馴染んだもの。
上手く操れるようになりゃ、こっちのものだとほくそ笑む。
とはいうものの、この日記を講談調で声出して読んでいたら
正直言って気持ち悪いだろうなぁ……。やってる方は
なんだかそれはそれで楽しそうだけどさ。
書く時、読む時それぞれになんだか一定のリズムがあるような
気がするようなことにふと気が付いたんですよ。
一回文章を全部書き上げて、更新をかけた後に何気なく
全体に目を通していると頭の中に不思議なリズムが。
なんとなくそのリズムが誰かの声のように聞こえるんですよ。
聞いたことあるような無いような……と職場への行き帰りの間
ぼんやりと考えていたところ、家で見たテレビにその正解が出ていたのです。
その人の名は神田山陽。講談界だけでなく、幅広い世界で
活躍されている方です。んー、そうだそうだ、この人の
声とリズムがなんとなくこの日記の流れに似ているんだ。
そうなのかーと一人納得。
しかし、ここで一つ疑問が。果たして僕の日記なんてものは、
あの講談のように畳みかけるような文章で書かれているかということ。
文章の内容はともかく、文章のリズムとしてはかなり
読みにくい部類じゃなかろうかと思うわけでありまして。
もちろん、講談として壇をバンバン叩きながら読み上げるような
ものとして書いているわけじゃないので、いかな名講談師の
神田山陽さんであっても読み上げるのは難しいのじゃなかろうか。
それとも、思い切ってとある日の日記を講談調に書いてみようか。
七五調でリズミカルに日々思ったことをビシバシと。
やはり七五調のリズムは日本人によく馴染んだもの。
上手く操れるようになりゃ、こっちのものだとほくそ笑む。
とはいうものの、この日記を講談調で声出して読んでいたら
正直言って気持ち悪いだろうなぁ……。やってる方は
なんだかそれはそれで楽しそうだけどさ。
新成人曰く、30歳は「おばさん」らしい。
2004年1月7日 精密機械メーカーのセイコーが今年の新成人にとった
アンケートによると、「おじさん」「おばさん」の境界線は
「おじさん」が40歳なのに対し、「おばさん」は30歳という
意見が多数を占めたというニュースがありました。
ニュースソースはこちら↓
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=MRO&PG=STORY&NGID=home&NWID=2004010701002941
実際に「30歳からは、おばさん」と答えたのは全体の25%で、
その後は35歳や40歳などと比較的ばらける傾向にありました。
「おじさん」と判断するのは主に中年太りなどの体型が問題に
なってくるんですが、「おばさん」の場合は肌の張りやシワのみならず、
行動面でのことも判断材料に加わるんだとか。
新成人対象のネットアンケートですので、そのまま結果を
鵜呑みにする必要はないんだろうけども、なんでまた男と女で
10歳も開きがあるかなぁと思ってしまうわけですよ。
単純に男が10歳分女よりもガキっぽいってことではないんだろうけど。
単純に身の回りを見てみても、あまり30・40を越えたからと
言って急に「老けたなぁ」なんて思うような感じはしないんですけども。
確かに、女の人は「30歳」というのを以前から一つのラインとして
意識していたところはあるようですけども。そういうところは僕らは
かなり鈍感なんですが、やはり29歳と30歳の間には
かなり高い壁があるんだよということは、うちの妹ですら
口にしてることですから、世の中の人達は口に出さなくても
いざ自分がその境界線にたった時の心中たるや穏やかではないんでしょう。
翻って、男の場合の40歳。
僕はまだ24なので、40歳になるまでにはまだある程度は
時間がありそうなんですけども、外見上ではもう「おじさん」と
呼ばれそうな風貌になってしまっているようです。
この日記でも以前書きましたが、獅子舞の練習に行った時に、
練習相手の子供達には「おじさーん」と呼ばれる始末。
一緒に行った職場の同期の人は、年上なのに「お兄ちゃん」と
呼ばれているにも関わらず、僕には「おじさん」。世間の評価って、
いつの日も真実を捉えていて、人はその真実を突きつけられると
感情が凍り付いてしまうわけです。真実ってのは、本当、
ナイフみたいなもんです。「ペンは剣より強し」ってある意味真実。
本当ならば、30/40を過ぎても、若い人は本当に
「若い」んですよね。見た目というか、精神年齢というか、
「若々しさ」といった意味では、10代・20代って人は
大勢いますしね。ただ、表もあれば裏も当然あるわけで、
まだ10代・20代なのに既に40代みたいにすっかり
老け込んでしまっている人がいることもこれまた真実。
そんなことを書いている僕は果たしてどうなのかというと……
多分、年齢相応ではなくて「老け込んでいる方」なんだろうなぁ。
職場や私生活で会う人達は僕のことを何歳だと思ってるんだろうか。
こないだ行った飲み屋さんでは何故か「就職活動中の大学生」に
間違われたしなぁ。……どうなってるんだ、この世の中。
アンケートによると、「おじさん」「おばさん」の境界線は
「おじさん」が40歳なのに対し、「おばさん」は30歳という
意見が多数を占めたというニュースがありました。
ニュースソースはこちら↓
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=MRO&PG=STORY&NGID=home&NWID=2004010701002941
実際に「30歳からは、おばさん」と答えたのは全体の25%で、
その後は35歳や40歳などと比較的ばらける傾向にありました。
「おじさん」と判断するのは主に中年太りなどの体型が問題に
なってくるんですが、「おばさん」の場合は肌の張りやシワのみならず、
行動面でのことも判断材料に加わるんだとか。
新成人対象のネットアンケートですので、そのまま結果を
鵜呑みにする必要はないんだろうけども、なんでまた男と女で
10歳も開きがあるかなぁと思ってしまうわけですよ。
単純に男が10歳分女よりもガキっぽいってことではないんだろうけど。
単純に身の回りを見てみても、あまり30・40を越えたからと
言って急に「老けたなぁ」なんて思うような感じはしないんですけども。
確かに、女の人は「30歳」というのを以前から一つのラインとして
意識していたところはあるようですけども。そういうところは僕らは
かなり鈍感なんですが、やはり29歳と30歳の間には
かなり高い壁があるんだよということは、うちの妹ですら
口にしてることですから、世の中の人達は口に出さなくても
いざ自分がその境界線にたった時の心中たるや穏やかではないんでしょう。
翻って、男の場合の40歳。
僕はまだ24なので、40歳になるまでにはまだある程度は
時間がありそうなんですけども、外見上ではもう「おじさん」と
呼ばれそうな風貌になってしまっているようです。
この日記でも以前書きましたが、獅子舞の練習に行った時に、
練習相手の子供達には「おじさーん」と呼ばれる始末。
一緒に行った職場の同期の人は、年上なのに「お兄ちゃん」と
呼ばれているにも関わらず、僕には「おじさん」。世間の評価って、
いつの日も真実を捉えていて、人はその真実を突きつけられると
感情が凍り付いてしまうわけです。真実ってのは、本当、
ナイフみたいなもんです。「ペンは剣より強し」ってある意味真実。
本当ならば、30/40を過ぎても、若い人は本当に
「若い」んですよね。見た目というか、精神年齢というか、
「若々しさ」といった意味では、10代・20代って人は
大勢いますしね。ただ、表もあれば裏も当然あるわけで、
まだ10代・20代なのに既に40代みたいにすっかり
老け込んでしまっている人がいることもこれまた真実。
そんなことを書いている僕は果たしてどうなのかというと……
多分、年齢相応ではなくて「老け込んでいる方」なんだろうなぁ。
職場や私生活で会う人達は僕のことを何歳だと思ってるんだろうか。
こないだ行った飲み屋さんでは何故か「就職活動中の大学生」に
間違われたしなぁ。……どうなってるんだ、この世の中。
物欲は人を動かすことも。〜正月二日目〜
2004年1月2日 毎度お世話になっております、水瀬でございます。
今年の正月はいつになくのんびりまったり過ごしております。
あんまり出かける所もなく、家でテレビを見ながら年賀状の返事を
書いているという、まぁ、ゆったりしたものです。
この分だと、正月明けは相当太ってそうなので体重計が
正直恐ろしい存在になりつつあるんですが、それはそれでまた後で
対決の方法を考えることに致しましょう。
それでもって正月二日目。
昨日はラスト・サムライを見に行くということがあったんですが、
今日の予定は特になし。はてさて、何をしようか。
初売りの様子を見に行くのも面白いけども、今のところ
これといって欲しい物も無く。ベースだってこないだ新調した
ばかりだし、アンプも今は練習用のでなんとかなる。
そりゃもっといい物を揃えたいけども、上を望んじゃきりないし、
下を見ればそれはそれできりがないし。楽器類は当分いいかな、と。
CDや本の類も、こないだ欲しい物は買ってしまったし。
太田さんの「パラレルな時代への跳躍」だったり、春日武彦の
「何をやっても癒されない」だったり、CDだって熱帯JAZZ楽団を
衝動買いしてみたりと結構派手目に買ってしまっているし。
うーん、でもチラシを見ていると不思議となんだか欲しくなって
買いたくなってくるから人間ってのは不思議なもので。
話は若干横道にそれますけども、僕は暇になると電器屋に
ふらーっと現れたりすることがあります。札幌に住んでた時も
ヨドバシカメラやベスト電器なんかにふらりと出かけることが
しばしばあったわけでして。電器屋さんに置いてある商品は
電池や延長コードとかの安い物から、冷蔵庫やプラズマテレビなんかの
高価なものまで幅広く置いてあります。
値段の高低によってはそれなりに売り方も違ってくるでしょうし、
当然それによって宣伝や話し方も変わってくるので、
その辺を勉強……でもないんですけども、見てくるのを
やっていた時期もあるんですよ。店にとっちゃ迷惑千万でしょうけど。
テレビ・ラジオ・チラシに代表される宣伝ってのは、
