なんとか

2003年8月23日
 ふらつきながらも生きています。食欲も湧かない、
気も抜けてるような感じ。魂が抜けちゃうとまではいかないけど、
自分のことがよく分からないような状態に。
「そんなこと考えてないで、あんたは仕事しなさい!」って
声が頭の中に響く。もちろん、響くだけじゃなくて実際にも
言われ続けてる。一つ一つこなしていかなきゃいけないのは
分かってるけど……。強くならなきゃいけないんだろうけど。

 鬼束ちひろの「Infection」の中で「いつの間に あたしは
こんなに弱くなったのだろう」という歌詞がありますけど、
心境的にはそんな感じ。ふらふらして、力が入らない。
みんなに迷惑かけてばかり。これ以上迷惑かけてられないんだけど……。

情緒不安定

2003年8月22日
 最近気持ちがふらついてどうにも微妙な感じ。
決めたのに、どうしてこんなにふらつくんだろ。

 まだ後悔してるのかな、まだ未練があるのかな。
決めたのに、一生懸命生きるって決めたのに。

ダウン状態

2003年8月21日
 最近、何をしてもため息しか出ない。
 甘えてるだけ? 何もしようとしない自分に甘えてるだけ?
どうにも……生きてていいのか分からなくなってきてます。
仕事でも、どうしても解決できないものがあるし。
全部僕のせいでそうなってしまってるだけに……。
責任取らないといけないな、きっと。

疲れたよ。

2003年8月17日
 まぁ、なんていうかいろいろあって。
 最近ずっと朝っぱらからずっと気分がダウン状態ってのは。
「サザエさん症候群」なんて言葉があるけども、どうも
体も心も重すぎる。全部自業自得なのは分かってるんだけど……。
自分のせいなのは分かってる。痛いほど分かってるけど。
明日なんとかしよう。全部解決してしまおう。整理つけないと。
全部、そう、全部。

ダウン

2003年8月16日
 最近気力ゼロ状態。何が原因って、自分の不甲斐なさ。
自分に全部責任あるんだけど。どうしよう、どうしようって
頭の中でぐるぐるぐる……。
 それこそ人によってそれぞれなんですが、大抵の人は
一日三食食べているものと思われます。まぁ、それ以外にも、
一日二食だったり、細かく分けていくと一日五食なんていう人も
いたりするわけなんですが。
 食事の回数なんてのはそれこそ日常の生活環境によって
大きく回数が変わってくるものです。高校生の時の僕は
一日三食じゃとても足りなくて、早めに弁当食べた上に
昼休みにパンを買って食べてたり、受験勉強で夜食食べてたりと
なかなかな多食ライフを送っていたかと思うと、逆に
大学生になると一日二食に減ってしまうわけです。二食というのは、
要は昼食と夕食。「夕食」というには割と遅くて九時〜十時くらいに
食べることが多かったので、夜食と言った方が正しいのかも
しれませんが。昼食だって、うちの大学は昼休みが30分しか
なかったもので、いつも講義の空き時間に食べていました。
大体2時半くらいが多かったです。
 なぜにそんな風に遅い時間でも大丈夫だったかというと、
ただ単純に起きるのが朝の9時半というとんでもなく遅い
時間だったからです。大学までは歩いて10分。講義は大抵
10時40分からだったので、食べなくても大体、昨日の
延長でなんとかなったんですねぇ。不思議なもんです。
 それが、社会人になると今度は朝6時半に起きるもんですから、
きっちり朝食をとっていかないと午前中は空腹にずっと
悩まされるというある意味で「健全」な生活になってるのですが。

 ……と、ここまで長々と書いてきましたけども、今回何故
「一日何回食べますか?」なんて書いたのかといいますと、
図書館で「一日二食で健康になれる」という変なタイトルの本を
見かけたからなんです。まだ全部を読み切ったわけではないので、
内容についていろいろ書くのは次回以降の日記ということに
なるんですが、ちょっと中身を読んだだけでも笑いを誘うようなことが
書いております。
 例えば、「一日二食でダイエットに成功する」だとか、
「一日二食で便秘が治る」とか「一日二食でガンが治る」だの
なんだかもの凄いことが書いてあります。もし、ここに
書いてあることが本当であるとするならば、病院で出される
食事はまず2回でないといけないんですが、そこのところは
どう書いて下さってるんでしょう。非常に気になっていますので、
今度じっくり読み込んで紹介していきたいと思ってます。

