あなたに友だちがいない理由(2)
2003年1月20日 昨日の続きであります。
なぜか一日でカウンタがやたらと回っていたのでビックリ
したんですけども。ただのミスなのかもしれませんから、
その辺はぬか喜びしないようにしないといけないんですけどね。
それでもって、続きをば。
昨日の話でとりあえず「自分と友だちになる」って所までは
クリアしたということにしておきましょう。無理矢理でも。
「友だちを作ろう」の第2段階は「他人と友だちになる」です。
いきなりクライマックスにきてるような感じもありますが、
結局の所自分か他人かしかいないんだから、そんなもんです。
「友だちがいない理由」には大きく4つあるんだそうです。
・「傷つきたくない」
・「嫌われたくない」
・「バカにされたくない」
・「迷惑をかけたくない」
この3つ、綺麗にあてはまります。
誰かと友だちにならなければ、傷つくこともないし、
嫌われもしないし、もちろんバカにされることもない。
ただ、それは「傷つきもしない」し、「嫌われない」し、
「バカにされない」っていうだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
知人はいっぱいいても、心の中でいつも空虚な寂しさを
感じていたり、ひとりぼっちだと感じていたらそれは友だちが
いることにはならないのだそうです。
「友だち」とは「味方」であること。もちろん、状況によって
コロコロ変わってしまってはいけない。お互いブレずにいること。
口で言うのは簡単ですけど、実際のところかなり困難なことです。
昨日も書いたとおり、まだ恋人同士であることの方が簡単かもしれません。
(僕にはそれすら出来てないという割と厳しい現実があるわけですが)
誰だって、好き好んで傷つきたくはないし、嫌われたくないし、
バカにされたくはない。でも、ここでいう「友だち」を
作るにはそれらからの発想の転換を図って、全く逆のことを
やってしまえというわけです。
「全く逆」というのは極論に過ぎるような気もしますが、
行き着くところはそういうものです。
具体論を全部書いていくと膨大なものになるし、それこそ
本を直接買った方が余程ためになりますから、一つだけ。
「嫌われたくない」というのは誰しもが思うことです。
「私は一人だって生きていける!」なんて豪気な方もいるには
いますけども、そういう人は端からこんな問題で悩んじゃいません。
嫌われるとは、拒絶されること、自分の存在を否定されること。
そんなことは正直辛いです。出来ることなら、多くの人に
好かれたい、嫌われたくないと考えてしまうのが普通です。
でも、そんなことは現実には不可能です。あなたが思いつく最高の
「理想の人」であっても、無理なことです。
「誰も嫌わない人は、誰からも好かれない」。そういう表現があります。
誰も嫌わない、マイナスの感情を抱かない、そういう人は
「いい人だ」という評価は受けても「好きだ」ということには
ならないのだそうです。
(本当にそうなのかどうかは僕自身よく分からないのですが)
ただ、自分がある人を好きか嫌いかと思うことと、
その逆に、ある人が自分を好きか嫌いかということには
思ったよりも大きな関係性はないということ、らしいです。
これは僕の経験から言ってもありえるかなぁ、と。
大学に通っていた時にも、かなり多くそういう話は聞いてきて
いましたし、自分でもそういうことは多かったです。
確かに、好かれることは嬉しいことだし気分のいいことです。
それでも、「好きになる」ということにはもっと別な要素が
絡んでくるんじゃないだろうか、というわけです。
それは趣味であったり、性格であったり、外見であったり
いろいろあるわけなんですけども、それ以上に「なんとなく」って
いうのが意外と重要なファクターであったりするわけです。
ほとんどの場合「なんとなく」好きであったり、嫌いであったり。
その「なんとなく」というのがこの上なく不安定でふわふわして、
つかみ所のないものだから、ころころ変わってしまう、と。
そういうものなんだから、心を振り回されずに生きていきましょうと、
そういうわけなんです。
「そんな不安定なものが常に自分に対してプラスでないと
いけないと考えるのは疲れるでしょう?」。そんなわけです。
それでは、今日はここまでです。続き……書けるのかなぁ。
なぜか一日でカウンタがやたらと回っていたのでビックリ
したんですけども。ただのミスなのかもしれませんから、
その辺はぬか喜びしないようにしないといけないんですけどね。
それでもって、続きをば。
昨日の話でとりあえず「自分と友だちになる」って所までは
クリアしたということにしておきましょう。無理矢理でも。
「友だちを作ろう」の第2段階は「他人と友だちになる」です。
いきなりクライマックスにきてるような感じもありますが、
結局の所自分か他人かしかいないんだから、そんなもんです。
「友だちがいない理由」には大きく4つあるんだそうです。
・「傷つきたくない」
・「嫌われたくない」
・「バカにされたくない」
・「迷惑をかけたくない」
この3つ、綺麗にあてはまります。
誰かと友だちにならなければ、傷つくこともないし、
嫌われもしないし、もちろんバカにされることもない。
ただ、それは「傷つきもしない」し、「嫌われない」し、
「バカにされない」っていうだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
知人はいっぱいいても、心の中でいつも空虚な寂しさを
感じていたり、ひとりぼっちだと感じていたらそれは友だちが
いることにはならないのだそうです。
「友だち」とは「味方」であること。もちろん、状況によって
コロコロ変わってしまってはいけない。お互いブレずにいること。
口で言うのは簡単ですけど、実際のところかなり困難なことです。
昨日も書いたとおり、まだ恋人同士であることの方が簡単かもしれません。
(僕にはそれすら出来てないという割と厳しい現実があるわけですが)
誰だって、好き好んで傷つきたくはないし、嫌われたくないし、
バカにされたくはない。でも、ここでいう「友だち」を
作るにはそれらからの発想の転換を図って、全く逆のことを
やってしまえというわけです。
「全く逆」というのは極論に過ぎるような気もしますが、
行き着くところはそういうものです。
具体論を全部書いていくと膨大なものになるし、それこそ
本を直接買った方が余程ためになりますから、一つだけ。
「嫌われたくない」というのは誰しもが思うことです。
「私は一人だって生きていける!」なんて豪気な方もいるには
いますけども、そういう人は端からこんな問題で悩んじゃいません。
嫌われるとは、拒絶されること、自分の存在を否定されること。
そんなことは正直辛いです。出来ることなら、多くの人に
好かれたい、嫌われたくないと考えてしまうのが普通です。
でも、そんなことは現実には不可能です。あなたが思いつく最高の
「理想の人」であっても、無理なことです。
「誰も嫌わない人は、誰からも好かれない」。そういう表現があります。
誰も嫌わない、マイナスの感情を抱かない、そういう人は
「いい人だ」という評価は受けても「好きだ」ということには
ならないのだそうです。
(本当にそうなのかどうかは僕自身よく分からないのですが)
ただ、自分がある人を好きか嫌いかと思うことと、
その逆に、ある人が自分を好きか嫌いかということには
思ったよりも大きな関係性はないということ、らしいです。
これは僕の経験から言ってもありえるかなぁ、と。
大学に通っていた時にも、かなり多くそういう話は聞いてきて
いましたし、自分でもそういうことは多かったです。
確かに、好かれることは嬉しいことだし気分のいいことです。
それでも、「好きになる」ということにはもっと別な要素が
絡んでくるんじゃないだろうか、というわけです。
それは趣味であったり、性格であったり、外見であったり
いろいろあるわけなんですけども、それ以上に「なんとなく」って
いうのが意外と重要なファクターであったりするわけです。
ほとんどの場合「なんとなく」好きであったり、嫌いであったり。
その「なんとなく」というのがこの上なく不安定でふわふわして、
つかみ所のないものだから、ころころ変わってしまう、と。
そういうものなんだから、心を振り回されずに生きていきましょうと、
そういうわけなんです。
「そんな不安定なものが常に自分に対してプラスでないと
いけないと考えるのは疲れるでしょう?」。そんなわけです。
それでは、今日はここまでです。続き……書けるのかなぁ。
あなたに友だちがいない理由
2003年1月19日 どきりとするタイトルです。そんなどきりとした本を買いました。
どきりとしたってことは少なからず、そういうことを
考えていたことに他ならないのですが。
新潮Oh!文庫、笠原真澄さんの書き下ろし作品です。
正直言って、僕は「友だち」が少ないです。と、いうか、
ほとんど「いない」と言った方が現実でしょう。胸を張って
「僕には友だちがいる」なんて口が裂けても言えるもんじゃない。
そりゃ、仕事上の知り合いはいるし、高校時代の同級生はいるし、
サークルの先輩後輩、本を作っていた頃の読者さん、
「知人」っていうレベルならある程度はいる。携帯の住所録だって、
とりあえずは個人名でかなりの量入れてあるし、そう言った意味での
「友だち」なんてのはそれこそ頭数揃ってる。
その本では「友だちを作ることは、ある意味で恋人を作るより難しい」と
いう一文があります。恋人になるには「決まり」があり、
お互いを「彼氏・彼女」と認め合う一種のセレモニーがあり、
「どういう人が恋人かそうでないか」か、その定義が
比較的はっきりしているのだし、その「確認作業」もごく自然にできる。
ただ、「友だち」にはそれが無い。一緒に御飯を食べに行くからか、
買い物したり長電話したりするからか、学校や会社が同じだからか。
でも、「私のこと、友だちだと思ってる?」なんて聞いたこと無い。
確かめた事なんて無い、だから分からない。その違いなんです。
さらに「友だちがいる人の方が実際には少数派なんです」とも。
その人がいることで、あなたの人生が幸せになるかどうか。逆もまた然り。
そうでない人は「友だち」ではない、と。
では、そんな「友だち」を作る第一歩ってのはどこから始まるか。
それは「まず、自分自身と『友だち』になってみる」のだそうです。
これは一歩間違うと、世の中にはびこる「自分大好きっ子」に
なってしまうんですが、少なくともこの本を取るような人は
そうはならないと思ってます。(僕自身の意見ですが)
その自分自身ですら、大嫌いな人は、一つ自分のことを
見つめ直す方法を試してみるといいそうです。
それは「自分で自分を嫌う理由のリストアップ」です。
「なんとなく」とか「全部」とかでなくて、曖昧でも良いから
「こういうこと」って書き出せるようなものをリストアップ。
次にその中から「誰かがあなたを嫌いな理由」を削ります。
難しいかもしれませんけど、この理由というのは「自分で自分を
嫌いな理由」にはなりません。「誰か」の中身によっていくらでも
変わるわけですから。
そして残った一つ一つに順番をつけます。そして、その順番の
大きいものから順に対処法・解消法を考えていくというものです。
どんなコンプレックスでも、それに対する対処法はあるものです。
解消できるまでの労力と困難さはそれぞれ別としても。
自分自身を嫌いな理由も思いついたし、対処法も見つけたら、
今度は「どんな自分になりたいか?」というのをイメージするわけです。
僕が前に書いた日記で「理想の自分」ってのは、大抵
「完璧な人間」で、そんな人間はのっぺらぼーだということを
言いましたが、ここでいう「どんな自分になりたいか?」は別です。
ここで言う「理想の自分」は「自分で自分の理想を決める」と
いう点が重要でして、こんな自分なら私は胸を張って生きて
いけるというもの。そこに他人の評価が入ってはいけません。