どうやってその商品や行事に対して物欲をかき立てるかっていう
目的で作られてるものです。普段はなんともなく思ってるものを、
実際に財布からお金を出させて買わせるといったところまで
もってこさせるのは現実問題として相当なエネルギーが
かかってるはずです。技術的にはその辺をどうやって
かきてるのかなーってことを、新聞のチラシを見ながら
思ったわけですよ。
そんな1月2日。
我が家では、今日初めて母が携帯を持ちました。
決め手になったのはやはり折り込みチラシ。機械音痴で携帯嫌いの
うちの母に「携帯を買おう」と決心させた裏にはどんな
経緯が合ったのかは分かりませんが、チラシを見て決めたというのは
どうやら本当らしいのですが。うむむ、恐るべし、チラシ。
今年の正月はいつになくのんびりまったり過ごしております。
あんまり出かける所もなく、家でテレビを見ながら年賀状の返事を
書いているという、まぁ、ゆったりしたものです。
この分だと、正月明けは相当太ってそうなので体重計が
正直恐ろしい存在になりつつあるんですが、それはそれでまた後で
対決の方法を考えることに致しましょう。
それでもって正月二日目。
昨日はラスト・サムライを見に行くということがあったんですが、
今日の予定は特になし。はてさて、何をしようか。
初売りの様子を見に行くのも面白いけども、今のところ
これといって欲しい物も無く。ベースだってこないだ新調した
ばかりだし、アンプも今は練習用のでなんとかなる。
そりゃもっといい物を揃えたいけども、上を望んじゃきりないし、
下を見ればそれはそれできりがないし。楽器類は当分いいかな、と。
CDや本の類も、こないだ欲しい物は買ってしまったし。
太田さんの「パラレルな時代への跳躍」だったり、春日武彦の
「何をやっても癒されない」だったり、CDだって熱帯JAZZ楽団を
衝動買いしてみたりと結構派手目に買ってしまっているし。
うーん、でもチラシを見ていると不思議となんだか欲しくなって
買いたくなってくるから人間ってのは不思議なもので。
話は若干横道にそれますけども、僕は暇になると電器屋に
ふらーっと現れたりすることがあります。札幌に住んでた時も
ヨドバシカメラやベスト電器なんかにふらりと出かけることが
しばしばあったわけでして。電器屋さんに置いてある商品は
電池や延長コードとかの安い物から、冷蔵庫やプラズマテレビなんかの
高価なものまで幅広く置いてあります。
値段の高低によってはそれなりに売り方も違ってくるでしょうし、
当然それによって宣伝や話し方も変わってくるので、
その辺を勉強……でもないんですけども、見てくるのを
やっていた時期もあるんですよ。店にとっちゃ迷惑千万でしょうけど。
テレビ・ラジオ・チラシに代表される宣伝ってのは、
どうやってその商品や行事に対して物欲をかき立てるかっていう
目的で作られてるものです。普段はなんともなく思ってるものを、
実際に財布からお金を出させて買わせるといったところまで
もってこさせるのは現実問題として相当なエネルギーが
かかってるはずです。技術的にはその辺をどうやって
かきてるのかなーってことを、新聞のチラシを見ながら
思ったわけですよ。
そんな1月2日。
我が家では、今日初めて母が携帯を持ちました。
決め手になったのはやはり折り込みチラシ。機械音痴で携帯嫌いの
うちの母に「携帯を買おう」と決心させた裏にはどんな
経緯が合ったのかは分かりませんが、チラシを見て決めたというのは
どうやら本当らしいのですが。うむむ、恐るべし、チラシ。
あけましておめでとうございます。m(_ _)m
2004年1月1日 あけましておめでとうございます。
今年一年もまた、この妙な日記にお付き合いいただければ
幸いと思います。時々更新がストップしながらも、気付いた時には
ちょっとずつ更新されていて、改めて振り返ると結構な量の
日記を書いているんだなぁと思えるようなそんなものにしたいです。
昨日から今日にかけては、友達と一緒に初詣に行ってました。
就職した友達がこちらに帰ってきていると言うことで、
一緒に地元の神社へと歩いて向かいました。今年はなぜか
紅白を直接見ることもなく、ビデオに録って後でちょこちょこ
見ておこうなんてことをやっていたので、初詣に向かう途中も
どういうわけか「年越しなんだよなー」って気持ちが
全然実感できなかったわけなんですが。なんだかんだ言いながらも、
やはり紅白は年末の風物詩なんでしょうな。
近くのゲーセンで適度に時間を潰しながら、神社に行ったのは
もう年明けになった頃。既に初詣客でごったがえしていました。
家を出てくる頃にはそれほど寒くなかったんですが、
境内にいると冷たい風が吹き付けてきて、まぁ寒いこと。
しかも行列になっているから本当に骨身に堪えてくるわけ。
一緒に来た友達は「いやー、寒いからもう帰ろうぜぇ、
眼鏡の巫女さんもいねぇしよぉ」などと、迷惑千万なことを
言っていたんですが、なんかここで帰るのもアホっぽいと
思ったので、そのまま待機続行。
待つこと数十分、ようやく順番が来たのでお賽銭を投げて
お参りをすることになりました。何を願ったか……ってのは、
「仕事上手く行きますように」とか「ラブラブになれますように」とか
例によって例のごとく毎年同じようなことばかりなので、
神様もいい加減飽きてきたのかもしれないです。
(「高望み過ぎ。身の程を知りなさい」ってことなのでしょ)
おみくじも引きました。結果は小吉。かろうじて良かったのは
学業運だったのですが、他はどうも思わしくないみたい。
いやー、新年早々出鼻を挫かれてます。まだ「凶」でなかっただけ
良かったなぁとひねくれた考えもあるわけですけども。
(「凶」は二回経験あり。川崎大師と浅草寺にて)
自宅用の破魔矢などの縁起物を買って、さて帰ろうと
思ったのですが、友達が「せっかくだから飲むべ」と言うので
近くの白木屋で飲むことにしました。
家で発泡酒を少し飲んでいい気分だったので、甘いカクテルに
しておきました。甘いのだって美味しいわけだし。
そこでお互いの近況をああでもない、こうでもないと
話していたら、近くの席に座っていた非常に教養豊かな
「やんきぃ」なおにーさんが大声で店員さんに絡んでいました。
まぁ、酔っぱらっての乱暴狼藉なんでしょうけども、
非常に慎み深くて結構なことかと。なかなか出来ないもんね。
何が不満だったのかよく分からないけども。仲間と一緒になって
しきりに「ありえねー」って繰り返していたし。
そのうち、店員さんイビリにも飽きてきたのか仲間と一緒に
お話を続けていました。やれやれやっと収まったなぁとか
思っていたら、妙な言葉が耳に入ってきました。
「だってさぁ、農民が百姓に変わるんだよ。マジありえなくない?」
……ごめんなさい、無知な僕は農民と百姓ってどう違うのか
説明できません。知っている方がおりましたら、どうかお教え下さい。
年明けからどうも「なんだかなぁ」な日記ですが、
今年も一年よろしくお願いいたします。それではまた!
今年一年もまた、この妙な日記にお付き合いいただければ
幸いと思います。時々更新がストップしながらも、気付いた時には
ちょっとずつ更新されていて、改めて振り返ると結構な量の
日記を書いているんだなぁと思えるようなそんなものにしたいです。
昨日から今日にかけては、友達と一緒に初詣に行ってました。
就職した友達がこちらに帰ってきていると言うことで、
一緒に地元の神社へと歩いて向かいました。今年はなぜか
紅白を直接見ることもなく、ビデオに録って後でちょこちょこ
見ておこうなんてことをやっていたので、初詣に向かう途中も
どういうわけか「年越しなんだよなー」って気持ちが
全然実感できなかったわけなんですが。なんだかんだ言いながらも、
やはり紅白は年末の風物詩なんでしょうな。
近くのゲーセンで適度に時間を潰しながら、神社に行ったのは
もう年明けになった頃。既に初詣客でごったがえしていました。
家を出てくる頃にはそれほど寒くなかったんですが、
境内にいると冷たい風が吹き付けてきて、まぁ寒いこと。
しかも行列になっているから本当に骨身に堪えてくるわけ。
一緒に来た友達は「いやー、寒いからもう帰ろうぜぇ、
眼鏡の巫女さんもいねぇしよぉ」などと、迷惑千万なことを
言っていたんですが、なんかここで帰るのもアホっぽいと
思ったので、そのまま待機続行。
待つこと数十分、ようやく順番が来たのでお賽銭を投げて
お参りをすることになりました。何を願ったか……ってのは、
「仕事上手く行きますように」とか「ラブラブになれますように」とか
例によって例のごとく毎年同じようなことばかりなので、
神様もいい加減飽きてきたのかもしれないです。
(「高望み過ぎ。身の程を知りなさい」ってことなのでしょ)
おみくじも引きました。結果は小吉。かろうじて良かったのは
学業運だったのですが、他はどうも思わしくないみたい。
いやー、新年早々出鼻を挫かれてます。まだ「凶」でなかっただけ
良かったなぁとひねくれた考えもあるわけですけども。
(「凶」は二回経験あり。川崎大師と浅草寺にて)
自宅用の破魔矢などの縁起物を買って、さて帰ろうと
思ったのですが、友達が「せっかくだから飲むべ」と言うので
近くの白木屋で飲むことにしました。
家で発泡酒を少し飲んでいい気分だったので、甘いカクテルに
しておきました。甘いのだって美味しいわけだし。
そこでお互いの近況をああでもない、こうでもないと
話していたら、近くの席に座っていた非常に教養豊かな
「やんきぃ」なおにーさんが大声で店員さんに絡んでいました。
まぁ、酔っぱらっての乱暴狼藉なんでしょうけども、
非常に慎み深くて結構なことかと。なかなか出来ないもんね。
何が不満だったのかよく分からないけども。仲間と一緒になって
しきりに「ありえねー」って繰り返していたし。
そのうち、店員さんイビリにも飽きてきたのか仲間と一緒に
お話を続けていました。やれやれやっと収まったなぁとか
思っていたら、妙な言葉が耳に入ってきました。
「だってさぁ、農民が百姓に変わるんだよ。マジありえなくない?」
……ごめんなさい、無知な僕は農民と百姓ってどう違うのか
説明できません。知っている方がおりましたら、どうかお教え下さい。
年明けからどうも「なんだかなぁ」な日記ですが、
今年も一年よろしくお願いいたします。それではまた!
