このシリーズの本をご存じでしょうか?
 作者は小泉吉宏さん。もう10年も続いてるシリーズの本です。
たくさんの悩みや心の問題を、ブッタとシッタカブッタ、
およびたくさんの「ブタ」達で丁寧に、しかも面白く
解説している本です。ひょっとして、表紙くらいはご覧になったことが
あるかもしれません。基本は4コママンガなんですけども、
その4コマの中になぜか「う〜ん」と考えさせられるものが
多く詰め込まれています。幸せや不幸せや悩みの正体や、
物の見方そのものが。

 今回買ったのは、現在出ている中では最新刊の「ブタのいどころ」
なんですが、それを読んでいてちょっと心にグサリと来たのが
いろいろとありました。それはこういうことを言っていました。

 シ(シッタカブッタ):「哲学の本をいっぱい読みましたよ」
 シ:「愛や人生についての本もいっぱいいっぱい読みました」
 ブ(ブッタ):「それなのに、悩みに振り回されていると……」
 シ:「はい……」
 ブ:「知識をちゃんと知恵に生まれ変わらせたかい?」
 シ:「……(どうなんだろう?)」

 本を読んで、知識を得て、「それが何か」ということについては
それなりの「情報」はあるはずなのに、どうもそれが上手く
ストンと落ちてこない……。これはどういうことなんだろうか。
それは、知識が知識のままでいて、きちんと知恵になっていないからだと
いうわけなんです。うーん、知恵。言われてみれば確かにその通り。
自分の中にストンと納得できて身について、初めて意味のある
ものになるんだろうけど……。僕自身はまだまだそれが
出来ていないんだな。でも、どうやって? どうやったら、
知識を知恵に出来るんだろう?

 ただ、この本にはこんなことも書いてあるわけで。

・「どうやったらなれる?」と言っているブタは、結局何もやらない。

 あらららら、やっぱり根本から考え方を変えなきゃダメみたい。
 ここまで日記が更新されていなかったのはまぁ、いろいろ
あるんですけども、結局の所、更新する暇も気力もなくて、
家に帰ると途端にバタンと寝てしまって、ろくに更新出来るような
ものではなかったんです。決算見込の時期や、来年学校に入学
してくる子供達の準備があったりと仕事が重なったのも
あるんでしょうけど、一番大きかったのは僕の体力不足って
ことなんでしょうね。体を鍛えないとダメかなぁ。

 そんな話はさておいて。
 この日、大学の学祭に顔を出してきました。ちょうど、
札幌に行く用事があったもので、その道すがらちょっとばかり
寄ってみようじゃないかということになりまして。
 毎年、僕がいたサークルは学祭に出店を出していました。
今までの日記の中にもそのことについて書いたことがあります。
大学4年間の間、ちゃんと(と、言えるかどうかは別として)
出店の手伝いをしていました。焼きそばの店(4年生の時は
チャーハン店に変更)でしたので、調理に始まり、営業から
店の設営から後かたづけまで何でもやってました……というか、
人数がそんなにいなかったので、下級生だろうと上級生だろうと
フル回転で動かないと店が運営できなかったということでも
あるんですけども。

 その日の午後、大学に行ってみました。
 地下鉄駅から上がって、校内に入ると途端に香ってくる
ごま油の匂い。これはうちのサークルじゃなくて1階にある他の所が
やっているんですが、正面玄関前にあって、何かと通る時には
この匂いがするものですから、ある意味「学祭の匂い」と
思っているのでしょう。

 階段を上がり、うちのサークルが出している店に。
「ひょっとして、今年は出していないんじゃないかな……」なんて
不安もあったんですけども、そんな心配は的中することなく、
今年もまた同じ所に店はありました。
 少し、店のレイアウトが変わっていましたが、その辺は
時代の流れなんでしょう。歴代の店長が考えることですから。
おもむろに、手みやげに持ってきた焼豚を渡しながらご挨拶。
最初に応対してくれた一年生は当然の事ながら、いきなり
やってきて焼豚を渡して「お世話になっております」なんて言う奴
知らねぇよって話になっていたんですが、今年店長をやっていた
4年生の後輩がようやく僕のことに気付いて「水瀬さん、
来てたんですねー」と言ってくれて、とりあえず「よく分からない人」から
「よく分からない先輩」に昇格。(1・2年生にとって、
最後まで「よく分からない」って言葉は変わらなかったそうですが)
 今年もうちのサークルはチャーハン専門店を出店。
売り出す物を変えてから3年目。そろそろノウハウとかも
定着してくることだろうから、この辺からが店長の独自性が
出て来るんだろうなぁと明らかに「現場人間」ではない発言も。
サークルにいた当時は結構「現場人間」していたんだけど、
やっぱり大学を離れるとそんなもんなんだろうね。