 また、同じく「そろそろ肉を止めないか?」という、
日本食およびベジタリアン万々歳の妙な本も置いてありましたので、
そちらも機会があれば是非読んでご紹介したいなぁ、と。
ただ、そんなこと言っておきながら、実際に今日借りてきた本は
「子供のまま大人になった人たち」(春日武彦:著)
「インチキな反米主義者、マヌケな親米主義者」(ジャン=フランソワ・ルヴェル:著)
 この以上2冊という非常に腰砕けな内容。まぁ、実際には
この2冊を読んで思ったことを先に書くことになるんでしょうけどね。

頭痛&熱により

2003年8月12日
 朝起きたらとんでもない頭痛。それに多少の熱も。
元々頭痛持ちなもので、何かというと頭がズキズキと痛んだり、
「輪っかで締め付けられる」ように痛んだりとなかなかな
バリエーションで悩まされているんですが、今回もご多分に漏れず
早朝の頭痛と熱。這いずるように布団から出てきたのは午前5時半。
体調が悪い時には不思議と早起きな僕。今からもう一眠り
したところで、せいぜい1時間ちょっとで起きなきゃいけない。
 そんなわけで、ふらつきながら頭痛薬を飲んで様子見。
それでも一向におさまらないので、病院へ。普通の夏風邪だとは
言われたけど……。病院からもらった薬飲んで一日寝てました。
 明日には治ってるといいんだけど……。職場の皆さんには
本当申し訳ない。

戦争の映像

2003年8月10日
 毎年、8月になると太平洋戦争の映像特集がいろいろな
放送局で放送されます。様々な歴史的解釈が存在し、
今も「あの戦争とは何だったのか?」という論争が繰り
広げられています。侵略戦争だったのか、独立自衛のための
戦いだったのか、植民地解放戦争だったのか、それとも、
火遊びの果てに引っ込みのつかないまま行われた惨劇だったのか。
論客それぞれの思想やイデオロギーが色濃く反映され、
いつも論争は平行線。
 ああいった論争を見ていると、お互い「見たくないもの、
認めたくないもの」があるんだろうなぁ、と思っています。
いろいろな側面があることを認めたくないのだなぁ、と。

 そういった論争を横目に、僕は特集で放送される映像を
見ているわけです。こうやって放送される映像だって、
制作者の思想めいたものが表現されているわけで、その辺は
少しばかり割り引いて見ないといけないんでしょうけども。

 写真や映像は何よりも雄弁です。戦争の語り部という人は
何人もいますけども、それらをある意味では雄に超える
強い印象を僕らに与えます。真珠湾攻撃の映像であったり、
シンガポールの攻防であったり、ミッドウェーやガダルカナルの
死闘であったり、サイパンのバンザイクリフであったり。
同時多発テロの時にも書きましたけど、全てはカメラの前で
起きているのだ、と。銃弾の一発、大砲の一発ごとに
名も知らぬ誰かの命が消え去っていくのを僕らはどれだけ
想像し、そして実感しているんだろうかとも。

 「あの戦争」を聖戦だという人にも、侵略戦争だという人にも、
または趣味のミリタリー展示場だという人にも誰にも
与するつもりはないです。ただ、歴史の事実として、
「戦争」があったということを忘れずに、そしてまた
何か学ぶべき事がないだろうかと思いながら、映像を見続けています。

 それだけに、学校の授業で近現代史の時間がほとんどないのは
どうも歯がゆい気がするんです。確かに、歴史的評価が
定まっていないとは言いながらも、考える時間ときっかけを
与える必要があるような気がするのですが。
 何のために? 泳ぐため? 水遊びするため?
 日光浴のため? 水着のおねーさんを見に行くため?
 残念ながら、そういう理由ではあまりなく。

 うちの職場から5分ほど歩くと、浜辺を見下ろす高台の上に
行くことが出来ます。一応、そこの浜は海水浴場ということで
指定はされているんですが、あまり泳いでいる人は見たこと
ありません。時々近所の家族連れが子供を水遊びさせているのを
見かけるくらいでしょうか。あとは誰もいない静かな浜辺です。
よく晴れた日は、遠くの水平線がくっきり見えて実にいい所です。