今年もいろいろありました 〜その2「仕事納めでした。」
2003年12月30日 今日はいよいよ仕事納めでした。
今年1年間本当にいろいろなことがあったなぁと思いながら、
まとめの仕事をやっていました。とは言っても、多くは
支払い関係や来年用の名簿の照合とかそんなことをやっていた
わけなんですけども。
うちの課だけでなく、職場のどこもが今年のまとめと
来年に向けての準備を行っていました。もう既にそれらを
終えていた所も、再びゆっくりと今年一年を振り返っていたように
見えていました。
今年一年は、異動もあったし、仕事も増えたし、いろいろ悩んだり、
本当にこれほど上下した年はないなぁって思います。
(なんか、前にも同じようなこと言ってたなぁ)
3月までは社会教育関係の仕事で、高齢者向けの仕事を
やっていたんですけども、4月になってからは急に学校関係の
仕事に変わって、仕事量も一気に増大。それでも、周りの人達に
比べればかなり少ない方なんですが、僕自身はそれをこなすだけで
かなりいっぱいいっぱいになったりもしてまして。
それでも、なんとか今日の仕事納めを迎えることが出来たというのは
職場の人達や、友達がいろんな形で支えてくれたからだなぁと
改めて感慨深くなっていました。
年末恒例の大掃除は3時から開始。
……のはずだったんですが、うちの課は出遅れたせいなのか
なんなのか、ほうきや雑巾やバケツの空きを待つ間、
黙々と残りの仕事をやっておりました。まぁ、待っても
それほど長い時間じゃないから大丈夫だろうという考えもありました。
それより何より大きかったのは不思議なもので3時になっても
「掃除やるぞ」って雰囲気じゃなかったのがあったのですが。
掃除は去年の経験からいってかなり大がかりになりそうだなぁと
思っていたんですが、実際の所は掃き掃除・拭き掃除など
全部ひっくるめても1時間半程度。思ったよりもコンパクトに
収まりました。相変わらず、上手く行動できなくてどうも周りの人に
迷惑ばっかりかけてるなぁと、最後までそんな気持ちが
消えずにいたというのも事実ではありますが、来年こそは
こういった気持ちを少しでも抑えていけるようにしなけりゃ
いけないなぁとも。
そして、終業時刻になり、各課それぞれが挨拶回りをしながら
職場を後にしていきます。僕も一通り挨拶を終えて、
職場を出ました。「来年はいい年にしてね」という上司の言葉を
聞きながら。(果たして、あれはどういった意味合いだったのかな)
帰る途中、職場の先輩に信号の所で会って「今年もいろいろ
ありましたねぇ」とそんなことを話しながら歩いていると、
小腹が空いてきたので近くの定食屋に寄ってみることにしました。
定食屋で牛丼を食べて、さて帰ろうかなぁとカバンの中を
探してみると「あるべきもの」がない。
あれ? おかしいなぁ。どうしたんだろ。
そこで、はたと気付いたのです。そういえば昼休みに外に
出た時に財布をカバンから出してしまっていたことに。
もうそこからは「うわぁ、ダメダメじゃーん」なんてボヤきながら、
店の人に事情を説明して財布を取りに職場へと逆戻り。
幸いにして財布はありましたけども、さすがにこれが無くなっていたら、
まず年は越せなかっただろうなぁ。
仕事の最終日に何やってるんだろうと本気で思いました。
最後の最後までドジなんだなぁと。来年こそは、ちゃんとせねば。
今年1年間本当にいろいろなことがあったなぁと思いながら、
まとめの仕事をやっていました。とは言っても、多くは
支払い関係や来年用の名簿の照合とかそんなことをやっていた
わけなんですけども。
うちの課だけでなく、職場のどこもが今年のまとめと
来年に向けての準備を行っていました。もう既にそれらを
終えていた所も、再びゆっくりと今年一年を振り返っていたように
見えていました。
今年一年は、異動もあったし、仕事も増えたし、いろいろ悩んだり、
本当にこれほど上下した年はないなぁって思います。
(なんか、前にも同じようなこと言ってたなぁ)
3月までは社会教育関係の仕事で、高齢者向けの仕事を
やっていたんですけども、4月になってからは急に学校関係の
仕事に変わって、仕事量も一気に増大。それでも、周りの人達に
比べればかなり少ない方なんですが、僕自身はそれをこなすだけで
かなりいっぱいいっぱいになったりもしてまして。
それでも、なんとか今日の仕事納めを迎えることが出来たというのは
職場の人達や、友達がいろんな形で支えてくれたからだなぁと
改めて感慨深くなっていました。
年末恒例の大掃除は3時から開始。
……のはずだったんですが、うちの課は出遅れたせいなのか
なんなのか、ほうきや雑巾やバケツの空きを待つ間、
黙々と残りの仕事をやっておりました。まぁ、待っても
それほど長い時間じゃないから大丈夫だろうという考えもありました。
それより何より大きかったのは不思議なもので3時になっても
「掃除やるぞ」って雰囲気じゃなかったのがあったのですが。
掃除は去年の経験からいってかなり大がかりになりそうだなぁと
思っていたんですが、実際の所は掃き掃除・拭き掃除など
全部ひっくるめても1時間半程度。思ったよりもコンパクトに
収まりました。相変わらず、上手く行動できなくてどうも周りの人に
迷惑ばっかりかけてるなぁと、最後までそんな気持ちが
消えずにいたというのも事実ではありますが、来年こそは
こういった気持ちを少しでも抑えていけるようにしなけりゃ
いけないなぁとも。
そして、終業時刻になり、各課それぞれが挨拶回りをしながら
職場を後にしていきます。僕も一通り挨拶を終えて、
職場を出ました。「来年はいい年にしてね」という上司の言葉を
聞きながら。(果たして、あれはどういった意味合いだったのかな)
帰る途中、職場の先輩に信号の所で会って「今年もいろいろ
ありましたねぇ」とそんなことを話しながら歩いていると、
小腹が空いてきたので近くの定食屋に寄ってみることにしました。
定食屋で牛丼を食べて、さて帰ろうかなぁとカバンの中を
探してみると「あるべきもの」がない。
あれ? おかしいなぁ。どうしたんだろ。
そこで、はたと気付いたのです。そういえば昼休みに外に
出た時に財布をカバンから出してしまっていたことに。
もうそこからは「うわぁ、ダメダメじゃーん」なんてボヤきながら、
店の人に事情を説明して財布を取りに職場へと逆戻り。
幸いにして財布はありましたけども、さすがにこれが無くなっていたら、
まず年は越せなかっただろうなぁ。
仕事の最終日に何やってるんだろうと本気で思いました。
最後の最後までドジなんだなぁと。来年こそは、ちゃんとせねば。
今年もいろいろありました 〜その1
2003年12月28日 もうすぐ2003年も終わります。
世界でも、日本でも、北海道でも、そして僕自身にも
本当にいろいろあった年でした。そりゃもう、数え切れないくらい。
良いこともありましたし、嫌なこと、悪いこともありました。
どちらかといえば、トータルで言えばマイナスなことが
多かったんですけども、まぁ実際の所は皆さん大体そんなもんでしょう。
収支決算を出してみたら、幸・不幸っていうのは大抵は赤字の
場合が多いもんなんですよ。でも、気が付くと意外と
乗り切れていたりするのが不思議な所なんですけどね。
(家計が赤字ってのは、笑えない事実だったりするけど)
自分自身で言うと、今年ほど自分の中で状況や精神が
変化した……というか、いろいろ上下左右した年もないんじゃないかと。
異動したこともそうだし、仕事が変わって出会った人も多くなったし、
ベースの演奏によって知り合った人も多くいたし、それとは
またひょんなことをきっかけに意外な出会いもあったり、
まぁ相変わらず僕の妙な日記を読んで下さる方々がいたり(感謝!)と
そういった人脈が広がった年でもあったし。本当にいろいろありましたねー。
(そういや、久々に弘前にも出かけていたんだっけ。)
国内・国外の事件でもイラク戦争や総選挙、北朝鮮問題、
阪神セ・リーグ制覇など本当にこちらもいろいろ。
これらについて、明日以降の日記でまとめて書いていこうと
思っております。仕事納めとはまた別に、こういった形でも
自分の中で一応の「締め」はやっておきたいので。
(ま、単に言い残したことがあるからってだけなんですがね)
世界でも、日本でも、北海道でも、そして僕自身にも
本当にいろいろあった年でした。そりゃもう、数え切れないくらい。
良いこともありましたし、嫌なこと、悪いこともありました。
どちらかといえば、トータルで言えばマイナスなことが
多かったんですけども、まぁ実際の所は皆さん大体そんなもんでしょう。
収支決算を出してみたら、幸・不幸っていうのは大抵は赤字の
場合が多いもんなんですよ。でも、気が付くと意外と
乗り切れていたりするのが不思議な所なんですけどね。
(家計が赤字ってのは、笑えない事実だったりするけど)
自分自身で言うと、今年ほど自分の中で状況や精神が
変化した……というか、いろいろ上下左右した年もないんじゃないかと。
異動したこともそうだし、仕事が変わって出会った人も多くなったし、
ベースの演奏によって知り合った人も多くいたし、それとは
またひょんなことをきっかけに意外な出会いもあったり、