 大学を卒業したのはかれこれ1年半前のこと。
 もう結構前のような気もするけど、実際にはほんの1年半前のこと。
その間に就職をし、初めての給料やボーナスをもらい、異動もしたし、
仕事を通じていろんな人と知り合った。当然のことながら、
そういう意味では「変わっている自分」を理解しては
いるんだけども、こうやってサークルに顔を出しに来ると
いうことは、やはりどこかに「変わらないでいて欲しい」って
思うような心理があるからなんだろうね。自分が一番楽しかった
時代の面影の場所に触れたいからってことなんだと。

 後輩達にしてみれば、僕が「変わらないでいて欲しい」と願う
場所に自分達は「今、生きている」わけで、その世界が
本当に変わることなく続くってことなんてあり得ないし、
変化しないことを押しつけられることそれ自体が迷惑千万なんだろう。
 でも、実際にあの場にいるとそんなことを考えてしまうわけ。
そうやって、前々に自分の「居場所」を求めて行ってしまうのは
今現在自分がいる所に「居場所」を構築できていないせいなんだから。
まだ自分自身のことも十分に確立できてやしないのにな。
「自分探し」とか「自分の居場所探し」なんてもう20年くらい
前の話じゃないんだろうかなぁ。

風邪ひくと大変

2003年10月1日
 週明けから風邪ひいてダウンしていました。
 日記もそれに合わせて更新できない状態。職場も決算見込みを
出す関係や、来年度の新入生についての仕事や何かに加え、
毎月初めの定型的な仕事も入って、なかなか厳しい状態です。
仕事があるのはいいことだけど、この大事な時に風邪ひいて
ダウンするのはどうかなぁと思うわけなんでして。

 最近どうも体の調子が悪いんだよなぁとか思ってたら、
急に熱が出て動けなくなってしまうし。咳だの鼻水だのって
話ならまだなんとかなるけど、熱だけはどうにもならないしな。

 今日現在では治っているんですけども、体力自体はまだ完全に
回復していないみたいで、家に帰るとベッドにバタンと倒れて
動けなくなってしまうんです。早く寝られるのはまだ
健康ということなのかな。

地震だぁ!

2003年9月26日
 未明に起きた大地震。
 時間は朝の4時50分頃。とりあえず、今はこれだけ
書いておきます。メモ程度にね。タンク火災だの、学校からの
問い合わせだので、なかなかとんでもない日。
 こりゃぁ書かなきゃいけないだろうと言いながらも、
まだ全然書いてないのだ。そんなわけで、この日の日記は
後日更新予定。上書きしますわ。
 飛び石連休も明けて、今日が仕事の仕切直しの日。
いつものように職場に出ると、同じ課の人がお土産のお菓子を
配ってました。美味しそうな小さな和菓子。
「連休中、どこか出かけてたんですか?」と聞くと、
「月曜日に休みもらって、京都に行ってたの」とのこと。

 京都なんて修学旅行の時ぐらいしか行ったことがない
僕にとっては京都は半ば憧れの地。ちょうど修学旅行で
行った時も、なんだかよく分からない雰囲気に圧倒された
覚えがありまして。あと、9月なのにやたらと蒸し暑かったのも。
バスガイドさんに「半袖で寒くないんですか?」と言われた時も、
逆に「長袖で暑くありませんか?」って返答していたし。

 職場の人曰く、京都は「一人で見た方が楽しい町」とのこと。
それは何故なんだろうと聞いてみたところ、神社やお寺を
見て回るのが好きな人はそうそういるものではなく、
しかも「神社やお寺の好み」なんてものもあるそうで、
結局は一人で見に行った方がいいんじゃないだろうかと。
うーん、なんだか分かるような分からないような。

 今年の夏、実は京都に行く計画を立てていました。
それで、それ用に休みも取ったんですがちょうどボウリングの大会が
入ってしまったために急遽中止に。なんだかとっても
勿体ない気分になってしまいまして。
 日頃鬱屈してるものですから、ちょっとでも気分転換に
なるようにと旅行したいなぁと思っています。
 京都と大阪はぜひもう一度行ってみたいなぁ。花月やbaseに行って
生「だいたひかる」を見に行くのも悪くないとおもったりして。
(結局それかいということもあるけどさ)
 今日の読売新聞一面のコラムにちょっと面白い言葉がありました。