「誰からも愛される人」とか「人気者になりたい」というのはダメ。
そうして、自分の中に「理想の自分」というもう一人の自分を
形成するわけです。何も二重人格という意味ではなく、
自分のことを外部から評価できる視点という意味での「理想の自分」です。
その自分をまず「友だち」にしよう、そんな意味なんです。
あとは、その理想像と共有・共存できる他者を捜せばいいわけでして。
ま、その辺の詳しい話は次回以降に。
ちなみにこの本は札幌の旭屋書店で買ったんですが、
この本を買っただけでも、この土日札幌に行った価値があったと
思っています。最近そう思える本がないもので。
そう思ったのは「不幸になりたがる人たち」の時以来だなぁ。
どきりとしたってことは少なからず、そういうことを
考えていたことに他ならないのですが。
新潮Oh!文庫、笠原真澄さんの書き下ろし作品です。
正直言って、僕は「友だち」が少ないです。と、いうか、
ほとんど「いない」と言った方が現実でしょう。胸を張って
「僕には友だちがいる」なんて口が裂けても言えるもんじゃない。
そりゃ、仕事上の知り合いはいるし、高校時代の同級生はいるし、
サークルの先輩後輩、本を作っていた頃の読者さん、
「知人」っていうレベルならある程度はいる。携帯の住所録だって、
とりあえずは個人名でかなりの量入れてあるし、そう言った意味での
「友だち」なんてのはそれこそ頭数揃ってる。
その本では「友だちを作ることは、ある意味で恋人を作るより難しい」と
いう一文があります。恋人になるには「決まり」があり、
お互いを「彼氏・彼女」と認め合う一種のセレモニーがあり、
「どういう人が恋人かそうでないか」か、その定義が
比較的はっきりしているのだし、その「確認作業」もごく自然にできる。
ただ、「友だち」にはそれが無い。一緒に御飯を食べに行くからか、
買い物したり長電話したりするからか、学校や会社が同じだからか。
でも、「私のこと、友だちだと思ってる?」なんて聞いたこと無い。
確かめた事なんて無い、だから分からない。その違いなんです。
さらに「友だちがいる人の方が実際には少数派なんです」とも。
その人がいることで、あなたの人生が幸せになるかどうか。逆もまた然り。
そうでない人は「友だち」ではない、と。
では、そんな「友だち」を作る第一歩ってのはどこから始まるか。
それは「まず、自分自身と『友だち』になってみる」のだそうです。
これは一歩間違うと、世の中にはびこる「自分大好きっ子」に
なってしまうんですが、少なくともこの本を取るような人は
そうはならないと思ってます。(僕自身の意見ですが)
その自分自身ですら、大嫌いな人は、一つ自分のことを
見つめ直す方法を試してみるといいそうです。
それは「自分で自分を嫌う理由のリストアップ」です。
「なんとなく」とか「全部」とかでなくて、曖昧でも良いから
「こういうこと」って書き出せるようなものをリストアップ。
次にその中から「誰かがあなたを嫌いな理由」を削ります。
難しいかもしれませんけど、この理由というのは「自分で自分を
嫌いな理由」にはなりません。「誰か」の中身によっていくらでも
変わるわけですから。
そして残った一つ一つに順番をつけます。そして、その順番の
大きいものから順に対処法・解消法を考えていくというものです。
どんなコンプレックスでも、それに対する対処法はあるものです。
解消できるまでの労力と困難さはそれぞれ別としても。
自分自身を嫌いな理由も思いついたし、対処法も見つけたら、
今度は「どんな自分になりたいか?」というのをイメージするわけです。
僕が前に書いた日記で「理想の自分」ってのは、大抵
「完璧な人間」で、そんな人間はのっぺらぼーだということを
言いましたが、ここでいう「どんな自分になりたいか?」は別です。
ここで言う「理想の自分」は「自分で自分の理想を決める」と
いう点が重要でして、こんな自分なら私は胸を張って生きて
いけるというもの。そこに他人の評価が入ってはいけません。
「誰からも愛される人」とか「人気者になりたい」というのはダメ。
そうして、自分の中に「理想の自分」というもう一人の自分を
形成するわけです。何も二重人格という意味ではなく、
自分のことを外部から評価できる視点という意味での「理想の自分」です。
その自分をまず「友だち」にしよう、そんな意味なんです。
あとは、その理想像と共有・共存できる他者を捜せばいいわけでして。
ま、その辺の詳しい話は次回以降に。
ちなみにこの本は札幌の旭屋書店で買ったんですが、
この本を買っただけでも、この土日札幌に行った価値があったと
思っています。最近そう思える本がないもので。
そう思ったのは「不幸になりたがる人たち」の時以来だなぁ。
「滅び行く恐竜の会」(仮称)
2003年1月18日 そんな飲み会をやっております。
と、いうのは大学のサークルのOB達で不定期に集まって
やっている飲み会のことなのですが。この「会」を立ち上げた人が
「私達は滅び行く恐竜なのよ」とふと言った言葉がきっかけで
誕生することになったわけでありまして、僕はその1期生という
ありがたいんだかどうなんだかよく分からないポジションにおります。
で、この日、用事があって札幌まで来てまして、用事が終わったら
そのまま帰ろうかと思っていたんですが、せっかく札幌に
来てるということで、大学の時の友達に顔合わせてみたくなって電話。
企画自体は前からあったものの、その実行日がいつかということが
まだ決まっていなかったので、今日実行しましょうというわけ。
我ながら強引だなぁとは思ったものの、意外にも都合をつけて
いただいて、店も予約。かくして「滅び行く恐竜の会」(仮称)は
執り行われることになったわけであります。
メンバーは札幌に就職した友達2人と僕、それと大学に
通っているサークルの後輩とサークルの孫休さん、そして、
今は自衛官になっている後輩の6名。珍しいメンバーです。
まぁ、飲み会自体は非常にまったりと。
ただ、就職した友達二人はこの日も仕事だったため、
途中から合流ということになったんですけども。いろいろ大変みたいです。
いろいろとサークルの話とかをしながら、自分がサークルにいた頃、
特に1年生の頃を思い出してました。もう4年以上前の
話なんだもんなぁって。それを考えると、大学4年間ってのは
確かにいろいろあったけどあっという間だったなぁと。
授業出て、本作って、発送作業やって、文章書いて、
恋愛して振られて、とかいろいろあったわけだし。それでも4年なんて
あっという間だったな、と。しかしこう、短かったと思うようでは
実際には何も為してこなかった、漫然と過ごしてきたっていう
ことらしいのですが、そうだとするとさすがに嫌だな。
こうやって、大学の友達と飲み会ができるのはあとどれぐらい
なんだろうかなとか、ふと思ってしまったり。こういう時間を
出来るだけ長く維持したいなぁと思いつつ。就職した先でも
こういうような空間を作っていけるようにならないといけないのかなぁと、
2次会で鉄観音茶をがぶ飲みしながら考えておりました。
時々やたらと卑屈になってしまうので、そういう面は
出来れば直したほうがいいよとも言われて、やっぱそうなんだ
ろうなぁとかも思ってましたし。どうにかならないかなぁ、
この変な性格。どこで捻じ曲がったんだか知らんけどもさ。
しかし、そういう所を率直に言ってくれるのはある意味嬉しいし、
言えるような場を作る必要もあるのかな。
ま、そんな感じで。
と、いうのは大学のサークルのOB達で不定期に集まって
やっている飲み会のことなのですが。この「会」を立ち上げた人が
「私達は滅び行く恐竜なのよ」とふと言った言葉がきっかけで
誕生することになったわけでありまして、僕はその1期生という
ありがたいんだかどうなんだかよく分からないポジションにおります。
で、この日、用事があって札幌まで来てまして、用事が終わったら
そのまま帰ろうかと思っていたんですが、せっかく札幌に
来てるということで、大学の時の友達に顔合わせてみたくなって電話。
企画自体は前からあったものの、その実行日がいつかということが
まだ決まっていなかったので、今日実行しましょうというわけ。
我ながら強引だなぁとは思ったものの、意外にも都合をつけて
いただいて、店も予約。かくして「滅び行く恐竜の会」(仮称)は
執り行われることになったわけであります。
メンバーは札幌に就職した友達2人と僕、それと大学に
通っているサークルの後輩とサークルの孫休さん、そして、
今は自衛官になっている後輩の6名。珍しいメンバーです。
まぁ、飲み会自体は非常にまったりと。
ただ、就職した友達二人はこの日も仕事だったため、
途中から合流ということになったんですけども。いろいろ大変みたいです。
いろいろとサークルの話とかをしながら、自分がサークルにいた頃、
特に1年生の頃を思い出してました。もう4年以上前の
話なんだもんなぁって。それを考えると、大学4年間ってのは
確かにいろいろあったけどあっという間だったなぁと。
授業出て、本作って、発送作業やって、文章書いて、
恋愛して振られて、とかいろいろあったわけだし。それでも4年なんて
あっという間だったな、と。しかしこう、短かったと思うようでは
実際には何も為してこなかった、漫然と過ごしてきたっていう
ことらしいのですが、そうだとするとさすがに嫌だな。
こうやって、大学の友達と飲み会ができるのはあとどれぐらい
なんだろうかなとか、ふと思ってしまったり。こういう時間を
出来るだけ長く維持したいなぁと思いつつ。就職した先でも
こういうような空間を作っていけるようにならないといけないのかなぁと、
2次会で鉄観音茶をがぶ飲みしながら考えておりました。
時々やたらと卑屈になってしまうので、そういう面は
出来れば直したほうがいいよとも言われて、やっぱそうなんだ
ろうなぁとかも思ってましたし。どうにかならないかなぁ、
この変な性格。どこで捻じ曲がったんだか知らんけどもさ。
しかし、そういう所を率直に言ってくれるのはある意味嬉しいし、
言えるような場を作る必要もあるのかな。
ま、そんな感じで。
寝過ごし。
2003年1月17日 交通機関の中では不思議に眠くなるもんです。
と、いうか、30分以上乗り物に乗っていると不思議と
眠くなってきてしまうという妙な癖があるのですが。
通勤中のバスの中だったり、旅行中のJRや飛行機の中とか。
本とか読んでいたりしてる時は割と平気なんですが、
何もせずにぼーっと考え事なんかしてると、途端に睡魔が。
これで何度も寝過ごしたもんです。
どういうわけか、こういう癖が出てきたのは就職してから。
別にそんなにそんなに「仕事で疲れたから……」って感じでも
ないだけに「?」っていうことなんですが。でも、乗り物の
あの揺れ具合が微妙に眠気を誘うってこともあるわけで、
それはそれでいいなぁーとか思っていたりします。
学生の時はあまり長時間地下鉄とかバスとか乗ってることが
なかったので、眠くなる前に降りることが多かったんですけどもね。
友達のお兄さんは、地下鉄の終電に乗っていたら寝過ごしてしまって、
終点に行っても車掌さんに気付かれず、そのまま車両基地まで
運ばれて、そこから駅まで車掌さんのエスコート&ヘルメット付きで
帰ってきたという強者らしいのですが、さすがにそこまでは
やったことがございません。
しかし、いつかそれに近いことをやってしまいそうで嫌だなぁ。
問題はこれが自分の車に乗ってる時に起きたらどうしようかと
いうことなんです。30分限定で車に乗るか? ギリギリ
通勤は出来るから、それも一つの手ではあるけども。
と、いうか、30分以上乗り物に乗っていると不思議と
眠くなってきてしまうという妙な癖があるのですが。
通勤中のバスの中だったり、旅行中のJRや飛行機の中とか。
本とか読んでいたりしてる時は割と平気なんですが、
何もせずにぼーっと考え事なんかしてると、途端に睡魔が。
これで何度も寝過ごしたもんです。
