最近、どこかに出かける時にはデジカメを持ち歩いてます。
ちょっと前までは携帯のカメラでも十分だったんですけども、
物事凝りだすと結構エスカレートしてしまうもので。
町中とか、車で出かけた先とか、ふと目に付いた風景で
「おやー?」と思ったものは迷惑がかからないようにして
カメラにおさめてます。
その場合は、大抵風景なんですよね。写真撮りたいなと
思えるような気分になるのは風景ばかりなので。そりゃ、
綺麗な女の人とか写真に撮りたいって気持ちはありますけど、
許可無しに撮るんじゃそりゃ盗撮ですし。
やっぱり、そろそろ夏に向かっているせいか、本当に
風景が綺麗なんですよ。この季節って本当にいいなぁと思う
わけなんですよねぇ。
ただ、写真の限界なのかなんなのか、まだまだ直に目で見る
風景には感動の面でかなわないんですよね。精進あるのみ、かな。
ちょっと前までは携帯のカメラでも十分だったんですけども、
物事凝りだすと結構エスカレートしてしまうもので。
町中とか、車で出かけた先とか、ふと目に付いた風景で
「おやー?」と思ったものは迷惑がかからないようにして
カメラにおさめてます。
その場合は、大抵風景なんですよね。写真撮りたいなと
思えるような気分になるのは風景ばかりなので。そりゃ、
綺麗な女の人とか写真に撮りたいって気持ちはありますけど、
許可無しに撮るんじゃそりゃ盗撮ですし。
やっぱり、そろそろ夏に向かっているせいか、本当に
風景が綺麗なんですよ。この季節って本当にいいなぁと思う
わけなんですよねぇ。
ただ、写真の限界なのかなんなのか、まだまだ直に目で見る
風景には感動の面でかなわないんですよね。精進あるのみ、かな。
いつの間にか、25歳になりました。
2004年5月23日 日常 なんて言いますか、今日誕生日でした。
いつのまにやら25歳。四半世紀ですよ、皆さん。
25年生きているんだなぁとか思いながらも、実際に記憶に
あるのは3歳頃からなので、記憶の上では22年前後なのかなぁ
とか、よく分からないこと思ってしまったりもするし。
毎年誕生日を迎える度に、果たして昔の自分は今の自分を
想像していたのかなぁとか思うわけです。
例えば10年前。
当時の僕はまだ中学生でした。携帯なんてあるわけないし、
パソコンだって家には無くて、友達の家でBASIC使って遊んで
いるしかなかったわけだし、小説だって書いてなかったし。
毎日受験勉強に追われてはいたけども、それなりに楽しい
日々を送っていたような気はします。そんなに閉塞感めいた
ものはなかったような気がするし。そう退屈でもない。
それからすると、今の子供達は僕らの想像を超えるような
退屈な毎日を送っているのかなとは思うわけです。それこそ
殺人や強盗でもしないと紛らわせられないような退屈さ。
これって彼らにとっては相当残酷な現実じゃないかなと
思うわけです。
縁あって僕は教育の仕事に就いていますが、僕のしている
仕事が間接的にせよ何にせよ、そういった閉塞感みたいな
ものに変化をもたらすことが出来ればなぁと思ってたりする
わけなんですけども。
なんていうか、十年一昔なんて今は現実的ではないけども、
振り返るにはいい期間かもしれない。さすがに10年前では
今の自分は想像できなかったもんなぁ。
それは、35になった自分もはっきりとは想像出来てない
ことにも繋がったりするんだけども。
ビジョンが無いと言われれば身も蓋もないけどもね。
でも、今よりは幸せで健康でいろいろな意味で充実した毎日を
送りたいと思ってる。それは10年前もそうだった。
さて、10年後、いや5年後の自分はどうしているのかな。
いつのまにやら25歳。四半世紀ですよ、皆さん。
25年生きているんだなぁとか思いながらも、実際に記憶に
あるのは3歳頃からなので、記憶の上では22年前後なのかなぁ
とか、よく分からないこと思ってしまったりもするし。
毎年誕生日を迎える度に、果たして昔の自分は今の自分を
想像していたのかなぁとか思うわけです。
例えば10年前。
当時の僕はまだ中学生でした。携帯なんてあるわけないし、
パソコンだって家には無くて、友達の家でBASIC使って遊んで
いるしかなかったわけだし、小説だって書いてなかったし。
毎日受験勉強に追われてはいたけども、それなりに楽しい
日々を送っていたような気はします。そんなに閉塞感めいた
ものはなかったような気がするし。そう退屈でもない。
それからすると、今の子供達は僕らの想像を超えるような
退屈な毎日を送っているのかなとは思うわけです。それこそ
殺人や強盗でもしないと紛らわせられないような退屈さ。
これって彼らにとっては相当残酷な現実じゃないかなと
思うわけです。
縁あって僕は教育の仕事に就いていますが、僕のしている
仕事が間接的にせよ何にせよ、そういった閉塞感みたいな
ものに変化をもたらすことが出来ればなぁと思ってたりする
わけなんですけども。
なんていうか、十年一昔なんて今は現実的ではないけども、
振り返るにはいい期間かもしれない。さすがに10年前では
今の自分は想像できなかったもんなぁ。
それは、35になった自分もはっきりとは想像出来てない
ことにも繋がったりするんだけども。
ビジョンが無いと言われれば身も蓋もないけどもね。
でも、今よりは幸せで健康でいろいろな意味で充実した毎日を
送りたいと思ってる。それは10年前もそうだった。
さて、10年後、いや5年後の自分はどうしているのかな。
もやし 〜地域限定ネタ〜
2004年5月15日 小ネタ スーパーに買い物に行きました。そこでの感想。
このモヤシ、作ってる工場は苫小牧にあるのに、
「御前水もやし」ってどんな商品名なんだよ。
以上、地域ネタでした。
(買い物したスーパーは室蘭市。室蘭には御前水という
地名がございます)
このモヤシ、作ってる工場は苫小牧にあるのに、
「御前水もやし」ってどんな商品名なんだよ。
以上、地域ネタでした。
(買い物したスーパーは室蘭市。室蘭には御前水という
地名がございます)
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2玉42万円のメロン、その味とは。
2004年5月14日 小ネタ 札幌の青果市場で夕張メロンの初セリが行われました。
この時期、夕張メロンの初出荷が行われまして、毎年
とんでもない額でデパート間の駆け引きが行われるんです。
バイヤーにとっては、いかにして高額メロンを手に入れるか、
正にこの場でその真価が問われるなんて話がありました。
この様子は毎年ニュースでデカデカと伝えられるので、案外
ガセネタではなく、100%本気なのでしょう。広告の効果も
考えると一応理にかなっているのではないかと。
それで、このニュースは今日の昼休みにうちの職場でも
NHKで放送されました。デパートで売り出された42万円の
メロンを目の当たりにした主婦の「一体、どんな味があるん
でしょうか、気になりますね」とのコメントに、隣の係の
係長が一言こんなことを言っていました。
「メロンの味しかしないに決まってるじゃないか」
……いやまぁ、確かにそうなんですが。f(^-^;)
でも、妙にツボに入ってしまい、昼休み中笑いをこらえるのに
必死でした。ダメだ、最近はツボに入るネタが多すぎる。
この時期、夕張メロンの初出荷が行われまして、毎年
とんでもない額でデパート間の駆け引きが行われるんです。
バイヤーにとっては、いかにして高額メロンを手に入れるか、
正にこの場でその真価が問われるなんて話がありました。
この様子は毎年ニュースでデカデカと伝えられるので、案外
ガセネタではなく、100%本気なのでしょう。広告の効果も
考えると一応理にかなっているのではないかと。