 「午後三時の人は使わない。昼前の人を使う」

 この言葉は大正・昭和の政治家後藤新平のものだそうです。
人材登用にあたって、老練のいわゆる大物政治家を用いるのではなく、
前途ある有能な若手を用いる時に言ったとのこと。
 今回の自民党の総裁選から続く内閣改造でも、この言葉が
頭をかすめたのか、政治の世界では「若手」と呼ばれる年代の人々が
次々と登用されていきました。政治的な思惑や宣伝効果も
考えていたのかもしれませんけども、事実としてはこうなりました。

 政治家の世界でベテランの人達が「午後三時」と例えられるなら、
僕らは果たして「何時の人」なんでしょう。まだ社会に出て
1,2年という位置づけというのは一日で言えば何時なのか。
朝目を覚ます6時半頃なのか、職場に入る8時頃か、
仕事が始まってしばらく経った10時頃か。
 ただ、こういうのは現実の生活年齢というよりは、
本人の意欲とか生き方みたいなのに表されるような精神年齢めいたものが
大きく影響しています。同じ年齢の人であっても、人それぞれによって
時計が指し示す所は違うのかもしれません。さらに、
生き方次第では時計の針を巻き戻すことも出来るのかもしれないし。

 自分にはまだまだ出来ることがある、やりたいことがあると
意気揚々と生活している人は、時計の針は遅く進んでいて、
残り時間が豊富にあるのでしょうけど、逆に毎日を暗く
落ち込んでしまいながら生活していると、どうしても時計の針は
早く進んでしまっているようです。出来るなら、前者の方で
生きていきたいという考えの方がおそらくは多いのでしょう。
僕も、自分の時計の針はまだ午前中であればいいなぁと
思っているんですが。可能性を捨てずに生きてたいですね、いろいろと。

違って見える風景

2003年9月22日
 最近、天気がとても良いです。
 まさに抜けるような雲一つ無い晴天。見ていて本当に気分がいいです。
今年の夏は雨か霧の毎日だったので、ここぞとばかりに
晴れてくれるのはなんともいい気持ちです。さすがに
9月も下旬ですから、朝夕ちょっと肌寒くなってきているのは
仕方がないんですけども、昼はちょうどいいくらいで、
昼休みにちょっとコンビニに買い物がてら散歩するのには
いい日和だったりします。散歩ってのがいかにも年寄りっぽい
気がしないでもないですけども、仕事の気分転換のためってことで。

 職場はちょっとした高台にあり、しかも4階建てなので
上まで登ると結構な高さになります。それで、4階にある
会議室からちょっと窓の外を見ると、真っ青な空と町の風景。
いつも見慣れたはずの風景なんですけども、最近はこの天気のせいなのか
とても綺麗に見えるんですよ。見てるのはただ、今まで自分が
住んでいた町。なんの変わり映えもない、いつもの町並みなんです。
それが、不思議なことにすごく綺麗に見えるんです。

 ひょっとしたら、元々風景が良い町に住んでいたなんて
実に都合の良い解釈の仕方も無いわけじゃないんですけどもね。
港と工場の風景も、湾の反対側に見える渡島や駒ヶ岳の風景も
ビックリするくらい綺麗に見えました。こういう風景は
去年も見ているはずなのに、今年は改めてこういう風に
感じるっていうのには何か理由があるのかなぁ。ただ単純に、
去年も同じように感動しているんだけども、僕が覚えていない
だけっていうことは十二分にありえることでありまして。

変わってないね

2003年9月21日
 眼鏡がどうにも調子が悪かったので、店にちょっと
修理をしてもらおうと思って立ち寄った帰りの出来事です。

 小中とよく遊んでいた友達の家のお母さんに偶然にも会いました。
一目見た時に「あー、つかさちゃんかい?」と第一声。
お互い顔はよく知っているだけに、すぐに分かったんですが、
あちらさんの言葉がまぁ「それにしても変わらないねぇ、
小学生の時からそのまんまだよ」ってなもので。それを言われると
少々イタイ。確かに髪型も変えてないし、眼鏡も多少モデルチェンジ
したぐらいで変えてないし、髪も染めちゃいない。あの頃と比べて
背格好も大して変わっていないし。ただ少しだけ体重は増えましたが。
 はてさて、こういった場合「若いねぇ」と解釈した方がいいのか、
「小さい時は老けていたね」と解釈した方がいいのか、疑問であります。