どういうわけか、こういう癖が出てきたのは就職してから。
別にそんなにそんなに「仕事で疲れたから……」って感じでも
ないだけに「?」っていうことなんですが。でも、乗り物の
あの揺れ具合が微妙に眠気を誘うってこともあるわけで、
それはそれでいいなぁーとか思っていたりします。
学生の時はあまり長時間地下鉄とかバスとか乗ってることが
なかったので、眠くなる前に降りることが多かったんですけどもね。
友達のお兄さんは、地下鉄の終電に乗っていたら寝過ごしてしまって、
終点に行っても車掌さんに気付かれず、そのまま車両基地まで
運ばれて、そこから駅まで車掌さんのエスコート&ヘルメット付きで
帰ってきたという強者らしいのですが、さすがにそこまでは
やったことがございません。
しかし、いつかそれに近いことをやってしまいそうで嫌だなぁ。
問題はこれが自分の車に乗ってる時に起きたらどうしようかと
いうことなんです。30分限定で車に乗るか? ギリギリ
通勤は出来るから、それも一つの手ではあるけども。
2003年の年賀状
2003年1月11日 この期に及んで年賀状の話題であります。
毎年、きっちり年賀状を書いております。というか、
なんだかんだ言いながら、正月に郵便受けを見て自分宛の
年賀状が入っていないっていうのは、かなり寂しい気分になるもので。
普段、あまりメールや電話とかしない人でも、
「今、どうしているんだろう?」って気になる時期でもありますし。そういうのを確認する意味での年賀状。
今年の分は本当にギリギリまで書いてませんでした。
職場の人用のインクジェットは28日くらいには用意できていたので、
年前に大体宛名書きその他は済ませたんですが、問題は
ネットや大学の友達などに出すもの。みんなかなり小ネタの度合いが
強いので、あまり中途半端な物も描けないなぁとか思ってました。
一昨年は技師娘で、去年はケンタウロスでした。で、今年は
どうしようかなとあれこれ考えてみても、今ひとつ面白いのが
浮かんでこない。別に挨拶程度なんだから、あれこれ悩まなくても
スパッと決めてしまえばいいのでしょうけども、逆に一年に
一回だから何か面白いことでも描いてやろうじゃないかって
思ってるんですが、これがどうしてなかなか上手くいかない。
と、いうわけで、いろいろ悩んだ末に2003年は羊年なんだから、
前に「水瀬さん『羊娘』描いて下さい!」ってリクエストがあったので、
それに決定。それで出来たのが今回届いた年賀状ってわけです。
ただ……角以外は何も「羊」を意識させるようなものは
全くない妙な物になってしまいました。ひどいもんです。
しかもトーンも何も使っちゃいない、画材だってハイテックしか
使ってないし。色付けにかろうじて使ったのだって、蛍光ペンだし。
お手軽気軽であります。
まぁ、それでも描いてること自体は楽しいんですけどね。
ただ、こうして一枚絵を描くのは久しぶりだったので、
全然下手くそになっていたのには少々へこみましたが。
その後、大学の先輩から来た年賀状には「今年もキミの描いた絵を
親に見られました」って文面がありました。いやー、あれを
見られたんですね。ご愁傷様です、はい。
毎年、きっちり年賀状を書いております。というか、
なんだかんだ言いながら、正月に郵便受けを見て自分宛の
年賀状が入っていないっていうのは、かなり寂しい気分になるもので。
普段、あまりメールや電話とかしない人でも、
「今、どうしているんだろう?」って気になる時期でもありますし。そういうのを確認する意味での年賀状。
今年の分は本当にギリギリまで書いてませんでした。
職場の人用のインクジェットは28日くらいには用意できていたので、
年前に大体宛名書きその他は済ませたんですが、問題は
ネットや大学の友達などに出すもの。みんなかなり小ネタの度合いが
強いので、あまり中途半端な物も描けないなぁとか思ってました。
一昨年は技師娘で、去年はケンタウロスでした。で、今年は
どうしようかなとあれこれ考えてみても、今ひとつ面白いのが
浮かんでこない。別に挨拶程度なんだから、あれこれ悩まなくても
スパッと決めてしまえばいいのでしょうけども、逆に一年に
一回だから何か面白いことでも描いてやろうじゃないかって
思ってるんですが、これがどうしてなかなか上手くいかない。
と、いうわけで、いろいろ悩んだ末に2003年は羊年なんだから、
前に「水瀬さん『羊娘』描いて下さい!」ってリクエストがあったので、
それに決定。それで出来たのが今回届いた年賀状ってわけです。
ただ……角以外は何も「羊」を意識させるようなものは
全くない妙な物になってしまいました。ひどいもんです。
しかもトーンも何も使っちゃいない、画材だってハイテックしか
使ってないし。色付けにかろうじて使ったのだって、蛍光ペンだし。
お手軽気軽であります。
まぁ、それでも描いてること自体は楽しいんですけどね。
ただ、こうして一枚絵を描くのは久しぶりだったので、
全然下手くそになっていたのには少々へこみましたが。
その後、大学の先輩から来た年賀状には「今年もキミの描いた絵を
親に見られました」って文面がありました。いやー、あれを
見られたんですね。ご愁傷様です、はい。
「交通安全の教材あれこれ」
2003年1月10日 この仕事をしてると、いろんな教材ビデオというものを
見るわけです。仕事で使うものや、一般向けへ貸し出しに使うもの、
実にたくさんあります。内容も実に様々、社会科の教材に
出てくるような「世界の貿易」や「屋久島」というやたらと
渋い名前もあったりして、タイトル見てるだけでも楽しいです。
その中に、需要があるからなんでしょうか「交通安全もの」が
結構多いんです。うちで持っているものもありますけども、
それ以上にかなりの種類が出ているみたいです。
これだけの車社会ですから、交通安全を意識させるために
教材やグッズが揃ってるのはいいことだなぁとか思っている
わけなんですけども、その中でちょっと気になったことがあるんです。
それは、交通安全ビデオの題材に妙なものが使われていたり
するわけなんですよ。子供向けに忍たま乱太郎とかポケモンの
交通安全ビデオがあるのは分かります。(確か、このシリーズは
火の用心っていう消防ものもあったはず)
ただ、ターゲットを高齢者に絞ったのかどうなのかは
よく分からないんですが、時代劇ものの交通安全ビデオが
あるわけでありまして。これは、実際に僕も講座の中で
見たやつなんですが「水戸黄門の交通安全」なるものがありました。
テーマこそ交通安全ですけども、そこに至るまでのストーリーは
さすが長寿番組、しっかり心得ております。
おじいさんとその孫娘が大八車にはねられる所から始まり、
ご老公一行と出会い、話を聞く。車の雇い主である、悪徳商人は御奉行様に
「山吹色のお菓子」を送ってもみ消しをはかり、さらにはねられた
二人をもみ消しついでに殺してしまおうと画策するわけです。
悪徳商人一派の手で、心中に見せかけて殺されてしまう寸前に
御老公様一行登場、もちろん「かげろうお銀」や「風車の弥七」、
「うっかり八兵衛」も出てきます。(飛猿が出ないのが残念ですが)
で、しばしの斬り合いの後、「この紋所が目に入らぬか」で第一部おしまい。
第二部は、御老公様がそのままの衣装で町に出て気付きにくい
「うっかり」したところを「うっかり八兵衛」と「かげろうお銀」が
説明してくれるわけです。なかなか素晴らしい出来になってます。
その他にも、時々送られてくるカタログには「鞍馬天狗の
交通安全」や「遠山の金さんの交通安全」、中には
「かげろうお銀の交通安全」なんてものもあります。
見れば見るほど微妙な興味ばかり出てきそうな気もしますけども、
「分かりやすさと親しみやすさ」を意識するとこうなるんでしょうね。
あと、交通安全のビデオには芸人さんが出演するのも多いです。
「おぼんこぼんの交通安全」とか「コント山田くんと竹内君の
交通安全」とか、結構出ているそうです。なんでも、こうして
交通安全の教材に出演できるようになって、初めて芸人として
一人前だという話もあるんだとか。
だとすると、数年後には「爆笑問題の交通安全」とか
「テツ&トモの『♪なんでだろ』交通安全」とか、「ネプチューンの
交通安全」なんてのも出るんでしょうねぇ。見たいなぁ。
あ、今ふと思ったけど、「ドリフの交通安全」って出てるんだろうか。
出てたらぜひ見たいなぁ。
見るわけです。仕事で使うものや、一般向けへ貸し出しに使うもの、
実にたくさんあります。内容も実に様々、社会科の教材に
出てくるような「世界の貿易」や「屋久島」というやたらと
渋い名前もあったりして、タイトル見てるだけでも楽しいです。
その中に、需要があるからなんでしょうか「交通安全もの」が
結構多いんです。うちで持っているものもありますけども、
それ以上にかなりの種類が出ているみたいです。
これだけの車社会ですから、交通安全を意識させるために
教材やグッズが揃ってるのはいいことだなぁとか思っている
わけなんですけども、その中でちょっと気になったことがあるんです。
それは、交通安全ビデオの題材に妙なものが使われていたり
するわけなんですよ。子供向けに忍たま乱太郎とかポケモンの
交通安全ビデオがあるのは分かります。(確か、このシリーズは
火の用心っていう消防ものもあったはず)
ただ、ターゲットを高齢者に絞ったのかどうなのかは
よく分からないんですが、時代劇ものの交通安全ビデオが
あるわけでありまして。これは、実際に僕も講座の中で
見たやつなんですが「水戸黄門の交通安全」なるものがありました。
テーマこそ交通安全ですけども、そこに至るまでのストーリーは
さすが長寿番組、しっかり心得ております。
おじいさんとその孫娘が大八車にはねられる所から始まり、
ご老公一行と出会い、話を聞く。車の雇い主である、悪徳商人は御奉行様に
「山吹色のお菓子」を送ってもみ消しをはかり、さらにはねられた
二人をもみ消しついでに殺してしまおうと画策するわけです。
悪徳商人一派の手で、心中に見せかけて殺されてしまう寸前に
御老公様一行登場、もちろん「かげろうお銀」や「風車の弥七」、
「うっかり八兵衛」も出てきます。(飛猿が出ないのが残念ですが)
で、しばしの斬り合いの後、「この紋所が目に入らぬか」で第一部おしまい。
第二部は、御老公様がそのままの衣装で町に出て気付きにくい
「うっかり」したところを「うっかり八兵衛」と「かげろうお銀」が
説明してくれるわけです。なかなか素晴らしい出来になってます。
その他にも、時々送られてくるカタログには「鞍馬天狗の
交通安全」や「遠山の金さんの交通安全」、中には
「かげろうお銀の交通安全」なんてものもあります。
見れば見るほど微妙な興味ばかり出てきそうな気もしますけども、
「分かりやすさと親しみやすさ」を意識するとこうなるんでしょうね。
あと、交通安全のビデオには芸人さんが出演するのも多いです。
「おぼんこぼんの交通安全」とか「コント山田くんと竹内君の
交通安全」とか、結構出ているそうです。なんでも、こうして
交通安全の教材に出演できるようになって、初めて芸人として
一人前だという話もあるんだとか。
だとすると、数年後には「爆笑問題の交通安全」とか
「テツ&トモの『♪なんでだろ』交通安全」とか、「ネプチューンの
交通安全」なんてのも出るんでしょうねぇ。見たいなぁ。
あ、今ふと思ったけど、「ドリフの交通安全」って出てるんだろうか。
出てたらぜひ見たいなぁ。
存在価値なんてもの。
2003年1月5日 精神系のサイトに限らず、時々こういうカキコや発言を見かけます。
「私の存在価値って何なの?」
「私の生きる意味って何? 教えて?」
「アイデンティティ」の問題でもないんでしょうけど、
こう考えることは僕自身も無いわけではないです。
誰しも一度はこの疑問を持ったことがあるんじゃないだろうかって
思ってます。ただ、それを実際に何らかの形で表現することが
あるかないかということは別として。
誰しもが一度は思う疑問でありながら、明確に答えを出せるような
