「ゲーム脳」だとかなんだとか。
2003年2月23日 少し前から話題になっている「ゲーム脳」という言葉があります。
ずっとゲームを続けていると、脳(正確には前頭連合野という
そうですが)がだんだんと異常を来してくるというものです。
今回、端緒にしたのは「ゲーム脳の恐怖」(著:森昭雄 生活人新書)
なんですけども、この内容を読んでいくとなかなかに
おどろおどろしいことが書いてあります。帯に書いてあるコピーも
迫力があります。「テレビゲームが子供達の脳を壊す!」と。
この本、昨年の7月に第一刷が出版されているんですけども、
僕の手元にあるのは12月15日の第八刷。かなり売れてるみたいです。
で、著者の森昭雄さんは北海道生まれの医学博士で、
今は日大の教授をなさっているそうです。
まずは結論から書きましょう。
「ゲーム、アニメ、マンガ、ホラー映画を世の中や子供達の周りから
追放して、野山を駆け回って日本食を食べる生き生きとした
『健全な子供』を育てよう!」ってな感じです。一昔前の
「教育パパ・ママ」や「健全な」大人の方が喜びそうな
結論が導き出されております。
なんか、こういうのを見てると嬉しくなるなぁ。
まず、先生は幕張メッセで開催されてたゲームショウ
(おそらく、東京ゲームショウだと思います)に見学に行った時、
会場にいるコンパニオン(こんな書き方してます)さんが
キャラのコスプレをしてるのに衝撃を受けておりまして、
さらにそれを見つめるギャラリーの多さにまた衝撃を受け、
その上撮影まで許可していてビシバシ写真を撮っている人達を見て
「この子達の将来はどうなってしまうのだろう」と心配してくれています。
うーん、コスプレしただけで将来を悲観されちゃかなわんなぁ。
それじゃ、高校や大学の時の友人なんてほとんどこの先生の
心配の種になっちゃうじゃんか。コスプレどころか同人誌だって
バリバリ描いてたし、中にはそれを生活の糧にさえしてる人もいるから、
全員集合したらこの先生は心配による胃潰瘍で胃が丸ごと
なくなってしまうんじゃなかろうか。
(一つ思ったのは、この先生、ゲームのコスプレがダメなら
V系バンドのコンサートで見かけるゴスロリの方々を見ても
「あの子達の将来は……」って言うんでしょうなぁ、たぶん)
話を本題に戻して。
本の中では「積み木合わせゲーム」「格闘技ゲーム」
「ホラー映画のようなゲーム」「ダンス体感ゲーム」の4つが
取りあげられています。それぞれが具体的にどのゲームなのかは
想像つきますけども。(おそらくは「テトリス」「バーチャファイター」
「バイオハザード」「DDR」っていう感じでしょう)
それで、「積み木合わせゲーム」を続けていると、
α波とβ波が痴呆老人と同じ値を示してしまうというそうなのです。
まぁ、それは「長年ゲームをやり続けて前頭連合野がすっかり
機能しなくなって『人間らしさを失った』人」のことであって、
「積み木合わせゲーム」をやった人間が即そうなってしまうと
いうものではないそうなんですけども、なかなかに物騒な話です。
いわゆる「人間らしさ」(理性・思考・創造など)というのは
この前頭連合野の部分が司っているんですけども、ゲーム脳の人は
そこが完全に機能停止状態またはそれに近い状態になっていて、
人間らしさを失った「社会活動が営めない」ようになってしまうと
いうことなんだそうです。
「ゲームがないと日常生活が営めない」というよりは、
片時もゲームが手放せないという状態になってそれ以外の活動が
一切出来なくなってしまうということなのですが。
本文中に出てくる高校生は新作のRPGを買った後、
30時間かけてクリアにこぎ着けたそうです。30時間と言っても、
購入後2日でクリアしてます、この高校生。さすがであります。
そしてこの高校生は毎日母親との口論が絶えないそうなんですが、
それは「当たり前」だと思います、先生。(表情が非常に乏しく、
キレるタイプってのはその人個人の他の家庭環境があるでしょうから、
知りませんけども)
それじゃ、他のゲームではどうなんだろうかってことなんですが、
唯一「まだマシだろう」という結果が出たのは「ダンス体感ゲーム」でした。
このゲームではある程度β波がよい傾向を示したのだそうです。
おお、良かったじゃんと思ったのもつかの間。「これはおそらく、
運動の効果として現れたもので、ゲームの利点ではないでしょう」と。
あらら、ガッカリ。
それじゃ、どうしたらいいだろうかという話になると、
「昔ながらの遊び」をして、「昔ながらの日本食」を食べれば、
健全な子供になるというんだそうです。おお、素晴らしい。
なんか初期の頃の「特命リサーチ200X」みたい。
(あの頃はなんでも結論として「日本食を食べよう」という
ものが出ていた)
こういう話を聞いていると、いつも疑問に思うのですが
僕ら以上に「昔ながらの創造的な遊び」をして、「昔ながらの
日本食」を食べて、「五感を鍛えるイキイキ体験」をして
育ってきている今の大人達が、汚職だの詐欺だの殺人だの
強盗だの環境破壊だのとしてしまっているのはこの先生は
どう思っていらっしゃるんでしょう。「今時の若者は無礼だし、
非常識だし、理性がない」とおっしゃるお偉方もいるようですが、
なにをかいわんやであります。
ゲームばかりしていると、電車の中でパンを食べたり、
水を飲んだり、公衆の面前で抱き合ってキスしたり、
ちょっと前にあった「ジベタリアン」(電車の床とか、
コンビニの前とかの地べたに座ってる人達のこと)に
なったりするそうなんですけども、そういう人達って、
逆に意外とゲームなんかに見向きもしない人達ですよ、先生。
なんか、気付いたら2300字くらいになってたので、
とりあえず今日はここまで。続きは、気が向いたら書きます。
ずっとゲームを続けていると、脳(正確には前頭連合野という
そうですが)がだんだんと異常を来してくるというものです。
今回、端緒にしたのは「ゲーム脳の恐怖」(著:森昭雄 生活人新書)
なんですけども、この内容を読んでいくとなかなかに
おどろおどろしいことが書いてあります。帯に書いてあるコピーも
迫力があります。「テレビゲームが子供達の脳を壊す!」と。
この本、昨年の7月に第一刷が出版されているんですけども、
僕の手元にあるのは12月15日の第八刷。かなり売れてるみたいです。
で、著者の森昭雄さんは北海道生まれの医学博士で、
今は日大の教授をなさっているそうです。
まずは結論から書きましょう。
「ゲーム、アニメ、マンガ、ホラー映画を世の中や子供達の周りから
追放して、野山を駆け回って日本食を食べる生き生きとした
『健全な子供』を育てよう!」ってな感じです。一昔前の
「教育パパ・ママ」や「健全な」大人の方が喜びそうな
結論が導き出されております。
なんか、こういうのを見てると嬉しくなるなぁ。
まず、先生は幕張メッセで開催されてたゲームショウ
(おそらく、東京ゲームショウだと思います)に見学に行った時、
会場にいるコンパニオン(こんな書き方してます)さんが
キャラのコスプレをしてるのに衝撃を受けておりまして、
さらにそれを見つめるギャラリーの多さにまた衝撃を受け、
その上撮影まで許可していてビシバシ写真を撮っている人達を見て
「この子達の将来はどうなってしまうのだろう」と心配してくれています。
うーん、コスプレしただけで将来を悲観されちゃかなわんなぁ。
それじゃ、高校や大学の時の友人なんてほとんどこの先生の
心配の種になっちゃうじゃんか。コスプレどころか同人誌だって
バリバリ描いてたし、中にはそれを生活の糧にさえしてる人もいるから、
全員集合したらこの先生は心配による胃潰瘍で胃が丸ごと
なくなってしまうんじゃなかろうか。
(一つ思ったのは、この先生、ゲームのコスプレがダメなら
V系バンドのコンサートで見かけるゴスロリの方々を見ても
「あの子達の将来は……」って言うんでしょうなぁ、たぶん)
話を本題に戻して。
本の中では「積み木合わせゲーム」「格闘技ゲーム」
「ホラー映画のようなゲーム」「ダンス体感ゲーム」の4つが
取りあげられています。それぞれが具体的にどのゲームなのかは
想像つきますけども。(おそらくは「テトリス」「バーチャファイター」
「バイオハザード」「DDR」っていう感じでしょう)
それで、「積み木合わせゲーム」を続けていると、
α波とβ波が痴呆老人と同じ値を示してしまうというそうなのです。
まぁ、それは「長年ゲームをやり続けて前頭連合野がすっかり
機能しなくなって『人間らしさを失った』人」のことであって、
「積み木合わせゲーム」をやった人間が即そうなってしまうと
いうものではないそうなんですけども、なかなかに物騒な話です。
いわゆる「人間らしさ」(理性・思考・創造など)というのは
この前頭連合野の部分が司っているんですけども、ゲーム脳の人は
そこが完全に機能停止状態またはそれに近い状態になっていて、
人間らしさを失った「社会活動が営めない」ようになってしまうと
いうことなんだそうです。
「ゲームがないと日常生活が営めない」というよりは、
片時もゲームが手放せないという状態になってそれ以外の活動が
一切出来なくなってしまうということなのですが。
本文中に出てくる高校生は新作のRPGを買った後、
30時間かけてクリアにこぎ着けたそうです。30時間と言っても、
購入後2日でクリアしてます、この高校生。さすがであります。
そしてこの高校生は毎日母親との口論が絶えないそうなんですが、
それは「当たり前」だと思います、先生。(表情が非常に乏しく、
キレるタイプってのはその人個人の他の家庭環境があるでしょうから、
知りませんけども)
それじゃ、他のゲームではどうなんだろうかってことなんですが、
唯一「まだマシだろう」という結果が出たのは「ダンス体感ゲーム」でした。
このゲームではある程度β波がよい傾向を示したのだそうです。
おお、良かったじゃんと思ったのもつかの間。「これはおそらく、
運動の効果として現れたもので、ゲームの利点ではないでしょう」と。
あらら、ガッカリ。
