本を買い込む。

2004年3月5日 読書
 お金が無いというのに、衝動買いの癖があるので至極困った
ことになっていたりするんですが、またいろいろ買ってしまい
ました。行き帰りのバスの中で読みたい本が欲しいなぁとも
思って、何か面白そうな本がないのかなと探していたわけです。
 本と言っても、いろんなジャンルがあるんですけども、
相変わらずノンフィクションや新書ばかり。
 そんなわけで、今回買ったのはこういうラインナップです。

 1:中島義道「不幸論」(PHP新書)
 2:梶原しげる「口のきき方」(新潮新書)
 3:香山リカ「就職がこわい」(講談社)
 4:綿谷りさ「蹴りたい背中」(河出書房新社)

 まぁ、見事にバラバラな4冊なんですが、特筆すべきは4。
ついに買ってしまいました。もうちょっと後に買おうと思って
いたんですけども、結局買ってしまいました。いずれこの本に
ついても、この日記の中で書くことになるのでしょう。
 とりあえずまぁー、読んでみることにします。
 何か新しい発見をしたいなぁーと思って毎回本を買っている
訳なんですけども、今回も何か見つけることが出来ればな、と。
特に芥川賞の本なんて今まで読んだことなかったわけだし。
 やはり、性懲りもなくこの手の「昭和歌謡」なサウンドには
滅法弱いってことが今回改めて分かりました。
 で、土日に札幌に行った時に買ってきましたのがこのCD。
奥村愛子「いっさいがっさい」でございます。

 この曲を知ったのは、毎朝ラジオでAir’Gの「パワープレイ
今月の推薦曲」ということで流れていたのを耳にしたから
なんですよね。
 EGO-WRAPPIN’やGO!GO!7188の時も書きましたけど、何故か
こういった「昭和歌謡」のイメージが持つ妙な豪華さとか
雑多な感じが好きなんですよ。単純にジャズやブラス好きって
こともあるのかもしれないんですけど。ただ、土曜日の日記にも
書いた通り、ビックバンドの方が好きなので、そういった線から
イメージにはまってくるというのがあるのかもしれません。

 ただ、このミニアルバムを聞きながら思ったのは、
大抵こういった昭和歌謡テイストな曲が出ると「懐かしい」とか
「ノスタルジックな」というような評が出ているんですが、
本当にこんなイメージ通りの「昭和歌謡」っていうのは、
「具体的には誰のどんな曲なんだろう?」って思うんですが。
 ひょっとして、イメージだけ持っていて、存在しない曲とか?

 ちなみに、奥村愛子のオフィシャルサイトはこちら。
http://www.okumuraaiko.net/
 画像は、お気に入りの「トランス・ブルー」より。

 こんばんは、日野皓正のコンサートに行くために札幌にいます。
います……って書いておきながら、今は既にコンサートが
終わった後、スガイのネットカフェで書いているわけなんですが。

 ジャズトランペッター日野皓正さんのコンサートがありました。
ジャズのコンサートはちょっと久々なので、とても楽しみでした。
どんなジャンルのコンサートでも、やっぱりドキドキするもの。
それが、世界的な演奏者ならなおのこと期待も高まるというもの
なのでしょう。cobaさんの時もそうだったしね。
 ちなみにこの日は、札幌ジュニアジャズオーケストラという、
小中学生で編成されたビックバンドのコンサートも前座として
行われていたんですが、それは時間の都合で見られませんでした。
話によると、その辺のプロが裸足で逃げるようなすごい演奏を
聞かせてくれるということだったので、ちょっと聞き逃したのが
残念でした。でも、夏に芸術の森でまたコンサートがあるそう
なので、そっちにはぜひ行ってみたいなーと思うわけです。

 コンサートの詳しい内容はちょっと伏せます。(レポート
書く気力というか、曲順忘れちゃったため)
 でもって、コンサートで曲を聞いていた時に考えていたことを
書きましょう。