ものではありません。もちろん、だから今でもこのように
いつになっても提起されては消えてしまうわけなんですけども。
でも、そういう話を聞くにつけ、そもそも「そんな改めて
『存在価値』ってのを感じられないとダメなのかなぁ」って
ことも思うわけですが。逆に言うと、「生きてる意味」とかを感じて
生きている人なんてどれだけいるんだろうかなってことも思いますが。
大学時代に失恋した時、自分の存在自体を丸々全否定されて
しまったような気分になって、生きてる意味っているのかなぁとか
言っていましたし。落ち込んだ時にそう思うこともありましたけども。
本屋に行くと「あなたは生きてるだけで意味がある」なんて
帯や書名を見かけるわけです。その「生きてるだけ」って所に
価値を見いだせないわけですから。
じゃ、「生きてる価値のない人間」っていうのはどういう
人間なんだろうかなってことも考えてしまうわけです。
単純には大量殺人を起こした人とかってこととかになって
しまうんでしょう。逆に言えば、そこまでしないと「生きてる価値」ってのを
否定される所までは行き着かないのかなって思います。
「私の存在価値って何なの?」
「私の生きる意味って何? 教えて?」
「アイデンティティ」の問題でもないんでしょうけど、
こう考えることは僕自身も無いわけではないです。
誰しも一度はこの疑問を持ったことがあるんじゃないだろうかって
思ってます。ただ、それを実際に何らかの形で表現することが
あるかないかということは別として。
誰しもが一度は思う疑問でありながら、明確に答えを出せるような
ものではありません。もちろん、だから今でもこのように
いつになっても提起されては消えてしまうわけなんですけども。
でも、そういう話を聞くにつけ、そもそも「そんな改めて
『存在価値』ってのを感じられないとダメなのかなぁ」って
ことも思うわけですが。逆に言うと、「生きてる意味」とかを感じて
生きている人なんてどれだけいるんだろうかなってことも思いますが。
大学時代に失恋した時、自分の存在自体を丸々全否定されて
しまったような気分になって、生きてる意味っているのかなぁとか
言っていましたし。落ち込んだ時にそう思うこともありましたけども。
本屋に行くと「あなたは生きてるだけで意味がある」なんて
帯や書名を見かけるわけです。その「生きてるだけ」って所に
価値を見いだせないわけですから。
じゃ、「生きてる価値のない人間」っていうのはどういう
人間なんだろうかなってことも考えてしまうわけです。
単純には大量殺人を起こした人とかってこととかになって
しまうんでしょう。逆に言えば、そこまでしないと「生きてる価値」ってのを
否定される所までは行き着かないのかなって思います。
視界
2003年1月3日 この日、久々に高校の時の友達と集まって飲み会をやりました。
企画自体は12月の頃から立てていたんですけども、
直前になっていろいろとメンバーが変わったりしてるという
感じになっていたんですが、それはそれでやっていたりするわけで。
僕は就職先がたまたま通っていた高校のある街だったのですが、
他の友達は本州の大学院に通っていたり、仕事先が札幌だったり、
中には中国に留学していたという人までいて、こうして
集まることが出来るのはお盆と正月ぐらいしかないわけです。
学生の頃(院生の人もいるけど)に比べたら、みんな忙しく
なっているんだなぁと、飲み会のセッティングだけでも感じてみたり。
それで、久々に会った面々と話してみるとやっぱり楽しい。
みんなの近況を聞くにつけ、あぁ、みんな頑張ってるんだなぁって
思うわけです。就職関係の話もそうですけども、何より
感慨深かったのは高校の時の友達が結婚したという話。
高校の時はそれこそ結婚どころか恋愛にだって縁の無かった僕。
それだけに、「結婚」なんて話を聞くと周りがとても大人に
見えてきてしまったりします。まぁ、単純に「自分に出来ないこと」が
出来る人は僕よりも大人なんだなぁと思っていたりする訳なんですが。
今年、誕生日が来たら24歳になるわけですから、世間的にいう所の
「適齢期」とやらになるみたいです、あくまで世間的には、ね。
こればっかりは相手がいないと始まらないことだよねっていう話は
出ていたんですが、それでも、内心では徐々に考えは進んでいるみたいです。
まぁ、そうなんでしょうね。
それとはまた別に。
院に行ったり、留学していたりする人達はやっぱり視界が広い。
僕も一応、4年間は実家を離れていたわけだし、その時は
その時なりに視界が広かったとは思うんだけど、それでも、
北海道を離れていたり、時には日本そのものを飛び出している
人には勝てないなぁと思ってしまう。
やはり何というか、話に深みと説得力があるのは事実だと思う。
知識だけでなくて、それを実際に見て体験したことがそれだけの
説得力の背景にはあるんだろう。
話を聞きながら、大学の時にもう少し「いろいろなもの」を見たり
経験してこなかった自分がどうも卑小に見えてならなかった。
あの時はあの時で自分なりに「何か」を築き上げてきたような
そんな感じはあるものの、やっぱりね。
人生勝ち負けとかで判断したくはないけれども、将来的に
「良かったなぁ」って思えるようになるには、そういった
経験が根底にあることが条件の一つなんじゃないだろうかとも思うわけだし。
実際に社会人として働いている人達を見ながら、それはそれでまた
僕にはない何かをつかみ取っているわけだし。
一緒の席にいながら、改めて僕の4年間っていうのは
どういう意味があったんだろうかなって思い直す必要がどこかに
あるのかもしれないとも思った。
僕は普段、何も考えずに生きてるものだからねぇ。
企画自体は12月の頃から立てていたんですけども、
直前になっていろいろとメンバーが変わったりしてるという
感じになっていたんですが、それはそれでやっていたりするわけで。
僕は就職先がたまたま通っていた高校のある街だったのですが、
他の友達は本州の大学院に通っていたり、仕事先が札幌だったり、
中には中国に留学していたという人までいて、こうして
集まることが出来るのはお盆と正月ぐらいしかないわけです。
学生の頃(院生の人もいるけど)に比べたら、みんな忙しく
なっているんだなぁと、飲み会のセッティングだけでも感じてみたり。
それで、久々に会った面々と話してみるとやっぱり楽しい。
みんなの近況を聞くにつけ、あぁ、みんな頑張ってるんだなぁって
思うわけです。就職関係の話もそうですけども、何より
感慨深かったのは高校の時の友達が結婚したという話。
高校の時はそれこそ結婚どころか恋愛にだって縁の無かった僕。
それだけに、「結婚」なんて話を聞くと周りがとても大人に
見えてきてしまったりします。まぁ、単純に「自分に出来ないこと」が
出来る人は僕よりも大人なんだなぁと思っていたりする訳なんですが。
今年、誕生日が来たら24歳になるわけですから、世間的にいう所の
「適齢期」とやらになるみたいです、あくまで世間的には、ね。
こればっかりは相手がいないと始まらないことだよねっていう話は
出ていたんですが、それでも、内心では徐々に考えは進んでいるみたいです。
まぁ、そうなんでしょうね。
それとはまた別に。
院に行ったり、留学していたりする人達はやっぱり視界が広い。
僕も一応、4年間は実家を離れていたわけだし、その時は
その時なりに視界が広かったとは思うんだけど、それでも、
北海道を離れていたり、時には日本そのものを飛び出している
人には勝てないなぁと思ってしまう。
やはり何というか、話に深みと説得力があるのは事実だと思う。
知識だけでなくて、それを実際に見て体験したことがそれだけの
説得力の背景にはあるんだろう。
話を聞きながら、大学の時にもう少し「いろいろなもの」を見たり
経験してこなかった自分がどうも卑小に見えてならなかった。
あの時はあの時で自分なりに「何か」を築き上げてきたような
そんな感じはあるものの、やっぱりね。
人生勝ち負けとかで判断したくはないけれども、将来的に
「良かったなぁ」って思えるようになるには、そういった
経験が根底にあることが条件の一つなんじゃないだろうかとも思うわけだし。
実際に社会人として働いている人達を見ながら、それはそれでまた
僕にはない何かをつかみ取っているわけだし。
一緒の席にいながら、改めて僕の4年間っていうのは
どういう意味があったんだろうかなって思い直す必要がどこかに
あるのかもしれないとも思った。
僕は普段、何も考えずに生きてるものだからねぇ。
二年参り
2003年1月1日 あけましておめでとうございます。今年1年よろしくお願いします。
今年もどうでもいい内容盛りだくさんでお送りいたします。
行ってきました二年参り。
年が明ける前に、近くの神社まで行って、そのまま
待っておりましたですよ。ちょうど、埼玉のいとこが帰省してきていると
いうことだったので、一緒に出かけることになったのですが。
その日の気温はマイナス7度。数字だけでは結構寒そうな
感じではありますが、しっかりと防寒対策をしておき、
カイロまで携帯していれば意外と寒くないもの。まして、
風がないとなれば結構平気なものであります。
高台にある神社は歩いて3分ほどの近くにあるので、紅白を見終わって
からでも十分に間に合う距離。それで、紅白を見終わり、
途中友人からの「宮川泰(紅白のラスト「蛍の光」の指揮者)は
来年はもう棺桶に入ってる可能性あるから張り切ってるねぇ」という
非常に微妙なところを突いた笑いが生みそうなメールを
受け取りながら、あっという間に神社到着。早いもんだ。
一応、初詣は日付が変わってからということなので、
鳥居前でしばしの待機。いとこと一緒に振る舞いの甘酒を飲みながら
今年1年間に思いを馳せる。まぁ、いろんなことがあったなぁ、と。
何よりも就職したことが大きいよなと考え、自分の今年のほとんどの
出来事はそこから発生してるような気もする。もちろん
嫌なことやキツイこともあったけど、それはそれで良かったかななんて
ことを考えていたら、「考え事?」といとこに突っ込まれた瞬間に
持っていた甘酒の紙コップを落とすという訳の分からないことも
やっていたという、最後の最後まで締まりがない。アホくさ。
で、いよいよ新年。
振りかえると街の方がオレンジ色に光っていて、一瞬見とれてしまう
美しさ。「つかさも風景に見とれることがあるんだねぇ」と
いうようないとこの発言の中、遠くからは汽笛(霧笛?)と
花火の音。新年の幕開けにはなかなかいい感じです。
境内の中に入って、お賽銭投げて「二礼、二拍手、一礼」と
とりあえず「正式」(らしい)のお参りをしてみる。
願い事はどうせいいつもの大したこと無いことなので省略。
お参りの後、おみくじをひくことに。それと破魔矢。
意外とうちの親はその辺の縁起を担ぐもので、きとんと破魔矢は
毎年買って飾っているわけであります。
破魔矢を買って、いよいよおみくじ。お金を払って、
目の前の三方に山積み(!)になってるおみくじに手を伸ばし、
「これだっ!」とひく。前回のおみくじが「凶」だっただけに、
まさか2連続なんてことはないだろうと思いながら、ちょっと不安。
いざ、中身を見てみると運勢は「末吉」。うーん。(^^;
なんか、あんまり変わっていないような。
内容を見ると「何事も自分から行わない方が良い。
強いて行うと災いが起きます」などと、やけに物騒なことが
書いてあるわけで。災いってなぁ。
それで、以下いろいろと見ていくと何げによろしくないことが。
「待人 → 来ないでしょう」
「失物 → 出るが遅い」
「病気 → 急に病む恐れあり」
「相場 → 買うと下がる」
などと、本当に「吉」って文字が入ってるのかどうか疑問に
なってくるような内容ばかり。どうも幸先良くはなさそうです。
しかし、中でも振るってるのは恋愛運。こう書いてありました。
「恋愛 → 良い人ですが危い」
これって、どういう意味なんだろう?(^-^;
良い人ってのはいいとしても、危ないってのは一体?