それで、このニュースは今日の昼休みにうちの職場でも
NHKで放送されました。デパートで売り出された42万円の
メロンを目の当たりにした主婦の「一体、どんな味があるん
でしょうか、気になりますね」とのコメントに、隣の係の
係長が一言こんなことを言っていました。
「メロンの味しかしないに決まってるじゃないか」
……いやまぁ、確かにそうなんですが。f(^-^;)
でも、妙にツボに入ってしまい、昼休み中笑いをこらえるのに
必死でした。ダメだ、最近はツボに入るネタが多すぎる。
「就職こわい」…落語のようなオチが欲しいなぁ。
2004年5月10日 読書
昨日、大学のサークルの花見にOBとして顔を出して
きたんですが、そこで話になったのは「どうやって、
就職できたんですか?」という極めて平凡ながら、
現代的で不躾なご質問。
いや、いつものように「先輩面オーラ」0%な僕ですけども、
こと就職や単位のことになるとほんの少し真剣になります。
「3年後半になったら就職活動で忙しくなるから、今のうちに
単位稼いでおきなさいよー」と言ってのけるわけですよ。
自分がどうだったのかなんて、恥ずかしくて言えやしない。
それでも、足掻いたさ、もがいたさ、なんとかなったさ。
でも、年々就職率は悪化の一途を辿ってしまう。
毎年優秀な人、出来る人、普通の人、もう一息な人、割合は
そう変わらないはずなのに、「就職できない」という人が
増えているというちょっと笑うに笑えない状況になってます。
就職難は景気のせいかもしれないけど、ひょっとして、
職を求める学生達の心にも何か原因はないのかな? という
ことについて書かれたのがこの本です。
著者は言わずと知れた精神科医香山リカさん。
「就職したいなぁ」って気持ちは漠然とあるものの、それを
いざ実行に移そうとする気力がない。「課題で忙しいです」
「そのうちやりますよ」という返事を返しながら、いつの
間にか卒業の日を迎えてしまう。新卒のカードが無くなる。
この本では、就職を「こわい」と言って逃げる人達の構図を
描いています。積極的にせよ、消極的にせよ「逃げて」いると
いうわけなのです。
「就職がこわい」というのは、落語のオチのようにはなかなか
いかないんでしょうねぇ。就職に悩んだら、ちょっと読んで
みてもいいかもしれません。
きたんですが、そこで話になったのは「どうやって、
就職できたんですか?」という極めて平凡ながら、
現代的で不躾なご質問。
いや、いつものように「先輩面オーラ」0%な僕ですけども、
こと就職や単位のことになるとほんの少し真剣になります。
「3年後半になったら就職活動で忙しくなるから、今のうちに
単位稼いでおきなさいよー」と言ってのけるわけですよ。
自分がどうだったのかなんて、恥ずかしくて言えやしない。
それでも、足掻いたさ、もがいたさ、なんとかなったさ。
でも、年々就職率は悪化の一途を辿ってしまう。
毎年優秀な人、出来る人、普通の人、もう一息な人、割合は
そう変わらないはずなのに、「就職できない」という人が
増えているというちょっと笑うに笑えない状況になってます。
就職難は景気のせいかもしれないけど、ひょっとして、
職を求める学生達の心にも何か原因はないのかな? という
ことについて書かれたのがこの本です。
著者は言わずと知れた精神科医香山リカさん。
「就職したいなぁ」って気持ちは漠然とあるものの、それを
いざ実行に移そうとする気力がない。「課題で忙しいです」
「そのうちやりますよ」という返事を返しながら、いつの
間にか卒業の日を迎えてしまう。新卒のカードが無くなる。
この本では、就職を「こわい」と言って逃げる人達の構図を
描いています。積極的にせよ、消極的にせよ「逃げて」いると
いうわけなのです。
「就職がこわい」というのは、落語のオチのようにはなかなか
いかないんでしょうねぇ。就職に悩んだら、ちょっと読んで
みてもいいかもしれません。
14歳からの哲学―考えるための教科書
2004年5月9日 読書
哲学とは昔々からある高度な学問です。
物凄く高尚で七面倒くさいことを考えてるように見えて、
実は極めて日常的で身近な現象や感情に目を向けて、一から
見直してみようじゃないかという学問です。
ただ、哲学というのは非常に「分かりにくい」学問です。
小難しい物事をいとも簡単に打ち砕いて分かりやすくして
くれますけども、その砕いた破片がそれぞれに際限なく
騒ぎ立てるものですから、どうしようも無いのですが。
それでも、哲学という学問が現代まで残ってきた理由には
日常的な現象や感情の「そのもの」を見つめてみようという
感情があったからです。
そんな「哲学」という学問のエッセンスを凝縮して、かみ砕き
分かりやすくなおかつ「考える足がかり」に出来る本が出来ました。
「14歳からの哲学」というタイトルの通り、今の中学生が
思い悩むであろう感情や物事に対して「それは元々どういう意味
なのか」という足がかりを与えてくれます。
物凄いスピードで流れる世の中、ふと足を止めて「考えて」
みる余裕くらい、僕らにはまだまだあるんじゃないかなと思って
いたりします。そして、いっぱい考えた後は体を動かしましょう。
物凄く高尚で七面倒くさいことを考えてるように見えて、
実は極めて日常的で身近な現象や感情に目を向けて、一から
見直してみようじゃないかという学問です。
ただ、哲学というのは非常に「分かりにくい」学問です。
小難しい物事をいとも簡単に打ち砕いて分かりやすくして
くれますけども、その砕いた破片がそれぞれに際限なく
騒ぎ立てるものですから、どうしようも無いのですが。
それでも、哲学という学問が現代まで残ってきた理由には
日常的な現象や感情の「そのもの」を見つめてみようという
感情があったからです。
そんな「哲学」という学問のエッセンスを凝縮して、かみ砕き
分かりやすくなおかつ「考える足がかり」に出来る本が出来ました。
「14歳からの哲学」というタイトルの通り、今の中学生が
思い悩むであろう感情や物事に対して「それは元々どういう意味
なのか」という足がかりを与えてくれます。
物凄いスピードで流れる世の中、ふと足を止めて「考えて」
みる余裕くらい、僕らにはまだまだあるんじゃないかなと思って
いたりします。そして、いっぱい考えた後は体を動かしましょう。
多賀城&松島の一日(その2)
2004年5月3日 旅行 実際には5月2日の出来事です。
その後も多賀城の観光協会の方に「いやー、室蘭に親戚がいて、
よく行ってるんだよねー。最近どんな感じ?」と再び質問攻め。
勝手に親善大使になった気分です。
そんな多賀城市を午後2時頃に離れまして、行った先は塩釜市。
ここから松島までの遊覧船が出てるということなので、切符を
買って塩釜港まで移動。無事、遊覧船に乗ることが出来ました。
その遊覧船の中には「かもめ用」にかっぱえびせんが売っている
わけなんですけど、えびせんをあげたらカモメがわんさか来襲。
ヒッチコックの「鳥」みたいでした。船がカモメに取り付かれてる
ような感じなんだもの。すごいよなぁ。松尾芭蕉が「松島や
ああ松島や 松島や」って言ったのもなんか分かるような綺麗な
景色の中に文字通り乱れ飛ぶカモメ。凄い光景でした。
松島に上陸後は、なんとなく辺りをぶらぶらと。
その途中、松島オルゴール博物館に立ち寄りました。
世界最大の幅9メートル、高さ7メートルの大型オルゴールが
あるのだとか。なんか、そこまで行くとオルゴールとは言えない
ような気もするのですが。しかし、勢いに圧倒されたのか、
博物館のCDまで買ってしまいました。流されやすいなぁ。
そんな1日でしたので、仙台の宿に帰った時にはもうフラフラ。
ぐったりしていた所に、仙台在住の友人からメールが。