それじゃ、どうしたらいいだろうかという話になると、
「昔ながらの遊び」をして、「昔ながらの日本食」を食べれば、
健全な子供になるというんだそうです。おお、素晴らしい。
なんか初期の頃の「特命リサーチ200X」みたい。
(あの頃はなんでも結論として「日本食を食べよう」という
ものが出ていた)
こういう話を聞いていると、いつも疑問に思うのですが
僕ら以上に「昔ながらの創造的な遊び」をして、「昔ながらの
日本食」を食べて、「五感を鍛えるイキイキ体験」をして
育ってきている今の大人達が、汚職だの詐欺だの殺人だの
強盗だの環境破壊だのとしてしまっているのはこの先生は
どう思っていらっしゃるんでしょう。「今時の若者は無礼だし、
非常識だし、理性がない」とおっしゃるお偉方もいるようですが、
なにをかいわんやであります。
ゲームばかりしていると、電車の中でパンを食べたり、
水を飲んだり、公衆の面前で抱き合ってキスしたり、
ちょっと前にあった「ジベタリアン」(電車の床とか、
コンビニの前とかの地べたに座ってる人達のこと)に
なったりするそうなんですけども、そういう人達って、
逆に意外とゲームなんかに見向きもしない人達ですよ、先生。
なんか、気付いたら2300字くらいになってたので、
とりあえず今日はここまで。続きは、気が向いたら書きます。
どうでもいいけど
2003年2月22日 ゲーセンにて。
格闘でも、音ゲーでも、シューティングでも、サッカーでも、
自分が失敗したからと言って大声上げたり、筐体(ゲームの
本体ね)に蹴りを入れたりするってのはどういう了見で
やっているんだろう。ああいうことやってると自分が
「格好いい」とでも思ってるんだろうか。周囲から見ると
「バカみたい」としか思えないんだけど。
今日、こんなことを書くのはゲーセンにあるサッカーの
ゲーム(ワールドチャンピオンフットボールとかなんとかっていう
カードを使ってチーム編成をやって、戦うゲームだそうです)を
していた人達(いい大人)が、試合に負けた途端大声で「あー!」とか
叫びながら持っていたカードをばらまき始めて、筐体を
悔しそうにガンガン蹴り続けていたのを目撃したから。
あまりにひどいので、周りにいた人と店員さんと一緒になって
注意しに行ったんですが「何が悪いの?」みたいな感じで
開き直られる始末。いやー、バカなんじゃないのかって。
だってさ、子供とか親子連れとか来てるんだよ。熱中するのは
分かるけども、それでもって他人に迷惑かけちゃいけないじゃん。
帰り際に仲間の人達に「ここの店は客のことを考えてない」とか
なんとかブツブツ言ってたけど、逆にあんなことする人が
いるから、いつまで経ってもゲーセンのイメージが良くならないんだと
思うんだけどなぁ。自分で自分を居づらくしてるんだもの。
自業自得だよなぁ。
自分の趣味に生きるのは勝手だけどさ、それをあたかも
「当然」って言うように、傍若無人に振る舞うのはご本人
どのように考えた末の行動なんでしょうな。お聴きしたいです。
……でも、知り合いの彼氏さんがそんな人なんだよな。
2回ぐらいしかあったことないけどもさ。何が良くて
付き合ってるんだろう、あの二人。
格闘でも、音ゲーでも、シューティングでも、サッカーでも、
自分が失敗したからと言って大声上げたり、筐体(ゲームの
本体ね)に蹴りを入れたりするってのはどういう了見で
やっているんだろう。ああいうことやってると自分が
「格好いい」とでも思ってるんだろうか。周囲から見ると
「バカみたい」としか思えないんだけど。
今日、こんなことを書くのはゲーセンにあるサッカーの
ゲーム(ワールドチャンピオンフットボールとかなんとかっていう
カードを使ってチーム編成をやって、戦うゲームだそうです)を
していた人達(いい大人)が、試合に負けた途端大声で「あー!」とか
叫びながら持っていたカードをばらまき始めて、筐体を
悔しそうにガンガン蹴り続けていたのを目撃したから。
あまりにひどいので、周りにいた人と店員さんと一緒になって
注意しに行ったんですが「何が悪いの?」みたいな感じで
開き直られる始末。いやー、バカなんじゃないのかって。
だってさ、子供とか親子連れとか来てるんだよ。熱中するのは
分かるけども、それでもって他人に迷惑かけちゃいけないじゃん。
帰り際に仲間の人達に「ここの店は客のことを考えてない」とか
なんとかブツブツ言ってたけど、逆にあんなことする人が
いるから、いつまで経ってもゲーセンのイメージが良くならないんだと
思うんだけどなぁ。自分で自分を居づらくしてるんだもの。
自業自得だよなぁ。
自分の趣味に生きるのは勝手だけどさ、それをあたかも
「当然」って言うように、傍若無人に振る舞うのはご本人
どのように考えた末の行動なんでしょうな。お聴きしたいです。
……でも、知り合いの彼氏さんがそんな人なんだよな。
2回ぐらいしかあったことないけどもさ。何が良くて
付き合ってるんだろう、あの二人。
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3日間ほど出張に行っておりました。
2003年2月20日 別に更新が滞ってるのはそれだけが理由ではないんですが。
とりあえず、日記が書けないほど体調が悪いとかそういう
ことではないので、ご安心を。ただ、ちょっとばかり
疲れてたりするので、もう少しだけお待ち下さい。
おそらく、土曜日あたりにはまとめて更新するつもりでは
おりますので。ではー。
とりあえず、日記が書けないほど体調が悪いとかそういう
ことではないので、ご安心を。ただ、ちょっとばかり
疲れてたりするので、もう少しだけお待ち下さい。
おそらく、土曜日あたりにはまとめて更新するつもりでは
おりますので。ではー。
「Dカップ」
2003年2月19日 久々に家の大掃除をすることになりました。
何故に今日なのかという疑問は山ほどありましたが、
その辺りは強引な僕の家の方々。理由を詮索するよりも、
本棚の本を片づけろということで、整理整頓開始であります。
家の中の古雑誌や古新聞を片づけること数時間。その後に
物置の方に置いてある古雑誌も片づけに行きました。
片づけていると、古新聞の中に当時のチラシが混じってました。
その中に、スーパーのチラシを見るとこんな商品名が
ありました。
「Dカップヌードル 新発売!」
たぶん、現在小中学生の人達は分からないかもしれないんですけども、
今の日清「ビックカップヌードル」(普通のカップラーメンの
デカイ奴です)であります。デザインとしては、今のビック
カップヌードルの容器の側面にデカデカと「D」という文字。
なかなか妙なデザインでした。
んで、このDカップヌードル。
僕は元々あの日清のカップヌードルが好きで、よく食べて
いたんですけども、どうも親には不評のようでした。
最初は「やっぱり量が多くて食べきれないのかなぁ」なんて
思っていたんですけども、実際には嫌だったのはあのネーミング
だったそうなんです。
当時僕は小学生だったこともあって、あの「Dカップ」って
いうのは「なんだかよく分からないけど、大きいもの」っていう
イメージしかありませんでした。まぁ、その正解は後に
従姉妹から教えてもらって初めて理解できたんですが。
今思うと、あの商品名って社内会議でよく決定出来たよなぁって
思うわけです。おそらく女の人もいただろうから、なんか
引っかかるものを予感しなかったのかな。
しかし、この話をしたら大学の友人曰く「でも、今だったら
Dカップの人っていっぱいいるんじゃない? うちの相方さんも
Fあるしー」とかなんとか非常に論理的かつ明快に証言して
いただいたわけなんですけども。とりあえず、コメントは避けました。
確かに最近はテレビ出てくる女の人はみんな胸大きいけど……。
だからと言って、日本国民全体がそうなってるとも限らない
わけだしねぇ。どんなもんなんでしょ?
何故に今日なのかという疑問は山ほどありましたが、
その辺りは強引な僕の家の方々。理由を詮索するよりも、
本棚の本を片づけろということで、整理整頓開始であります。
家の中の古雑誌や古新聞を片づけること数時間。その後に
物置の方に置いてある古雑誌も片づけに行きました。
片づけていると、古新聞の中に当時のチラシが混じってました。
その中に、スーパーのチラシを見るとこんな商品名が
ありました。
「Dカップヌードル 新発売!」
たぶん、現在小中学生の人達は分からないかもしれないんですけども、
今の日清「ビックカップヌードル」(普通のカップラーメンの
デカイ奴です)であります。デザインとしては、今のビック
カップヌードルの容器の側面にデカデカと「D」という文字。
なかなか妙なデザインでした。
んで、このDカップヌードル。
僕は元々あの日清のカップヌードルが好きで、よく食べて
いたんですけども、どうも親には不評のようでした。
最初は「やっぱり量が多くて食べきれないのかなぁ」なんて
思っていたんですけども、実際には嫌だったのはあのネーミング
だったそうなんです。
当時僕は小学生だったこともあって、あの「Dカップ」って
いうのは「なんだかよく分からないけど、大きいもの」っていう
イメージしかありませんでした。まぁ、その正解は後に
従姉妹から教えてもらって初めて理解できたんですが。
今思うと、あの商品名って社内会議でよく決定出来たよなぁって
思うわけです。おそらく女の人もいただろうから、なんか
引っかかるものを予感しなかったのかな。
しかし、この話をしたら大学の友人曰く「でも、今だったら
Dカップの人っていっぱいいるんじゃない? うちの相方さんも
Fあるしー」とかなんとか非常に論理的かつ明快に証言して
いただいたわけなんですけども。とりあえず、コメントは避けました。
確かに最近はテレビ出てくる女の人はみんな胸大きいけど……。
だからと言って、日本国民全体がそうなってるとも限らない
わけだしねぇ。どんなもんなんでしょ?
「回れ! 蓄音機」(前編)
2003年2月12日 「蓄音機」ってご存じですか?