 こういった意味で変わっていないっていうのは実際には
いいことなんでしょうか。なにがしかは自分の中で少しは
変わっているんでしょうけど、それが表に出ていないというのは。
「万物は流転する」とか「男子三日会わざれば刮目して見るべし」と
昔の偉い人は言っておりましたけど、そういう意味じゃ僕は
この法則には当てはまってないんでしょうかね。

 このお母さんがいうにはその友達は近く結婚するとのこと。
「つかさくんにもそういう相手はいないのかい?」という
ありがたいお言葉もいただいているんですが、まぁなんというか。
でも、24歳ったら結婚しても、そろそろおかしくない年齢では
ありますよね。別に「早すぎる!」なんて目くじら立てることも
ないわけだし。そう考えると、そういう「次の段階」に
進んでいけない僕はやっぱいろんな意味で取り残されているのかなと
思ったりするわけで。

 そういった意味では「変わっていないね」というのは、
「お前、いつまでも小さい頃のままでいてはダメだよ」という
激励の言葉なのかもしれません。もうちょっと、前向きに
変わっていかなきゃ生きていけないよ、との。
やっぱり僕としても取り残されてるのはなんとなく嫌なのでね。
ただ、こういった考え方が「変わらない自分が嫌だ」ではなくて、
「取り残されるのが嫌だ」という心理から生まれてきているものだって
いうのがどうにもまた自己嫌悪の元になってしまうんですが。

 ま、なんとか生きていきましょう、なんとか。
 死ぬのなんて、その気になったらすぐにでも出来るんだから。
生きてるうちに何か、ほんの少しでも「水瀬は変わったなぁ」と
言わせるようなことを、ぜひやらねば。
 毒舌暴走自転車なんて異名を持つ「だいたひかる」さん。
フリーの人かと思っていたら、吉本所属の方なんですね。
 こういう毒舌独白系のコントって好きなんですよ。
長井秀和もそうですし、ユリオカ超特Qも。だいたい
この3人がテレビに出る時は見ています。

 この毒舌系のネタは何より鋭い一撃があるのが何より
好きなんですよ。「エンタの神様」は日テレ系列ですけども、
日テレの番組に対しても容赦ありません。「おもいっきりテレビは
何を思い切っているのか、分からない」とか、「視聴率ランキングを
やっている『TVおじゃマンボウ』が、ランキングに入っていない」とか
なかなか強烈。
 印象的だったのが、なぜかボディビルダーに関するネタ。
本人がどこまで本気なのかネタなのかは分かりませんが、
「私だけ? ボディビルダーがみんなバカに見える」
「ボディビルダーは、努力をして、嫌われている」
というネタを出しています。
 なんというか、そのー、見事ですね。なまくら刀で斬られるよりも、
よく斬れる刀で斬られた方が痛みは少ないという話がありますが、
これはそういった感じのものでしょう。
 そしてこれまたどうでもいいことなんですが、一目見た時に
「かわいい人だなぁ」と思ったわけですよ。さすがに
お笑いの人を見て「かわいいなぁ」なんて思ったことは
今まで一度も無かったんですが。これからも、楽しみです、はい。

 また、この時は「悲しいときー!」でおなじみの「いつもここから」も
出ていたんですが、新ネタの「かわいいね」というので
出ていました。お父さんと息子が道行く人を観察しながら
「かわいいね」と言いまくるんですが……これもまた毒舌なんですねぇ。
秋葉原のネタはまたなんというかダメージ大きすぎ。
確かに、ブツブツ言って、紙袋持ってる人はよく秋葉原で
電車下りますけどね、ええ。あはは。
 クロスワードの雑誌には大抵くっついているナンクロ。
僕もクロスワードは好きで、たまに新聞とか雑誌に載っている
クロスワードを解いたり、雑誌を買ってやってみたりしています。
 でも、あんまりナンクロって解いていないんですよ。
やって出来ないことはないんですけど、ヒントが思ったより
少ないのでとっつきにくさがあるような気がして。