「せっかく来たなら、仕事終わってから(夜12時)ご飯食べよう。
迎えに行くから場所教えろ」との内容。
仙台駅近くのホテルにいるとメールしたら、「遠い。館腰駅に12時に来い」
などと、まるで決闘状のようなメールが。
こちらは東北なんてまるで分からない人間。第一、館腰なんてどこよ。
宮城県内なのかさえ分からない始末。
半信半疑ながら仙台駅で場所を聞いて「終電」で移動。
まぁ、その辺は無事に会えてご飯食べて再会を祝ったわけですが。
ハチャメチャな一日だったなぁ。
その後も多賀城の観光協会の方に「いやー、室蘭に親戚がいて、
よく行ってるんだよねー。最近どんな感じ?」と再び質問攻め。
勝手に親善大使になった気分です。
そんな多賀城市を午後2時頃に離れまして、行った先は塩釜市。
ここから松島までの遊覧船が出てるということなので、切符を
買って塩釜港まで移動。無事、遊覧船に乗ることが出来ました。
その遊覧船の中には「かもめ用」にかっぱえびせんが売っている
わけなんですけど、えびせんをあげたらカモメがわんさか来襲。
ヒッチコックの「鳥」みたいでした。船がカモメに取り付かれてる
ような感じなんだもの。すごいよなぁ。松尾芭蕉が「松島や
ああ松島や 松島や」って言ったのもなんか分かるような綺麗な
景色の中に文字通り乱れ飛ぶカモメ。凄い光景でした。
松島に上陸後は、なんとなく辺りをぶらぶらと。
その途中、松島オルゴール博物館に立ち寄りました。
世界最大の幅9メートル、高さ7メートルの大型オルゴールが
あるのだとか。なんか、そこまで行くとオルゴールとは言えない
ような気もするのですが。しかし、勢いに圧倒されたのか、
博物館のCDまで買ってしまいました。流されやすいなぁ。
そんな1日でしたので、仙台の宿に帰った時にはもうフラフラ。
ぐったりしていた所に、仙台在住の友人からメールが。
「せっかく来たなら、仕事終わってから(夜12時)ご飯食べよう。
迎えに行くから場所教えろ」との内容。
仙台駅近くのホテルにいるとメールしたら、「遠い。館腰駅に12時に来い」
などと、まるで決闘状のようなメールが。
こちらは東北なんてまるで分からない人間。第一、館腰なんてどこよ。
宮城県内なのかさえ分からない始末。
半信半疑ながら仙台駅で場所を聞いて「終電」で移動。
まぁ、その辺は無事に会えてご飯食べて再会を祝ったわけですが。
ハチャメチャな一日だったなぁ。
多賀城&松島の一日(その1)
2004年5月2日 旅行 遅くなりましたけど、旅行のことをいろいろと。
なんだかよく分からないうちに時間だけが過ぎるなぁ。
1日に苫小牧からフェリーに乗って、仙台港に入りました。
さすが大型連休、フェリーが全室満席でした。寝台席や1等が満室
なんてのはよくある話ですけども、2等船室まで全て満席ってのは
初めての経験でした。「すし詰め」でしたよ、ええ。
まぁ、仙台まで片道6,900円(朝食つき・2等)ってのは
安いんじゃないかなぁーと。でも出来れば皆さん、室蘭の東日本
フェリーを使って下さいませ。(今回は東日本取れなかったん
だよなぁ。)
はてさて、何の予定も立てずに仙台港へ着いたものの、港から
仙台駅までは結構な距離があり、そこに行くバスもまたすし詰め
状態というのは火を見るより明らか。そこで、仙台港から一番近い
JR多賀城駅まで移動。
なぜに多賀城かというと、確かに観光目的ってのもあったん
ですが、目を引いたのが「多賀城駅にレンタサイクルがある」という
ことだったんです。まぁ、貸自転車ですわな。
なんていうかね、天気も良かったし貸自転車で見知らぬ土地を
走るってのもなかなかオツじゃないかなって。
それでもって、自転車を駅前で借りて(1時間100円)出発。
もう、天気良かったし緑豊かだし本当に気分良かったです。
最近ずっと塞ぎ込んでいたから、こういう感覚は久しぶり。
東北歴史博物館とか多賀城址とかいろいろ行ったんですが、
そこでいろんな人に声をかけられました。まぁ、最初は普通に
話しをしていたわけですけど、僕が北海道から来たのが分かると
今度は質問攻めに遭う始末。神様、なぜに僕は多賀城に来てまで
博物館の人に「自分もよく分からない『ニシン御殿』の話」など
しなきゃならないのでしょうか。知らないよ、ニシン御殿の屋根が
萱葺きか板葺きか瓦葺かトタン屋根かなんて。
なんだかよく分からないうちに時間だけが過ぎるなぁ。
1日に苫小牧からフェリーに乗って、仙台港に入りました。
さすが大型連休、フェリーが全室満席でした。寝台席や1等が満室
なんてのはよくある話ですけども、2等船室まで全て満席ってのは
初めての経験でした。「すし詰め」でしたよ、ええ。
まぁ、仙台まで片道6,900円(朝食つき・2等)ってのは
安いんじゃないかなぁーと。でも出来れば皆さん、室蘭の東日本
フェリーを使って下さいませ。(今回は東日本取れなかったん
だよなぁ。)
はてさて、何の予定も立てずに仙台港へ着いたものの、港から
仙台駅までは結構な距離があり、そこに行くバスもまたすし詰め
状態というのは火を見るより明らか。そこで、仙台港から一番近い
JR多賀城駅まで移動。
なぜに多賀城かというと、確かに観光目的ってのもあったん
ですが、目を引いたのが「多賀城駅にレンタサイクルがある」という
ことだったんです。まぁ、貸自転車ですわな。
なんていうかね、天気も良かったし貸自転車で見知らぬ土地を
走るってのもなかなかオツじゃないかなって。
それでもって、自転車を駅前で借りて(1時間100円)出発。
もう、天気良かったし緑豊かだし本当に気分良かったです。
最近ずっと塞ぎ込んでいたから、こういう感覚は久しぶり。
東北歴史博物館とか多賀城址とかいろいろ行ったんですが、
そこでいろんな人に声をかけられました。まぁ、最初は普通に
話しをしていたわけですけど、僕が北海道から来たのが分かると
今度は質問攻めに遭う始末。神様、なぜに僕は多賀城に来てまで
博物館の人に「自分もよく分からない『ニシン御殿』の話」など
しなきゃならないのでしょうか。知らないよ、ニシン御殿の屋根が
萱葺きか板葺きか瓦葺かトタン屋根かなんて。
かなりの日数が空いておりますが、なんとなく元気です。
いりいろ不安定になる時もありますが、それも私です。
そんなことがいろいろあるので、旅に出て吹っ切ることに
しました。実際はそんな大層なものじゃないけど。
とりあえず、今日の時点では北海道苫小牧市からフェリーで
出発する予定。自分の住んでる町が港町なのに、何故に苫小牧か
ちょっぴり心苦しい気もするけど、今回ばかりはしょうがない。
そんなわけで、5日には北海道に戻ってきます。
多分、旅先でも書くことになると思います。そんな感じです。
しかし、GWに本当に出かけるのなんて久しぶりだ。
いりいろ不安定になる時もありますが、それも私です。
そんなことがいろいろあるので、旅に出て吹っ切ることに
しました。実際はそんな大層なものじゃないけど。
とりあえず、今日の時点では北海道苫小牧市からフェリーで
出発する予定。自分の住んでる町が港町なのに、何故に苫小牧か
ちょっぴり心苦しい気もするけど、今回ばかりはしょうがない。
そんなわけで、5日には北海道に戻ってきます。
多分、旅先でも書くことになると思います。そんな感じです。
しかし、GWに本当に出かけるのなんて久しぶりだ。
ワイルドアームズ アルターコード:F
2004年4月17日 ゲーム
近くのゲオに行った時に、中古セールということで1,980円
という非常にお得な値段で売られていたこの作品。
実は大学にいた時にワイルドアームズを初めてやって、
いいゲームだなぁと思っていたんです。それで、一応続編も出て
いたんですけど、なかなかやってみる機会がなくて。