手回しでハンドルを回して、そのゼンマイの力でレコードから
曲が流れるものです。博物館や資料館などで実物を見たことが
ある人もいくらかいらっしゃるんじゃないだろうかと思います。
実物を直接見なくても、テレビとかで見たことがあるんじゃないかな、と。
で、次回のうちの講座でその蓄音機を使うので、前日準備のために
取りに来て欲しいと、講師の先生に呼ばれて一路車に乗って
行ってみたわけです。
前に電話で「講座で使うものはありますか?」と質問を
入れた時に初めてこの蓄音機のことが出たんですが、
その時僕は何を思ったか「電気は使いますか?」などと
逆に聞き返してしまう始末。電気使うのなら、ただのレコード
プレーヤーだもんなぁ。なんでも、手回しゼンマイで演奏する所に
「蓄音機の醍醐味」があるんだとか。(講師の先生・談)
それで、実際に蓄音機とご対面。
大きさは通勤用のカバン程度。(厚さはもう少しあるけども)
なんでも、市内に現存する「現物の蓄音機」(復刻版でないってこと)は
目の前にあるこの1台しか残っていない、大変貴重なものだとか。
しかも、レコードも戦前・戦中のものの原盤はほとんど
残っておらず、現在でも聞けるのはそのうちのごく一部らしい。
そういう意味では、めったにお目にかかれない貴重な講座を
開くんだなぁと改めて実感する。
最初はただ明日のために持って行くだけで、実際に蓄音機の
操作をやるのは講師の先生だと思って、当日の流れの解説を
していたら、「あー、当日は水瀬くんに蓄音機操作してもらうから」と。
なぬ? この不器用な僕にそんな貴重な蓄音機を使わせるとですか。
そりゃ先生、かなり勇気がいる行為じゃありませんかとか
思いながら、当日になっていきなり「壊れちゃった!」じゃ
余りにシャレにならないので、念入りに教えてもらうことに。
レコードをセットして、動力のゼンマイを専用のハンドルを
使って巻き上げる。これがまた意外と力が必要だし、かなり回数
巻かないと途中で回転が遅くなってしまって、一曲終わらない
なんてことも多いみたい。講師の先生は「ハンドルが止まるまで
回してね」と言うものの、あまりギリギリまで巻いてしまったら、
それが原因で壊れてしまいやしないかと逆に心配。
ある程度巻いたら、レコードを回転させて、針を乗せる。
レコードに針を乗せるなんて、小学校の時の放送委員以来だなぁと
余計なことを考えながら、えい、と演奏開始。
しばらく後に、かすれるような音と一緒にいかにも「昭和」って
感じのメロディーが流れ出す。「映像の世紀」でも、当時の
音楽なんかはほとんど流していなかったから、原盤のレコードから
直接聞くのは本当に貴重な体験したと思う。でも、流れる曲は
全然知らないのばかりだったけども。
(でも、一緒に行った職場の先生にとっては「現役」の曲らしい)
何曲かテストを兼ねて聞いた後、簡単に明日の打ち合わせをして
その場はお開き……と思ったら、講師の先生からうちの市に
ついての講義を聞くことに。これがまた興味がある分野だったので、
思いの外楽しかった。でも、あまり聞いてると怒られそうなので、
一段落ついた所でお開きに。
さて、明日は本番。無事に操作出来るんだろーか。
貴重な財産に傷をつけないよう気を付けてやらないとなぁ。
手回しでハンドルを回して、そのゼンマイの力でレコードから
曲が流れるものです。博物館や資料館などで実物を見たことが
ある人もいくらかいらっしゃるんじゃないだろうかと思います。
実物を直接見なくても、テレビとかで見たことがあるんじゃないかな、と。
で、次回のうちの講座でその蓄音機を使うので、前日準備のために
取りに来て欲しいと、講師の先生に呼ばれて一路車に乗って
行ってみたわけです。
前に電話で「講座で使うものはありますか?」と質問を
入れた時に初めてこの蓄音機のことが出たんですが、
その時僕は何を思ったか「電気は使いますか?」などと
逆に聞き返してしまう始末。電気使うのなら、ただのレコード
プレーヤーだもんなぁ。なんでも、手回しゼンマイで演奏する所に
「蓄音機の醍醐味」があるんだとか。(講師の先生・談)
それで、実際に蓄音機とご対面。
大きさは通勤用のカバン程度。(厚さはもう少しあるけども)
なんでも、市内に現存する「現物の蓄音機」(復刻版でないってこと)は
目の前にあるこの1台しか残っていない、大変貴重なものだとか。
しかも、レコードも戦前・戦中のものの原盤はほとんど
残っておらず、現在でも聞けるのはそのうちのごく一部らしい。
そういう意味では、めったにお目にかかれない貴重な講座を
開くんだなぁと改めて実感する。
最初はただ明日のために持って行くだけで、実際に蓄音機の
操作をやるのは講師の先生だと思って、当日の流れの解説を
していたら、「あー、当日は水瀬くんに蓄音機操作してもらうから」と。
なぬ? この不器用な僕にそんな貴重な蓄音機を使わせるとですか。
そりゃ先生、かなり勇気がいる行為じゃありませんかとか
思いながら、当日になっていきなり「壊れちゃった!」じゃ
余りにシャレにならないので、念入りに教えてもらうことに。
レコードをセットして、動力のゼンマイを専用のハンドルを
使って巻き上げる。これがまた意外と力が必要だし、かなり回数
巻かないと途中で回転が遅くなってしまって、一曲終わらない
なんてことも多いみたい。講師の先生は「ハンドルが止まるまで
回してね」と言うものの、あまりギリギリまで巻いてしまったら、
それが原因で壊れてしまいやしないかと逆に心配。
ある程度巻いたら、レコードを回転させて、針を乗せる。
レコードに針を乗せるなんて、小学校の時の放送委員以来だなぁと
余計なことを考えながら、えい、と演奏開始。
しばらく後に、かすれるような音と一緒にいかにも「昭和」って
感じのメロディーが流れ出す。「映像の世紀」でも、当時の
音楽なんかはほとんど流していなかったから、原盤のレコードから
直接聞くのは本当に貴重な体験したと思う。でも、流れる曲は
全然知らないのばかりだったけども。
(でも、一緒に行った職場の先生にとっては「現役」の曲らしい)
何曲かテストを兼ねて聞いた後、簡単に明日の打ち合わせをして
その場はお開き……と思ったら、講師の先生からうちの市に
ついての講義を聞くことに。これがまた興味がある分野だったので、
思いの外楽しかった。でも、あまり聞いてると怒られそうなので、
一段落ついた所でお開きに。
さて、明日は本番。無事に操作出来るんだろーか。
貴重な財産に傷をつけないよう気を付けてやらないとなぁ。
携帯変えてみました。
2003年2月11日 何気なく、携帯を変えてみました。
初めて携帯を持った時からずっとauのを使ってきたので、
今回辺りドコモかJフォンに変えてもいいかなとか思って
いたんですけども、結局今回もauで行くことになりました。
(まぁ、ポイントあったからとかそういう理由だったり
するわけなんですけども)
で、前の携帯がやたらとゴツイ携帯(前に出回っていた、
カシオのG-SHOCK仕様)なものですから、かなり特徴的だったんですが、
今回の機種交換で割と普通の携帯になりました。ezplus使えるし。
さすがに、この携帯は防水・耐衝撃じゃないからなぁ。
取り扱いには注意しないと。
(そういえば、職場の人には「防水機能が役に立つ状況が
想像できない」って言ってたなぁ。確かにそうなんだけど)
でも、本当は防水・耐衝撃の携帯の新モデルが出てれば
それにしたかったんだけど、あれはあまり売れなかったのかな。
……と、ここまで携帯の話をしましたけど、今ちょうど
ニュースで「自殺志願者サイトで知り合った人達が、
一酸化炭素中毒で自殺」ということを報じていました。
なんだか、とても気分が重いです。やっぱり、死んでしまうんですね。
そこまで駆り立てるものって一体なんなんだろう。
「死にたい」って思うことはあっても、それを実行するか
どうかに至るのはまた全然別の次元の話ですから。うーん。
初めて携帯を持った時からずっとauのを使ってきたので、
今回辺りドコモかJフォンに変えてもいいかなとか思って
いたんですけども、結局今回もauで行くことになりました。
(まぁ、ポイントあったからとかそういう理由だったり
するわけなんですけども)
で、前の携帯がやたらとゴツイ携帯(前に出回っていた、
カシオのG-SHOCK仕様)なものですから、かなり特徴的だったんですが、
今回の機種交換で割と普通の携帯になりました。ezplus使えるし。
さすがに、この携帯は防水・耐衝撃じゃないからなぁ。
取り扱いには注意しないと。
(そういえば、職場の人には「防水機能が役に立つ状況が
想像できない」って言ってたなぁ。確かにそうなんだけど)
でも、本当は防水・耐衝撃の携帯の新モデルが出てれば
それにしたかったんだけど、あれはあまり売れなかったのかな。
……と、ここまで携帯の話をしましたけど、今ちょうど
ニュースで「自殺志願者サイトで知り合った人達が、
一酸化炭素中毒で自殺」ということを報じていました。
なんだか、とても気分が重いです。やっぱり、死んでしまうんですね。
そこまで駆り立てるものって一体なんなんだろう。
「死にたい」って思うことはあっても、それを実行するか
どうかに至るのはまた全然別の次元の話ですから。うーん。
なんとなく嫌いな言葉
2003年2月9日 前からどうも好きじゃない言葉がありまして。
手紙やメールを書く時なんかに、時々使ってはいたんですが
どうも今ひとつ好きじゃなくて。もっと上手い言い回しが
あればそれを使いたいんですが、どうもいい言葉がなくて。
その言葉は「自分らしさ、自分らしく」というものです。
別にこの言葉の響き自体は嫌いじゃないんですよ。むしろ、
好きなくらいです。
ただ、その言葉を自分から言いだして、「私(僕)は、
私(僕)らしく頑張ってます!」って妙に自信満々の人達に
ある種の「胡散臭さ」を感じるからなんです。目標に向かって
日々頑張ってる人達って、意外と「私(僕)らしく」って
言葉は意外と使わないんじゃないかなぁ、と。逆に適当に
やってる人ほど口に出してしまってるような。
前者が口に出さなくてもいいのは、行動で「自分らしさ」って
ものを表現してるから、それなりの形を周囲に気付かせることで
裏付けが出来ているんだろうね。後者はどうだか分からないけど。
生まれ持った性根がどうもネガティブに傾いてしまってるせいか、
そういう言葉を発してる人に対して「本当かよ?」って
疑問を持ってしまったりするんですよね。情けないことに。
うーん、こんなこと考えるのは間違いなくダメ人間だよなぁ。
ただ、やっぱり思うのは自分の行動を正当化するための
方便としてだけ「自分らしさ」ってことを全面にアピールする
人達に胡散臭さを感じてしまうってこと。あくまで「それだけ」って人達ね。
そんなに簡単に言っちゃっていいのかなぁって思いながら、
テレビや本で特集される今時の「自分らしい」若者やオジサン達を
見ていたりするわけなんだけど。
それでも、自分なりのスタイルを確立して「私(僕)は
これで生きていく!」っていう人は格好いいんだけどね。
どんなもんでしょうか。
手紙やメールを書く時なんかに、時々使ってはいたんですが
どうも今ひとつ好きじゃなくて。もっと上手い言い回しが
あればそれを使いたいんですが、どうもいい言葉がなくて。
その言葉は「自分らしさ、自分らしく」というものです。
別にこの言葉の響き自体は嫌いじゃないんですよ。むしろ、
好きなくらいです。
ただ、その言葉を自分から言いだして、「私(僕)は、
私(僕)らしく頑張ってます!」って妙に自信満々の人達に
ある種の「胡散臭さ」を感じるからなんです。目標に向かって
日々頑張ってる人達って、意外と「私(僕)らしく」って
言葉は意外と使わないんじゃないかなぁ、と。逆に適当に
やってる人ほど口に出してしまってるような。
前者が口に出さなくてもいいのは、行動で「自分らしさ」って
ものを表現してるから、それなりの形を周囲に気付かせることで
裏付けが出来ているんだろうね。後者はどうだか分からないけど。
生まれ持った性根がどうもネガティブに傾いてしまってるせいか、
そういう言葉を発してる人に対して「本当かよ?」って
疑問を持ってしまったりするんですよね。情けないことに。
うーん、こんなこと考えるのは間違いなくダメ人間だよなぁ。
ただ、やっぱり思うのは自分の行動を正当化するための
方便としてだけ「自分らしさ」ってことを全面にアピールする
人達に胡散臭さを感じてしまうってこと。あくまで「それだけ」って人達ね。
そんなに簡単に言っちゃっていいのかなぁって思いながら、
テレビや本で特集される今時の「自分らしい」若者やオジサン達を
見ていたりするわけなんだけど。
それでも、自分なりのスタイルを確立して「私(僕)は
これで生きていく!」っていう人は格好いいんだけどね。
どんなもんでしょうか。
「同類婚の法則」=「割れ鍋にとじ蓋」?
2003年2月8日 こないだ、大学の友達が近々結婚するというメールを
もらいました。
学生のうちにつきあい始めた二人も今は社会人で、会社が
両方とも札幌にあるということで、話はトントン拍子に進み、
「結婚しましょう」ということになりました。なんかちょっと
早いかなーなんて話がないわけでもなかったそうなんですが、
そういえば身近に学生結婚してる連中が山ほどいらっしゃるんで、
別に気にするものでもないって結論に達したようですが。
付き合ってる頃、「どうして二人はつきあい始めたの?