 そんな場所に僕は散歩がてらよく出かけていきます。
出かけるとは言っても、昼休みにちょっと歩いていく程度で、
何も仰々しいものではないんですけども。そして、行ったところで
何をするわけでもなく、ただ海を眺めてひたすらぼーっとするだけ。
だってさー、一緒に行くような人だっていない訳だしさー。
本を読もうって言ったって、せいぜい15分くらいじゃ
あまり読めないし、ベンチとかも無いしさぁ。
(あ、だから、そんな時にショートショートがあるわけか)

 お昼をあそこで食べようってのも考えたんですけどもね。
なにぶん一人で海を見ながら、弁当を食べてる姿ってのは
「どうだろう?」って感じなので、しばらくは実現しそうにないです。
自転車に乗って、コーラ片手にサンドイッチってのは
なんとなく良さげではあるなぁ。

「海はいいですよね。なんか、ぼーっと出来るし」
 これは以前聞いた職場の人の言葉。まぁ、どういう因果か、
僕はそれを実現してしまっているわけなんですけども。

 ただ、こうやって海を見に行った後遺症というか、
どうも体がベタベタするんですよ。潮風に吹かれるから、
どうしてもそうなってしまうんですけども、これだけは
玉に瑕なんだよなぁ。どうにかならないもんかなぁ。
 今日は地元のお祭りの日。珍しく朝から晴れていて、
なかなかのお祭り日和。うちの職場からもお祭りの見物に
出かける人が多いんだろうなぁとか勝手に思っていたら、
どうやら今日は鉄腕DASH!のソーラーカーがうちの町を通るらしく、
そっちの見物に出かけてしまう人がいて、お祭りには
あんまり出かけていないようでした。まぁ、その神社とうちの職場は
かなり離れているから、わざわざ寄る気にもならないのでしょう。
今日僕が寄ったのも、たまたま帰り道だったからということだし。

 JRに乗って、神社の近くの駅で降りて歩くことに。
時間は7時近くになっていたのに、駅前の気温は27度。
確かに今日はかなり蒸し暑かったけど、そんなに気温あったかなぁ。
夜の7時頃だというのに。

 お祭りの時の天気は、どういうわけか昔から「蒸し暑い夜」
というイメージがありました。湿気の多い夏の夜。
ただ、この天気は「暑い」ということもさることながら、
「湿気が多くて蒸している」ということの方がなんとなく
重要な感じがします。夜も更けてくるに従って、とうぜん
気温も下がってくるわけなんですけども、そう簡単に変わらないのが湿気。
その湿気がいつまでも続いているというのが夏祭り特有の
天候というか、空気そのものだと思っているんですが、
どんなもんでしょう?

 そういえば、神社に行ってお参りをした時に御神酒を
もらったんですが、「あんた若いんだからどんどん飲みなさい」と
言われて、飲んでしまった御神酒は都合三杯。三杯とは言っても、
小さなお皿に注がれたので量自体は微々たるものなんでしょうけど。
「いやー、お兄ちゃん、これで100歳まで生きるよぉ」と
御神酒をくれた人は言っていましたけど、あの場では
最近また死にたいって思ってますなんて、御神酒の力があっても
とても言えたもんじゃありませんでしたねぇ。まぁ、当然か。

 そんな地元のお祭り、明日もやっております。
 さすがに2日連続では……行けないだろうな、たぶん。
 最近読んでいる小説にこんなやりとりがありました。

 彼は弱い人間だった。
 傷つくことを恐れ、あらゆるものから逃げ続けた。
親からも、友達からも、恋人からも、仕事からも、故郷からも。
 彼は失うことを恐れていた。
 人望を、友人を、財産を、思い出を。
 だから、自分自身だけはどうしても守りたかった。
 これ以上、失いたくない。傷つきたくない。
 そんな怯えの色に毎日が塗りつぶされる。

 そんな彼を見て、神はこう言った。
「なんと情けない男だ。阻害を乗り越えず、追い求めず、
自分の手が届くものにしか手を出さないなど。ただの怠慢ではないか」
 低く重く響く声に、彼は肩を震わせる。
 分かっているのだ。それは痛いほど。
 それを解決するだけのきっかけが今の彼には存在していないのだ。