 ただ、うちの母がまたナンクロ好きなんで、本が必ず2、3冊
置いてあるんです。そのナンクロも必ず漢字ナンクロというように
指定しているそうです。なんでまた漢字なのかと聞いてみると
「だって、普通のナンクロだとつまらないんだもの」ということ
なんですが、実際の所は「他のはよく分からないし、
漢字の熟語の方が出やすいから」ということなんでしょう。
これまでは、漢字を使うことがないからよく忘れていたと
いうことなんですが、漢字ナンクロを解くことによって
頭によく定着しているそうです。僕が高校の時の漢和辞典も
なんだかんだで資料として使っているような。実際には
ダイソーで買ったミニ国語・漢和辞典が役に立っているみたい
なんですけどね。

 僕もこうやってネットで日記をつけながら、一緒に
ノートにも日記を書いています。これは経験上そうなんですが、
やっぱりパソコンで文章を書いていると、いざ紙を目の前にすると
全然書けなくなるんですよ。手紙にせよ、日記にせよ、小説にせよ
職場の報告書にせよ。ペンが進まないというか、文章そのものが
頭に浮かんでこないんですよ。メールの文面すらろくに
浮かんでこなくなる。正直言ってそれはやばいなぁと思ってから、
オフラインでの日記も書いていくようになっていきました。
前はノートの日記はつけていなかったので。

 小学校では、国語が苦手な子供に「日記をつけなさい」というそうです。
毎日、どんなことでもいいから、ノートに字を書いていうという
経験が大事なんだとか。そういう風に「今ひとつ、文章を
書くのが苦手だなぁ」と思われてる方は日記をどうぞ。
その日記もなぁ……という方はぜひ、漢字ナンクロや
クロスワードをどうぞ。うちの母はそれで結構な文章家になりました。
ぜひぜひお試しあれ。

世にも奇妙な物語

2003年9月18日
 なんだかんだで見てました。
 今の中学生や高校生の人は特番でしか見たことがないとは
思うんですけども、以前は毎週木曜の8時に放送されていたんです。
小さい頃の僕はもうあのテーマ音楽が恐くてしょうがなくて。
そしてまた、生来の恐がりなもんだからドラマ見ながら
マジで震え上がっていたわけで。
 そしてまた、最初の方のドラマは恐い話ばかりだったからねぇ。
それでもなぜか見てしまうのは、やっぱりドラマ自体が
良質だったのと、ショートショート好きがあったのと、
単純に僕に学習能力が無かったということなんでしょうが。

 その秋の特別編が今日放送になっていました。
 僕も途切れ途切れ(風呂入っていたもんで)に見てました。
で、結局見たのは「鍵」「迷路」「影が重なる時」の3つ。
見た感じ、気に入ったのは最後の「影が重なる時」。
「パーフェクトカップル」と「遠すぎた男」はちょうど
見られませんでした。どうやら中村獅童さんが出ていた「遠すぎた男」は
結構面白かったようで。なんかそういう意味では損した気分。

 ドラマの内容はネタバレ防止のため、書かないでおきますが
(もう放送終わっちゃったから書いてもいいんだろうけどね、本当は)
「影が重なる時」に出ていた八嶋さんの演技がどうしても
トリビアに重なってしまうのは、半分僕の頭がダメダメに
なってしまってるということなんでしょう。でも、話自体は
結構「なるほど、そうなるんですね」というもので、
良かったなぁと思うんですよ。ラストもラブラブハッピーエンド
(……なのかなぁ?)だし。桜井幸子さん綺麗だし。

 そんなわけで、ネットでフラフラと探し回っていたら
「世にも奇妙な物語データベース」なるものがありました。アドレスはこちら。
http://yonikimo.s21.xrea.com:8080/db/index.php?&page=1
 これを見てると、あぁそういえばそんな話しあったよなぁっていう、
なんとも懐かしい気分になります。原作を知ってるのもありましたし。
(「ブルギさん」とかはそうだったなぁ)

 やっぱり、このドラマを見る限りはハッピーエンドというか
泣ける方がいいなぁと思うわけでして。「おじいちゃんの恋文」とか
「思い出を売る男」とか「マエストロ」とか。ただ、
どういうわけか前にも書きましたけど、恐かった印象がある話は
必ずその対象が女の人なんですよ、なぜか。
一番印象に残ってるのは「罰ゲーム」というタイトルの永作博美さん。
(前の日記で財前直美さんと間違ってました)
綺麗な人なだけに、すごく恐かったなぁ。「恐竜はどこへ行ったのか」の
松下由樹さんも良かったし。

 あと、これはネットを探していて知ったことなんですが、
爆笑問題の太田さんも「不幸の伝説」という作品に出演していました。
そしてその中では「田中君」という役の人が出てきます。
残念ながら、その田中君を演じているのはミスターちんなのですが。