長続きするのって、何か理由があるのかな?」という
質問を結構されたんだそうです。で、その答え。
「だって、居心地いいんだもの」
「それだけ?」
「それだけ。似たもの同士だからってことからかもしれないけど」
んー、案外そんなものだからかもしれない。
第一、こんな質問してる僕らの側が余計なお世話なんだけど。
やっぱり結婚相手としては「似たもの同士」の方が落ち着くのかな。
以前友達に「恋人はお互いの足りないものを補うように
なってるからタイプが違う人がくっつくけど、結婚の場合は
価値観が似たような人を選ぶんだよ」とのありがたいお説教を
戴いたような気が。その友達は後に、「だから、映画で
主役とヒロインが大恋愛の末結ばれるなんてのは、ありゃ
結婚生活長くないね」というお言葉まで残してくれてます。
古くは「風と共に去りぬ」や「卒業」から、「プリティーウーマン」や
「ユーガットメール」や「パールハーバー」のその後ってのは
確かに想像しにくいかも。いや、想像する必要すらないのかも
しれないけどさ。そういや、「スピード」が出て、続編の
「スピード2」が出た時は「非常時に結びついたカップルは
長続きしない」なんて言葉が公開の時についてまわったような。
劇中に出てくるのか、単なるセールスコピーなのかは忘れたけど。
そのコピーを見た友人。「ほら、学祭とか受験とか就職活動を
きっかけにくっついた二人ってのは、長続きしないでしょ?」との言葉。
……実際、自分がそうなだけに反論しにくい雰囲気が。
「似たような相手」を選ぶのには、一応それなりの理論的な
裏付けめいたものがあって、「同類婚の法則」なんてものが
あるそうです。その理論曰く、出身地や学歴、親の職業や
個人の趣味や嗜好などが似た人と一緒にいると安心できるのは
人間として普遍的な感情であるということなんです。
なるほどー、「割れ鍋にとじ蓋」とおっしゃりたいわけですな。
なんか違うような気がしないでもないけど。恋愛の時には
いろいろあるけども、結局は「似たもの同士、あー、
あんたらならお似合いだわ」っていう感じのしっくりくる
関係に落ち着くっていうことみたいです。そういえば、
身近で結婚してる連中もそういった感じだもんなぁ。
最後にさっきのありがたいお言葉を下さった友人が、
冒頭の結婚話を聞いた時のリアクション。
「結婚相手ってのは、自分自身を映し出す鏡みたいなもんだよ」。
……僕は時々、この友人が本当に同い年なんだろうか
分からなくなる。言葉が妙に年よりめいて達観してる。
言ってることは本当なんだと思うけども。
もらいました。
学生のうちにつきあい始めた二人も今は社会人で、会社が
両方とも札幌にあるということで、話はトントン拍子に進み、
「結婚しましょう」ということになりました。なんかちょっと
早いかなーなんて話がないわけでもなかったそうなんですが、
そういえば身近に学生結婚してる連中が山ほどいらっしゃるんで、
別に気にするものでもないって結論に達したようですが。
付き合ってる頃、「どうして二人はつきあい始めたの?
長続きするのって、何か理由があるのかな?」という
質問を結構されたんだそうです。で、その答え。
「だって、居心地いいんだもの」
「それだけ?」
「それだけ。似たもの同士だからってことからかもしれないけど」
んー、案外そんなものだからかもしれない。
第一、こんな質問してる僕らの側が余計なお世話なんだけど。
やっぱり結婚相手としては「似たもの同士」の方が落ち着くのかな。
以前友達に「恋人はお互いの足りないものを補うように
なってるからタイプが違う人がくっつくけど、結婚の場合は
価値観が似たような人を選ぶんだよ」とのありがたいお説教を
戴いたような気が。その友達は後に、「だから、映画で
主役とヒロインが大恋愛の末結ばれるなんてのは、ありゃ
結婚生活長くないね」というお言葉まで残してくれてます。
古くは「風と共に去りぬ」や「卒業」から、「プリティーウーマン」や
「ユーガットメール」や「パールハーバー」のその後ってのは
確かに想像しにくいかも。いや、想像する必要すらないのかも
しれないけどさ。そういや、「スピード」が出て、続編の
「スピード2」が出た時は「非常時に結びついたカップルは
長続きしない」なんて言葉が公開の時についてまわったような。
劇中に出てくるのか、単なるセールスコピーなのかは忘れたけど。
そのコピーを見た友人。「ほら、学祭とか受験とか就職活動を
きっかけにくっついた二人ってのは、長続きしないでしょ?」との言葉。
……実際、自分がそうなだけに反論しにくい雰囲気が。
「似たような相手」を選ぶのには、一応それなりの理論的な
裏付けめいたものがあって、「同類婚の法則」なんてものが
あるそうです。その理論曰く、出身地や学歴、親の職業や
個人の趣味や嗜好などが似た人と一緒にいると安心できるのは
人間として普遍的な感情であるということなんです。
なるほどー、「割れ鍋にとじ蓋」とおっしゃりたいわけですな。
なんか違うような気がしないでもないけど。恋愛の時には
いろいろあるけども、結局は「似たもの同士、あー、
あんたらならお似合いだわ」っていう感じのしっくりくる
関係に落ち着くっていうことみたいです。そういえば、
身近で結婚してる連中もそういった感じだもんなぁ。
最後にさっきのありがたいお言葉を下さった友人が、
冒頭の結婚話を聞いた時のリアクション。
「結婚相手ってのは、自分自身を映し出す鏡みたいなもんだよ」。
……僕は時々、この友人が本当に同い年なんだろうか
分からなくなる。言葉が妙に年よりめいて達観してる。
言ってることは本当なんだと思うけども。
水ヲ下サイ
2003年2月5日 ちょっと仕事の関係で読んだ本にその題名が書いてありました。
最初ちょっと分からなかったんですけども、後でなんとなく
思い出しました。
何かというと、中学の教科書に載っていた原民喜さんの
「原爆小景」の中にあった詩の一編です。原爆投下直後の
広島の地獄絵図を描写したものなんですが、全編カタカナで
記述してあって、いざ本の活字として読むとかなりのインパクトがあります。
カタカナで書いたのは、その被爆者達の死の呻きや叫びを
表現したいとかなんとかそういう形でした。
中学生だった僕は、かなり教科書を読みながら恐いなぁと
思っていました。今でもこの作品を中学生が知っているのか
どうかは分かりませんけども。教科書を見て「恐い」と
思った作品はおそらくあれが最初で最後だったような気がします。
授業の時にその朗読のCDを先生がかけたんですが、
なんだか合唱してるんだろうけど、なんだかオーオー言ってるだけで
さっぱりその後の文面が出てこないという「?」なもので、
ただの朗読じゃなさそうだけど、だからといってなんだか
よく分からないと先生も生徒も「?」と首を傾げていたという
妙な過去があるわけなんですが。
その後月日は流れて、つい1週間前ほどのこと。
あの時聞いた「水ヲ下サイ」の朗読はやはり合唱曲だったんだと
分かりました。林光さんという方の作曲で「混声合唱のための
『原爆小景』」という中の一つなんだそうです。しかも、
これがまた合唱コンクールなどでは結構メジャーな曲らしくて
いろいろな所で歌われているそうです。さらに無伴奏という
ことらしいのですが、もう10年も前に1回聞いただけの
CDを「どんな伴奏だった」って思い起こす方が無理ってなもんです。
うーん、合唱コンクールで「水ヲ下サイ」。
一応、中学の時うちのクラスはかなり上位の成績を取ってて
市内学校の合唱コンクールにも出たことあったけど、
さすがにそれを歌っているところはなかったなぁ。さすがに
生で聴こうって気にはなかなかならないんだけど。歌う人は
どんな気持ちで歌うんだろうか。
最初ちょっと分からなかったんですけども、後でなんとなく
思い出しました。
何かというと、中学の教科書に載っていた原民喜さんの
「原爆小景」の中にあった詩の一編です。原爆投下直後の
広島の地獄絵図を描写したものなんですが、全編カタカナで
記述してあって、いざ本の活字として読むとかなりのインパクトがあります。
カタカナで書いたのは、その被爆者達の死の呻きや叫びを
表現したいとかなんとかそういう形でした。
中学生だった僕は、かなり教科書を読みながら恐いなぁと
思っていました。今でもこの作品を中学生が知っているのか
どうかは分かりませんけども。教科書を見て「恐い」と
思った作品はおそらくあれが最初で最後だったような気がします。
授業の時にその朗読のCDを先生がかけたんですが、
なんだか合唱してるんだろうけど、なんだかオーオー言ってるだけで
さっぱりその後の文面が出てこないという「?」なもので、
ただの朗読じゃなさそうだけど、だからといってなんだか
よく分からないと先生も生徒も「?」と首を傾げていたという
妙な過去があるわけなんですが。
その後月日は流れて、つい1週間前ほどのこと。
あの時聞いた「水ヲ下サイ」の朗読はやはり合唱曲だったんだと
分かりました。林光さんという方の作曲で「混声合唱のための
『原爆小景』」という中の一つなんだそうです。しかも、
これがまた合唱コンクールなどでは結構メジャーな曲らしくて
いろいろな所で歌われているそうです。さらに無伴奏という
ことらしいのですが、もう10年も前に1回聞いただけの
CDを「どんな伴奏だった」って思い起こす方が無理ってなもんです。
うーん、合唱コンクールで「水ヲ下サイ」。
一応、中学の時うちのクラスはかなり上位の成績を取ってて
市内学校の合唱コンクールにも出たことあったけど、
さすがにそれを歌っているところはなかったなぁ。さすがに
生で聴こうって気にはなかなかならないんだけど。歌う人は
どんな気持ちで歌うんだろうか。
爆笑新聞
2003年2月4日 文庫本です。
これは「2000年版爆笑問題カレンダー」の内容を
そのまま文庫化したものです。一年365日の出来事を
3日ずつ区切って、漫才形式で解説していくといったものです。
漫才の他にもその日生まれた有名人や、タイタン(所属事務所)関係の
小ネタがふんだんに盛り込まれていてなかなか楽しいです。
(実は、このカレンダーを実際に買っていて使っていたのに、
この本を知らずに買ってしまったというのは迂闊だったと
思った。いやまぁ、いいんだけどさ)
これは「2000年版爆笑問題カレンダー」の内容を
そのまま文庫化したものです。一年365日の出来事を
3日ずつ区切って、漫才形式で解説していくといったものです。
漫才の他にもその日生まれた有名人や、タイタン(所属事務所)関係の
小ネタがふんだんに盛り込まれていてなかなか楽しいです。
(実は、このカレンダーを実際に買っていて使っていたのに、
この本を知らずに買ってしまったというのは迂闊だったと
思った。いやまぁ、いいんだけどさ)
「俺だったら、こうするよ」
2003年2月3日 こないだ、ふらりと床屋さんに髪を切りに行きました。
休みの日中だからなのか、少しばかり混んでいましたけども
なんか他の所に行くのも面倒くさい気がしてそのまま
順番待ちすることに。
待つこと40分。置いてある雑誌にもあらかた目を通して
暇になった頃にようやくお呼びがかかる。席に座って、
簡単に今日切って欲しい所を説明すると、後はゆっくり。
ぼんやりとテレビでも眺めながら仕上がるのを心待ちに
しているつもりでした。
ただ、今日は不思議と隣に座っているおじさんが床屋さんに