 ……と、これを見ていて、なんだか身につまされる思いが。
まるで何か自分のことをビシバシ言われてるような。
神様のセリフがどうにもこうにも痛すぎる。さすが神様容赦ない。
 小説の登場人物に自分自身を投影することってのは
ままあることなんだそうですけども、現実世界でも小説の世界でも
罵倒されっぱなしの役ってキツイよなぁ。小説の世界でも
ダメ人間扱いじゃ。スーパースターとは言わないけども、
せめて普通の人になりたいなぁ。(はて、ついこないだ
「普通の人なんているわけないじゃん」って書いたばっかりなのにな)
 ふと、ターミネーター3を観ながら考えてました。
過去のSF小説からずっと語り継がれ、現代の小説、または
ノンフィクションの書棚にもなぜか並びつつあるそんなテーマ。
「機械が地球を支配する」という未来像。
 人類が幸せになるために作られたはずの機械達が、
ある日自分の親である人類に反旗を翻す。自分達機械が、
この地球の「支配者」である人間を全て滅ぼしてしまおうと。
 人類にしてみれば「飼い犬に手を噛まれる」どころの
騒ぎじゃなくて、それこそ大混乱。自ら生み出したものが、
どれもこれも人間に刃向かってくるというのだから。

 文献を調べてみたわけではないですから、この「機械が
人間に反乱を起こす」というモチーフが果たしてどこに
起源があるのかは分かりません。でも、なんとなく
この構図にはキリスト教的な要素があるようなそんな感じがします。
この辺は解釈が分かれますけど、キリスト教における神様は
多くの天使達を生み出しました。その天使達は神様の行いを
いろいろな面で手伝ってきていましたが、ある日その天使達が
何かのきっかけで反乱を起こす。かなり乱暴なこじつけですけど、
「機械達の反乱」というモチーフの底にはそんなイメージが
あるんじゃないのかなぁとか思っていたりします。
 映画「ターミネーター」の未来世界(核戦争後)は、
機械が人間達を支配し、日々強大な兵力で核戦争を生き残った
人類の残党達と戦い続けています。目的はもちろん、
「『敵』(人類)の殺戮による地球の支配」。人類も
抵抗軍を組織し、強大な兵器達に対し戦いを挑んでいきます。

 で、ここでターミネーター3を観ながら一つの疑問が
浮かんできたわけです。
「仮に、機械兵器達が人類を全滅させて、地球を完全支配
してしまったら、その後は一体どういう世界になるのだろう」と。
人類だけでなく、全ての動植物も全滅させ、地球上には
それこそ「ロボット」しか存在しないという世界はどういうものか。

 もちろん、機械……というか兵器達は「敵を倒すため」に
生み出されたものです。それ以外の存在理由はありません。
(一部の人は観賞用などと酔狂なことを言うんでしょうけど)
 あまりに妙な想像ですけど、人類がいなくなった地球上で、
以前人類達がそうしたように村を形成して暮らし、狩りをしたりの
生産活動を始めるんじゃなかろうかと。そして、徐々に
ロボット達の間に「力の差、貧富の差」というのが生まれだし、
ロボット達の中で上下関係が生まれ、ロボット相互での
戦いが始まったりして。「ロボット王」みたいなものが
出てくるのかな。で、また時代は流れて……という感じの。

 機械というか、ロボットや兵器達の支配する未来世界の
さらにその後というのはどんな日常なんでしょう。
「人類を駆逐する」という目的を果たしてしまったその後は。
そのまま機能停止して、眠りにつく……というのでは
ちょっと芸がなさ過ぎるような気がしますしね。
 最近のキーワードはこれ。
 広島で千羽鶴に放火したり、長野でバスジャックしてみたりと
いろいろ大暴れしてみても、「むしゃくしゃして……」と
理由を述べてみれば不思議なことに一応の形らしきものがつく。
形らしきものがつけばどういうわけか、少しだけ安心できる不思議。
その事件自体の衝撃は変わらないにしても、「あぁ、
むしゃくしゃしてやったのか……」みたいな心理が心のどこかに
現れてくるわけです。やった本人に大した理由はばくても、
とりあえず口に出して理由っぽくなる言葉、それが「むしゃくしゃして」。