まぁ相変わらず僕の妙な日記を読んで下さる方々がいたり(感謝!)と
そういった人脈が広がった年でもあったし。本当にいろいろありましたねー。
(そういや、久々に弘前にも出かけていたんだっけ。)
国内・国外の事件でもイラク戦争や総選挙、北朝鮮問題、
阪神セ・リーグ制覇など本当にこちらもいろいろ。
これらについて、明日以降の日記でまとめて書いていこうと
思っております。仕事納めとはまた別に、こういった形でも
自分の中で一応の「締め」はやっておきたいので。
(ま、単に言い残したことがあるからってだけなんですがね)
年末年始、いろいろあります。
2003年12月27日 ちょっと用があって、札幌に来ています。
なんか最近、札幌に来てる時しかこの日記更新していないような。
まぁ、前々からそうだったけど、ネットカフェで書くことが
多かったから、不思議とこの環境にいると文章がいろいろと
頭の中にぽこぽこ出てくるんですよね。慣れっていうかなんというか。
最近は自分の家のパソコンだとあまり文章が上手く出てこなく
なってしまったし。いやはや、困ったなぁ。
はてさて、少し近況というか身の回りの話でも。
ようやく今年の仕事も終わりになってきました。
仕事納めは30日。他の公務員や会社の人は26日で終わりって
いう人が結構いるみたいだけど、我々は30日まできっちり
お仕事やっております。31日はさすがにお休み。大晦日ぐらいはねぇ。
で、仕事納めといえば大掃除。書類棚から床から窓から
とことん掃除するわけです。うちの課は毎日丹念に掃除してる
わけではないですから、今からちょっと恐いような気もするんですけど。
前の課の時は、一応少しずつでも拭き掃除とか掃き掃除とか
していましたし。どうなってしまうんでしょうね。
いや、別に普段でも掃き掃除とかはしたいなぁーって思って
いるんですよ。ただ、残業して誰もいなくなった時とかに
サササッとやってしまうわけで。やっぱり人がいるうちは
やりにくいですし。だからと言って、人が来ないほど早くに来て
掃除するっていうほど根性入っていないのがなんとも
情けない部分でございまして。もっと頑張らないといけないなぁ。
話は変わりまして。
最近、よく札幌に来ています。時には2週に1回なんて
結構なハイペースで。まぁ、理由はその時によって様々なんですけどね。
ベースを新調したり、病院の見舞いだったり、友達に会いに
行ったり、学祭だったり、単なる観光だったり。
でも、毎回札幌に来ると何がしかいいことがあるんですよ。
新たなランチメニューを見つけたり、音ゲーでどうしても
出来なかった曲が演奏できたり、思いもしなかった人に
会うことが出来たりと、本当にいいことがあるんです。
そのせいか、最近はちょっとずつですけど、プラス思考に
なることが出来るようになりました。
以前、友達にそのことをメールしたら「つかさの努力の
結果のおかげじゃん!」って言われたんですけど、別に
努力したつもりはないんだけどなぁ。でも、結果的に
いい方向に向いてるのは正に結果オーライってことで。
せめて年末まではこういう楽しい気分でいたいなぁ。
なんか最近、札幌に来てる時しかこの日記更新していないような。
まぁ、前々からそうだったけど、ネットカフェで書くことが
多かったから、不思議とこの環境にいると文章がいろいろと
頭の中にぽこぽこ出てくるんですよね。慣れっていうかなんというか。
最近は自分の家のパソコンだとあまり文章が上手く出てこなく
なってしまったし。いやはや、困ったなぁ。
はてさて、少し近況というか身の回りの話でも。
ようやく今年の仕事も終わりになってきました。
仕事納めは30日。他の公務員や会社の人は26日で終わりって
いう人が結構いるみたいだけど、我々は30日まできっちり
お仕事やっております。31日はさすがにお休み。大晦日ぐらいはねぇ。
で、仕事納めといえば大掃除。書類棚から床から窓から
とことん掃除するわけです。うちの課は毎日丹念に掃除してる
わけではないですから、今からちょっと恐いような気もするんですけど。
前の課の時は、一応少しずつでも拭き掃除とか掃き掃除とか
していましたし。どうなってしまうんでしょうね。
いや、別に普段でも掃き掃除とかはしたいなぁーって思って
いるんですよ。ただ、残業して誰もいなくなった時とかに
サササッとやってしまうわけで。やっぱり人がいるうちは
やりにくいですし。だからと言って、人が来ないほど早くに来て
掃除するっていうほど根性入っていないのがなんとも
情けない部分でございまして。もっと頑張らないといけないなぁ。
話は変わりまして。
最近、よく札幌に来ています。時には2週に1回なんて
結構なハイペースで。まぁ、理由はその時によって様々なんですけどね。
ベースを新調したり、病院の見舞いだったり、友達に会いに
行ったり、学祭だったり、単なる観光だったり。
でも、毎回札幌に来ると何がしかいいことがあるんですよ。
新たなランチメニューを見つけたり、音ゲーでどうしても
出来なかった曲が演奏できたり、思いもしなかった人に
会うことが出来たりと、本当にいいことがあるんです。
そのせいか、最近はちょっとずつですけど、プラス思考に
なることが出来るようになりました。
以前、友達にそのことをメールしたら「つかさの努力の
結果のおかげじゃん!」って言われたんですけど、別に
努力したつもりはないんだけどなぁ。でも、結果的に
いい方向に向いてるのは正に結果オーライってことで。
せめて年末まではこういう楽しい気分でいたいなぁ。
作家・太田光
2003年12月26日 買ったのは先週ですが、爆笑問題太田さんの「パラレルな
世紀への跳躍」を買いました。テレビブロスに毎回連載されている
エッセイを収録したもので、内容としては「三三七拍子」の
続編にあたるということです。
「お笑い芸人の書いたエッセイなんてつまらないよ」って
おっしゃる世間の皆々様、その偏見のメガネをちょっとだけ
外してページをめくってみて下さい。なかなか読ませる一冊です。
タバコやファンタジー、イラク戦争の是非や住基ネット問題など
とても幅広く扱っていますが、その中でちょっと気になった
部分についてちょっとばかり書いてみましょう。
「童話」について。(小タイトルは忘れました)
童話のラストは大抵が「そして、その後一生幸せに暮らしました」と
なっている。この「その後、一生幸せに暮らしました」とは
どういうことだろう? 誰もが「幸せに暮らしたい」と
願い続けて生きている。しかし、人生にはいろいろな
障害があり、なかなか一生を幸せに暮らすことは出来ない。
童話の主人公達は大抵が少年少女だ。人生のほんの
出だしである一時期に起きた「あるドラマ・出来事」を
乗り越えた後は、一生幸せに暮らすという風に描かれている。
主人公達は少年期を過ぎ、青年になり、中年になり、
老年になり、やがて死に到る。その中でも、数え切れないくらいの
ドラマや出来事があるはずなのだが、「一生幸せに暮らしました」との
一文で終わっている。童話の主人公達はそういう「一生幸せに暮らす」
秘訣を見つけたというのだろうか。
結局のところ、我々は最後のこの一文を見たいために
童話を読んでいるのではないだろうか。どうやって悪い魔法使いを
やっつけたのかではなく、どうやって王子様と巡り合ったのではなく、
主人公達が「一生幸せに暮らすことが出来た」という
その事実を確認したいがために童話を読んでいるのではないか……。
ちょっと、この部分を読んだ時には、はたと膝を打ちました。
これだけに限らず、太田さんのエッセイは「あっ、そうか」と
気づかされることが多いので、毎回読んでいて非常に楽しいのですが。
文章自体はきっかけに過ぎません。ただ、そこから
思考を進めるのに貴重な足がかりを与えてくれます。
エッセイを元にいろいろと考えるのは、ひょっとしたら
一種の快楽かもしれません。現実に、本を読んだ後に
「ああでもない、こうでもない」と考えるのは楽しいし、
何より心地よいです。自分自身の中で何かが広がっていくような、
そんな感覚を感じるわけです。
文体はやや堅いですが、ぜひぜひ「作家・太田光」の
魅力とその世界を感じとって見てください。損はしませんよ。
世紀への跳躍」を買いました。テレビブロスに毎回連載されている
エッセイを収録したもので、内容としては「三三七拍子」の
続編にあたるということです。
「お笑い芸人の書いたエッセイなんてつまらないよ」って
おっしゃる世間の皆々様、その偏見のメガネをちょっとだけ
外してページをめくってみて下さい。なかなか読ませる一冊です。
タバコやファンタジー、イラク戦争の是非や住基ネット問題など
とても幅広く扱っていますが、その中でちょっと気になった
部分についてちょっとばかり書いてみましょう。
「童話」について。(小タイトルは忘れました)
童話のラストは大抵が「そして、その後一生幸せに暮らしました」と
なっている。この「その後、一生幸せに暮らしました」とは
どういうことだろう? 誰もが「幸せに暮らしたい」と
願い続けて生きている。しかし、人生にはいろいろな
障害があり、なかなか一生を幸せに暮らすことは出来ない。
童話の主人公達は大抵が少年少女だ。人生のほんの
出だしである一時期に起きた「あるドラマ・出来事」を