向かってああでもないこうでもないと話しかけておりました。
こういった光景ってのは別に初めて見るもんじゃなかったので、
適当に聞き流していたんですが、なんだか調子に乗ってきたんだか
今度はテレビのニュースを見ていろいろ話しだしたのです。
「これだから小泉はダメなんだよ、もっと傍若無人にならにゃ」
「相撲もほとんど外国人に持ってかれてるじゃないか。日本どうしたのよ」
「北朝鮮に対して甘いんだよなぁ、もっとビシッとできないのかな」
「一回全部、役所や特殊法人とか全部民営化してしまった方が
もうちょっとマシになるんじゃないのか?」
……まぁ、こんな感じで言いたい放題です。
僕より大分前に入ったはずなのに、実際に終わったのは
僕の方が先でした。別にパーマあててるわけでもない、
普通の散髪だったのに。と、いうのも、床屋さんがハサミを
入れてる間もずっとお得意の「持論」をしゃべくりたおし、
危なっかしくて手がなかなか進まないといったことが原因なんですが。
あれじゃ顔剃りも危なくてできやしない。
そんな感じで床屋さんの仕事が滞るもの問題なような
気もするんですが、それ以上に気になったのはそのおじさんの
話の端端に出てくる「俺だったら、こうするんだけどなぁ」って
言葉なんです。結構前のボスのCMにあった「俺だったら、
ガツンって言ってやるよ」ってパターン、アレです。
なんなんだろ。「俺があの立場ならこうする」とかなんとか
偉そうに言ってのける人達って。「俺がお前ならもっと
ちゃんとやってみせるのに」なんて言葉を吐く人達って、
自分が実際にその立場になったらどういう行動とるんだろ。
よくドキュメンタリー番組なんかで、決断を迫られる場面で
誤った選択をしてしまった歴史上の人物のことが出てきて、
後で評論家の人がしたり顔で「私なら、この時冷静になってですね…」
なんてことを語り出すってのはなんなんだろーなーって
思ったりしてるわけなんですけど。頭良さそうに映るんだろうなぁ。
その時、判断する材料が限りなく乏しくて、しかもその決断
までの時間がごく僅かだったっていう時に下した決定というのは
結構外れだったりする時が多いものです。結果的に悪い方向に
向いてしまったなら、実はあの時点でとれた選択肢の中では
最良だったかもしれないのに、後で「あれはまずかった。
私ならもっとこうしていた」って、判断する材料も時間も
たっぷりある「余裕のあるお偉方」が解説して下さるって
いうのがどうにも「なんだかなぁ」って気分になるわけでして。
だってさ、そのお偉方はもう「正解」を知ってるから、
正解に辿り着く事なんて出来て当たり前なんだもの。
割と検証番組やドキュメンタリーが好きなだけに、
後でビシバシと非常に賢いツッコミを入れてくれる人は
聞いてて苦笑いものだったり。いやー、言いたい放題だなぁって。
そんなのを横で聞いていて、自分も気を付けようと
思ってたけど、ここでこんな文面書いてたら意味ないよねぇ。
それとも、ここの文章を見て他の人が「俺なら、そうは書かないな」
なんて思うんだろうか。
休みの日中だからなのか、少しばかり混んでいましたけども
なんか他の所に行くのも面倒くさい気がしてそのまま
順番待ちすることに。
待つこと40分。置いてある雑誌にもあらかた目を通して
暇になった頃にようやくお呼びがかかる。席に座って、
簡単に今日切って欲しい所を説明すると、後はゆっくり。
ぼんやりとテレビでも眺めながら仕上がるのを心待ちに
しているつもりでした。
ただ、今日は不思議と隣に座っているおじさんが床屋さんに
向かってああでもないこうでもないと話しかけておりました。
こういった光景ってのは別に初めて見るもんじゃなかったので、
適当に聞き流していたんですが、なんだか調子に乗ってきたんだか
今度はテレビのニュースを見ていろいろ話しだしたのです。
「これだから小泉はダメなんだよ、もっと傍若無人にならにゃ」
「相撲もほとんど外国人に持ってかれてるじゃないか。日本どうしたのよ」
「北朝鮮に対して甘いんだよなぁ、もっとビシッとできないのかな」
「一回全部、役所や特殊法人とか全部民営化してしまった方が
もうちょっとマシになるんじゃないのか?」
……まぁ、こんな感じで言いたい放題です。
僕より大分前に入ったはずなのに、実際に終わったのは
僕の方が先でした。別にパーマあててるわけでもない、
普通の散髪だったのに。と、いうのも、床屋さんがハサミを
入れてる間もずっとお得意の「持論」をしゃべくりたおし、
危なっかしくて手がなかなか進まないといったことが原因なんですが。
あれじゃ顔剃りも危なくてできやしない。
そんな感じで床屋さんの仕事が滞るもの問題なような
気もするんですが、それ以上に気になったのはそのおじさんの
話の端端に出てくる「俺だったら、こうするんだけどなぁ」って
言葉なんです。結構前のボスのCMにあった「俺だったら、
ガツンって言ってやるよ」ってパターン、アレです。
なんなんだろ。「俺があの立場ならこうする」とかなんとか
偉そうに言ってのける人達って。「俺がお前ならもっと
ちゃんとやってみせるのに」なんて言葉を吐く人達って、
自分が実際にその立場になったらどういう行動とるんだろ。
よくドキュメンタリー番組なんかで、決断を迫られる場面で
誤った選択をしてしまった歴史上の人物のことが出てきて、
後で評論家の人がしたり顔で「私なら、この時冷静になってですね…」
なんてことを語り出すってのはなんなんだろーなーって
思ったりしてるわけなんですけど。頭良さそうに映るんだろうなぁ。
その時、判断する材料が限りなく乏しくて、しかもその決断
までの時間がごく僅かだったっていう時に下した決定というのは
結構外れだったりする時が多いものです。結果的に悪い方向に
向いてしまったなら、実はあの時点でとれた選択肢の中では
最良だったかもしれないのに、後で「あれはまずかった。
私ならもっとこうしていた」って、判断する材料も時間も
たっぷりある「余裕のあるお偉方」が解説して下さるって
いうのがどうにも「なんだかなぁ」って気分になるわけでして。
だってさ、そのお偉方はもう「正解」を知ってるから、
正解に辿り着く事なんて出来て当たり前なんだもの。
割と検証番組やドキュメンタリーが好きなだけに、
後でビシバシと非常に賢いツッコミを入れてくれる人は
聞いてて苦笑いものだったり。いやー、言いたい放題だなぁって。
そんなのを横で聞いていて、自分も気を付けようと
思ってたけど、ここでこんな文面書いてたら意味ないよねぇ。
それとも、ここの文章を見て他の人が「俺なら、そうは書かないな」
なんて思うんだろうか。
リアル・ドラムマニア
2003年1月31日 この日、飲み会がありまして、有志で二次会に行こうと
いうことになった時のお話であります。
何気なく、店の中に入ったらお客さんが誰もいない。
一応、店の人はいるんだけども。単にたまたまお客さんが
いない時間帯に来てしまったという「それだけなのかも
しれないなぁ」とか思っておりましたです。
(ただ、僕らが店を出るまで他のお客さんは一切来ませんでした)
店に入って、席に座り一息ついて何気なく店の中を見回すと
なぜかさっき入ってきた入り口横のスペースにドラムが
置いてあるんです。しかも正統派のフルセットのもの。
周りにはマラカスだのコンガだの妙にパーカッションが
揃っている妙な飲み屋さん。(でも、客はいなかった)
なんだかフルセットのドラムを直接見たのはいつ以来なんだろうか
とか思いながら、席に座っていたら、一緒に二次会に参加した
職場の人達がドラムの方を興味深そうに見ておりました。
なぜそこにドラムがあるのかという疑問はありながらも、
ドラムが置いてあることに興味津々。だってそりゃそうでしょう。
実生活でドラム見る機会なんてほとんどないもの。
そんなわけで、二次会は最初のうちカラオケを何曲か
歌っていたものの、順番を待っていた人達が入れ替わり
立ちかわりでドラムやマラカスを使って、カラオケなんか
聞いちゃいないというある意味とんでもない飲み会でありました。
ただ、ドラム未経験のはずの人が、カラオケの曲に合わせて
叩いていたリズムが妙に合っているのも驚きだったんですが。
……やっぱり、あのドラムは誰でも開放しているんだろうかなぁ。
いうことになった時のお話であります。
何気なく、店の中に入ったらお客さんが誰もいない。
一応、店の人はいるんだけども。単にたまたまお客さんが
いない時間帯に来てしまったという「それだけなのかも
しれないなぁ」とか思っておりましたです。
(ただ、僕らが店を出るまで他のお客さんは一切来ませんでした)
店に入って、席に座り一息ついて何気なく店の中を見回すと
なぜかさっき入ってきた入り口横のスペースにドラムが
置いてあるんです。しかも正統派のフルセットのもの。
周りにはマラカスだのコンガだの妙にパーカッションが
揃っている妙な飲み屋さん。(でも、客はいなかった)
なんだかフルセットのドラムを直接見たのはいつ以来なんだろうか
とか思いながら、席に座っていたら、一緒に二次会に参加した
職場の人達がドラムの方を興味深そうに見ておりました。
なぜそこにドラムがあるのかという疑問はありながらも、
ドラムが置いてあることに興味津々。だってそりゃそうでしょう。
実生活でドラム見る機会なんてほとんどないもの。
そんなわけで、二次会は最初のうちカラオケを何曲か
歌っていたものの、順番を待っていた人達が入れ替わり
立ちかわりでドラムやマラカスを使って、カラオケなんか
聞いちゃいないというある意味とんでもない飲み会でありました。
ただ、ドラム未経験のはずの人が、カラオケの曲に合わせて
叩いていたリズムが妙に合っているのも驚きだったんですが。
……やっぱり、あのドラムは誰でも開放しているんだろうかなぁ。
お昼
2003年1月30日 うちの課は人間関係としてはそう悪くなく、いたって
普通に仕事をこなしているんですが、仕事中以外で全く
口をきかなくなる重苦しい時間があります。
それはお昼休み、本来なら楽しい昼食の時間なんですが、
お弁当を食べる20分程度、誰も何も話さない非常に
重苦しい時間帯があるわけなんです。事務所の照明は省エネのため
消してありますから薄暗く、みんな下を向いて黙々と
お弁当を食べているそんな状態なのです。
課の人は一部を除いて、ほとんどがお弁当派なので
ちゃんと自席で食べている訳なんですけども、それでも
誰も何も話さない。別に仕事中でもないんだから、こういう時ぐらい
何か話したっていいじゃない……という気持ちになるんですが、
課長以下みんなダンマリを決め込んでしまっております。
まるで「無駄口は厳罰だ」という無言(それこそ無言!)の
圧力がかかってるようです。
これじゃ、みんないるのに一人で食べているような気分に
なってしまって、気分的に辛くなってしまいます。
そんなわけで、たまに「昼飯企画」などと称して職場の
先輩や同期の人を誘って一緒にお昼を食べに行きましょうと
いうことをやっております。別に「ランチメイト症候群」という
わけでもないんですけど、やっぱり一人で食べているということは
不安なんですよ。それに少しぐらい話もしたいし。
ただ、今日食べに行ったメンバーで話した内容が以下の3つというのは
どういったもんなんでしょうなぁ。
1:部屋に貼ってあるポスター、「アイドル」と「若貴」は
どちらの方が「危険」か?