 でも、この「むしゃくしゃして」というのが生み出す
エネルギーはとんでもないものです。どれもこれもマイナスの
方向にしか向かないという致命的な欠陥もあるんですが。
むしゃくしゃして、小説や絵や音楽を作ってみたという感じに
上手く昇華していけたら、いくら良いことか。
 それでも、プラスの方向に坂道を上がっていくよりも、
マイナスの方向に転げ落ちていく方が楽だから、結果的に
目に映るのはみんなとんでもない結末なんだよね。
 そこに至る原因はなんであったにせよ、ろくなことではないです。
 本文中でも時々触れておりますが、この日記、職場の人々が
なんらかの形で目をとおしているんだそうです。正直言って、
職場の人にとってはなんら面白い内容ではないと思っているんですが、
時々職場で「水瀬くん、日記更新してないの?」と声を
かけられたりするわけです。
 それだけならまだしも、日記の内容まで知っていて、
職場でも全然知らない人に「いやー、水瀬くん。こないだの
日記ね、僕はこう思うんだけどなぁ……」と言われるのは
嬉しくもありながらどこかしか恐怖めいたものを感じて
しまってるわけですよ。まぁ、ネットとはそういうものだと
言ってしまえばそれまでではあるわけなんですが。

 うちの職場には、どういうわけか論文集とか研究報告書などの
やたらと壮大なものが回ってきたりすることがあります。
時間がある時にゆっくり腰を据えて読み込んでみようと
思いながらも、そんな時間もなかなか取ることが出来ずに
目の前を通り過ぎていく文章たち。なんかとてももったいないことを
自分はしてるんじゃないかななどと思うこともしばしば。

 そういったものに比べれば、まだほんの少しの実に酔狂な方々に
「読んでやろうかなぁ」という気分を起こさせて、なおかつ
それを実行に移させるという我が日記の厚かましさは
一体どんな所に原因があるのだろうかなぁと考えてもみるわけです。
 いろいろと考えを巡らせてみても、実際の所は何も
面白い結果は生まれないし、面白い要素など一つもないのは
正に自明の理でありまして。「百害あって一利無し」なんて
言葉はありますけれど、百個も害があるなら武器にも出来るし、
そういう面で一つなりとも利点が見いだせるかもしれませんが、
問題はいろいろ書き連ねたところで「毒にも薬にもならない」という
この日記の存在。毒にも薬にもならない上に、お腹も頭も
何一つ満たしてくれない。コンニャクですら、ノンカロリーでも
ちょっとした満腹感を与えてくれるというのに、なんだろうこの体たらく。

 とまぁ、そんな散々なこの日記。それでも僕の職場を始め、
いろんな方々が読んで下さっています。そんな酔狂な方々に
心から感謝いたします。職場で読まれてるってのが、
なによりも一番の謎だよなぁ。

バニラコカコーラ

2003年7月29日
 仕事の帰り、飲んでみました。
 こういう商品が出ているってことは、前にラジオや
本なんかで知っていたんですが、実際には見たことがありませんでした。
なんでも、セブンイレブンにはだいぶ前から先行販売されて
いたようなんですけども、職場にも家の近くにもセブンイレブンが無い
(職場の近くにはあることはあるんですが、逆方向なので……)
わけで、バニラコカコーラとはなかなかお近づきになれなかったわけで。

 そうこうしていると、仕事帰りにふと通った道にある
自動販売機の一つに「バニラコカコーラ」の缶が。
一瞬、ただのコーラかなぁとか思っていたら、微妙に
缶のデザインが違ってる。危うく見逃すところだった。危ない危ない。
ちょっとだけホッとしながら、120円を自販機に入れてボタンを押す。
バニラコカコーラのボタンを押していながら、ここで出てくるものが
「ガラナ」とかだったら、それはそれで日記のネタに
出来るんだろうなぁとか、いらんこと考えながら待つことほんの数瞬。
ガコンという音とともに出てきたバニラコカコーラ。
 果たしてどんな味がするんだろうなぁ。ちょっとだけ
期待してみたりする。CMではこんなことを言っていた。