 そんなこんなで今回も楽しく見ておりました。
いやはや、面白くていい感じです。

フリスク

2003年9月17日
 何かというとフリスクを食べてます。
 気分転換というかなんというか。コンビニに行くと
大体一つ二つ買って、カバンに入れて持ち歩いているわけなんですが。

 獅子舞の練習に行く時は、必ず買っています。
 もちろん自分で食べてるというのもあるんですけども、
一緒に練習してる子供達にあげてるというのもあるんです。
「おじさーん」(まだ24なんだけどなぁ)と言われながら、
近寄ってくる子供達にフリスクを懐から取り出して、
「辛いお菓子だよー」などとうそぶきながらあげるわけですよ。
 なんか楽しそうな顔をしながら口の中にフリスクを一粒入れると
「からいー」って言いながらどこかに走り去っていきます。
そりゃそーだって、いつものフリスクはミントのきつい
ペパーミントのだから。(最近はスペアミントです)

 そんなフリスクなんですが、この手のタブレットはどうにも
体に悪いということだったので、ちょっぴり考えてしまうのですが。

出発前

2003年9月9日
 明日、選管の「青年リーダー養成講座」なるものに出席のため
宗谷管内は豊富町まで出かけることになってしまいました。
旭川以北なんて、大学1年の時以来行っていないので、
ほんの少し楽しみではあるんですけども。

 しかし、豊富町といえば町内に「兜沼公園キャンプ場」という
所があるんですが、そこにサークルの合宿で行ったら、
7月末だというのに「吐く息が白い」という体験をしてきました。
ちなみに、兜沼公園のページはこちら。
http://www.dosanko.co.jp/toyotomi/kabutonuma.html
うちのサークルではいまだに「兜沼」という地名はそのまま
「なんだかよく分からないけど寒いところ」という意味を持ちます。
ただ、それだけを除けば風景はいいし、広々してるし
実に良い所なんです。ですから、行く時はしっかりと防寒準備を。

 そんな豊富町に3日間ほど行ってきます。その間の日記は
たぶん更新できません。戻ってきたら向こうのことや
講習のことも少しずつ書けるようにはなってくるかな。

言葉

2003年9月6日
 自分の失言癖、というかあまりの常識の無さに落胆。
そうやって友達や知り合いを無くしていくんだろうな……。
口悪いし、行動も支離滅裂だし。そんな自分嫌だ。

「自分を変える努力をしてないからさ」とも言われるけど。
自分でも分かってるのに、なぜ言ってしまうんだろう。
酔っていたわけでもないから余計に。
 初出は鬼束ちひろ「月光」より。
 最近また自殺関連のニュースが多く聞かれるように
なってきました。皆さんいろいろな悩みがあって、そういう道を
選んでしまうんでしょうけども。自分も自殺願望めいた
感情を持っていた頃(時々膨れ上がりますが)、毎日のように
「死にたいよ……」なんて言葉を吐いていました。この日記でも
何回でも言っていました。

 辛いのは自分だけじゃない、もちろん他の人だって
みんな大変なんだよとは言われながらも、自分がどれこそ
「死にたい病」にかかっている時というのはそんな言葉は
何も手助けにならなくて、「他人は辛いのは分かってる。
でも、今の自分が辛いのに耐えられない……」という感じの
端から見ると自分勝手ではありながら、当人にとっては
とても深刻な心境になってしまって。大学の時の友達にも
そういう人がいましたけど、そういう風な人達は最近また
増えてきているんでしょうか。

 心がどん底に落ちてしまっている時、そこから戻ってくる
きっかけになったのが鬼束ちひろの「月光」でした。
そのメロディーは元より、歌詞の中にあるこの言葉が
心に響いたので。
「終わりになど手を伸ばさないで」という言葉。
 この言葉で「死にたい」と思っていた気持ちがほんの少し
おさまり、そこから立ち直るキッカケを得ました。
 自殺を思いとどまるキッカケというのは親だったり恋人だったり
兄弟だったり友達だったりといろいろあるんですけども、
こんな風に歌詞の一節でもそういう力はあるんだなぁと
思ったりもしています。

獅子舞の季節

2003年9月3日
 今年もこの季節がやって参りました。
 昨年の今頃の日記を読んでいただければ詳細は分かるんですが、
どういうわけか地元の「伝統芸能」である「御供獅子舞」の
踊り手をやっていたりするわけです。この獅子舞の詳細については
ネットで調べていただくということで話を進めましょう。