いろんな意味で危険なんでしょうな。まさにいろんな意味で。
会ってみたいようなみたくないような。複雑な心境です。
そんな2003年を迎えております。今年もどうかよろしく。
今年もどうでもいい内容盛りだくさんでお送りいたします。
行ってきました二年参り。
年が明ける前に、近くの神社まで行って、そのまま
待っておりましたですよ。ちょうど、埼玉のいとこが帰省してきていると
いうことだったので、一緒に出かけることになったのですが。
その日の気温はマイナス7度。数字だけでは結構寒そうな
感じではありますが、しっかりと防寒対策をしておき、
カイロまで携帯していれば意外と寒くないもの。まして、
風がないとなれば結構平気なものであります。
高台にある神社は歩いて3分ほどの近くにあるので、紅白を見終わって
からでも十分に間に合う距離。それで、紅白を見終わり、
途中友人からの「宮川泰(紅白のラスト「蛍の光」の指揮者)は
来年はもう棺桶に入ってる可能性あるから張り切ってるねぇ」という
非常に微妙なところを突いた笑いが生みそうなメールを
受け取りながら、あっという間に神社到着。早いもんだ。
一応、初詣は日付が変わってからということなので、
鳥居前でしばしの待機。いとこと一緒に振る舞いの甘酒を飲みながら
今年1年間に思いを馳せる。まぁ、いろんなことがあったなぁ、と。
何よりも就職したことが大きいよなと考え、自分の今年のほとんどの
出来事はそこから発生してるような気もする。もちろん
嫌なことやキツイこともあったけど、それはそれで良かったかななんて
ことを考えていたら、「考え事?」といとこに突っ込まれた瞬間に
持っていた甘酒の紙コップを落とすという訳の分からないことも
やっていたという、最後の最後まで締まりがない。アホくさ。
で、いよいよ新年。
振りかえると街の方がオレンジ色に光っていて、一瞬見とれてしまう
美しさ。「つかさも風景に見とれることがあるんだねぇ」と
いうようないとこの発言の中、遠くからは汽笛(霧笛?)と
花火の音。新年の幕開けにはなかなかいい感じです。
境内の中に入って、お賽銭投げて「二礼、二拍手、一礼」と
とりあえず「正式」(らしい)のお参りをしてみる。
願い事はどうせいいつもの大したこと無いことなので省略。
お参りの後、おみくじをひくことに。それと破魔矢。
意外とうちの親はその辺の縁起を担ぐもので、きとんと破魔矢は
毎年買って飾っているわけであります。
破魔矢を買って、いよいよおみくじ。お金を払って、
目の前の三方に山積み(!)になってるおみくじに手を伸ばし、
「これだっ!」とひく。前回のおみくじが「凶」だっただけに、
まさか2連続なんてことはないだろうと思いながら、ちょっと不安。
いざ、中身を見てみると運勢は「末吉」。うーん。(^^;
なんか、あんまり変わっていないような。
内容を見ると「何事も自分から行わない方が良い。
強いて行うと災いが起きます」などと、やけに物騒なことが
書いてあるわけで。災いってなぁ。
それで、以下いろいろと見ていくと何げによろしくないことが。
「待人 → 来ないでしょう」
「失物 → 出るが遅い」
「病気 → 急に病む恐れあり」
「相場 → 買うと下がる」
などと、本当に「吉」って文字が入ってるのかどうか疑問に
なってくるような内容ばかり。どうも幸先良くはなさそうです。
しかし、中でも振るってるのは恋愛運。こう書いてありました。
「恋愛 → 良い人ですが危い」
これって、どういう意味なんだろう?(^-^;
良い人ってのはいいとしても、危ないってのは一体?
いろんな意味で危険なんでしょうな。まさにいろんな意味で。
会ってみたいようなみたくないような。複雑な心境です。
そんな2003年を迎えております。今年もどうかよろしく。
初支出。
2002年12月28日 1年生とは言いながら、なんだかんだ僕も社会人です。
行動とか実力とかそんなのはまだまだ社会人としては
足りてないところなんだろうと思いながらも、一応は
社会人生活しているわけです。
で、社会人になって迎える初めての正月。職場やお世話に
なった人達への年賀状書きとか、例年通り実家の大掃除とか
やることはかなりたくさんあります。その割には仕事納めが
30日なので、時間が結構無かったりするわけなんですが。
その辺はなんとかまったりとこなしていこうかと。
今年から、新たに加わった物もあります。
先程も書きましたけど「一応は社会人」なわけですから、
親戚の子供達にお年玉を出す側になったわけです。去年までは
貰う側の立場だったんですが、今年からは支出する側。
(去年はお年玉でなくて、「就職祝い」っていうことだったけど)
そんなわけで、子供達用のお年玉をいろいろ考えてみたり
しています。
しかし、一体どの程度出したら良いものか。親は「別に
気持ち程度でいいと思うよ」とは言うものの、その「気持ち」って
いうのが、具体的に金額にするといくらになるんだろうかと。
親戚は下は幼稚園から上は大学生と幅広いので、一応は
それぞれのレベルに合わせないといけないなぁとか考えては
いるんですが、その辺は財布との相談ってことにもなるわけで。
ただでさえ資金に乏しい状態なのに、ここでまた余計に
出費してしまうと痛いなぁとも思いますし。別に相場なんて
ありゃしないわけだけど、だからと言ってぽち袋開けて
「なーんだ」って思われるのもなんかシャクな感じもするし。
その辺のバランスって難しいのかも。
今のところ、総勢でお年玉贈呈候補ってのは7人なんですが、
友人の中には16人というとんでもない人数が出来てしまって
いる方がおりまして。その親戚達にもちゃんとお年玉を
あげるということで考えているそうです。で、その方法と
いうのが「年齢×500円」という数式で出していくというもの。
これだと、分かりやすいし、ある程度は子供達にも公平って
いうものが理解できるだろうと友人はいうのですが、どんなもんでしょうか。
今年の正月は別にどこかに旅行に出かける予定もないので、
その分の出費が回ると考えればまぁいいところなのかな。
そんなこと考えてます。
行動とか実力とかそんなのはまだまだ社会人としては
足りてないところなんだろうと思いながらも、一応は
社会人生活しているわけです。
で、社会人になって迎える初めての正月。職場やお世話に
なった人達への年賀状書きとか、例年通り実家の大掃除とか
やることはかなりたくさんあります。その割には仕事納めが
30日なので、時間が結構無かったりするわけなんですが。
その辺はなんとかまったりとこなしていこうかと。
今年から、新たに加わった物もあります。
先程も書きましたけど「一応は社会人」なわけですから、
親戚の子供達にお年玉を出す側になったわけです。去年までは
貰う側の立場だったんですが、今年からは支出する側。
(去年はお年玉でなくて、「就職祝い」っていうことだったけど)
そんなわけで、子供達用のお年玉をいろいろ考えてみたり
しています。
しかし、一体どの程度出したら良いものか。親は「別に
気持ち程度でいいと思うよ」とは言うものの、その「気持ち」って
いうのが、具体的に金額にするといくらになるんだろうかと。
親戚は下は幼稚園から上は大学生と幅広いので、一応は
それぞれのレベルに合わせないといけないなぁとか考えては
いるんですが、その辺は財布との相談ってことにもなるわけで。
ただでさえ資金に乏しい状態なのに、ここでまた余計に
出費してしまうと痛いなぁとも思いますし。別に相場なんて
ありゃしないわけだけど、だからと言ってぽち袋開けて
「なーんだ」って思われるのもなんかシャクな感じもするし。
その辺のバランスって難しいのかも。
今のところ、総勢でお年玉贈呈候補ってのは7人なんですが、
友人の中には16人というとんでもない人数が出来てしまって
いる方がおりまして。その親戚達にもちゃんとお年玉を
あげるということで考えているそうです。で、その方法と
いうのが「年齢×500円」という数式で出していくというもの。
これだと、分かりやすいし、ある程度は子供達にも公平って
いうものが理解できるだろうと友人はいうのですが、どんなもんでしょうか。
今年の正月は別にどこかに旅行に出かける予定もないので、
その分の出費が回ると考えればまぁいいところなのかな。
そんなこと考えてます。
クローン人間
2002年12月27日 28日にこの日記は書いています。28日分を先に
書いてしまったので、とりあえずこちらに退避ということで。
それでは本題に。
初のクローン人間を誕生させたというニュースがこの日ありました。
新興宗教団体「ラエリアン」の関係科学企業の研究所が
アメリカ人の女性の皮膚細胞から取ったDNAを利用して、
クローン人間の女の子を出産したそうです。
今日の新聞に「ラエリアン」の広告がでかでかと載っていたのは
そういう理由なのかぁと思ってしまいましたけど。
「クローン人間 YES!」って書いてあってなんだろーなーって
思ったもんでしたけど。そりゃ、自分の会社がやったことを
正面切って否定はしにくいよなぁって。
で、遺伝子工学的に詳しいところまではよく分からないんですが、
技術的には「全く同じDNAの人間が誕生する」っていうことみたいです。
ただ、この場合の「誕生する」ってのはあくまで「赤ちゃん」として
であって、今この瞬間に「もう一人の自分」が目の前に
現れるってことではないみたいです。
さすがに、人間をコピー機の原稿のようにスキャンして、
数分後には隣に全く同じ自分が座っている……っていうのは
実現したにしてももっと後の話でありまして。
でも、このクローン人間の話を聞いてて思うのは、
「本当に『全く同じ』人間が出来る訳じゃないんじゃないの?」って
ことなんですが。外見は確かにDNAが同じなんですから、
将来的に同じ物が出来るんだろうと思います。(それでも、
運動とか食生活とかでブレることが多いんだろうと思いますが)
それでも、中身(人格、思想、価値判断とか)は全く同じ物に
なることはないんじゃないかなぁとか思うわけですよ。
一卵性双生児で、外見はそっくりでも性格は全然違うなんて
ザラなんですから、クローン人間といえども性格までは
同じに出来ないんじゃないかなぁ、と。性格まで同じにするとしたら、
脳移植でもしないとダメだろうし。
そういや、脳移植で思い出した。
爆笑問題の「日本原論」に「和田勉とキムタクの脳を
交換したら和田勉が二人出来る」っていう話が載ってました。
外見がキムタクでも中身が和田勉だから、行動はやはり和田勉に
なるわけだし、逆の方はいかに中身がキムタクでも、