2:車の話題。
3:日記(僕のこの日記です)について
……どうなんでしょうねぇ。
最初の2つはいいとしても、最後の一つは。先輩曰く、
「企画者なんだからいいんじゃない?」とのことだったんですが、
そうだとしても、みんなの貴重なお昼ご飯の話題が僕の日記だと
いうのもあまりに寂しくないかいっていうわけなんですけども。
まぁ、周りが黙ってると、何か話をしなきゃいけないなぁという
変な切迫感がありまして、手っ取り早い自分の話題を提供してしまう
割には、話終えてから「なんか、自分のことばっかり
話していたなぁ」と自己嫌悪になってしまうという非常に
ひねくれた性格の持ち主なものでありまして。
それでも、こうやって「お昼どうですか?」と声をかけても
嫌な顔一つせず(実は嫌だったらゴメンナサイ)に応じてくれる
人達は貴重だなぁと思ったりしています。いや、本当に。
(ただ、「お昼どうですか?」って声かける時、断られるのが
なんとなく恐いんですよね。それぞれの都合があるから、
断る時があるのは当然なのに。なんでまたこんな難儀な
性格してるんだかよく分からないんですが)
これからも、何か頃合いを見て企画しようかとは思ってますけども。
やっぱねぇ、一人で食事しても美味しくないんだわな。
普通に仕事をこなしているんですが、仕事中以外で全く
口をきかなくなる重苦しい時間があります。
それはお昼休み、本来なら楽しい昼食の時間なんですが、
お弁当を食べる20分程度、誰も何も話さない非常に
重苦しい時間帯があるわけなんです。事務所の照明は省エネのため
消してありますから薄暗く、みんな下を向いて黙々と
お弁当を食べているそんな状態なのです。
課の人は一部を除いて、ほとんどがお弁当派なので
ちゃんと自席で食べている訳なんですけども、それでも
誰も何も話さない。別に仕事中でもないんだから、こういう時ぐらい
何か話したっていいじゃない……という気持ちになるんですが、
課長以下みんなダンマリを決め込んでしまっております。
まるで「無駄口は厳罰だ」という無言(それこそ無言!)の
圧力がかかってるようです。
これじゃ、みんないるのに一人で食べているような気分に
なってしまって、気分的に辛くなってしまいます。
そんなわけで、たまに「昼飯企画」などと称して職場の
先輩や同期の人を誘って一緒にお昼を食べに行きましょうと
いうことをやっております。別に「ランチメイト症候群」という
わけでもないんですけど、やっぱり一人で食べているということは
不安なんですよ。それに少しぐらい話もしたいし。
ただ、今日食べに行ったメンバーで話した内容が以下の3つというのは
どういったもんなんでしょうなぁ。
1:部屋に貼ってあるポスター、「アイドル」と「若貴」は
どちらの方が「危険」か?
2:車の話題。
3:日記(僕のこの日記です)について
……どうなんでしょうねぇ。
最初の2つはいいとしても、最後の一つは。先輩曰く、
「企画者なんだからいいんじゃない?」とのことだったんですが、
そうだとしても、みんなの貴重なお昼ご飯の話題が僕の日記だと
いうのもあまりに寂しくないかいっていうわけなんですけども。
まぁ、周りが黙ってると、何か話をしなきゃいけないなぁという
変な切迫感がありまして、手っ取り早い自分の話題を提供してしまう
割には、話終えてから「なんか、自分のことばっかり
話していたなぁ」と自己嫌悪になってしまうという非常に
ひねくれた性格の持ち主なものでありまして。
それでも、こうやって「お昼どうですか?」と声をかけても
嫌な顔一つせず(実は嫌だったらゴメンナサイ)に応じてくれる
人達は貴重だなぁと思ったりしています。いや、本当に。
(ただ、「お昼どうですか?」って声かける時、断られるのが
なんとなく恐いんですよね。それぞれの都合があるから、
断る時があるのは当然なのに。なんでまたこんな難儀な
性格してるんだかよく分からないんですが)
これからも、何か頃合いを見て企画しようかとは思ってますけども。
やっぱねぇ、一人で食事しても美味しくないんだわな。
リスカで人は死なないそうです。
2003年1月29日 何分実体験でないので、ホントかどうかは分からないのですが。
「自殺 生き残りの証言」という本を読みました。相変わらず
かなりヘビーな内容のものを読んでるなぁと自分でも思っています。
ま、今のところ前のような極端な自殺願望(か?)みたいなものは
出てこなくなってるんですけども、その頃の影響なのか
そういう本を手にとってみることが結構多いです。
で、その中で「リストカットでは人はなかなか死なない」という
一文が出てきます。
昔の映画やドラマなんかでは、手首に刃を入れたら
流れる血と一緒にだんだんと意識が無くなっていって、
やがてゆっくりと死んでいくというような描写のされ方を
していたわけなんですけども、実際には急激に血液が
失われると、血圧が低下して流れ出る血液を少なくしようと
するのと同時に、傷口近くで血栓を作ってそれ以上の出血を
抑えるといった人体の働きがあるために、なかなか手首に
刃を入れるだけじゃ死なないように出来てるみたいです。
まぁ、ドラマのように「綺麗に」死ぬことは難しい、と
そういうわけです。
これは、自傷行為だけじゃなくて、普通の怪我でも
言えることです。意外と人体の「生存能力」っていうのは
強力なようです。自殺志願者は頭では「死ななきゃ」
(死にたい、じゃなくて「死ななきゃ」って気分になるんだとか)
と思っているんですが、体の働きはそれを簡単に覆してくれます。
ただ、その割には交通事故で重体になった人達はその強力なはずの
「生存能力」っていうのが効力を発揮せずにそのまま
亡くなってしまうというもう一つの現実があります。
「死にたい人」が生きてしまって、「生きたい人」が
死んでしまうという。こういう矛盾した事実があるということは、
なんだか心の中にとても微妙な空気を生み出します。
(ちなみに、「交通事故は死亡率が高い」といった理由で
車でコンクリートの壁に2回激突したという人がいましたが、
それでも死にきれずに最後は崖から飛び降りたという人もいました。
ただ、その人は3度の自殺企図にも関わらず今でも生きている訳なんですが)
自殺の前の心境としては、そこに行き着くまではかなり
切羽詰まった心境でいたりするわけなんですが、決行直前の
心境となるとこれがまた意外と静かで落ち着いたものなんだそうです。
「直前はほとんど何も考えてませんでしたよ」。こういう人が
多いようです。ただ、そこに行くまでは「死んだら楽になれる」と
いうよりも「死ななきゃならないと思った」とか「死なないと
楽になれない」というより追いつめられたものがあります。
死んでしまった後、果たして本当に楽になれるかどうかは
僕の知ったこっちゃないんですが。
なんでまた、今日リスカの話題なんか出すのかというと、
実はまた知り合いから「私、また切っちゃった……」と
メールがあったからなんです。いろいろ相談には乗ったり
なんだりはしているんですが。はぁ、どうしたらいいんだろ。
突き放すなんて事は出来やしないし。なんとかしてリスカを
しないようにして欲しいんだけども。会った時に見せる
傷がまた痛々しいから余計にそう思ってしまうんでしょうけども。
一時期流行った「狂言自殺」じゃないだけに、気になるんですよね。
「自殺 生き残りの証言」という本を読みました。相変わらず
かなりヘビーな内容のものを読んでるなぁと自分でも思っています。
ま、今のところ前のような極端な自殺願望(か?)みたいなものは
出てこなくなってるんですけども、その頃の影響なのか
そういう本を手にとってみることが結構多いです。
で、その中で「リストカットでは人はなかなか死なない」という
一文が出てきます。
昔の映画やドラマなんかでは、手首に刃を入れたら
流れる血と一緒にだんだんと意識が無くなっていって、
やがてゆっくりと死んでいくというような描写のされ方を
していたわけなんですけども、実際には急激に血液が
失われると、血圧が低下して流れ出る血液を少なくしようと
するのと同時に、傷口近くで血栓を作ってそれ以上の出血を
抑えるといった人体の働きがあるために、なかなか手首に
刃を入れるだけじゃ死なないように出来てるみたいです。
まぁ、ドラマのように「綺麗に」死ぬことは難しい、と
そういうわけです。
これは、自傷行為だけじゃなくて、普通の怪我でも
言えることです。意外と人体の「生存能力」っていうのは
強力なようです。自殺志願者は頭では「死ななきゃ」
(死にたい、じゃなくて「死ななきゃ」って気分になるんだとか)
と思っているんですが、体の働きはそれを簡単に覆してくれます。
ただ、その割には交通事故で重体になった人達はその強力なはずの
「生存能力」っていうのが効力を発揮せずにそのまま
亡くなってしまうというもう一つの現実があります。
「死にたい人」が生きてしまって、「生きたい人」が
死んでしまうという。こういう矛盾した事実があるということは、
なんだか心の中にとても微妙な空気を生み出します。
(ちなみに、「交通事故は死亡率が高い」といった理由で
車でコンクリートの壁に2回激突したという人がいましたが、
それでも死にきれずに最後は崖から飛び降りたという人もいました。
ただ、その人は3度の自殺企図にも関わらず今でも生きている訳なんですが)
自殺の前の心境としては、そこに行き着くまではかなり
切羽詰まった心境でいたりするわけなんですが、決行直前の
心境となるとこれがまた意外と静かで落ち着いたものなんだそうです。
「直前はほとんど何も考えてませんでしたよ」。こういう人が
多いようです。ただ、そこに行くまでは「死んだら楽になれる」と
いうよりも「死ななきゃならないと思った」とか「死なないと
楽になれない」というより追いつめられたものがあります。
死んでしまった後、果たして本当に楽になれるかどうかは
僕の知ったこっちゃないんですが。
なんでまた、今日リスカの話題なんか出すのかというと、
実はまた知り合いから「私、また切っちゃった……」と
メールがあったからなんです。いろいろ相談には乗ったり
なんだりはしているんですが。はぁ、どうしたらいいんだろ。
突き放すなんて事は出来やしないし。なんとかしてリスカを
しないようにして欲しいんだけども。会った時に見せる
傷がまた痛々しいから余計にそう思ってしまうんでしょうけども。
一時期流行った「狂言自殺」じゃないだけに、気になるんですよね。
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ツミナガラ……と彼女は謂ふ
2003年1月28日 タイトルはなんとなく今のBGMから引用。
この曲の映像は恐いこと恐いこと。なんで、日本人形は
あれほど怖いんだろう。小さい頃見たフランス人形も
変に恐ろしいイメージがあったんだけども、日本人形の怖さって
いうのは、また別種な感じがする。なんなんだろうなぁ、
フランス人形とかは微妙に退廃的でデカダンな感じが、
何とも言えない居心地の悪さを感じさせて、そこからの
不安定さが怖さに繋がっていたんだけど、日本人形の怖さっていうのは、
上手く説明できないもんなぁ。
人形そのものにある陰影とかそういう所からきてるのかな。
白い顔に切り揃えたおかっぱ頭。まさか、この2つだけが
怖いって言ったら、時代劇なんてそのままホラー映画だもんな。
恐ろしくて子守歌なんか歌えやしない。(いや、その子守歌も
微妙に怖い内容だったりする時もあるんだけどさ。あ、そういえば、
日本の子守歌が妙に哀しく暗い響きがするのは短調系の
メロディーだからみたいです。ヨーロッパでは長調が主流
なんだけども、なんで日本だけ短調なんだろうね?