 元々9月の中旬にあるお祭りに合わせて行われていた獅子舞。
毎年そのお祭りに間に合うように練習を始めているんですが、
どういうわけか今年は時期になっても連絡が来ない。
「ひょっとして、今年は無いのかなぁ」とか、そんな話をしていたら、
先週、一緒に獅子舞に参加している同期の人に連絡が入って、
「今日から練習やるよー」とのこと。
 いきなり今日とか言われても、どうしようもないというか、
準備も何もしてない状態。まぁ、どうにかスケジュールを合わせて
今日(9月3日)から練習を開始。

 久々に練習をやったんですが、なにせ去年の9月にやって以来
一度も練習してないということもあって、全然体が動かない。
一緒に行った人はとても上手にスムーズにいっているのに、
僕の方はしどろもどろ。足はもつれるし、頭の振りは変だし。
何より痛感したのは運動不足。日頃からろくすっぽ運動を
していないので、すぐに体がフラフラに。
 やっぱ、普段から運動していないといけないなぁ。
そんなこんなで、9月14日あたりにひょっとしたら
お祭りにデビューできるのかもしれません。なんとなく、
練習不足でデビューなんて出来るわけなさそうな気がするんですが、
教えてくれる人達はなんか、やらせる気満々みたいです。

 果たして、どうなってしまうのでしょ。

旭川っていい町

2003年8月29日
 この日、職場のボウリング部の大会の関係で旭川に行きました。
僕は前日まで札幌にいたので、本隊とは別に個別に合流するという
形になりました。
 札幌発の特急で一路旭川へ。実は札幌以北に行くのは
大学1年生の時以来というかなりのブランクが開いていて、
現実にはほぼ初めてなんて状態でした。

 特急に乗っている間、窓の外を流れる風景を眺めながら、
時刻表(というか、線路の地図)を持ってこなかったのを
ちょっぴり後悔しました。移動中に時刻表を見ながら、
「あぁ、今この辺を走っているんだなぁ」っていうのが
好きなものでして。意外と知り合いにはそういう人が
いるんですけども、多数派なのかなぁ、こういう考え方。

 で、旭川駅に到着して最初に思ったのは「綺麗な町だなぁ」と
いうこと。まぁ、田舎者丸出しのコメントなんですが、
買物公園の通りなんて、歩いていて札幌より楽しかったもんなぁ。
こんないい所があるなんて、旭川市民は幸せかもなんてことを
考えながら歩いていました。
 歩きながらも、こういった町並みをうちの町では実現
できないかなぁとも考えていて。それにはもっと景気が良くなって
設備投資にお金が回るようにならないと無理なのかもしれないねと
部の先輩の言葉にちょっとがっかりもしてみたり。

 今回は大会の関係で行きましたけども、もし都合がつけば
観光でも行ってみたいなぁと思っておりましたとさ。
 昨日に引き続き札幌より更新でございます。
 いろいろ書きたいことはあるんですけども、やはり今日は
このことを一番書いておきたいなぁと思ったので、この話題で。
中公新書ラクレにあった「若者はなぜ怒らなくなったのか」には
「ネットで批判めいた文章を書くだけで満足しないで、
強者に対して物を言えるようになろう」と書いてありますけど、
別にここは意見広告じゃないし、ただの感想でしかないんで。
(……ここまで書いておいてなんですけども、自分でも
めちゃくちゃ書いてるなぁと感慨ひとしお)

 さて、本題。
 例の池田小殺傷事件の判決が今日下りました。
 前代未聞、空前にしておそらく絶後(で、あって欲しい)の
無差別大量殺人に対し、出された求刑は死刑。それに対し、
出された判決は求刑通りの死刑。法曹の世界では、判決は
「8掛け」なんて言葉があるほどで、実際には求刑の8掛け程度の
量刑が下るとかいう話がありますが、今回の判決は求刑
そのままのものが下りました。やはり事件の重大性を考えると
極刑をもって望むべしということになったのでしょう。

 公判中も「死刑になるのは本望だ」という言葉を連発していた被告。
人生捨て鉢にするものではそもそもないんですけども、
これは捨て鉢にした人生がどんどんコントロール出来なくて
とんでもない方向に転がっていってしまったということなのでしょう。
発言を拾っていく限り、相当なサイコパスな方だったんだなぁと
思ったんですが、その思いは今日の判決まで変わりませんでした。
……というか、世間や社会から「疎外され続けている」といった思いが
きっかけになって、自分の中でグラグラと暗い情念が渦巻き続けた結果が
あの事件だったのでしょう。
「順調に人生送っていても、ある日突然殺されるという
不条理を教えてやりたかった」という言葉は、本音なのでしょう。
こういう心境に至ったというのは、理解は出来ますが
共感は出来ません、ええ、全く。