そんな中、以前にやったワイルドアームズがリメイクされていると
いう話を聞いて、なんとなく店を探していたら「おや」という感じで
置いてあったので、気がついた時には会計済ませてカバンの中。
我ながら、この衝動買いの癖はどうにかならないものかなぁと
苦笑したりもしているんですけど。
リメイクと書きましたけども、原案こそ第1作に求めていますが
シナリオ、音楽、マップ、ムービーなどを完全に新調していて
いるので、ある意味「違うゲーム」として楽しんだ方がいいかも。
前作をやったことがある方はもちろん、初めての人でもたっぷり
楽しめていい感じ。
実際やってみて思うわけですけど、今のグラフィックの技術は
凄いなぁ、と。グラフィック見て「凄い」って思ったのなんて、
スーファミの「ウルトラマン」をやった時ぐらいじゃなかろうか。
(あれって、何年前の作品なんだろう……?)
という非常にお得な値段で売られていたこの作品。
実は大学にいた時にワイルドアームズを初めてやって、
いいゲームだなぁと思っていたんです。それで、一応続編も出て
いたんですけど、なかなかやってみる機会がなくて。
そんな中、以前にやったワイルドアームズがリメイクされていると
いう話を聞いて、なんとなく店を探していたら「おや」という感じで
置いてあったので、気がついた時には会計済ませてカバンの中。
我ながら、この衝動買いの癖はどうにかならないものかなぁと
苦笑したりもしているんですけど。
リメイクと書きましたけども、原案こそ第1作に求めていますが
シナリオ、音楽、マップ、ムービーなどを完全に新調していて
いるので、ある意味「違うゲーム」として楽しんだ方がいいかも。
前作をやったことがある方はもちろん、初めての人でもたっぷり
楽しめていい感じ。
実際やってみて思うわけですけど、今のグラフィックの技術は
凄いなぁ、と。グラフィック見て「凄い」って思ったのなんて、
スーファミの「ウルトラマン」をやった時ぐらいじゃなかろうか。
(あれって、何年前の作品なんだろう……?)
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すみません、長いことネットから離れていました。
特にこれといった理由はないんですけども、なんとなく忙しくて
更新出来ませんでした。職場でも異動とかありまして、ちょっと
仕事で手一杯になっていたりしたもので。一応、健康にしては
いたんですけどもね。職場で体調崩したりという話もちょこちょこ
聞いていたりするので、その辺は気を付けないとなと思ってます。
ネットでの日記だけじゃなくて、ノートで実際に筆記するのも
再開しています。ネットに書くのとはまた違う視点で、書いて
いたりします。もっぱら、あちらの方は心情をメモ程度に書いて
いるんですけども、なんかなぁって感じで。
それでも、文章を書くこと自体は好きな作業なので、あちこちで
ぼちぼち書いていこうかなって思っています。やっぱり、今まで
自分が歩いてきた道のりを再確認できるものがあるのはいろんな
意味でいいことなんだなと思っていますので。
もちろん、後ろを振り返るだけじゃなくて、前向いて行かないと
いけないのは痛いほど分かっているんですけどねぇ。
特にこれといった理由はないんですけども、なんとなく忙しくて
更新出来ませんでした。職場でも異動とかありまして、ちょっと
仕事で手一杯になっていたりしたもので。一応、健康にしては
いたんですけどもね。職場で体調崩したりという話もちょこちょこ
聞いていたりするので、その辺は気を付けないとなと思ってます。
ネットでの日記だけじゃなくて、ノートで実際に筆記するのも
再開しています。ネットに書くのとはまた違う視点で、書いて
いたりします。もっぱら、あちらの方は心情をメモ程度に書いて
いるんですけども、なんかなぁって感じで。
それでも、文章を書くこと自体は好きな作業なので、あちこちで
ぼちぼち書いていこうかなって思っています。やっぱり、今まで
自分が歩いてきた道のりを再確認できるものがあるのはいろんな
意味でいいことなんだなと思っていますので。
もちろん、後ろを振り返るだけじゃなくて、前向いて行かないと
いけないのは痛いほど分かっているんですけどねぇ。
奪うのは第2ボタンだけでなく。
2004年3月25日 小ネタ 昼休み、何気なく新聞を読んでいたら「制服の第2ボタン」の
話題が載っていました。もう制服を着ていたのなんて遙か昔の
ことなので、なんだか懐かしい気分になって記事を読み進めて
いきました。
書かれていた内容は、結論としては「好きな人に第2ボタンを
あげるのは昔の話。今は、『友情の証』として同性同士でも
第2ボタンやリボンを渡したりするようになっている」という
ことなのですが。それで、記事の中には生徒達の言葉が載って
いるんですが、高校生のコメントの中にわざわざ「普通に
交換したりしますよ、あ、もちろん『愛情』とかはないですから」
なんて、やおい好きなおねーさまが聞いたら目をきらきらさせる
ようなものまで書いて下さってますし。そのコメントがおねーさま
達をどれだけ喜ばせてしまうのか。いやはや。とある友人さんには
とりあえずこのニュースは隠しておかないといけないよなぁ。
でも、この第2ボタン云々って風習、僕らが高校生の頃って
まだあったかなぁと思ってしまうわけでして。そういった、
「ボタンの争奪戦」みたいなものはとは縁遠かったからなおさら
理解出来てないのかもしれませんけどね。ただ、中学の時には
確かそんな話を聞いたような。ということは、あの当時はまだ
あったわけか。うーん。
ただ自分の「第2ボタン」を守るために金属のリングで「防衛」
してるという所までくると逆に空恐ろしい所もありますが。
しかも狙ってるのがそれぞれ男女同性(女の子の場合は、リボンや
スカーフだったりするんだとか)のを力ずくで奪おうと争奪戦に
なっているというんだから、頭が痛い問題で。
こういう時だけは、自分がそういう対象でなくてよかったと
思ってしまうわけでありまして。でも、複雑だなぁ。
話題が載っていました。もう制服を着ていたのなんて遙か昔の
ことなので、なんだか懐かしい気分になって記事を読み進めて
いきました。
書かれていた内容は、結論としては「好きな人に第2ボタンを
あげるのは昔の話。今は、『友情の証』として同性同士でも
第2ボタンやリボンを渡したりするようになっている」という
ことなのですが。それで、記事の中には生徒達の言葉が載って
いるんですが、高校生のコメントの中にわざわざ「普通に
交換したりしますよ、あ、もちろん『愛情』とかはないですから」
なんて、やおい好きなおねーさまが聞いたら目をきらきらさせる
ようなものまで書いて下さってますし。そのコメントがおねーさま
達をどれだけ喜ばせてしまうのか。いやはや。とある友人さんには
とりあえずこのニュースは隠しておかないといけないよなぁ。
でも、この第2ボタン云々って風習、僕らが高校生の頃って
まだあったかなぁと思ってしまうわけでして。そういった、
「ボタンの争奪戦」みたいなものはとは縁遠かったからなおさら
理解出来てないのかもしれませんけどね。ただ、中学の時には
確かそんな話を聞いたような。ということは、あの当時はまだ
あったわけか。うーん。
ただ自分の「第2ボタン」を守るために金属のリングで「防衛」
してるという所までくると逆に空恐ろしい所もありますが。
しかも狙ってるのがそれぞれ男女同性(女の子の場合は、リボンや
スカーフだったりするんだとか)のを力ずくで奪おうと争奪戦に
なっているというんだから、頭が痛い問題で。
こういう時だけは、自分がそういう対象でなくてよかったと