乗り越えた後は、一生幸せに暮らすという風に描かれている。
主人公達は少年期を過ぎ、青年になり、中年になり、
老年になり、やがて死に到る。その中でも、数え切れないくらいの
ドラマや出来事があるはずなのだが、「一生幸せに暮らしました」との
一文で終わっている。童話の主人公達はそういう「一生幸せに暮らす」
秘訣を見つけたというのだろうか。
結局のところ、我々は最後のこの一文を見たいために
童話を読んでいるのではないだろうか。どうやって悪い魔法使いを
やっつけたのかではなく、どうやって王子様と巡り合ったのではなく、
主人公達が「一生幸せに暮らすことが出来た」という
その事実を確認したいがために童話を読んでいるのではないか……。
ちょっと、この部分を読んだ時には、はたと膝を打ちました。
これだけに限らず、太田さんのエッセイは「あっ、そうか」と
気づかされることが多いので、毎回読んでいて非常に楽しいのですが。
文章自体はきっかけに過ぎません。ただ、そこから
思考を進めるのに貴重な足がかりを与えてくれます。
エッセイを元にいろいろと考えるのは、ひょっとしたら
一種の快楽かもしれません。現実に、本を読んだ後に
「ああでもない、こうでもない」と考えるのは楽しいし、
何より心地よいです。自分自身の中で何かが広がっていくような、
そんな感覚を感じるわけです。
文体はやや堅いですが、ぜひぜひ「作家・太田光」の
魅力とその世界を感じとって見てください。損はしませんよ。
昔も今も変わらないじゃない。
2003年12月25日 NHK「映像の世紀」シリーズが再放送されているので、
欠かさず見ております。こういう貴重な映像に触れることは
歴史と今の自分を考える上で、とても大事なことです。
今までどういった道のりがあって、その上で人間がどう生きてきたのか。
映像は何よりも強く僕達に語り掛けてきます。
このドキュメンタリーが初めて放送されたのは平成7年ですが、
とても完成度の高いシリーズだと思っています。
で、この日(と言っても未明ですが)は第一次世界大戦に触れた
「映像の世紀第2集 〜大量殺戮の完成〜」でした。
史上初めての世界大戦の中、人々は何を考え、どう行動し、
何を訴えてきたのか、そのことをまとめたドキュメンタリーです。
その中で、当時交戦国だったアメリカとドイツの関係が
描かれていたんですが、アメリカでは敵国ドイツの本を
焼き捨てたり、ドイツ系アメリカ人の商店のボイコット(不買運動)を
していたそうです。そういう草の根レベルから、ドイツへの
敵愾心を煽っていた時期がありました。ドイツでも同様のことが
行われていたかどうかは良く分かりませんが。
その映像を見ながら、「あー、日本でも『鬼畜米英撃滅』って
言いながら子供たちが人形を壊したりしていたなぁ」と
苦笑したものですが。
そういや、アメリカもその当時日系移民を排斥したりしてましたね。
最近のイラク戦争では、武力行使に反対したフランスの行為に対する
抗議の意味合いなのか、フレンチポテト(フライドポテトです)を
「フリーダム・ポテト」と読み替えようなんてことを
やっていまして、「なんだ、随分妙なことをするなぁ」と
思っていたら、第一次大戦中にはこんなことをやっていました。
>第一次大戦中、アメリカは敵国ドイツの言葉を排斥するため、
>ドイツ料理の「ザワークラウト(キャベツ料理)」を
>「自由キャベツ」と言い換えていた。
(出典:アシモフの雑学コレクション
作者:アイザック・アシモフ 訳:星新一)
……なんだ、昔も同じことやっていたんじゃん。
温故知新ってやつなんですね、どこもここも。
珍しいことやるなと思ったら、ちゃんと前例があるんだ。
いやぁ、こういう発見が出来るのは幸せな証拠ですねい。
欠かさず見ております。こういう貴重な映像に触れることは
歴史と今の自分を考える上で、とても大事なことです。
今までどういった道のりがあって、その上で人間がどう生きてきたのか。
映像は何よりも強く僕達に語り掛けてきます。
このドキュメンタリーが初めて放送されたのは平成7年ですが、
とても完成度の高いシリーズだと思っています。
で、この日(と言っても未明ですが)は第一次世界大戦に触れた
「映像の世紀第2集 〜大量殺戮の完成〜」でした。
史上初めての世界大戦の中、人々は何を考え、どう行動し、
何を訴えてきたのか、そのことをまとめたドキュメンタリーです。
その中で、当時交戦国だったアメリカとドイツの関係が
描かれていたんですが、アメリカでは敵国ドイツの本を
焼き捨てたり、ドイツ系アメリカ人の商店のボイコット(不買運動)を
していたそうです。そういう草の根レベルから、ドイツへの
敵愾心を煽っていた時期がありました。ドイツでも同様のことが
行われていたかどうかは良く分かりませんが。
その映像を見ながら、「あー、日本でも『鬼畜米英撃滅』って
言いながら子供たちが人形を壊したりしていたなぁ」と
苦笑したものですが。
そういや、アメリカもその当時日系移民を排斥したりしてましたね。
最近のイラク戦争では、武力行使に反対したフランスの行為に対する
抗議の意味合いなのか、フレンチポテト(フライドポテトです)を
「フリーダム・ポテト」と読み替えようなんてことを
やっていまして、「なんだ、随分妙なことをするなぁ」と
思っていたら、第一次大戦中にはこんなことをやっていました。
>第一次大戦中、アメリカは敵国ドイツの言葉を排斥するため、
>ドイツ料理の「ザワークラウト(キャベツ料理)」を
>「自由キャベツ」と言い換えていた。
(出典:アシモフの雑学コレクション
作者:アイザック・アシモフ 訳:星新一)
……なんだ、昔も同じことやっていたんじゃん。
温故知新ってやつなんですね、どこもここも。
珍しいことやるなと思ったら、ちゃんと前例があるんだ。
いやぁ、こういう発見が出来るのは幸せな証拠ですねい。
例の事件以来、減ったなぁ、と。
2003年12月21日 なんの事かというと、例のゴスロリファッション。
この日記でも何度か例の河内長野の事件の話を書きたいなぁって
言っていたんですが、なかなかそういう時間が取れなくて。
なんでまたこのことが気になるのかというと、あの事件を
起こした人達の事がどうにも人事とは思えなくて。
いや、「二人きりの世界を作るために『邪魔な』家族を殺す」って
結果には全く同調する気がないんですが、ああいう世界観の
表現というか……うーん、手っ取り早く言うと精神系の
ホムペ見ていたわけですよ僕も、ええ。
この日記にもたまにリスカとか精神系ホムペの話が出てきますけど、
あの事件が起きた時、なんか嫌な予感するなぁと思っていたら
案の定「ゴスロリ」だの「リスカ・自傷」だの「破滅願望」だの
もう予想できる言葉でいっぱい。毎日ニュースを見ながら
予想が現実となって画面に現れるのをなんとも言えない気持ちで見ていました。
別にゴスロリファッションは嫌でもなんでもないんですよ。
ただ、知っている方がよく真っ黒なゴスロリ服を着て街に
出ていたのを見ていますし、札幌に住んでいた時だって
毎週土日には街に一目で分かるゴスロリの集団がいましたし。
それを見て「あー、今日はライブかイベントがあったんだなぁ」と
感慨深げに見つめるわけですよ。凄いと思うくらい似合う人もいて、
やっぱり雰囲気あるんだよなぁと思ったりもするわけです。
ただ、そのゴスロリファッションが例の事件以来ぱったりと
姿を消してしまったような気がするんです。どこに行ってもいない。
やっぱり、あの事件以来意識して着ないようにしてるのかなぁと
思ったりもするわけでして。これも偏見の一種なんでしょうかねぇ?
この日記でも何度か例の河内長野の事件の話を書きたいなぁって
言っていたんですが、なかなかそういう時間が取れなくて。
なんでまたこのことが気になるのかというと、あの事件を
起こした人達の事がどうにも人事とは思えなくて。
いや、「二人きりの世界を作るために『邪魔な』家族を殺す」って
結果には全く同調する気がないんですが、ああいう世界観の
表現というか……うーん、手っ取り早く言うと精神系の
ホムペ見ていたわけですよ僕も、ええ。
この日記にもたまにリスカとか精神系ホムペの話が出てきますけど、
あの事件が起きた時、なんか嫌な予感するなぁと思っていたら
案の定「ゴスロリ」だの「リスカ・自傷」だの「破滅願望」だの
もう予想できる言葉でいっぱい。毎日ニュースを見ながら
予想が現実となって画面に現れるのをなんとも言えない気持ちで見ていました。
別にゴスロリファッションは嫌でもなんでもないんですよ。
ただ、知っている方がよく真っ黒なゴスロリ服を着て街に
出ていたのを見ていますし、札幌に住んでいた時だって
毎週土日には街に一目で分かるゴスロリの集団がいましたし。
それを見て「あー、今日はライブかイベントがあったんだなぁ」と
感慨深げに見つめるわけですよ。凄いと思うくらい似合う人もいて、
やっぱり雰囲気あるんだよなぁと思ったりもするわけです。
ただ、そのゴスロリファッションが例の事件以来ぱったりと
姿を消してしまったような気がするんです。どこに行ってもいない。
やっぱり、あの事件以来意識して着ないようにしてるのかなぁと
思ったりもするわけでして。これも偏見の一種なんでしょうかねぇ?