 今回のバンドの編成は5人、いわゆるクインテット。
 トランペット、アルトサックス、ピアノ、ベース、ドラム。
 実を言うと個人的には、ビックバンドの方が好きだったりする
んですが、こんな所で贅沢を言っては叩きのめされます。
これはこれでいいのです。

 で、クインテットの演奏を聞きながら、なんとなく頭の中に
イメージが湧くわけです。トリオにせよ、カルテットにせよ、
クインテットにせよ、何故か小人数の演奏にはどことなく
「埃っぽい、狭い、タバコの匂い」というイメージがあるん
ですよ。逆にビックバンドの演奏には「豪華」とか「健全」とか。
こう書いてしまうと「小人数じゃ不健全なのかい」って言われ
そうですけど、それについては「はい」としか答えようがない
のです。……っていうか、単なるイメージだし。
 それに、ここでの「不健全」ってのは普通のマイナスイメージ
で語られるものじゃなくて、どことなくアウトローなイメージ
なんですよ。例えるなら、1920年代の「ジャズ・エイジ」の
ような、そんな感じのもの。あの禁酒法時代の「アル・カポネ」
一味が暗躍した、そういった時代の空気みたいなものが小人数の
ジャズバンドからイメージされるものでして。
 ただ、ペニー・グッドマンとか、グレン・ミラーのような
演奏家達もいたわけですから、僕のイメージなんて早々に瓦解
してしまう、実に空っぽなものなんですが。

 それとはまた別に。
 ジャズトランペットの音色を聞きながら、不思議なもので、
「やっぱり、ジャズには青が良く似合うんだなぁ」とか思ったりも
するわけなんですけどね。あれは何故なんだろう。別に赤でも
黄色でも良いような気がするんですけども、不思議と青色の照明が
しっくりくるんです。どこかアンダーグラウンドな雰囲気が
出ているから、なのかもしれません。
 浅い知識から出るジャズへの憧れって、こんなもんですけどね。
本当に良い演奏家はたくさんいるので、ちょっと探してみて
くださいね。
 この日記初のサッカーネタからのスタートです。
 果たしてそんなに長いこと日記を読んでいる方がいるかどうかは
よく分かりませんけど。

 日本代表のジーコ監督、どうも調子がよくないそうです。
 別に体調ではなく、環境がどうもよろしくない様子。
 こないだのオマーン戦も本当に「どうにか勝った」って感じ
なので、「この先が思いやられる」って各方面から言われ続け
られているからなのでしょう。大変だと思います。
 だってそうだよね。100戦やって必ず100戦勝つようには
出来てないんだし。「それを勝つようにするのがプロだ」とは
いうものの、横からいろいろブーイングをあげるのなんて誰でも
出来る行為。それに耐えて耐えて、その後に勝利を挙げたら
一気に盛り上がるんでしょう。そんな感じです。

 しかし、このタイトルとはちょっとズレるんですが、監督の
辞任を求めて「街頭デモ」まで起きたことってのはさすがに
今まで無かったんじゃないでしょうか。ネットで募集をかけて
実際にデモ行進したってことなんですけども。まぁ、ただ何か
やらかしたかっただけだとは思うんですけど、それにしても
面白い。たぶん、「イラク派遣反対デモってやってるから、
似たようなのやってみない?」ってことから始まったんでしょう。
意気込みは素晴らしいですね。元気あるなぁ。

 アレを見て、「デモ行進・反対運動」を職業となされている
人々はどう思ったんでしょう。ちょっと気になります。
 ついこないだ、うちの町でも自衛隊派遣反対デモがあった
ばかりで、それについての意見が地元の新聞に載っていたん
ですが、まぁもっともだな、と。
掲載されたものを要約すると、「自衛隊派遣を非難するなら、
派遣される自衛隊員ではなく、政治家に向かって声を挙げろ」
ってことなんですが。
 そうだよね、自衛隊員は「命令されて行く」わけなんだから。
確かに優先順位としては間違ってますな。こういう本質を
突くような言葉っていいですね。自分にこういう言葉が向く
こともあるけど、それなりの理由があると反論できないしなぁ。