外見が和田勉だから何をしても和田勉に見られてしまって、
結局は和田勉が2人残されるというものだったのですが。
そんな感じで「完璧なクローン人間」ってのはまだ先の話なんでしょう。
倫理的な問題は当然あります。「クローン人間の技術が必要だ」と
主張するならば、その辺の説明をきっちりできるような
感じでないといけないんでしょうね。
書いてしまったので、とりあえずこちらに退避ということで。
それでは本題に。
初のクローン人間を誕生させたというニュースがこの日ありました。
新興宗教団体「ラエリアン」の関係科学企業の研究所が
アメリカ人の女性の皮膚細胞から取ったDNAを利用して、
クローン人間の女の子を出産したそうです。
今日の新聞に「ラエリアン」の広告がでかでかと載っていたのは
そういう理由なのかぁと思ってしまいましたけど。
「クローン人間 YES!」って書いてあってなんだろーなーって
思ったもんでしたけど。そりゃ、自分の会社がやったことを
正面切って否定はしにくいよなぁって。
で、遺伝子工学的に詳しいところまではよく分からないんですが、
技術的には「全く同じDNAの人間が誕生する」っていうことみたいです。
ただ、この場合の「誕生する」ってのはあくまで「赤ちゃん」として
であって、今この瞬間に「もう一人の自分」が目の前に
現れるってことではないみたいです。
さすがに、人間をコピー機の原稿のようにスキャンして、
数分後には隣に全く同じ自分が座っている……っていうのは
実現したにしてももっと後の話でありまして。
でも、このクローン人間の話を聞いてて思うのは、
「本当に『全く同じ』人間が出来る訳じゃないんじゃないの?」って
ことなんですが。外見は確かにDNAが同じなんですから、
将来的に同じ物が出来るんだろうと思います。(それでも、
運動とか食生活とかでブレることが多いんだろうと思いますが)
それでも、中身(人格、思想、価値判断とか)は全く同じ物に
なることはないんじゃないかなぁとか思うわけですよ。
一卵性双生児で、外見はそっくりでも性格は全然違うなんて
ザラなんですから、クローン人間といえども性格までは
同じに出来ないんじゃないかなぁ、と。性格まで同じにするとしたら、
脳移植でもしないとダメだろうし。
そういや、脳移植で思い出した。
爆笑問題の「日本原論」に「和田勉とキムタクの脳を
交換したら和田勉が二人出来る」っていう話が載ってました。
外見がキムタクでも中身が和田勉だから、行動はやはり和田勉に
なるわけだし、逆の方はいかに中身がキムタクでも、
外見が和田勉だから何をしても和田勉に見られてしまって、
結局は和田勉が2人残されるというものだったのですが。
そんな感じで「完璧なクローン人間」ってのはまだ先の話なんでしょう。
倫理的な問題は当然あります。「クローン人間の技術が必要だ」と
主張するならば、その辺の説明をきっちりできるような
感じでないといけないんでしょうね。
サボテンみたい。
2002年12月26日 こないだ、マフラーを新調しまして、通勤の時なんかに
きっちり巻いております。課の方曰く「マフラー巻いておけば、
全身暖かいよ」とのことだったんですが、たしかに首周りは
暖かいです。ただ、だからといって手先までは暖かくならないわけで。
むしろ手袋の方がいいんじゃないのかとか思ったりもしてますが、
聞くところによると「手袋は年寄り臭い」というご意見が
あったために、どうにも決断できずにいたりして。
でも、コートのポケットに手を入れて歩くとますます
猫背っぽくなるんだよな。元々が猫背っぽいもんだから、
背中丸めて歩くと格好悪いことこの上なし。
この日、職場の人との飲み会があったんですが、そこにも
当然のようにマフラーをしていきました。なんだかんだと、
飲んでいざ「帰りましょう」ということになった時、
職場の先輩が僕を見て一言。「水瀬くん、サボテンみたいだね」と。
サボテン? どういうことなんですかー?
なんでですか、と聞いたらマフラーの柄とか形状が
「メキシコのサボテンみたい」なんだとのこと。そんな妙な
マフラーしてるつもりは全くなかったんですが、他の人には
そう見えてしまうのか。なんだかなぁ。
きっちり巻いております。課の方曰く「マフラー巻いておけば、
全身暖かいよ」とのことだったんですが、たしかに首周りは
暖かいです。ただ、だからといって手先までは暖かくならないわけで。
むしろ手袋の方がいいんじゃないのかとか思ったりもしてますが、
聞くところによると「手袋は年寄り臭い」というご意見が
あったために、どうにも決断できずにいたりして。
でも、コートのポケットに手を入れて歩くとますます
猫背っぽくなるんだよな。元々が猫背っぽいもんだから、
背中丸めて歩くと格好悪いことこの上なし。
この日、職場の人との飲み会があったんですが、そこにも
当然のようにマフラーをしていきました。なんだかんだと、
飲んでいざ「帰りましょう」ということになった時、
職場の先輩が僕を見て一言。「水瀬くん、サボテンみたいだね」と。
サボテン? どういうことなんですかー?
なんでですか、と聞いたらマフラーの柄とか形状が
「メキシコのサボテンみたい」なんだとのこと。そんな妙な
マフラーしてるつもりは全くなかったんですが、他の人には
そう見えてしまうのか。なんだかなぁ。
ちょっと待てよ。
2002年12月25日 なんか、予想以上にここの日記が職場の人に見られている
ということをつい最近知りました。あんまり知られ過ぎると
書けるネタも限られてくるんで、その辺はどうなんだろうかって
気もする訳なんですけども。精神系のネタとか、自殺の話なんかも
前は書いていたので、さすがにそういうのは控えようかと。
(知られる前に、そういう考えが頭をよぎるのはどうかって
いう話もないわけではないんだけど)
あ、今話を書いてちょっと思い出したんですが、こないだ
鬼束ちひろとcoccoの話をここで書きましたけど、あの後
友達から電話がきまして、こんな話をしておりました。
友人:「水瀬くんって、coccoは聞いていたの?」
僕:「いや、全然。鬼束ちひろは聞くけどね」
友人:「ふーん、似たような感じしない?」
僕:「まぁ、似てるといえばそうなのかも……」
友人:「私、coccoは前から聞いてるよ。ちひろも好きだし」
僕:「それは知ってるけどさぁ」
友人:「でもさ、私、ちひろ聞いてる人って絶対リスカしてると
思ってるんだけど」
僕:「そらまた、強引な理論でまぁ……」
友人:「だってさ、私だってしてるもの。リスカ」
僕:「!!」
ちょっと待ちなさいってばさ。確かにいろいろ悩みのある時に
聞くことはあったとしても、それをもって「鬼束ちひろを聞く人は
みんな手首に刃を当てる」ってのは強引過ぎやしないかい。
僕だって、「月光」の時から聞いてるけども、さすがに
リスカやアムカには及んでいないし。(それに近い精神状態に
なったことはあるけども)「月光」や「シャイン」のような
かなり深い感じの曲はあるけどねー、だからといってそこまでは。
でも、そういう話が出るということはある意味それが
通説になってしまっているのかな。それはそれで恐ろしいような気が。
別に僕はメンヘル系の感じではないし、だからといって
それらの方々に鞭打つようなマネをしたいわけでもなんでも
ないんだけど、何か歌詞や曲から伝わってくる荒涼感というか
絶望感というかなんていうかそういう一言では表現できないような
感情が特に引きつけられるんだろうなぁとか思ったりするわけで。
リスカとかアムカとかする方々は、そこに至る前に相当な
悩みや苦しみを抱えているわけで、そこからの救いを
coccoや鬼束ちひろに求めているんだろうなって思うわけでありまして。
んー、冒頭でリスカやアムカの話はしないようにとか言いながら、
結局はしてしまったか。確かに興味ある分野の話ではあるけども、
かなりデリケートなもんだから、こういう風に書いてる事自体
非常に失礼なことかもしれないし。
ということをつい最近知りました。あんまり知られ過ぎると
書けるネタも限られてくるんで、その辺はどうなんだろうかって
気もする訳なんですけども。精神系のネタとか、自殺の話なんかも
前は書いていたので、さすがにそういうのは控えようかと。
(知られる前に、そういう考えが頭をよぎるのはどうかって
いう話もないわけではないんだけど)
あ、今話を書いてちょっと思い出したんですが、こないだ
鬼束ちひろとcoccoの話をここで書きましたけど、あの後
友達から電話がきまして、こんな話をしておりました。
友人:「水瀬くんって、coccoは聞いていたの?」
僕:「いや、全然。鬼束ちひろは聞くけどね」
友人:「ふーん、似たような感じしない?」
僕:「まぁ、似てるといえばそうなのかも……」
友人:「私、coccoは前から聞いてるよ。ちひろも好きだし」
僕:「それは知ってるけどさぁ」
友人:「でもさ、私、ちひろ聞いてる人って絶対リスカしてると
思ってるんだけど」
僕:「そらまた、強引な理論でまぁ……」
友人:「だってさ、私だってしてるもの。リスカ」
僕:「!!」
ちょっと待ちなさいってばさ。確かにいろいろ悩みのある時に
聞くことはあったとしても、それをもって「鬼束ちひろを聞く人は
みんな手首に刃を当てる」ってのは強引過ぎやしないかい。
僕だって、「月光」の時から聞いてるけども、さすがに
リスカやアムカには及んでいないし。(それに近い精神状態に
なったことはあるけども)「月光」や「シャイン」のような
かなり深い感じの曲はあるけどねー、だからといってそこまでは。
でも、そういう話が出るということはある意味それが
通説になってしまっているのかな。それはそれで恐ろしいような気が。
別に僕はメンヘル系の感じではないし、だからといって
それらの方々に鞭打つようなマネをしたいわけでもなんでも
ないんだけど、何か歌詞や曲から伝わってくる荒涼感というか
絶望感というかなんていうかそういう一言では表現できないような
感情が特に引きつけられるんだろうなぁとか思ったりするわけで。
リスカとかアムカとかする方々は、そこに至る前に相当な
悩みや苦しみを抱えているわけで、そこからの救いを
coccoや鬼束ちひろに求めているんだろうなって思うわけでありまして。
んー、冒頭でリスカやアムカの話はしないようにとか言いながら、
結局はしてしまったか。確かに興味ある分野の話ではあるけども、
かなりデリケートなもんだから、こういう風に書いてる事自体
非常に失礼なことかもしれないし。
札幌にきてます。(ライブ明け)