 人生の何もかもが上手くいかない時、社会の全てを
逆恨みする(なんで、自分ばかりこんな目に遭うんだという気持ち)
方向に向かってしまうというのはままあることです。
ただ、現実にはそこまで行っても何かの形でガス抜きが図られて
大事には至らないんですが、今回のはそれが悪い方向に
悪い方向に連なっていったんでしょう。いい事は一人で
やってきますけども、悪いことは友人を連れてやってきますし。
だから、自分の中で疑念と逆恨みが悪循環していった結果でしょう。

 しかしまぁ、判決を聞いた時の正直な感想を言いますと、
「すっげぇな、この人……最後までこの態度なんだ、
呆れるを通り越して清清しいまでの開き直りっぷりだよなぁ」と、
こんな感じです。呆れるというか、そういう怒りや憎しみの
感情を超越した所に行き着いてますよねぇ。ひょっとして、
ある意味一種の悟りなのかもしれません。物凄く歪んだ形での。

 弁護側は控訴する予定と書いてありますけども、被告自身は
「控訴する気はない」と言っていますし、はてさて、
どうなるのでしょう。弁護側も「あんな奴の弁護をする
必要があるのか」と言われますが、弁護士も一度任命されたら
自分の職責を尽くすという姿勢でいるのは当然なので、
そういった点での批判は当たらないかと。ただ、心境的には
とても苦しいでしょうね。弁護士という職業と、自分自身の
それこそ「良心」というものとのギャップ。
 もし、聞ける機会があるのなら、心境を聞いてみたいです。
 本日より、夏休みということで札幌に来ています。
久々に友達にも会いました。やっぱり、会える人がいるっていうのは
いい事だと思います。
 一人旅することが多い僕ですけども、札幌に行く時は
友達といろいろ遊んだりする方が多かったりするわけでありまして。
ただ、集まったとは言いながらも、僕を筆頭にお金のない面々なので、
ススキノで豪遊なんて夢のまた夢でありまして、せいぜい
友人宅に乗り込んでまったりするのが関の山といった、
ある意味平和で、またある意味で堕落したしょーもない感じに
陥ってしまってるわけなんですが。

 はてさて。
 どうも最近気分が著しく不安定なので、どうしていいか
よく分からない状態なので、何をやっても心境的には
どうも落ち着かないそんな毎日を送っています。
 物の本には「分からなくなったら、原点に戻れ」という話が
いくつも紹介されています。初心忘るべからず、迷ったら
物事の根本・基本に立ち返ってみなさいということなんでしょう。
ただ僕は原点も何も、今は実家暮らしなので原点そのものに
住んでしまっているので、何か考え直す時は大学時代を過ごした
札幌にやってきているわけでありまして。

 で、実際には何かつかめているのかと言いますと、
これがもやもやした極めて感覚的なよく分からないものなので、
結局自分が何を得てるのかよく分かりません。実は何も得ていないような
気がしないでもないんですが。
 でも、ここに来ると少しずつでも前に進めるような
感覚があるので、そういう面ではプラスになっているのかもしれません。
まぁ、そう言っておきながら、「学生の頃が懐かしいなぁ」って
大学とか昔自分が住んでいたアパートの前に言って思うというのは
甘えたセンチメンタルなものだってことなんでしょうけどね。

24時間テレビ

2003年8月24日
 この番組をなんだかんだで毎年見かけていて、ご多分に漏れず
今年も見てしまっているわけです。
 この手の番組に対しての意見は本当にいろいろあります。
24時間ものの番組を編成するだけの制作費があるのなら、
それだけの予算を丸ごと寄付につぎ込んだらどうだって
意見だってあります。ハンディキャップを抱えてる人達を
見せ物にしているという批判も一つ二つではありませんし。
 それでも、こうやって懸命に生きている人達の姿を映すことによって、
何かプラスになることを得ることが出来るんじゃないか……って
ことももちろんあるんですけどもね。

 それで……ちょうど今も24時間テレビを見ながら
書いているんですが、必ずZARDの「負けないで」は歌うんだなぁ、と
思ってみたりするわけでして。マラソンにはちょうどいい感じ
なんでしょうけどねぇ。

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