思ってしまうわけでありまして。でも、複雑だなぁ。
戦争で死んだ兵士のこと / 小泉吉宏
2004年3月24日 読書
今は、のどかな森のほとり、ひとりの兵士が死んでいる。
1時間前、兵士は生きていて闘っていた。
2時間前、兵士はひとり道に迷っていた。
…10日前、恋人にプロポーズをし将来を誓い合った。
こんな書き出しで始まるこの作品。
先日書いた「ブッタとシッタカブッタ」シリーズの著者である
小泉吉宏さんが書いています。
中身は表紙などを含めてもたった20ページ程の作品です。
それぞれのページも、ちょっとしたイラストと短い言葉が
書かれているだけのとてもシンプルな作りになっています。
正直に言いまして、「派手さ」はカケラもありません。
ただ、言葉の一つ一つがとてつもなく重いです。
倒れている戦死した一人の兵士の人生を、いわば「巻き戻し」
する形で、1時間前、2時間前、10日前、といったように
書かれているわけなのですが、これがまた胸に重く響きます。
それ以上については、ここでは触れません。
ただ、読んでいて「命」というのがどういうものなのか、
改めて考えました。一度は自分で命を投げ捨てようとしただけに、
「生きている」というその言葉の意味を改めて考えました。
この本は出来れば買って読んで欲しいですけど、そうでなくても
図書館で読むとか、本屋にあれば立ち読みでもいいですから、
ぜひ読んでみていただきたいなぁと思っているわけです。
現実だと思いたくない日々。
2004年3月21日 日常 目の前に薄いもやがかかったようにまるで現実感がない。
というか、現実だと思いたくないって心境の方が強い。
現実でなければどれだけ救われるか。ただ、願わくば、誰も
このことによって傷ついて欲しくない。こちらはともかく、
あちらの人も。そういった日々。
街を歩いていても、どうも「自分が歩いている」といった
感情がない。感情がない、味覚も薄い、何を食べても美味しくない。
好きな音ゲーだって、単なる暇つぶしの道具にしかならない。
なんなんだろう。愚痴ったところで始まらないのは重々承知。
明日も、なんとか生きていこう。……これで良かったんだよね。
というか、現実だと思いたくないって心境の方が強い。
現実でなければどれだけ救われるか。ただ、願わくば、誰も
このことによって傷ついて欲しくない。こちらはともかく、
あちらの人も。そういった日々。
街を歩いていても、どうも「自分が歩いている」といった
感情がない。感情がない、味覚も薄い、何を食べても美味しくない。
好きな音ゲーだって、単なる暇つぶしの道具にしかならない。
なんなんだろう。愚痴ったところで始まらないのは重々承知。
明日も、なんとか生きていこう。……これで良かったんだよね。
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今日、用事があって出かけていたら偶然出くわしました。
おおよそ100名程度。叫んでいることは、例によって例の如く
なので、ここでは省略。まぁ、主張したいことが自由に言える
世の中というのは良いことだと思う。
おおよそ100名程度。叫んでいることは、例によって例の如く
なので、ここでは省略。まぁ、主張したいことが自由に言える
世の中というのは良いことだと思う。
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ブッタとシッタカブッタ3 / 小泉吉宏
2004年3月19日 読書
いわゆる「こころ系」な本を読むようになったのはいつ頃から
なのかははっきりしない。多分、就職活動をやっていた頃からの
ことなんだろうけども。その当時の日記には、あまり読んだ本の
内容について書いてはいなかったみたいだけど。
高校生や大学生の頃はあまり本自体読んでいなかったし。
ましてや「こころ系」というか、「心の運転マニュアル」的な
ジャンルの本は自分には必要ないような気がしていたのも事実。
それでもって、以前の日記に書いた「ブッタとシッタカブッタ」
シリーズの本でございます。近くのゲオで100円で買って参り
ました。(安く買えるのはいいことなんだけど、なんだかね)
この本はいわゆる「生き方」というよりは、「ものの見方」を
解説しています。生きていくと見逃してしまいそうな当たり前の
ことについて、ゆっくりじっくり考えてみようじゃないかという
ものでございます。
この本の冒頭にはこんな言葉が書かれています。
つまるところ、この本は「そのまんまでいいよ」という
メッセージで綴られています。「そのまんまでいいよ」とは
よく口にする言葉ではありながら、自分の中に根付かせるには
なかなか難しいものです。「自分らしく」なんて言葉も、
同じように口にはするものの「自分らしく」生きている人なんて
果たしてどれだけいるんだろうかとも。第一、「自分らしく」の
その自分すらあやふやな感じなら、とてもじゃないけど「らしく」
生きるのなんて不可能じゃないかなって思うわけです。
その「自分らしく」=「そのまんま」ってことだと僕は
この本を読んでなんとなく考えていました。ただ、「そのまんま」
で生きることを自分自身でどれだけ難しくしていることか。
先入観を持たず、何らかの評価をして一面的に見るだけでなく
本当に「そのまんま」を見ることってのは意外と難しい。
それは飾らない「そのまんまの自分」を見つめるのが恐いから
なのかもしれない、と。
ぜひ一度読んでみて下さいませ。おすすめです。
「言葉を上手く使っても、そのものを表現することは出来ない」
と、いうことなので。
なのかははっきりしない。多分、就職活動をやっていた頃からの
ことなんだろうけども。その当時の日記には、あまり読んだ本の
内容について書いてはいなかったみたいだけど。
高校生や大学生の頃はあまり本自体読んでいなかったし。
ましてや「こころ系」というか、「心の運転マニュアル」的な
ジャンルの本は自分には必要ないような気がしていたのも事実。
それでもって、以前の日記に書いた「ブッタとシッタカブッタ」
シリーズの本でございます。近くのゲオで100円で買って参り
ました。(安く買えるのはいいことなんだけど、なんだかね)
この本はいわゆる「生き方」というよりは、「ものの見方」を
解説しています。生きていくと見逃してしまいそうな当たり前の
ことについて、ゆっくりじっくり考えてみようじゃないかという
ものでございます。
この本の冒頭にはこんな言葉が書かれています。
「そのまんまでいいよ」
これが理解できたなら
この本は読まなくてもOKだよ
つまるところ、この本は「そのまんまでいいよ」という
メッセージで綴られています。「そのまんまでいいよ」とは
よく口にする言葉ではありながら、自分の中に根付かせるには
なかなか難しいものです。「自分らしく」なんて言葉も、
同じように口にはするものの「自分らしく」生きている人なんて
果たしてどれだけいるんだろうかとも。第一、「自分らしく」の
その自分すらあやふやな感じなら、とてもじゃないけど「らしく」
生きるのなんて不可能じゃないかなって思うわけです。
その「自分らしく」=「そのまんま」ってことだと僕は
この本を読んでなんとなく考えていました。ただ、「そのまんま」
で生きることを自分自身でどれだけ難しくしていることか。
先入観を持たず、何らかの評価をして一面的に見るだけでなく
本当に「そのまんま」を見ることってのは意外と難しい。
それは飾らない「そのまんまの自分」を見つめるのが恐いから
なのかもしれない、と。
言葉では語れない、まるごとのなぁんでもない自分がいる。
よく「本当の自分」という言い方をするけど、ある面が本当の
自分でいつもの自分はウソの自分なんだろうか?