アジア全域でこういう傾向があるんだろうか)
怪談に出てくるような、そんな典型的な「日本人形」ってのは
うちにはないし、幸か不幸か親戚にもそういう話はない。
一応、雛人形はあるんだけども、ガラスケースに入った
3段の雛人形。意外と豪華です。でも、さすがに雛人形見て
「怖い」と思ったことはないなぁ。「怖い」と思うような
人形ってのはある程度みんな共通してるのかな。
ちなみにその映像に出てくる日本人形ってのは、さっき書いた
白粉を塗った白い顔で、おかっぱ頭。目がすっと細くて、
頬がふっくらしてて、和服(当然か)をピッと着てる典型的なもの。
でも、大抵怪談話に出てくる「夜中に髪が伸びる人形」とかって、
こういう感じの人形だよね。なんか乱暴に扱うと呪われるとか
そういったお話に出てくるような。ああいう人形には人の怨念
めいたものが籠もり易いって信じられていたせいもあるの
かもしれないけど……。
単純に外見だけじゃない要素が、微妙に心理的な影響を
与えてるんだ、うん、そう思うことにしよう。これ以上考えて、
夢に出て寝れなくなるとマヌケだもんなぁ。
この曲の映像は恐いこと恐いこと。なんで、日本人形は
あれほど怖いんだろう。小さい頃見たフランス人形も
変に恐ろしいイメージがあったんだけども、日本人形の怖さって
いうのは、また別種な感じがする。なんなんだろうなぁ、
フランス人形とかは微妙に退廃的でデカダンな感じが、
何とも言えない居心地の悪さを感じさせて、そこからの
不安定さが怖さに繋がっていたんだけど、日本人形の怖さっていうのは、
上手く説明できないもんなぁ。
人形そのものにある陰影とかそういう所からきてるのかな。
白い顔に切り揃えたおかっぱ頭。まさか、この2つだけが
怖いって言ったら、時代劇なんてそのままホラー映画だもんな。
恐ろしくて子守歌なんか歌えやしない。(いや、その子守歌も
微妙に怖い内容だったりする時もあるんだけどさ。あ、そういえば、
日本の子守歌が妙に哀しく暗い響きがするのは短調系の
メロディーだからみたいです。ヨーロッパでは長調が主流
なんだけども、なんで日本だけ短調なんだろうね?
アジア全域でこういう傾向があるんだろうか)
怪談に出てくるような、そんな典型的な「日本人形」ってのは
うちにはないし、幸か不幸か親戚にもそういう話はない。
一応、雛人形はあるんだけども、ガラスケースに入った
3段の雛人形。意外と豪華です。でも、さすがに雛人形見て
「怖い」と思ったことはないなぁ。「怖い」と思うような
人形ってのはある程度みんな共通してるのかな。
ちなみにその映像に出てくる日本人形ってのは、さっき書いた
白粉を塗った白い顔で、おかっぱ頭。目がすっと細くて、
頬がふっくらしてて、和服(当然か)をピッと着てる典型的なもの。
でも、大抵怪談話に出てくる「夜中に髪が伸びる人形」とかって、
こういう感じの人形だよね。なんか乱暴に扱うと呪われるとか
そういったお話に出てくるような。ああいう人形には人の怨念
めいたものが籠もり易いって信じられていたせいもあるの
かもしれないけど……。
単純に外見だけじゃない要素が、微妙に心理的な影響を
与えてるんだ、うん、そう思うことにしよう。これ以上考えて、
夢に出て寝れなくなるとマヌケだもんなぁ。
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小説・高校生
2003年1月27日 うちのパソには、高校の時に書いた小説がわんさか入っております。
そのうち1作品だけはホムペで公開してあるんですが、
他はハードディスクの中にまとめて封印しております。
しかもご丁寧に圧縮までかけるという厳重さで。
その文章はさすがに見てないんですが、トップページの
改装をやったついでに、ホムペに公開してある小説に改めて
目を通してみたんですよ。そしたらまぁ……なんというか、
ちょっとばかり気恥ずかしくもありながら、「今だったら、
こんな風に小説書けるだろうか」ってことも思ってみたりしまして。
小説でも日記でも、気分さえのれば意外と筆は進むもので、
短い文章ならそれこそ何もないところから半日で書き上げてしまったと
いうことも一度や二度ではないわけですし。ただ、この
「気分さえ乗れば」ってのがクセモノだったりするんですが。
日常生活でも文章上でもこの「気分のノリ」ってのが、
いかにクセモノかっていうことは、書かずともなんとなく
肌で感じてる人は意外と多いような気がするんですが。
気分が高揚してる時に生み出すものは意外と時間的には
早く出来てしまうんですが、内容を見てしまうと「うわぁ」ってな
ことになりかねなくて大変です。特に夜中に書いた文章なんて
最悪です。ラブシーンだのキスシーンだの、なんのその。
書いてる本人にはろくすっぽ恋愛経験も無いくせに、
かなりなセリフ吐かせたりしてなかなか楽しいです。いろんな意味で。
しかも、長編(連載モノ)を書くと、必ず最終回にキスシーンを
入れたくなるという連ドラ顔負けのお決まりパターンで、
それはそれで非常に気恥ずかしい気分になっちゃうわけなんですけど。
それでも、昔自分が書いた文章を読むこと自体は好きなんですよ。
その頃の自分の姿というか、そのままの自分の内面が出てるような
気がして。写真とかで昔の自分を見ることは出来ても、
内面はなかなか見ることが出来ません。それを見ることが
出来るのに一番手っ取り早いのは文章かな、と思うわけです。
しかしまぁ……若かったんだな、あの頃。
今書いてるこの日記も、5、6年後とかに改めて見てみると
「俺も若かったなぁー」なんてこと言うのかな。その頃にゃ
あたしゃ28,9って年で30代にそろそろ手がかかる
頃になっているんだろうけどさー。さすがにその時には
今よりも「まともな」考え方してる……と思う。自信ないけど。
そういえば、あの頃書いた小説のエピソードに「結婚式で
自分の書いた日記を朗読される」ってのがあったんだけど、
僕の結婚式の時には……それまでには何らかの処置をしておこう。うん。
そのうち1作品だけはホムペで公開してあるんですが、
他はハードディスクの中にまとめて封印しております。
しかもご丁寧に圧縮までかけるという厳重さで。
その文章はさすがに見てないんですが、トップページの
改装をやったついでに、ホムペに公開してある小説に改めて
目を通してみたんですよ。そしたらまぁ……なんというか、
ちょっとばかり気恥ずかしくもありながら、「今だったら、
こんな風に小説書けるだろうか」ってことも思ってみたりしまして。
小説でも日記でも、気分さえのれば意外と筆は進むもので、
短い文章ならそれこそ何もないところから半日で書き上げてしまったと
いうことも一度や二度ではないわけですし。ただ、この
「気分さえ乗れば」ってのがクセモノだったりするんですが。
日常生活でも文章上でもこの「気分のノリ」ってのが、
いかにクセモノかっていうことは、書かずともなんとなく
肌で感じてる人は意外と多いような気がするんですが。
気分が高揚してる時に生み出すものは意外と時間的には
早く出来てしまうんですが、内容を見てしまうと「うわぁ」ってな
ことになりかねなくて大変です。特に夜中に書いた文章なんて
最悪です。ラブシーンだのキスシーンだの、なんのその。
書いてる本人にはろくすっぽ恋愛経験も無いくせに、
かなりなセリフ吐かせたりしてなかなか楽しいです。いろんな意味で。
しかも、長編(連載モノ)を書くと、必ず最終回にキスシーンを
入れたくなるという連ドラ顔負けのお決まりパターンで、
それはそれで非常に気恥ずかしい気分になっちゃうわけなんですけど。
それでも、昔自分が書いた文章を読むこと自体は好きなんですよ。
その頃の自分の姿というか、そのままの自分の内面が出てるような
気がして。写真とかで昔の自分を見ることは出来ても、
内面はなかなか見ることが出来ません。それを見ることが
出来るのに一番手っ取り早いのは文章かな、と思うわけです。
しかしまぁ……若かったんだな、あの頃。
今書いてるこの日記も、5、6年後とかに改めて見てみると
「俺も若かったなぁー」なんてこと言うのかな。その頃にゃ
あたしゃ28,9って年で30代にそろそろ手がかかる
頃になっているんだろうけどさー。さすがにその時には
今よりも「まともな」考え方してる……と思う。自信ないけど。
そういえば、あの頃書いた小説のエピソードに「結婚式で
自分の書いた日記を朗読される」ってのがあったんだけど、
僕の結婚式の時には……それまでには何らかの処置をしておこう。うん。
ちょっとした疑問
2003年1月26日 いくらヘアスタイルに無頓着な僕でも、ヘアカタログを
読むときぐらいあります。髪の毛が伸びる速度が他の人より
妙に早い気がするもので、ほとんど月1のペースで髪を切っております。
切ったとは言いながら、その後が「なんじゃこりゃ」な
髪型になってしまってるわけなんですけども。
それで、一つ疑問なのは、なぜヘアカタログのモデルさんは
みんなしてカメラに向かってガンとばしてるのでしょうか。
そりゃ笑ったりして柔らかい表情してる人も中にはいますけども、
9割方ガンとばしてるのは何故なんでしょうか。その方が
格好良く見えるからなのかな。
自分からそうしてるのか、それともカメラマンの人の指示なのか。
その辺はどうにもこうにも分かりません。まさか、黙って
カメラを向けて、睨み付けてきた所を見計らってシャッターを
切るなんて手法をとってるわけでもなし。なにか理由が
あるんでしょうねぇ。
普通のファッション誌のモデルさんは普通の表情してるだけに、
謎が謎を呼んでおります。さぁて、分かりません。
最初にやった雑誌社の人に話を聞ければいいんでしょうけど。
読むときぐらいあります。髪の毛が伸びる速度が他の人より
妙に早い気がするもので、ほとんど月1のペースで髪を切っております。
切ったとは言いながら、その後が「なんじゃこりゃ」な
髪型になってしまってるわけなんですけども。
それで、一つ疑問なのは、なぜヘアカタログのモデルさんは
みんなしてカメラに向かってガンとばしてるのでしょうか。
そりゃ笑ったりして柔らかい表情してる人も中にはいますけども、
9割方ガンとばしてるのは何故なんでしょうか。その方が
格好良く見えるからなのかな。
自分からそうしてるのか、それともカメラマンの人の指示なのか。
その辺はどうにもこうにも分かりません。まさか、黙って
カメラを向けて、睨み付けてきた所を見計らってシャッターを
切るなんて手法をとってるわけでもなし。なにか理由が
あるんでしょうねぇ。
普通のファッション誌のモデルさんは普通の表情してるだけに、
謎が謎を呼んでおります。さぁて、分かりません。
最初にやった雑誌社の人に話を聞ければいいんでしょうけど。
通販生活
2003年1月25日 最近、やたらと本を買い込んでいます。
社会人になってからはもうそれこそかなりのペースで。
毎週何か買っているような気がします。マスコミのアンケートの
「あなたは最近1ヶ月で何冊本を読みましたか?」と聞かれても、
きっちり10冊近くなんて言葉が言えるそんな状態。
さすがに月10冊ペースで買い入れてはいなくて、図書館とかで
借りて読むっていうことになるわけなんですけども。
ジャンルはいろいろなんですが、このところまたキっつい内容の
本を読んでいたりするので、気分大幅ダウンの時があるわけでして。
通勤途中なんかで読むと、効果てきめんであります。
それらの本の内容については、いずれどこかで書こうかと。
で、職場に置いてある雑誌や新聞なんかで気になる本を
見つけたりして「これいいなぁ」なんて思って、いざ書店で