2002年12月23日 昨日の桑田圭佑ライブの翌日ということでまだ札幌に
居座ってます。でも、そろそろ帰るんだけどね。いろいろ
あったんだけども、まとめて書くのはまた後日ってことで。
2年連続でクリスマス近辺にライブっていい感じ。果たして
来年は実現できるかな? スカパラとかあるといいけどなー。
(ちなみに去年は中島みゆきでした)
じゃ、明日からの仕事頑張りましょう。きつー。
◇追伸
(秘密メモ、ちょっと追加してます)
居座ってます。でも、そろそろ帰るんだけどね。いろいろ
あったんだけども、まとめて書くのはまた後日ってことで。
2年連続でクリスマス近辺にライブっていい感じ。果たして
来年は実現できるかな? スカパラとかあるといいけどなー。
(ちなみに去年は中島みゆきでした)
じゃ、明日からの仕事頑張りましょう。きつー。
◇追伸
(秘密メモ、ちょっと追加してます)
桑田ライブ前日
2002年12月21日 実際この文章を書いているのは23日夜という、超遅カキコ
なんですが、22日の札幌ドームの桑田圭祐ライブに
行って参ります。まぁ、前日入りして少し余裕を持とうかと。
その前に札幌の友達の所に行ったりして、遊んでみたいし。
ちょっといろいろあるわけだしねー。
そんなわけで、詳細は帰ってきてから。めんどくさくて、
この日の日記に追加するだけかもしれないけどね。では。
なんですが、22日の札幌ドームの桑田圭祐ライブに
行って参ります。まぁ、前日入りして少し余裕を持とうかと。
その前に札幌の友達の所に行ったりして、遊んでみたいし。
ちょっといろいろあるわけだしねー。
そんなわけで、詳細は帰ってきてから。めんどくさくて、
この日の日記に追加するだけかもしれないけどね。では。
美少年課と「社長」の印
2002年12月19日 仕事やってる中で、結構書類の間違いというか「?」って
いうようなものを見つけたりすることがあります。詳しい内容は
さすがに書けませんけども。別な会社に就職した友人の話では
こんなものがあったそうです。
会社のボランティアグループが署名を集めた日のこと、
その集計にあたっていた人が妙なものを見つけました。
署名には印鑑が必要だったのですが、その人の名前とは
明らかに違う印鑑が押してありました。よーく見てみると、
印鑑には「社長」の二文字。なぜ「社長」なんて文字の印が
押してあったのか、よく分からないのですが、その辺一帯が
微妙な笑いに包まれたという報告がありました。
別な時のこと。
「虚礼廃止」とは言いながら、やはり新年の挨拶ということで、
職場の人や同期、またお世話になった人に年賀状を書こうと思い、
本庁の知り合いの方の所に行きました。
そこで、快く名簿を見せていただいた、と、そこまではよかったのですが。
よーく隣の課の人の所属を見てみるとそこにまた見慣れない文字が。
……「美少年課」ってなによ。
本当はその人の所属は「青少年課」ってことなのですが、
何をどう間違ったのか「美少年課」。いやー、強烈でしたわ。
個人的にはどうしてそう打ち込むに至ったのかという
経緯の方がきになるわけなんですが。
いうようなものを見つけたりすることがあります。詳しい内容は
さすがに書けませんけども。別な会社に就職した友人の話では
こんなものがあったそうです。
会社のボランティアグループが署名を集めた日のこと、
その集計にあたっていた人が妙なものを見つけました。
署名には印鑑が必要だったのですが、その人の名前とは
明らかに違う印鑑が押してありました。よーく見てみると、
印鑑には「社長」の二文字。なぜ「社長」なんて文字の印が
押してあったのか、よく分からないのですが、その辺一帯が
微妙な笑いに包まれたという報告がありました。
別な時のこと。
「虚礼廃止」とは言いながら、やはり新年の挨拶ということで、
職場の人や同期、またお世話になった人に年賀状を書こうと思い、
本庁の知り合いの方の所に行きました。
そこで、快く名簿を見せていただいた、と、そこまではよかったのですが。
よーく隣の課の人の所属を見てみるとそこにまた見慣れない文字が。
……「美少年課」ってなによ。
本当はその人の所属は「青少年課」ってことなのですが、
何をどう間違ったのか「美少年課」。いやー、強烈でしたわ。
個人的にはどうしてそう打ち込むに至ったのかという
経緯の方がきになるわけなんですが。
ボウリングとその他仕事。
2002年12月17日 職場の第2回ボーリング大会が今日ありました。
2ゲームやって、スコアは97と161。アホじゃないか。
果たしてどっちが実力なんだろうか。なんでこんな血圧みたいな
スコア出してるんだろう。変だよなぁ。
しかも、その後ゲーセンでぼーっと部の先輩のゲームを見てたり
ドラムやっていたりしたら、偶然にも同期に会ってまたもや
ボーリングしてる自分ってなんなんだろうかとか思って
しまったりするし。ダルダルな気分でやったので、もちろん
スコアはよい訳なく。今ひとつだなぁ。
その他、今日はずっとうちの職場のホムペをいじくっていました。
どういうわけか成り行きでアップロードを僕の所にあるパソコンで
やることになったので、いろいろと集まってくるのです。
別に他の人のパソコンでも出来そうな感じがあるんですけども、
聞いてみるとネットワークが別系統なのでダメなんだとか。
むー、そういうものなんですね。
そんなわけで、今日導入になった「STARSUITE」なる
ソフトを使って少しずつ仕事。と、いうかワードでホムペって
作れるんですね。初めて知った。でも、さすがにそれを
そのままアップは出来ないんじゃないかなぁ。ソース見たけど、
同じ内容なのにあの違いが生じるってのはどうなんだろう。
でも、同期に聞いたところ、「使っちゃいけないタグ」ってのに
かなりひっかかってるそうで、また作り替えないといけないなと
思っていたりするわけで。早いところ完成させてしまって、
ケリをつけてしまいたいんだけども。うーん、ちょっとは
頑張らないといけないな。年内には終わらせよう。
2ゲームやって、スコアは97と161。アホじゃないか。
果たしてどっちが実力なんだろうか。なんでこんな血圧みたいな
スコア出してるんだろう。変だよなぁ。
しかも、その後ゲーセンでぼーっと部の先輩のゲームを見てたり
ドラムやっていたりしたら、偶然にも同期に会ってまたもや
ボーリングしてる自分ってなんなんだろうかとか思って
しまったりするし。ダルダルな気分でやったので、もちろん
スコアはよい訳なく。今ひとつだなぁ。
その他、今日はずっとうちの職場のホムペをいじくっていました。
どういうわけか成り行きでアップロードを僕の所にあるパソコンで
やることになったので、いろいろと集まってくるのです。
別に他の人のパソコンでも出来そうな感じがあるんですけども、
聞いてみるとネットワークが別系統なのでダメなんだとか。
むー、そういうものなんですね。
そんなわけで、今日導入になった「STARSUITE」なる
ソフトを使って少しずつ仕事。と、いうかワードでホムペって
作れるんですね。初めて知った。でも、さすがにそれを
そのままアップは出来ないんじゃないかなぁ。ソース見たけど、
同じ内容なのにあの違いが生じるってのはどうなんだろう。
でも、同期に聞いたところ、「使っちゃいけないタグ」ってのに
かなりひっかかってるそうで、また作り替えないといけないなと
思っていたりするわけで。早いところ完成させてしまって、
ケリをつけてしまいたいんだけども。うーん、ちょっとは
頑張らないといけないな。年内には終わらせよう。
考え方一つ。
2002年12月16日 ついこの間、臨時国会が閉会。報道では「フヌケ国会」なんて
言われながらも、それなりに法案は出来たようだったみたい。
前半は総理訪朝、後半は民主党党首選挙などが話題をかっさらって
いったものだから余計にそう見えるのかもしれないし。
自公保連立政権が良くないって話は前からウンザリするほど
聞かされた。一向に景気が良くならないので、今回は亀井静香さんが
総理に面と向かって退陣要求とかそういうところまで行ってるみたい。
本来ならそういう「内閣VS与党」って構図の中に上手く取り入って
自分たちの影響力を強化していくはずの野党の側はもっとダメで、
民主党は自分のことで精一杯だし、自由党は小沢さんが出てきて
鳩山さんの息の根を止めてしまった。社民党と共産党は
相変わらず何をやってるんだかさっぱり分からない。
社民&共産で唯一分かるのは「正論」らしきものを大声で
ヒステリックに叫ぶところだけ。「正論」なのさ、確かに。
それが実現できればどれだけ良いだろうか、って僕も思うし。
(本当に理論通り、目的を完璧に現実化できるなら、
社会主義だってそんなに悪くないシステムだったろうとさえ思う。
なんだかんだ言って「落ちこぼれ」の出ない国造りは素晴らしい。
ただ、これには「現実はそう甘くない」って但し書きが付くわけで)
だから、小泉政権が出来た時に、「威勢のいいことばかり
言って、実際は何もできないんじゃないの?」って言っていたのが
この2党だったわけで。
今回の国会関係のニュースを見てて思っていたんだけど、
今国会は例年にないくらい委員会の出席率が悪かったようで、
まるで「国会崩壊」みたいな状態だったんだとか。それは
与野党関係なく「それぞれの事情」とやらで休んでいたそうな。
さすがにあの光景はやる気なくすよねぇ。がらんとした
委員会室の中に、数人の議員がいて、女性議員さんが
何か大声で叫んでいる。嫌な光景だよね。
森総理の時代、何かというと揚げ足を取って叩きまくっていた
ある議員さんは総理の発言の中にあった「無党派層は寝ていて欲しい」と
いうのがとにかく気に入らなかったらしい。「こんなことを言う
のは民主主義への冒涜だ!」って怒ってた(振り)をしていたのを
今でもよく覚えている。ただ、その議員さんは今回大手を振って
委員会を欠席したみたい。理由は「あんな委員会に出ても意味無い」と
いうことだった。……アンタ、フヌケ大学生じゃないんだから。
悲しいことに教育関係の委員会所属らしいんだよなぁ。
一時期は何か不満があると代表質問だろうと委員会だろうと
「審議拒否」をするのが大流行だった。なんだかそういうことが
まるで「格好いいこと」っていうような向きさえあった。
その時僕は大学生だったけど、小学校とかで子供達がマネしないか
正直言って心配だった。今の子供は抜け目ないし、頭もそこそこ
良いからそのくらいは考えるだろう。中学・高校ならなおさらだ。
「嫌なことがあったら、バックれる」っていうのを率先して
実行してる大人が偉そうなこと言っても、そりゃ効果はないよね。