いつの間にやら「反戦歌」。
2003年12月20日 ちょっと前の話題になりますが、SMAPの「世界に一つだけの花」が
レコ大の受賞を辞退したってニュースがありました。
詳しい経緯は省略しますが、なんでも「曲の趣旨からして、
大賞の受賞というのには、そぐわない」ということなんだそうです。
まぁ、受賞しようが何しようがその辺は勝手ですし、
そのことについて「賞の権威が……」とかいうのもなんだか
無粋な気もするし。そのあたりは放っておきましょう。
で、この「世界に一つだけの花」。作詞作曲は槇原敬之さん。
「どんなときも」や「もう恋なんてしない」といえば、
記憶がある方も大勢いらっしゃることでしょう。
この曲は世間的には「反戦歌」ってことになってるそうです。
この曲が発表された頃、世界はイラク戦争の気配がしていました。
世界が「開戦間近か」という緊張に包まれる中、日本では
「空爆反対! 戦争反対! 平和! 平和!」と非常に熱心に
反戦運動を行ういろんな団体の方々の間にこの曲が流行りだしました。
「争い事は止めて、みんな平和に暮らそうよ」というメッセージ性が
この反戦運動にピッタリだということで火がついたみたいですけども、
僕自身では本当にそんなメッセージがあるのかなぁと思いながら
その「反戦歌ブーム」を見ていました。
なんていうか、おそらくベトナム戦争の頃からだと思いますけど、
「反戦」っていうのが文化の一端を担ってきたんじゃないかなぁ、と。
それまでは「反戦」っていう形で、メディアに登場して
あるジャンルの商品が売れるというのはあまり無かったんじゃ
ないかなと思うわけです。朝鮮戦争や中東戦争の時には
これほどまでに「反戦」でご飯が食べられるようなことが
無かったんじゃないかな。本来、反戦を訴えていた左系の方々が、
その昔は暴動や騒乱を起こしていたのは正直「なんだかなぁ」な
感じはありますけど、それは「闘争」だ「たたかい」だと
表現するんじゃないかなぁと。
国外に暴力振るうのは必死になって止めるけど、国内には
暴力振るってもいいんかいと、そう思うわけです。
話が横道にそれましたが。
最初、この曲を発表した時にはそういうメッセージを込めた
ものではなかったんですけども、いつの間にやら持ち上げられて
「反戦歌」ということに「されてしまった」んじゃなかろうかと。
あながち不可能ではないだけに、そう邪推してしまうわけですが。
と、いいますか、作詞作曲の槇原さんが以前逮捕された時に
あれほど誹謗中傷の嵐をぶつけ、非買運動まで起こした団体の方々が、
今回は手のひらを返して擦り寄ってきて「これが私たちの
テーマソングです!」ってニコニコ笑顔で歌うその姿が
どうにもこうにも信用できないわけですよ。勝手だなぁって。
あの時「あんな犯罪者の曲なんて聞くんじゃありません!」って
言っていたのはどこのどいつだって。SMAPが歌うんだから、
関係無いじゃんっていうのも違う気がするし。
誰だって戦争はしたくないです。もちろん人だって殺したくない。
人を傷つけるよりも、人を助ける仕事がしたい。それは、
人間なら誰しもがそう考えるでしょう。
ただ、自分の身近な人が戦争で殺されたらどう思うだろうか。
知人だったり、友人だったり、恋人だったり、家族だったりしたら、
その時もあなた達全員は本心から「平和」という言葉を
叫び続けることが出来るだろうかと思うわけです。
自分達のことを守るにも素手じゃ何もできないから、
せめてそれに見合う武器を持って自分達を守ってくれる人達に対して
「武力行使はいけないから、銃や大砲は持ってくるな」って
言えるだろうかなと思うんです。
正直言うと、僕は身近な人が戦争で殺されても頑固に「平和」って
言える気はしません。
でも、今年の紅白には「反戦歌」ということで紹介
されるんだろうなぁ、この曲。曲自体はいいのに、こういう
思想がくっついてくると本当に嫌な感じがします。
レコ大の受賞を辞退したってニュースがありました。
詳しい経緯は省略しますが、なんでも「曲の趣旨からして、
大賞の受賞というのには、そぐわない」ということなんだそうです。
まぁ、受賞しようが何しようがその辺は勝手ですし、
そのことについて「賞の権威が……」とかいうのもなんだか
無粋な気もするし。そのあたりは放っておきましょう。
で、この「世界に一つだけの花」。作詞作曲は槇原敬之さん。
「どんなときも」や「もう恋なんてしない」といえば、
記憶がある方も大勢いらっしゃることでしょう。
この曲は世間的には「反戦歌」ってことになってるそうです。
この曲が発表された頃、世界はイラク戦争の気配がしていました。
世界が「開戦間近か」という緊張に包まれる中、日本では
「空爆反対! 戦争反対! 平和! 平和!」と非常に熱心に
反戦運動を行ういろんな団体の方々の間にこの曲が流行りだしました。
「争い事は止めて、みんな平和に暮らそうよ」というメッセージ性が
この反戦運動にピッタリだということで火がついたみたいですけども、
僕自身では本当にそんなメッセージがあるのかなぁと思いながら
その「反戦歌ブーム」を見ていました。
なんていうか、おそらくベトナム戦争の頃からだと思いますけど、
「反戦」っていうのが文化の一端を担ってきたんじゃないかなぁ、と。
それまでは「反戦」っていう形で、メディアに登場して
あるジャンルの商品が売れるというのはあまり無かったんじゃ
ないかなと思うわけです。朝鮮戦争や中東戦争の時には
これほどまでに「反戦」でご飯が食べられるようなことが
無かったんじゃないかな。本来、反戦を訴えていた左系の方々が、
その昔は暴動や騒乱を起こしていたのは正直「なんだかなぁ」な
感じはありますけど、それは「闘争」だ「たたかい」だと
表現するんじゃないかなぁと。
国外に暴力振るうのは必死になって止めるけど、国内には
暴力振るってもいいんかいと、そう思うわけです。
話が横道にそれましたが。
最初、この曲を発表した時にはそういうメッセージを込めた
ものではなかったんですけども、いつの間にやら持ち上げられて
「反戦歌」ということに「されてしまった」んじゃなかろうかと。
あながち不可能ではないだけに、そう邪推してしまうわけですが。
と、いいますか、作詞作曲の槇原さんが以前逮捕された時に
あれほど誹謗中傷の嵐をぶつけ、非買運動まで起こした団体の方々が、
今回は手のひらを返して擦り寄ってきて「これが私たちの
テーマソングです!」ってニコニコ笑顔で歌うその姿が
どうにもこうにも信用できないわけですよ。勝手だなぁって。
あの時「あんな犯罪者の曲なんて聞くんじゃありません!」って
言っていたのはどこのどいつだって。SMAPが歌うんだから、
関係無いじゃんっていうのも違う気がするし。
誰だって戦争はしたくないです。もちろん人だって殺したくない。
人を傷つけるよりも、人を助ける仕事がしたい。それは、
人間なら誰しもがそう考えるでしょう。
ただ、自分の身近な人が戦争で殺されたらどう思うだろうか。
知人だったり、友人だったり、恋人だったり、家族だったりしたら、
その時もあなた達全員は本心から「平和」という言葉を
叫び続けることが出来るだろうかと思うわけです。
自分達のことを守るにも素手じゃ何もできないから、
せめてそれに見合う武器を持って自分達を守ってくれる人達に対して
「武力行使はいけないから、銃や大砲は持ってくるな」って
言えるだろうかなと思うんです。
正直言うと、僕は身近な人が戦争で殺されても頑固に「平和」って
言える気はしません。
でも、今年の紅白には「反戦歌」ということで紹介
されるんだろうなぁ、この曲。曲自体はいいのに、こういう
思想がくっついてくると本当に嫌な感じがします。
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演奏済んで、日が暮れて。
2003年12月19日 先日、ベースを弾いてますよーということを書きましたが、
実はこの日、久々に人前で演奏しました。
……と言っても、職場の忘年会(50名規模)の余興(?)で
ゲストとして弾いただけなんですが。一番技術的に劣るもので、
正直言って他のメンバーの方々に迷惑がかからないようにって
いう感じで弾いておりました。練習はしていたんですけどねぇ。
で、その時のメンバーは僕を含め計4人。
しかし、僕以外は全て課長職(僕はヒラ)というなんだか
よく分からない編成。ギター、ベース、アルトサックス、ドラムという
構成でございます。その中で、あーでもない、こーでもないと
やっていたわけなんでして。
実際に集まってスタジオで合同練習したのは4回ほど。
時間にして計9時間程度。うちのリーダー曰く「この時間でなら
よくやった方じゃない?」ということなんですが、僕としては
もうあれでいっぱいいっぱいでした。情けないなぁ。
普段は自宅で練習していたので自前のアンプを使えるし、
スタジオ練習の時は備品のアンプを使用できるのでいいのですが、
問題は本番の時のアンプ。自前のアンプは12ワットしかないので、
会場で演奏するには正直言って力不足。同じくリーダーの
ギターアンプも20ワットとこれまた会場では心もとない。
そこで、練習するスタジオからギターとベースのアンプを
借りることになったのですが、このベースアンプがとにかく重い。
なんでも、スタジオの人曰く「ベースアンプはギターの
2倍の出力無いと負けちゃいますよ」とのこと。そんなわけで、
ギターは50ワット、ベースは100ワットのアンプを借りたわけです。
それでまぁ、会場で実際に音出ししたんですが、いやぁ音デカい。
アンプが強力だと自分の下手さ加減が増幅されるので、厳しいです。
自分の下手なイラストをじっくり観察されるようなあんな感じです。
演奏中に意識したのは、とにかくパフォーマンスだなんだと
いうことよりも、音を出来るだけ外さないこと。