幸福と不幸が別々ではなくて対で生まれるように、本当の自分を
作るとウソの自分が出来上がる。本当とかウソとか気にしないと
まるごと「ただの自分」がここにいることに気付く。
ぜひ一度読んでみて下さいませ。おすすめです。
「言葉を上手く使っても、そのものを表現することは出来ない」
と、いうことなので。
大学では文芸系サークルにいたのに、芥川賞作品なんて今まで
一回も読んだことがないという実にへっぽこな人間やってました。
それどころか、高校では図書室入り浸りの女の子が叫ぶ「失楽園
なんて図書館に入れるの絶対反対だよ!」というセリフを、
左耳から入れて右耳から流して、ろくすっぽ本など読んじゃいな
かったんですけども。
それでも、ようやく「文字」ってものを覚えてきたせいか、
本を読むのが楽しくなってきた今日この頃です。
今回の芥川賞2作品、売り上げもかなりのものらしいです。
今までに比べて話題性が非常に高かったんだなぁと改めて思って
います。直木賞受賞の京極堂&江国の香織さんが霞んで見える
感じさえするし。
でも、今回これだけ盛り上がってると、大道珠貴さんの
「しょっぱいドライブ」とどうしても比べてしまったり。
あれはあれで良さげな感じだと思うんだけどなー。
「猛スピードで母は」がなんだかとても寂しげに見えるし。
(多分、「地元」(?)の我が町でも「背中」や「ピアス」より
売れてないと思うんだよなぁ。)
さて。
まずはとても読み易かったです。文体すっきりしてますし、
世界観も掴みやすいし。正直「芥川賞作品ってもっと小難しい」と
思っていたんですけども、先入観は見事に打ち砕かれたわけで。
「愛しいよりも、いじめたいよりも、もっと乱暴なこの気持ち」
帯にはそう書いてあります。確かに、中身を読んでいくと、
本当に「乱暴な」感情が芽生える瞬間が書かれているのですが。
しかし、どうこう言うより、一回読んだ方がいいと思います。
久々に読んでいて「良い作品だなぁ」って思ったし。こういう
風に感じるのは本当に久々。
そういえば、作中に出てくる主人公「ハツ」みたいな人って、
思い出してみれば高校時代いたかもしれない。気付いていない
だけで、こんな世界は結構あちこちに存在してるのかも。
でも……作中のこの二人(ハツとにな川)の関係はいいなぁ。
個人的にそう思う。
一回も読んだことがないという実にへっぽこな人間やってました。
それどころか、高校では図書室入り浸りの女の子が叫ぶ「失楽園
なんて図書館に入れるの絶対反対だよ!」というセリフを、
左耳から入れて右耳から流して、ろくすっぽ本など読んじゃいな
かったんですけども。
それでも、ようやく「文字」ってものを覚えてきたせいか、
本を読むのが楽しくなってきた今日この頃です。
今回の芥川賞2作品、売り上げもかなりのものらしいです。
今までに比べて話題性が非常に高かったんだなぁと改めて思って
います。直木賞受賞の京極堂&江国の香織さんが霞んで見える
感じさえするし。
でも、今回これだけ盛り上がってると、大道珠貴さんの
「しょっぱいドライブ」とどうしても比べてしまったり。
あれはあれで良さげな感じだと思うんだけどなー。
「猛スピードで母は」がなんだかとても寂しげに見えるし。
(多分、「地元」(?)の我が町でも「背中」や「ピアス」より
売れてないと思うんだよなぁ。)
さて。
まずはとても読み易かったです。文体すっきりしてますし、
世界観も掴みやすいし。正直「芥川賞作品ってもっと小難しい」と
思っていたんですけども、先入観は見事に打ち砕かれたわけで。
「愛しいよりも、いじめたいよりも、もっと乱暴なこの気持ち」
帯にはそう書いてあります。確かに、中身を読んでいくと、
本当に「乱暴な」感情が芽生える瞬間が書かれているのですが。
しかし、どうこう言うより、一回読んだ方がいいと思います。
久々に読んでいて「良い作品だなぁ」って思ったし。こういう
風に感じるのは本当に久々。
そういえば、作中に出てくる主人公「ハツ」みたいな人って、
思い出してみれば高校時代いたかもしれない。気付いていない
だけで、こんな世界は結構あちこちに存在してるのかも。
でも……作中のこの二人(ハツとにな川)の関係はいいなぁ。
個人的にそう思う。
風邪ひいてると、いろんな事を書きたくなる。
2004年3月14日 日常 今日はホワイトデーだけど、それっぽい話はなし。いいでしょ。
風邪ひくと病院以外には本当に家を出られる状況じゃないので、
必然的に家に閉じこもりっきりになるわけでして。家でひたすら
寝るだけということ。これを今回の風邪は3日間やっていたわけ
なんですけども、正直言って辛かった。何が辛いかって、病気で
辛いというのは当然だけども、それとともに「何もできない」と
いうのが何より堪えた。職場の人々には申し訳ないし、家にも
申し訳ないし、そういう状態の自分自身が情けないし。
普段の休日なら、家にいても本を読んだりゲームしたりテレビ
見たりCD聞いたりといろいろ「すること」はあるんだけども、
病気になるとそれが出来ないということが本当に大変。暇なんだ。
何もすることないから、どうしても時間は長く感じるし。
それで、ベッドに伏せりながら考えていたのはひきこもりの話。
何故かよく分からないけど、おそらくは「家にいて何もできない」
という所から繋がったのかもしれないけど。
こうやって風邪という原因にせよ、家から出られないってのは
想像以上に気力と体力を消耗するなぁと感じていたわけ。たった
3日間でそう思うんだからなんてこらえ性のない人間だろうとも
感じていた反面、やはり「ひきこもり」の人は想像以上に辛い
毎日を過ごしているんだなぁとも感じるわけで。
軽々しく、「ひきこもりの気持ちが分かるような気がする」って
ことを書こうとは思わないけど、その一端、ほんの糸口めいたものは
疑似体験出来たような。
こんなこと考えてるから、風邪なんてすぐに治らないんだよな。
別に体弱い訳じゃないけど、風邪ひきやすいよな。体鍛えないと
いけないんだろうなぁ。
風邪ひくと病院以外には本当に家を出られる状況じゃないので、
必然的に家に閉じこもりっきりになるわけでして。家でひたすら
寝るだけということ。これを今回の風邪は3日間やっていたわけ
なんですけども、正直言って辛かった。何が辛いかって、病気で
辛いというのは当然だけども、それとともに「何もできない」と
いうのが何より堪えた。職場の人々には申し訳ないし、家にも
申し訳ないし、そういう状態の自分自身が情けないし。
普段の休日なら、家にいても本を読んだりゲームしたりテレビ
見たりCD聞いたりといろいろ「すること」はあるんだけども、
病気になるとそれが出来ないということが本当に大変。暇なんだ。