「バニラコカコーラってどんな味?」
「うーん……バニラ味のコカコーラかな?」
「それって、そのまんまじゃん!」

 このCMは確かに正確だと思う。バニラコカコーラと
銘打っておきながら、飲んでみたら味噌ラーメンの味がしたら
それこそ場内騒然一大事でありましょうや。
 CMはどんなに上手くできていても所詮CMでしかなく、
やはり食べ物というのは身をもって経験せねばいかんのかなぁと
余計なことを考えること十数秒。
 それではバニラコカコーラの試飲と参りましょうということで、
缶のフタを開けて飲んでみる。

 ゴクゴクゴク……と飲み込まれるバニラコカコーラ。
さて、どんな味でしょう? と聞かれると、こう答えるしかないな。
「バニラ味のコカコーラですよ」と。
 だってさー、そうとしか表現できないんだものさぁ。
へっぽこ文章書き、ここに進退窮まりまして。
 何か事件が起きると「生ぬるすぎる、厳罰に処すべきだ」と叫ぶ人達。
こういう事件が起こるのは、刑法があまりに腑抜けているからだ、と。
そういう事件を起こすような連中は、まとめて牢屋にぶち込むなり、
場合によっては片っ端から死刑にしてしまえという論を
展開していくわけです。

 ……まぁ、こういう風に言いたがる人のことは以前の
日記でも書きましたけど、いわゆる「正論おじさん」ってやつです。
なんでも単純に切って捨てるという非常にシンプルな
思考をして下さる方々です。分かりやすいです。
 なんとなくそういう風に考えたくなるのは分からなくもないけど、
そういう風に行かないんだよね、何事も。それでも、
そうやって何度も「あんなバカどもは厳罰に処すべき。
正体不明の連中はビシバシ摘発すべし」なんて言うってのは
それなりに楽しいことなんだろうなぁ。
「そういう管理・監視国家はお断りだ!」って叫ぶ人達は
どうも好きになれないんだけど、だからといって正反対のも
好きになれない。過ぎたるは及ばざるがごとしとはいうけれどね。
まぁ、とりあえずは好きなことこうやって喋ることが
出来るうちはまだまだ良い世の中なんだろうね、たぶん。

時代遅れ?

2003年7月24日
 今日の国会で懐かしの「牛歩戦術」なんてことがあったそうです。
あぁ、懐かしの牛歩戦術。そもそも「牛歩戦術」って何? という方は
こちらをどうぞ。
http://www.mainichi.co.jp/edu/school/keyword/99/08/j17.html

 まぁ、なんというか。牛歩戦術が話題になったのなんて、
僕が中学校に入るか入らないかってぐらいだったような気がするし。
議会の権謀術策数あれど、この牛歩戦術くらい訳の分からないものは
ないような気がします。なんのために……っていうのは、
要は議案を時間切れ廃案にするためになんですけども、
あまり良い印象を受けないのは、やはりあまりにも地味であることと、
見た目が「学級会ですねた子供」みたいな印象を受けるからじゃ
ないだろうかと。

 以前その牛歩戦術をとって、あまりいい印象を得られなかったからか、
それとも戦術自体の有効性がどこにも見えなかったからか、
その後この戦術は行われなかったんですが、今国会で
復活ということに相成ったわけで。誰がまた「牛歩やりましょうよ」
なんてことを言い出したのかははっきりしませんが、
ひょっとして、ひょっとしたら、前のように自民党が
野党に転落する一つのきっかけめいたものを見越して、
「夢よもう一度」っていうことじゃ……ないよね、たぶん。

頭悪いの?

2003年7月22日
 なんか、判断力というか思考力というか、全体的にどん底です。
こんなんだとまた自己嫌悪癖が出てくるから、早いとこ脱却したいんだけど、
どうにもダメな状態が続いております。職場の人にも
辛い思いさせてしまってるし。どうしていいのか分からないって。
単純に僕の頭が悪すぎるからなんだろう。

 さらに言うと、ちゃんと話を聞いてない僕が全部悪いんだけど。
 最近読んでる本には「あなたは存在しているだけで、
十分価値がある人間だ」とかなんとか書いてあるけど、
そんなのウソだよね、きっと。こういうことって、どんどん
悪循環を招くからどこかで断ち切らないといけないのは
分かっているんだけど……。迷惑かけたくないよ。
 別にメンタル系の本ばっかり好きこのんで読んでいるわけでも
ないんですけども、目に引かれるようなというか、気になることが
書いてあるのはそういう新書系の本だったりするわけです。

 そういう本によく「最近は『普通の人がうらやましい』と
心の中で葛藤を抱える人が増えてきた」と書かれるようになりました。
 ここで一つ二つ疑問が。
はて、「普通の人がうらやましい」ってのはどういうことなんだろ。
第一、「普通の人」って誰のこと言ってるんだろうか?