だから、ほとんど譜面台から顔を上げていなかったような
気がします。ベースが狂っちゃうと他の楽器にもどんどん
影響していっちゃうので。内心では「ベース気にしないで、
自分で音取って演奏してください!」って無責任極まりないことを
考えていたんですけども、さすがに居並ぶメンバーを前に
そんなことはおくびにも出さず。
曲目は以下の5曲でした。
「枯葉」
「(今年開校した新設の小学校の)校歌」
「ワンノート・サンバ」
「ソー・ダンス・サンバ」
「ホワイトクリスマス」
本当は「ホワイトクリスマス」はアンコール用の曲だったのですが、
どういうわけか正規の曲目として弾いてしまいました。
流れというのは恐ろしいものです。
今度また弾く機会があればやってみたいです。
個人的にはピアノかトランペットが増えると嬉しいなぁと
思っていたりして。やっぱり派手になるといいですもんね。
でも、その前に自分のベースを練習しなきゃなぁ。
実はこの日、久々に人前で演奏しました。
……と言っても、職場の忘年会(50名規模)の余興(?)で
ゲストとして弾いただけなんですが。一番技術的に劣るもので、
正直言って他のメンバーの方々に迷惑がかからないようにって
いう感じで弾いておりました。練習はしていたんですけどねぇ。
で、その時のメンバーは僕を含め計4人。
しかし、僕以外は全て課長職(僕はヒラ)というなんだか
よく分からない編成。ギター、ベース、アルトサックス、ドラムという
構成でございます。その中で、あーでもない、こーでもないと
やっていたわけなんでして。
実際に集まってスタジオで合同練習したのは4回ほど。
時間にして計9時間程度。うちのリーダー曰く「この時間でなら
よくやった方じゃない?」ということなんですが、僕としては
もうあれでいっぱいいっぱいでした。情けないなぁ。
普段は自宅で練習していたので自前のアンプを使えるし、
スタジオ練習の時は備品のアンプを使用できるのでいいのですが、
問題は本番の時のアンプ。自前のアンプは12ワットしかないので、
会場で演奏するには正直言って力不足。同じくリーダーの
ギターアンプも20ワットとこれまた会場では心もとない。
そこで、練習するスタジオからギターとベースのアンプを
借りることになったのですが、このベースアンプがとにかく重い。
なんでも、スタジオの人曰く「ベースアンプはギターの
2倍の出力無いと負けちゃいますよ」とのこと。そんなわけで、
ギターは50ワット、ベースは100ワットのアンプを借りたわけです。
それでまぁ、会場で実際に音出ししたんですが、いやぁ音デカい。
アンプが強力だと自分の下手さ加減が増幅されるので、厳しいです。
自分の下手なイラストをじっくり観察されるようなあんな感じです。
演奏中に意識したのは、とにかくパフォーマンスだなんだと
いうことよりも、音を出来るだけ外さないこと。
だから、ほとんど譜面台から顔を上げていなかったような
気がします。ベースが狂っちゃうと他の楽器にもどんどん
影響していっちゃうので。内心では「ベース気にしないで、
自分で音取って演奏してください!」って無責任極まりないことを
考えていたんですけども、さすがに居並ぶメンバーを前に
そんなことはおくびにも出さず。
曲目は以下の5曲でした。
「枯葉」
「(今年開校した新設の小学校の)校歌」
「ワンノート・サンバ」
「ソー・ダンス・サンバ」
「ホワイトクリスマス」
本当は「ホワイトクリスマス」はアンコール用の曲だったのですが、
どういうわけか正規の曲目として弾いてしまいました。
流れというのは恐ろしいものです。
今度また弾く機会があればやってみたいです。
個人的にはピアノかトランペットが増えると嬉しいなぁと
思っていたりして。やっぱり派手になるといいですもんね。
でも、その前に自分のベースを練習しなきゃなぁ。
年賀状の季節ですね。
2003年12月13日 今年もとうとう残り少なくなりました。本当に今年も
いろんなことがありましたけども、それについてまとめるのは
また別な機会にいたしまして、今日はちょっと先のお話を。
毎年この頃になると、来年用の年賀状のネタに頭を悩ませます。
職場用の極めて丁寧で綺麗なものから、友人用の「今年の
干支コスプレ」な女の子のものまでいろいろと考えるわけです。
一昨年はケンタウロス+羽根娘でしたし、昨年はもこもこふわーな
羊毛で覆われた胸の大きい女の子でした。さすがにこれは
ごく一部の人達にしか出さなかったのですが。(まぁ、
もらっても嬉しくはないんだろうけども)
でもって、来年は申年。猿ですよ、モンキーですよ。
猿と言えば、プロゴルファーか間寛平か堺正章かという
とてつもなく古くさくなおかつ狭い概念しか持たない僕にとって
これは大きな課題です。猿を使って、何かネタを作らないといけない、
そんな強迫観念めいたものに襲われてしまう非常に難儀な
状態でございまして。どうにかならないかなと思う年の瀬。
クリスマスも近いってのに、彼女探しよりも先にネタ探し。
子供の頃憧れた「24歳の自分」ってのはこんなネタに
走るような自分ではなかったような気もしますが、それもご愛敬。
そんなわけで、今年もネタ探しです。
願わくば、来年の元日には僕からの年賀状がちゃんと
届くようになっていて欲しいものであります。
もちろん、ネタじゃない年賀状も送ります。礼儀ですので。
お世話になった人達、大勢いますからね。
いろんなことがありましたけども、それについてまとめるのは
また別な機会にいたしまして、今日はちょっと先のお話を。
毎年この頃になると、来年用の年賀状のネタに頭を悩ませます。
職場用の極めて丁寧で綺麗なものから、友人用の「今年の
干支コスプレ」な女の子のものまでいろいろと考えるわけです。
一昨年はケンタウロス+羽根娘でしたし、昨年はもこもこふわーな
羊毛で覆われた胸の大きい女の子でした。さすがにこれは
ごく一部の人達にしか出さなかったのですが。(まぁ、
もらっても嬉しくはないんだろうけども)
でもって、来年は申年。猿ですよ、モンキーですよ。
猿と言えば、プロゴルファーか間寛平か堺正章かという
とてつもなく古くさくなおかつ狭い概念しか持たない僕にとって
これは大きな課題です。猿を使って、何かネタを作らないといけない、
そんな強迫観念めいたものに襲われてしまう非常に難儀な
状態でございまして。どうにかならないかなと思う年の瀬。
クリスマスも近いってのに、彼女探しよりも先にネタ探し。
子供の頃憧れた「24歳の自分」ってのはこんなネタに
走るような自分ではなかったような気もしますが、それもご愛敬。
そんなわけで、今年もネタ探しです。
願わくば、来年の元日には僕からの年賀状がちゃんと
届くようになっていて欲しいものであります。
もちろん、ネタじゃない年賀状も送ります。礼儀ですので。
お世話になった人達、大勢いますからね。
へっぽこベーシスト奮闘記
2003年12月11日 非常にお久しぶりでございます。なんてことなく、
普通に生きております。ただ、予算決算の関係だったりと
いろいろ日記を更新する暇もない状態だったので。
ようやく一区切りついてきたので、これからはちょっとずつ
更新していこうかなと思っています。
(個人的には、先日のゴスロリ殺傷事件のこととかを
じっくりと書きたいのですが、今日は別の話題を。
あの事件にはいろいろと思うところがあるので。)
さて、ちょっとした理由で僕はベースを弾いております。
まぁ、なんというか弾くキッカケはなんてことなく、
ジャズ好きであったり、ギタドラやっていたことだったりと
いろいろと不純な動機が渦巻いていたわけでありまて。
決してモテようとかなんとかって、極めて「一般的」な
理由はこの偏屈な僕のこと、大した重視しておりません。
モテたいのなら、ギターやピアノの方が手っ取り早いわけですから。
まぁ、単純に偏屈な訳なんですよ、ええ。
でもって、最近またご披露する機会をいただけるそうなので、
その日に向けてちょっとずつ練習を続けております。
しかしまぁ、ちょっと練習しないとすぐコツを忘れて
しまうところが情けないわけ。何事も反復練習は大事ですわ。
やっぱり、音楽は聴くのも楽しいですけども、自分で
演奏するとまた全然違った楽しみがありますねぇ。
ギタドラとかでもそういった感覚は体験できますので、
そういった所から本物の楽器演奏を始めてみてはどうかなぁと
思ってみたりするんです。「良識ある大人」の方々は
ゲームと聞くと化学反応のように顔をしかめて聞き入って
下さいますけども、キッカケはいいんですよ、なんでも。
そんなもんです、全部のことは。
普通に生きております。ただ、予算決算の関係だったりと
いろいろ日記を更新する暇もない状態だったので。
ようやく一区切りついてきたので、これからはちょっとずつ
更新していこうかなと思っています。
(個人的には、先日のゴスロリ殺傷事件のこととかを
じっくりと書きたいのですが、今日は別の話題を。
あの事件にはいろいろと思うところがあるので。)
さて、ちょっとした理由で僕はベースを弾いております。
まぁ、なんというか弾くキッカケはなんてことなく、
ジャズ好きであったり、ギタドラやっていたことだったりと
いろいろと不純な動機が渦巻いていたわけでありまて。
決してモテようとかなんとかって、極めて「一般的」な
理由はこの偏屈な僕のこと、大した重視しておりません。
モテたいのなら、ギターやピアノの方が手っ取り早いわけですから。
まぁ、単純に偏屈な訳なんですよ、ええ。
でもって、最近またご披露する機会をいただけるそうなので、
その日に向けてちょっとずつ練習を続けております。
しかしまぁ、ちょっと練習しないとすぐコツを忘れて
しまうところが情けないわけ。何事も反復練習は大事ですわ。
やっぱり、音楽は聴くのも楽しいですけども、自分で
演奏するとまた全然違った楽しみがありますねぇ。