何もすることないから、どうしても時間は長く感じるし。
それで、ベッドに伏せりながら考えていたのはひきこもりの話。
何故かよく分からないけど、おそらくは「家にいて何もできない」
という所から繋がったのかもしれないけど。
こうやって風邪という原因にせよ、家から出られないってのは
想像以上に気力と体力を消耗するなぁと感じていたわけ。たった
3日間でそう思うんだからなんてこらえ性のない人間だろうとも
感じていた反面、やはり「ひきこもり」の人は想像以上に辛い
毎日を過ごしているんだなぁとも感じるわけで。
軽々しく、「ひきこもりの気持ちが分かるような気がする」って
ことを書こうとは思わないけど、その一端、ほんの糸口めいたものは
疑似体験出来たような。
こんなこと考えてるから、風邪なんてすぐに治らないんだよな。
別に体弱い訳じゃないけど、風邪ひきやすいよな。体鍛えないと
いけないんだろうなぁ。
こんなはずじゃなかった? 「韓国大統領弾劾案可決」
2004年3月13日 時事ニュース
ここ数日、風邪ひいて倒れてました。
なんだか風邪ひくたびに高熱出してるので、もうヘロヘロです。
診察していただいた先生の話によると、「風邪気味の症状→
扁桃腺腫れる→高熱&喉が痛い」という風に体が癖になって
しまっているそうなので、完治したかったら扁桃腺を取るしかない
そうなのですが、扁桃腺を取ったら何か影響はあるんでしょうか。
おそらく体の中で必要な器官としてあるわけですから、切除して
しまうとなんか不都合がないかなぁとも思うわけで。
それはさておき。お話しさせていただきます。
韓国で先日、大統領の弾劾を求める決議案が採択されました。
これは韓国政治史上初めてのことで、今までも制度としては
あったものの一度も実行に移されたことがなかったので、現場と
しても現実にどういう制度運用がなされるか分からずに混乱
しているそうです。
現在の所、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は職務停止という
取扱いになっていて、後に下される憲法裁判所での判断によって
正式に大統領を罷免されるかどうかという状態になっています。
今回のこの政変劇、仕掛けたのは議会の2野党でした。
議会では野党の方が議席数が多かったため、今回の弾劾案も
いわゆる「数の論理」で押し切った形で成立させています。
弾劾の理由としては、「大統領には数々の疑惑がある」とか
「本来中立であるべき大統領が、与党に荷担しすぎている」
などをあげています。
ただ、世論としては弾劾を仕掛けた野党に対し反発を強めて
いるそうです。「野党のクーデターだ」とか「選挙狙いのためだ」
と声をあげて、デモ行進を行う騒ぎにまでなっています。
野党としては「こんなはずでは!?」っていうのが本音なの
でしょう。コメントでも困惑しているのが見えてきています。
まぁ、それなりに根拠や思惑もなしにここまでの大事をやって
のけるようなことはしないでしょうけど、それにしても予想外の
反応が出ていろいろ混乱しているのでしょう。事態の収拾に
時間がかかりそうです。
このニュースの中で、与党側は大統領を守るため(?)に
国会内の議長席を占拠して議事の進行を停止させました。
それで、実際にはそれら占拠していた議員を強制排除する形で
決議案を成立させたわけですけども、成立後に与党の議員が
号泣しながらこう言っていたんです。
「残念です。私達は大統領を守ることが出来ませんでした。
国民の皆さん、今度はあなた達が大統領を守って下さい!」と。
いや、泣くことなのかなーと。
内容は分かるんですども、泣くほど悔しいのか、この人達、と。
普通は泣くことによって真実味が増すのかもしれませんけど、
こと政治の世界になると冷めてしまうこの気分は何かな、と。
自分でもよく分かりませんが。
逆に、日本でこういう事件が起きたら世間はどう反応するのか
気になります。まさか、小泉首相が罷免させられると、こんな風に
「よくやった! 感動した!」というわけじゃ……ないよね。
なんだか風邪ひくたびに高熱出してるので、もうヘロヘロです。
診察していただいた先生の話によると、「風邪気味の症状→
扁桃腺腫れる→高熱&喉が痛い」という風に体が癖になって
しまっているそうなので、完治したかったら扁桃腺を取るしかない
そうなのですが、扁桃腺を取ったら何か影響はあるんでしょうか。
おそらく体の中で必要な器官としてあるわけですから、切除して
しまうとなんか不都合がないかなぁとも思うわけで。
それはさておき。お話しさせていただきます。
韓国で先日、大統領の弾劾を求める決議案が採択されました。
これは韓国政治史上初めてのことで、今までも制度としては
あったものの一度も実行に移されたことがなかったので、現場と
しても現実にどういう制度運用がなされるか分からずに混乱
しているそうです。
現在の所、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は職務停止という
取扱いになっていて、後に下される憲法裁判所での判断によって
正式に大統領を罷免されるかどうかという状態になっています。
今回のこの政変劇、仕掛けたのは議会の2野党でした。
議会では野党の方が議席数が多かったため、今回の弾劾案も
いわゆる「数の論理」で押し切った形で成立させています。
弾劾の理由としては、「大統領には数々の疑惑がある」とか
「本来中立であるべき大統領が、与党に荷担しすぎている」
などをあげています。
ただ、世論としては弾劾を仕掛けた野党に対し反発を強めて
いるそうです。「野党のクーデターだ」とか「選挙狙いのためだ」
と声をあげて、デモ行進を行う騒ぎにまでなっています。
野党としては「こんなはずでは!?」っていうのが本音なの
でしょう。コメントでも困惑しているのが見えてきています。
まぁ、それなりに根拠や思惑もなしにここまでの大事をやって
のけるようなことはしないでしょうけど、それにしても予想外の
反応が出ていろいろ混乱しているのでしょう。事態の収拾に
時間がかかりそうです。
このニュースの中で、与党側は大統領を守るため(?)に
国会内の議長席を占拠して議事の進行を停止させました。
それで、実際にはそれら占拠していた議員を強制排除する形で
決議案を成立させたわけですけども、成立後に与党の議員が
号泣しながらこう言っていたんです。
「残念です。私達は大統領を守ることが出来ませんでした。
国民の皆さん、今度はあなた達が大統領を守って下さい!」と。
いや、泣くことなのかなーと。
内容は分かるんですども、泣くほど悔しいのか、この人達、と。