「欠席・白票」ってのが政治的メッセージの一つであると
いうことは十分に承知してる。そういう行動は時に下手な言葉より
ずっと重要な意味を持ってくる。
ただ、「国民が政治をチェック・制御していく」のが
民主主義っていうことになってるし、前述の議員さんは
おそらくその点を信じていたから総理を批判したんだろう。
それならば、何が何でも代表質問や委員会に出席して
与党に対し意見をぶつけなきゃいけない。でも、その議員さんは
それを放棄していた。
民主主義の基本は「多数決」だし、数の論理とかなんとか
言っていても、その点で民主主義のルールからは一歩も脱線していない。
だから、数の論理と何と言われようと「賛成多数」で可決した
法案には民主主義の手続き上何の問題もない。それが不満だからと言って、
気軽にホイホイ休まれちゃ、自分たちこそ「民主主義を冒涜している」
ということになってしまう。そりゃもっとタチが悪い。
外では禁煙を勧めておきながら、家でプカプカタバコを
ふかしてるインチキ禁煙活動家と一緒になってしまう。
そんなニュースを見ながら、改めて「言行不一致」と
いう言葉の意味を考えるのでした。おしまい。
言われながらも、それなりに法案は出来たようだったみたい。
前半は総理訪朝、後半は民主党党首選挙などが話題をかっさらって
いったものだから余計にそう見えるのかもしれないし。
自公保連立政権が良くないって話は前からウンザリするほど
聞かされた。一向に景気が良くならないので、今回は亀井静香さんが
総理に面と向かって退陣要求とかそういうところまで行ってるみたい。
本来ならそういう「内閣VS与党」って構図の中に上手く取り入って
自分たちの影響力を強化していくはずの野党の側はもっとダメで、
民主党は自分のことで精一杯だし、自由党は小沢さんが出てきて
鳩山さんの息の根を止めてしまった。社民党と共産党は
相変わらず何をやってるんだかさっぱり分からない。
社民&共産で唯一分かるのは「正論」らしきものを大声で
ヒステリックに叫ぶところだけ。「正論」なのさ、確かに。
それが実現できればどれだけ良いだろうか、って僕も思うし。
(本当に理論通り、目的を完璧に現実化できるなら、
社会主義だってそんなに悪くないシステムだったろうとさえ思う。
なんだかんだ言って「落ちこぼれ」の出ない国造りは素晴らしい。
ただ、これには「現実はそう甘くない」って但し書きが付くわけで)
だから、小泉政権が出来た時に、「威勢のいいことばかり
言って、実際は何もできないんじゃないの?」って言っていたのが
この2党だったわけで。
今回の国会関係のニュースを見てて思っていたんだけど、
今国会は例年にないくらい委員会の出席率が悪かったようで、
まるで「国会崩壊」みたいな状態だったんだとか。それは
与野党関係なく「それぞれの事情」とやらで休んでいたそうな。
さすがにあの光景はやる気なくすよねぇ。がらんとした
委員会室の中に、数人の議員がいて、女性議員さんが
何か大声で叫んでいる。嫌な光景だよね。
森総理の時代、何かというと揚げ足を取って叩きまくっていた
ある議員さんは総理の発言の中にあった「無党派層は寝ていて欲しい」と
いうのがとにかく気に入らなかったらしい。「こんなことを言う
のは民主主義への冒涜だ!」って怒ってた(振り)をしていたのを
今でもよく覚えている。ただ、その議員さんは今回大手を振って
委員会を欠席したみたい。理由は「あんな委員会に出ても意味無い」と
いうことだった。……アンタ、フヌケ大学生じゃないんだから。
悲しいことに教育関係の委員会所属らしいんだよなぁ。
一時期は何か不満があると代表質問だろうと委員会だろうと
「審議拒否」をするのが大流行だった。なんだかそういうことが
まるで「格好いいこと」っていうような向きさえあった。
その時僕は大学生だったけど、小学校とかで子供達がマネしないか
正直言って心配だった。今の子供は抜け目ないし、頭もそこそこ
良いからそのくらいは考えるだろう。中学・高校ならなおさらだ。
「嫌なことがあったら、バックれる」っていうのを率先して
実行してる大人が偉そうなこと言っても、そりゃ効果はないよね。
「欠席・白票」ってのが政治的メッセージの一つであると
いうことは十分に承知してる。そういう行動は時に下手な言葉より
ずっと重要な意味を持ってくる。
ただ、「国民が政治をチェック・制御していく」のが
民主主義っていうことになってるし、前述の議員さんは
おそらくその点を信じていたから総理を批判したんだろう。
それならば、何が何でも代表質問や委員会に出席して
与党に対し意見をぶつけなきゃいけない。でも、その議員さんは
それを放棄していた。
民主主義の基本は「多数決」だし、数の論理とかなんとか
言っていても、その点で民主主義のルールからは一歩も脱線していない。
だから、数の論理と何と言われようと「賛成多数」で可決した
法案には民主主義の手続き上何の問題もない。それが不満だからと言って、
気軽にホイホイ休まれちゃ、自分たちこそ「民主主義を冒涜している」
ということになってしまう。そりゃもっとタチが悪い。
外では禁煙を勧めておきながら、家でプカプカタバコを
ふかしてるインチキ禁煙活動家と一緒になってしまう。
そんなニュースを見ながら、改めて「言行不一致」と
いう言葉の意味を考えるのでした。おしまい。
鬼束ちひろが派手になったと思うそんな日曜日。
2002年12月15日今日は昨日に引き続き、休日出勤で他部署の応援に出てました。
まぁ、手当も出る(らしい)のでいいんですけども、
やはり「休んだ気がしない」(休んでないから当然なんですけど)
のはどうも損した気分だなぁ、と。
では、タイトル関連のお話を。
アルバム「sugar high」のジャケットを見ながら、
なんとなくそんなことを考えてみたり。もう一つのポスターは
今までの「鬼束ちひろ」像がしっかり出ているだけに、
おや、と思ったんだけど。別に派手になること自体は文句無くて
ただ単純にイメージ変わったなぁって。
「infection」とか「流星群」からしばらくCDを聞いて
いなかったんだけど、今度のアルバムからまた聞いてみようかな。
前に職場の人と飲んだ時にも「鬼束ちひろをよく聞くんですよ」って
話をしたら、「じゃ、coccoとか椎名林檎とかも?」って
質問されました。別に自分ではそんなに聞いてる訳じゃないんで
やんわりと否定したらなんか妙に不思議そうな表情をしてました。
その人が言うには「いや、鬼束ちひろを聞くならきっとcoccoも
聞いてると思ってね」とのこと。世間的にはそう見えるのでしょうか。
確かにこの2人は共通して聞く人も多いわけなんですけど。
その人がさらに言うには「鬼束ちひろを聞いて、もっと進んだ人が
coccoを聞くもんだと思っていた」ってイメージがあるそうです。
「進む」って一体何がどう進むのかよう分かりませんが、
「coccoが元リストカッターだった」っていうところから、
そういうイメージがついて回るんでしょうね。
僕自身はcoccoの曲は、友達が歌っていたのを聞いた1回だけ
だったんですが、なんだかやたらと恐かった覚えがあります。
なんていうか、最後に殺されてしまうような内容だったのは
覚えてるんですが。曲のラストでカウントダウンされるってのを
強烈に覚えてるんですよ。それ以外の時は聞いたこと無いな。
今度CDでも焼いてもらって聞いてみようかなとか思いながらも、
果たして身近でcoccoを聞いてる人を捜すのが大変かも。
人によってはひた隠しにするから。別に誰の音楽を聞こうと
構わないとは思うんだけど、気にしてる人はいるようだし。
ただ、友人曰く「cocco聞いてる人はすぐ分かる」との
ことなんだけど、まさかみんながみんなリスカしてるって
わけでもあるまい。それにそんな失礼な見分け方あるもんか。
雰囲気で分かるってことなのかなぁ。分かんないけど。
鬼束ちひろの話をしていたはずなのに、後半はずっと
coccoの話ばかり。久々に書いたのに相変わらず脱線しまくり。
まぁ、手当も出る(らしい)のでいいんですけども、
やはり「休んだ気がしない」(休んでないから当然なんですけど)
のはどうも損した気分だなぁ、と。
では、タイトル関連のお話を。
アルバム「sugar high」のジャケットを見ながら、
なんとなくそんなことを考えてみたり。もう一つのポスターは
今までの「鬼束ちひろ」像がしっかり出ているだけに、
おや、と思ったんだけど。別に派手になること自体は文句無くて
ただ単純にイメージ変わったなぁって。
「infection」とか「流星群」からしばらくCDを聞いて
いなかったんだけど、今度のアルバムからまた聞いてみようかな。
前に職場の人と飲んだ時にも「鬼束ちひろをよく聞くんですよ」って
話をしたら、「じゃ、coccoとか椎名林檎とかも?」って
質問されました。別に自分ではそんなに聞いてる訳じゃないんで
やんわりと否定したらなんか妙に不思議そうな表情をしてました。
その人が言うには「いや、鬼束ちひろを聞くならきっとcoccoも
聞いてると思ってね」とのこと。世間的にはそう見えるのでしょうか。
確かにこの2人は共通して聞く人も多いわけなんですけど。
その人がさらに言うには「鬼束ちひろを聞いて、もっと進んだ人が
coccoを聞くもんだと思っていた」ってイメージがあるそうです。
「進む」って一体何がどう進むのかよう分かりませんが、
「coccoが元リストカッターだった」っていうところから、
そういうイメージがついて回るんでしょうね。
僕自身はcoccoの曲は、友達が歌っていたのを聞いた1回だけ
だったんですが、なんだかやたらと恐かった覚えがあります。
なんていうか、最後に殺されてしまうような内容だったのは
覚えてるんですが。曲のラストでカウントダウンされるってのを
強烈に覚えてるんですよ。それ以外の時は聞いたこと無いな。
今度CDでも焼いてもらって聞いてみようかなとか思いながらも、
果たして身近でcoccoを聞いてる人を捜すのが大変かも。
人によってはひた隠しにするから。別に誰の音楽を聞こうと
構わないとは思うんだけど、気にしてる人はいるようだし。
ただ、友人曰く「cocco聞いてる人はすぐ分かる」との
ことなんだけど、まさかみんながみんなリスカしてるって
わけでもあるまい。それにそんな失礼な見分け方あるもんか。
雰囲気で分かるってことなのかなぁ。分かんないけど。
鬼束ちひろの話をしていたはずなのに、後半はずっと
coccoの話ばかり。久々に書いたのに相変わらず脱線しまくり。