ギタドラとかでもそういった感覚は体験できますので、
そういった所から本物の楽器演奏を始めてみてはどうかなぁと
思ってみたりするんです。「良識ある大人」の方々は
ゲームと聞くと化学反応のように顔をしかめて聞き入って
下さいますけども、キッカケはいいんですよ、なんでも。
そんなもんです、全部のことは。
自殺しようと思ったけど……という事件
2003年11月3日 もう数日前の話になるわけですが、大阪の方で事件が起こりました。
「世の中が嫌になって、自殺しようと思ったけども、
一人で死ぬのが恐くなったので家族を巻き添えにしようと思った」と
いうことなのですが……。
それで、父と母と弟を次々と刺していき、結果的には
自分だけが無傷で生き残ったということになりました。
さらにこの犯人の少年は恋人の女子高生がいて、その子も
同じように家族を殺そうとしていたというそうです。
そして、2人は逮捕されました。
二人とも学校での成績はトップクラスだったそうですし、
家族との関係も悪くなかったようなのですが、心の中では
どんな葛藤があったのでしょうか。「自分のことは誰も
分かってくれない」というような心の中のわだかまりがずっと
渦巻いていたのでしょう。心の中に溜まっていく暗い感情は
上手く昇華していけないとどんどん重くなっていって、
いつしかそれは腐敗して爆発してしまうんです。僕もそういう感情を
上手く処理できずに苦しんでいたりすることもあるので、
今回の事件でもホンの少し「分からなくもないけど……」という
気持ちがあるんです。
ただ、「一人で死ぬのが恐くなったので、家族を巻き添えに
しようとした」っていうのは、どうにもこうにも理解できないのですが。
この二人は心の中に葛藤や悩みを抱えていたせいか、
精神的にいろいろと不安定だったそうです。彼女の方も、
リストカッター(手首を切る行為=リストカットをする人)
だったそうです。しかし、二人は会ってる時は本当に幸せだったと
いうそうなのですが。(ニュースの文面には「お姫様のような
格好」とあったので、おそらくゴスロリの方なんでしょう)
二人は供述でも特に反省した様子が無いということですが、
おそらく二人は自分達が一体何をして、どういう影響が
あったということが実感できていないのでしょう。
「想像力がない」とか「心がない」と言ってしまうことは
非常に簡単なことなんですが、僕も含め今の比較的若いと
言われる人達は多かれ少なかれそういった所があるんじゃ
ないだろうかと考えています。
いつも自分のことしか考えてないから、自分の起こした行為が
周りにどんな迷惑を与えてしまうかということが。
僕もかなりそういった所があるので、気を付けなくてはいけないと
いつも言い聞かせているのですが、一番改善できていない自分が
どうにももどかしい所です。
今後もまた取り調べが続くでしょうから、じっくりと
見ていきたいと思っています。以前、自殺願望に襲われた者として。
「世の中が嫌になって、自殺しようと思ったけども、
一人で死ぬのが恐くなったので家族を巻き添えにしようと思った」と
いうことなのですが……。
それで、父と母と弟を次々と刺していき、結果的には
自分だけが無傷で生き残ったということになりました。
さらにこの犯人の少年は恋人の女子高生がいて、その子も
同じように家族を殺そうとしていたというそうです。
そして、2人は逮捕されました。
二人とも学校での成績はトップクラスだったそうですし、
家族との関係も悪くなかったようなのですが、心の中では
どんな葛藤があったのでしょうか。「自分のことは誰も
分かってくれない」というような心の中のわだかまりがずっと
渦巻いていたのでしょう。心の中に溜まっていく暗い感情は
上手く昇華していけないとどんどん重くなっていって、
いつしかそれは腐敗して爆発してしまうんです。僕もそういう感情を
上手く処理できずに苦しんでいたりすることもあるので、
今回の事件でもホンの少し「分からなくもないけど……」という
気持ちがあるんです。
ただ、「一人で死ぬのが恐くなったので、家族を巻き添えに
しようとした」っていうのは、どうにもこうにも理解できないのですが。
この二人は心の中に葛藤や悩みを抱えていたせいか、
精神的にいろいろと不安定だったそうです。彼女の方も、
リストカッター(手首を切る行為=リストカットをする人)
だったそうです。しかし、二人は会ってる時は本当に幸せだったと
いうそうなのですが。(ニュースの文面には「お姫様のような
格好」とあったので、おそらくゴスロリの方なんでしょう)
二人は供述でも特に反省した様子が無いということですが、
おそらく二人は自分達が一体何をして、どういう影響が
あったということが実感できていないのでしょう。
「想像力がない」とか「心がない」と言ってしまうことは
非常に簡単なことなんですが、僕も含め今の比較的若いと
言われる人達は多かれ少なかれそういった所があるんじゃ
ないだろうかと考えています。
いつも自分のことしか考えてないから、自分の起こした行為が
周りにどんな迷惑を与えてしまうかということが。
僕もかなりそういった所があるので、気を付けなくてはいけないと
いつも言い聞かせているのですが、一番改善できていない自分が
どうにももどかしい所です。
今後もまた取り調べが続くでしょうから、じっくりと
見ていきたいと思っています。以前、自殺願望に襲われた者として。
倒産という話
2003年11月1日 これは友人から聞いた話なのですが、昔お世話になっていた
ホビーデータというメールゲームの会社があったのですが、
最近になって倒産したという話が舞い込んできたんです。
まだ正確には裏を取っていないので実はそうではない可能性も
十分にあるのですが、本当だとしたらちょっと寂しいことです。
高校の時にメールゲームに初めて触れたのがこの会社のものでしたから。
これをきっかけに知り合った人達もたくさんいますし。
そういう出会いの場みたいなものを提供してくれた会社が
無くなってしまうというのはなぁ……。
やっぱり、ネットゲームをやる人が多くなって来てるし、
メールゲームをやる人は減ってきてるから、仕方ないことなのかも
しれませんけどね。うーん。
ホビーデータというメールゲームの会社があったのですが、
最近になって倒産したという話が舞い込んできたんです。
まだ正確には裏を取っていないので実はそうではない可能性も
十分にあるのですが、本当だとしたらちょっと寂しいことです。
高校の時にメールゲームに初めて触れたのがこの会社のものでしたから。
これをきっかけに知り合った人達もたくさんいますし。
そういう出会いの場みたいなものを提供してくれた会社が
無くなってしまうというのはなぁ……。
やっぱり、ネットゲームをやる人が多くなって来てるし、
メールゲームをやる人は減ってきてるから、仕方ないことなのかも
しれませんけどね。うーん。
突然ながら、こんな相談。
2003年10月31日 仕事も終わって、明日から三連休だなぁとか考えながら
家のベッドでごろ寝していたら、友人からこんなメールが。
「水瀬って前にすごく気分が落ちていた時に『死にたい』って
言っていたじゃない。そこで一つ質問があるんだけど」という内容。
もう冒頭の記述で「?」な気分が半分、「何を失礼な」という
気分が半分だったのですが、とりあえず深刻な問題だと後々
後悔してしまいそうなので、「どうしたの?」と返信。
そうした所、返ってきた質問は単純ながら複雑なこういうもの。
「死んだら楽になれるのかなぁ?」
……そんなのこっちが聞きたいわい。
どうにも落ち込んだ様子だったので、後はメールじゃなくて
電話で話を聞くことにしました。会話の内容は一応伏せて
おきますけども、なかなか複雑な事情というか悩みを抱えているそうです。
また、会話の中でも「死んだらどうなるのかな」ということも
しきりに口にしていましたし……。
いろんな事情はあるにせよ、とりあえず今日明日死ぬって
事だけは止めておこうよってことにはなりました。
じゃぁ、明後日ならいいのかってことになりそうですけども、
問題は今すぐ死なれることを回避することだと思ったので、
そういう答えになったわけですが。
しかし、それにしてもこの手の質問というか疑問は
いつも誰かが考えているんですよね。死んだら楽になれるか
どうかなんて、本当、こっちが教えて欲しいくらいだって
気がしているのですが、皆様どんな感じなのでしょう?
家のベッドでごろ寝していたら、友人からこんなメールが。
「水瀬って前にすごく気分が落ちていた時に『死にたい』って
言っていたじゃない。そこで一つ質問があるんだけど」という内容。
もう冒頭の記述で「?」な気分が半分、「何を失礼な」という
気分が半分だったのですが、とりあえず深刻な問題だと後々
後悔してしまいそうなので、「どうしたの?」と返信。
そうした所、返ってきた質問は単純ながら複雑なこういうもの。
「死んだら楽になれるのかなぁ?」
……そんなのこっちが聞きたいわい。
どうにも落ち込んだ様子だったので、後はメールじゃなくて
電話で話を聞くことにしました。会話の内容は一応伏せて
おきますけども、なかなか複雑な事情というか悩みを抱えているそうです。
また、会話の中でも「死んだらどうなるのかな」ということも
しきりに口にしていましたし……。
いろんな事情はあるにせよ、とりあえず今日明日死ぬって
事だけは止めておこうよってことにはなりました。
じゃぁ、明後日ならいいのかってことになりそうですけども、
問題は今すぐ死なれることを回避することだと思ったので、
そういう答えになったわけですが。
しかし、それにしてもこの手の質問というか疑問は
いつも誰かが考えているんですよね。死んだら楽になれるか
どうかなんて、本当、こっちが教えて欲しいくらいだって
気がしているのですが、皆様どんな感じなのでしょう?