普通は泣くことによって真実味が増すのかもしれませんけど、
こと政治の世界になると冷めてしまうこの気分は何かな、と。
自分でもよく分かりませんが。
逆に、日本でこういう事件が起きたら世間はどう反応するのか
気になります。まさか、小泉首相が罷免させられると、こんな風に
「よくやった! 感動した!」というわけじゃ……ないよね。
「不祥事と自殺の関係」
2004年3月8日 時事ニュース
ニュースなどでご存じの方も多いかとは思いますが、浅田農産の
会長夫婦が今日の朝自殺しているのが発見されました。
鳥インフルエンザによる通報の遅れや、感染拡大の防止策を
怠ったことを批判されていましたが、その最中に会長の自殺という
事件が起きてしまいました。
亡くなった会長は、日本養鶏協会の副会長を勤めるほどの
仕事熱心な方で常に周囲への指導を忘れない方だったそうです。
自分の養鶏に対する情熱というのも相当なものだったんでしょう。
それだけに、今回の鳥インフルエンザに対して人一倍重圧と責任を
感じていたことは想像に難くありません。
今回の鳥インフルエンザだけでなく、何らかの不祥事があった時、
「誰かが自殺する」という構図が最近の事件では出来つつあります。
「責任を取って」という形なのか「責任を取らされて」なのか、
それとも何かもっと別な理由があるのか、その辺は定かでは
ないのですが。
サッカーゴールが倒れて、生徒が下敷きになり死亡した学校の
校長先生も自殺してしまいました。日歯連の不正経理事件でも、
疑惑の渦中にあった議員の秘書が自殺しています。労働局での
裏金プールが問題になった時も、ハローワークの所長が自殺。
どういうわけか立て続けに発生しています。こうしている間にも
「あぁ、また自殺していくのか」と思ってしまう自分の感覚が
なんとも薄ら寒いです。感情がほんの少しずつ削り取られていく
その感覚がどうにも。
さんざんこの日記では自殺の話を書いています。
ただ、それは「自殺を考えること自体はタブーじゃない」という
僕の考え方に基づくものです。考えることと実行することは、
別物ですから。一応、「思想・良心の自由」なんてものが
あるわけですから。いい世の中だと思っております。
でも、自殺を実行してしまうのはちょっと勿体ないから
しないだけ。「ちょっと死ぬのは勿体ないな」と思えなくなった
時は僕も死を選ぶことになるんでしょう、たぶん。今は、幸いにも
そういう状況ではないので。
「命でもってお詫びをする」ということなのでしょうけども、
実際の所、自殺してしまった人に対しては不思議と怒りや追求の
感情が鈍ってしまうというのもまた事実なわけでして。
「死者に鞭打つようなことはしない」という考え方が根底に
あるので、死んでしまった相手に対してはどうしても怒りが
鈍ってしまうのかもしれません。「死は免罪符である」なんて
ことは決して思ってはいないはずでも、起こり得る感情です。
おそらく、今回の浅田農産に対しての追求は若干鈍くなる
のでしょう。それは前述の感情があるからではないかと思います。
「自殺する」ということは出来るだけ避けたいことです。
今日の昼休みにこのニュースが流れた時に、職場のある人が
「最悪だ……」と呟いたのを耳にしました。僕もそう思っています。
ただ、「自殺」という選択肢を選んだ背景には何があるか、
それをしっかり考えていきたいと、そう思っています。その背景に
あるものをしっかり見つめて考えていくこと、それが生きている
人達がしなければいけないことだと思っています。
当然僕も同じように。僕は、「生き残った人間」でしたから。
会長夫婦が今日の朝自殺しているのが発見されました。
鳥インフルエンザによる通報の遅れや、感染拡大の防止策を
怠ったことを批判されていましたが、その最中に会長の自殺という
事件が起きてしまいました。
亡くなった会長は、日本養鶏協会の副会長を勤めるほどの
仕事熱心な方で常に周囲への指導を忘れない方だったそうです。
自分の養鶏に対する情熱というのも相当なものだったんでしょう。
それだけに、今回の鳥インフルエンザに対して人一倍重圧と責任を
感じていたことは想像に難くありません。
今回の鳥インフルエンザだけでなく、何らかの不祥事があった時、
「誰かが自殺する」という構図が最近の事件では出来つつあります。
「責任を取って」という形なのか「責任を取らされて」なのか、
それとも何かもっと別な理由があるのか、その辺は定かでは
ないのですが。
サッカーゴールが倒れて、生徒が下敷きになり死亡した学校の
校長先生も自殺してしまいました。日歯連の不正経理事件でも、
疑惑の渦中にあった議員の秘書が自殺しています。労働局での
裏金プールが問題になった時も、ハローワークの所長が自殺。
どういうわけか立て続けに発生しています。こうしている間にも
「あぁ、また自殺していくのか」と思ってしまう自分の感覚が
なんとも薄ら寒いです。感情がほんの少しずつ削り取られていく
その感覚がどうにも。
さんざんこの日記では自殺の話を書いています。
ただ、それは「自殺を考えること自体はタブーじゃない」という
僕の考え方に基づくものです。考えることと実行することは、
別物ですから。一応、「思想・良心の自由」なんてものが
あるわけですから。いい世の中だと思っております。
でも、自殺を実行してしまうのはちょっと勿体ないから
しないだけ。「ちょっと死ぬのは勿体ないな」と思えなくなった
時は僕も死を選ぶことになるんでしょう、たぶん。今は、幸いにも
そういう状況ではないので。
「命でもってお詫びをする」ということなのでしょうけども、
実際の所、自殺してしまった人に対しては不思議と怒りや追求の
感情が鈍ってしまうというのもまた事実なわけでして。
「死者に鞭打つようなことはしない」という考え方が根底に
あるので、死んでしまった相手に対してはどうしても怒りが
鈍ってしまうのかもしれません。「死は免罪符である」なんて
ことは決して思ってはいないはずでも、起こり得る感情です。
おそらく、今回の浅田農産に対しての追求は若干鈍くなる
のでしょう。それは前述の感情があるからではないかと思います。
「自殺する」ということは出来るだけ避けたいことです。
今日の昼休みにこのニュースが流れた時に、職場のある人が
「最悪だ……」と呟いたのを耳にしました。僕もそう思っています。
ただ、「自殺」という選択肢を選んだ背景には何があるか、
それをしっかり考えていきたいと、そう思っています。その背景に
あるものをしっかり見つめて考えていくこと、それが生きている
人達がしなければいけないことだと思っています。
当然僕も同じように。僕は、「生き残った人間」でしたから。