探そうとしてもなかなか見つかるもんじゃない。大抵欲しい本って
いうのは、その辺の小さい書店になんか置いてるわけなくて、
札幌の旭屋とか紀伊国屋みたいな大型の書店の片隅にひっそりと
置かれていたりしかしてないもので、地方に住んでる人間としては
その辺ちょっともどかしくはあるんです、
そんな時に頼りになるのはネットの通販。
楽天ブックスなんかで買うのが多いんですが、早いのだと
頼んで数日でやってきます。カードを使える人なら、
一度は利用してみてはいかがでしょうか。ただ、あれもこれもって
いう感じになってしまうので、買いすぎにはくれぐれも注意。
(自分がそうなりそうで恐いのですよ、ええ)
社会人になってからはもうそれこそかなりのペースで。
毎週何か買っているような気がします。マスコミのアンケートの
「あなたは最近1ヶ月で何冊本を読みましたか?」と聞かれても、
きっちり10冊近くなんて言葉が言えるそんな状態。
さすがに月10冊ペースで買い入れてはいなくて、図書館とかで
借りて読むっていうことになるわけなんですけども。
ジャンルはいろいろなんですが、このところまたキっつい内容の
本を読んでいたりするので、気分大幅ダウンの時があるわけでして。
通勤途中なんかで読むと、効果てきめんであります。
それらの本の内容については、いずれどこかで書こうかと。
で、職場に置いてある雑誌や新聞なんかで気になる本を
見つけたりして「これいいなぁ」なんて思って、いざ書店で
探そうとしてもなかなか見つかるもんじゃない。大抵欲しい本って
いうのは、その辺の小さい書店になんか置いてるわけなくて、
札幌の旭屋とか紀伊国屋みたいな大型の書店の片隅にひっそりと
置かれていたりしかしてないもので、地方に住んでる人間としては
その辺ちょっともどかしくはあるんです、
そんな時に頼りになるのはネットの通販。
楽天ブックスなんかで買うのが多いんですが、早いのだと
頼んで数日でやってきます。カードを使える人なら、
一度は利用してみてはいかがでしょうか。ただ、あれもこれもって
いう感じになってしまうので、買いすぎにはくれぐれも注意。
(自分がそうなりそうで恐いのですよ、ええ)
猫と名はつくものの。
2003年1月23日 猫。2月22日は「ニャンニャンニャン」で猫の日なんだそうです。
言われてみれば聞いたまんまで何のひねりもない記念日では
ありますけども、最初に思いついた人は「これだ!」と
思ったんでしょうね。
なんでまた、ここで猫の話題かというと、僕のとある
格好が「猫」という文字に関係してるわけでありまして。
日本語の世界の中では割と「猫」というのはあまりよくない
印象でとられているみたいです。「猫の額」「猫かぶり」
「猫に小判」「猫に鰹節」「猫ばば」「猫耳」「猫だまし」
実にいろいろあるものの、あまりいいものじゃありません。
言葉の語源になった猫に別に罪はないんでしょうけど、
だとしてもあまりいい気はしないんでしょう。
ペットとしてなら、犬と同じくらい、人によっては
恋人や家族よりも溺愛してしまう猫なんですが、いざ日本語の
世界になると途端に形勢が悪化してしまうんです。なんて不公平な。
そういうマイナスイメージの強い「猫」のつく言葉なんですが、
実際に映像として見ることはなかなか出来ません。あるとしても、
せいぜい「大相撲名場面集」とかの妙な番組で舞の海が
猫だましをやってるシーンぐらいなもんでしょう。
そんな中、ダントツで見る機会が多いのは「猫背」でしょう。
仕事場にせよ、サークルにせよ、学校にせよ、必ずどこかに
猫背の方はいるはず。僕もそんな猫背の一人であります。
仕事で机に向かっている時も、外勤する時も、遊びに行く時も、
ドラム叩いてる時も常に猫背であります。高校の時は弓道部で
いつも「背筋をちゃんと伸ばせ!」なんて言われていたんですけども、
大学4年間ですっかり元通りになってしまいました。
しかし、猫背というのはどうも健康的に見えません。
仕事してる時に後ろから「水瀬君、元気かい?」って声を
かけられて「元気ですよー」と本気で返事をしても、
その背中が猫背なら効果も今ひとつ。「不健康ぐーたら青年」の
烙印を押されてしまうわけでありまして、これじゃいかんと思うわけ。
とはいうものの、すっかり猫背になってしまった自分を
どうやって元の背筋をピンと伸ばした凛々しい姿に変えるものか。
尊敬する太田さんやタモリが猫背だからといって、そんな所まで
マネしなきゃいけない義理はどこにもないわけで。
それじゃとりあえず明日からでも背筋をピンと伸ばして
みようかと考えていたりします。でも、聞くところによると、
「水瀬君は、マイクを手に取ると背筋が伸びるねぇ」などと
いう説もあったりするので、実際の所一日のうちどれだけ
猫背の状態でいるのかは正確には把握してないところです。
……探偵にでも探ってもらったら、とんでもないレポートが来そうだ。
言われてみれば聞いたまんまで何のひねりもない記念日では
ありますけども、最初に思いついた人は「これだ!」と
思ったんでしょうね。
なんでまた、ここで猫の話題かというと、僕のとある
格好が「猫」という文字に関係してるわけでありまして。
日本語の世界の中では割と「猫」というのはあまりよくない
印象でとられているみたいです。「猫の額」「猫かぶり」
「猫に小判」「猫に鰹節」「猫ばば」「猫耳」「猫だまし」
実にいろいろあるものの、あまりいいものじゃありません。
言葉の語源になった猫に別に罪はないんでしょうけど、
だとしてもあまりいい気はしないんでしょう。
ペットとしてなら、犬と同じくらい、人によっては
恋人や家族よりも溺愛してしまう猫なんですが、いざ日本語の
世界になると途端に形勢が悪化してしまうんです。なんて不公平な。
そういうマイナスイメージの強い「猫」のつく言葉なんですが、
実際に映像として見ることはなかなか出来ません。あるとしても、
せいぜい「大相撲名場面集」とかの妙な番組で舞の海が
猫だましをやってるシーンぐらいなもんでしょう。
そんな中、ダントツで見る機会が多いのは「猫背」でしょう。
仕事場にせよ、サークルにせよ、学校にせよ、必ずどこかに
猫背の方はいるはず。僕もそんな猫背の一人であります。
仕事で机に向かっている時も、外勤する時も、遊びに行く時も、
ドラム叩いてる時も常に猫背であります。高校の時は弓道部で
いつも「背筋をちゃんと伸ばせ!」なんて言われていたんですけども、
大学4年間ですっかり元通りになってしまいました。
しかし、猫背というのはどうも健康的に見えません。
仕事してる時に後ろから「水瀬君、元気かい?」って声を
かけられて「元気ですよー」と本気で返事をしても、
その背中が猫背なら効果も今ひとつ。「不健康ぐーたら青年」の
烙印を押されてしまうわけでありまして、これじゃいかんと思うわけ。
とはいうものの、すっかり猫背になってしまった自分を
どうやって元の背筋をピンと伸ばした凛々しい姿に変えるものか。
尊敬する太田さんやタモリが猫背だからといって、そんな所まで
マネしなきゃいけない義理はどこにもないわけで。
それじゃとりあえず明日からでも背筋をピンと伸ばして
みようかと考えていたりします。でも、聞くところによると、
「水瀬君は、マイクを手に取ると背筋が伸びるねぇ」などと
いう説もあったりするので、実際の所一日のうちどれだけ
猫背の状態でいるのかは正確には把握してないところです。
……探偵にでも探ってもらったら、とんでもないレポートが来そうだ。
夜中のセンター速報
2003年1月22日(実際にこれを見たのは23日なんですが、既に23日の
内容を書いてしまったため、22日に書くことになりました。悪しからず)
夜中、ふらふらになって帰ってきて、何気なくテレビをつけると
「大学入試センター速報」なるものがやっていました。
毎年、この時期になると河合塾系統の予備校が主催して
各国公立およびセンター利用私大のボーダーラインを予想して
発表しているわけです。何年前から放送しているかは分かりませんが、
僕が現役の受験生だった頃も放送していたので、相当前から
あったんでしょう。何分やってるのが夜中っていうのが、
「受験生=夜型」という偏見を露骨に表現していてなかなか
楽しいんですけども。
今年のセンター試験はやっぱり難しかったんでしょうか。
ここ数年の得点の推移はよく分からないんですけども、
全体的に40〜50点台だったような気がします。僕が
受けた時はどういうわけかやたらと点数が高くて、各教科とも
平均点で60点台だったような気がします。「お前ら、
そんなに頭よかったのかよー!」ってなぐらいに。
周りが頭良かったっていうんじゃなくて、僕が頭悪かっただけですが。
「数学ワカリマセーン」みたいな状態でありまして。
だから国立大では不利だったのかもなぁ。
僕が通っていた大学も何年前からかセンター入試が始まって、
興味本意で見てみたら、「480/600」という表示。ということは、
得点率80%ってことですかい。いくらセンターは点が取りやすい
とはいうものの、割と高い方なんじゃないのかね。自分が
一般入試で入った時はおそらくこんな点数じゃなくて
もうちょっと楽に入れたはずなんだけどもさ。
あくまで「ボーダー」ということだから、合格最低点とかは
もうちょっと変わってくるんだろうけど、それにしたってねぇ。
ハッタリかましてるのか、ただのシャレなのか、実は100%
本気なのか、正直なところはっきりしません。
まぁ、とりあえずは受験生頑張れってことで。
くれぐれも合格した後に燃え尽きたりしないよう。
一人暮らしとかならなおのことね。友達にいるんだよなぁ。
内容を書いてしまったため、22日に書くことになりました。悪しからず)
夜中、ふらふらになって帰ってきて、何気なくテレビをつけると
「大学入試センター速報」なるものがやっていました。
毎年、この時期になると河合塾系統の予備校が主催して
各国公立およびセンター利用私大のボーダーラインを予想して
発表しているわけです。何年前から放送しているかは分かりませんが、
僕が現役の受験生だった頃も放送していたので、相当前から
あったんでしょう。何分やってるのが夜中っていうのが、
「受験生=夜型」という偏見を露骨に表現していてなかなか
楽しいんですけども。
今年のセンター試験はやっぱり難しかったんでしょうか。
ここ数年の得点の推移はよく分からないんですけども、
全体的に40〜50点台だったような気がします。僕が
受けた時はどういうわけかやたらと点数が高くて、各教科とも
平均点で60点台だったような気がします。「お前ら、
そんなに頭よかったのかよー!」ってなぐらいに。
周りが頭良かったっていうんじゃなくて、僕が頭悪かっただけですが。
「数学ワカリマセーン」みたいな状態でありまして。
だから国立大では不利だったのかもなぁ。
僕が通っていた大学も何年前からかセンター入試が始まって、
興味本意で見てみたら、「480/600」という表示。ということは、
得点率80%ってことですかい。いくらセンターは点が取りやすい
とはいうものの、割と高い方なんじゃないのかね。自分が
一般入試で入った時はおそらくこんな点数じゃなくて
もうちょっと楽に入れたはずなんだけどもさ。
あくまで「ボーダー」ということだから、合格最低点とかは
もうちょっと変わってくるんだろうけど、それにしたってねぇ。
ハッタリかましてるのか、ただのシャレなのか、実は100%
本気なのか、正直なところはっきりしません。
まぁ、とりあえずは受験生頑張れってことで。
くれぐれも合格した後に燃え尽きたりしないよう。
一人暮らしとかならなおのことね。友達にいるんだよなぁ。