 人はそれぞれ多かれ少なかれ「異質性」なんてものを持って
生きているんだそうです。異質性とは「自分と他の人はどこか違うなぁ」と
考えてしまう心理のことです。普段はあまり表面には出てきませんが、
飲み会や食事の時などの時に、みんなが楽しくやっているのに
「どうも僕だけ場違いな気がするなぁ……」という微妙な心理を
感じてしまったりしています。飲み会や食事の時に、
集団の中にいることに違和感を感じるのは先程書いた
「異質性」というものを強く思いこんでいる傾向があるそうです。
 そして、そういう人はそういった違和感をとても気にしながら
生活を送っているのです。自分が他の人と違っているのでは
ないだろうかということが、とても気になるので。

 ただ、こういったことは客観的にはどうにも確かめようがないのが
この問題のもどかしい面で。自分のありのままの振る舞いが
どこか変なんじゃないかという風に考えてしまい、その焦燥感が
重なって、実際の行動までもぎこちないものになってしまう、と。
「自分がなんか違ってないかなぁ」という感覚は、こういった
「現実」によってますます強化されて、どんどん追い込まれていくのです。

 そんな風に自分に違和感を感じていると、最初の方で
書いたとおり、「普通の人であること」に嫉妬や羨望めいた
歪んだ憧れを持つようになってしまうわけで。実際には
何でも出来る普通の人なんていやしないのに、何事も
上手くできない自分のことがどうにも嫌になってしまう
そんな歪んだ心理があるんです。そんな「普通の人」と
自分自身の存在とのズレが「僕がいることでみんなが
迷惑してないか?」「いるだけで他の人が嫌な思いをしているんじゃ
ないだろうか?」という負い目を感じてしまう原因になってしまうんです。
職場や友達関係だけじゃなくて、家族の中ででもそんな風に
考える人が、最近では増えてきているんだそうです。

 そんな自分自身への意識は集団にいる時だけじゃなくて、
一人の時にも感じてきます。僕が時折この日記にも書くように、
「自分の行動を斜め上から見ているもう一人の自分がいて、
どうにもブレーキがかかってしまう」といったことが
多くなってきているんです。

 自意識過剰の状態をどうやって緩和していくか。
そうしていけば少しずつ気持ちが楽になっていくんでしょうけど、
どうやったらいいんでしょう。職場の人は何かとアドバイスをしてくれて、
手助けはしてくれているんですけども……。
 最近、気分がどうもすっきりしないのはこういった原因が
あるからなんでしょうけどね……。

NHKアーカイブス

2003年7月20日
 この番組、意外と好きです。大学にいた頃からよく見て
いたんですけども、今日は明日が休みだということもあり、
久々に見ています。大学にいた頃は、これを遅くまで
よく見ていました。見ながら「あー、明日また大学だなぁ」とか
気分重くなったりしていたんですが。

 ここで入るのはNHKの昔の番組。それも1年や2、3年前の
ではなくて、10年も20年も前。しかも放送開始当初には
なんだかよく分からない炭坑の映像(しかも映像は白黒だった)を
流していたこともありました。夜中、原稿を書きながら
それを見ていた僕は怪訝に思いながらも「不思議な番組だなぁ」と
思っていました。
 ただ、こうやってわざわざ再放送するだけあって、
内容はなかなかよく出来たものでした。例えば、前に見た
「景色の値段」(タイトルは不正確だけど)というのでは、
有名な観光地や景勝地などの「景色」を実際にお金をかけて
復元しようとするならばいくらかかるのだろうかという
かなり実験的な番組でした。

 豊富なアーカイブ組織がある、NHKだからこそこういう
番組は出来るんでしょうね。でも、民放でもやってくれないかなぁ。
やってくれたら見るんだけども。昔のドラマとかはたまーに
やってるんだけどさ。そういうんじゃなくてね。

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