 冒頭の言葉と全然違う流れになっちゃったけど、終わりです。
 こないだ、ゲーセンに行ったところ、ビートマニア2DXの
新作が発表されていました。これで11作目ということです
けども、かれこれ何年くらいこのゲームと付き合いがあるの
かなぁなんてことも思ったりするわけなんですが。

 で、そのゲームに関してはこちらのページを見ていただく
こととして。↓
http://www.konami.co.jp/am/bm2dx/bm2dx10/

 そのゲームの中で演奏する曲は実にいろいろあるんですが、
その中に「J-REVIVAL」ということで「どんなときも。」が
入っているんですよ。他にも「choo choo train」(これは
タモリさんが所属していたZOOの曲)とか「JAM」(イエモン
ですね)とかが入っているのですが、その中でもやはり
ダントツで目を引きました。いやはや、自分が熱心にラジオ
とか聞いていた頃の曲が「リバイバル」ってことで登場して
くるとは思わなんだ。

 この曲が出たのは92年。「就職戦線異状なし」という
映画のテーマソングとして登場しました。一度聞いた時から
「いい曲だなー」と思って、それ以来「冬が始まるよ」とか
「もう恋なんてしない」とか「彼女の恋人」とかいろいろと
CDを買い集めたものでした。12年後の今、ちょうど
その曲にこういった形で出会うことがあるってのは、なんだか
ちょっと嬉しいような、むず痒いような不思議な気持ちに
なります。

 「十年一昔」とは随分使い古された言葉ですけども、
なんだか約十年してこうやって戻ってくるのを見たりすると、
あながち間違いでもないのかなぁなんて思ってます。
 ただ、こうやって「リバイバル」って形で見せられると
「あー、年とったんだなー」って実感させられますね。
 最近CMでいろいろ美味しい牛乳メニューを発表しています。
とは言っても、まだ2種類しか見たことないので。もっと他の
バージョンがあるような気もするので、その辺は今後ということ。

 でもって、そのうちの一つ、ホットチョコを試してみました。
 方法は簡単と言えば簡単。順を追って説明いたしましょう。

・用意する物。 
 大きめのマグカップ、牛乳(200ml)、板チョコ、バター

 1:マグカップに板チョコを適当な大きさに砕いて入れる。
   量は好みに応じて。多めに入れた方が美味しいかも。

 2:マグカップに牛乳をたっぷりと注ぐ。

 3:そのまま電子レンジに4〜5分くらいかける。

 4:スプーンで牛乳を混ぜながら、隠し味としてバターを
   入れる。この量もまぁ、好みに応じて。小さじ半分
   くらいがちょうどいいかもしれない。

 5:よーくかき混ぜて飲みましょう。熱いので気を付けて。

 以上、こんな感じです。

 最初、バターを入れずに飲んでみたんですが、これがどうにも
「やたらコクのないミロ」みたいな味で美味しくなかったので、
バターは入れた方がいいと思います。あと、チョコは割と味が
薄いので「ホットチョコ」として飲むのならば、多めに入れ
ましょう。
 実際に作ってみると、結構美味しいです。ただ、甘いので
虫歯には十分気を付けましょう。
 以前みたいな自殺願望みたいなものは、もう大分小さくなって
きているんですが、相変わらず自殺をテーマにした本を読んで
いたりします。全くその言葉から離れるというのもいいんで
しょうけど、少しばかり「興味」を持ってしまったので。
 「自殺に興味」なんて書くと、マジで引かれてしまうような
気もするんですが、なんていうか……自分がなったせいもあって
解説本などから「あの時の自分はどんな感じだったのか」という
ものを客観的に見てみたいなぁと思いまして。

 こないだも、ある友人から「死にたい気持ちが膨らんできて、
なくならない……」という電話がありました。前にも何度か、
そういった形で助けを求めるような電話やメールがあったことも
あり、今回もゆっくりじっくり話を聞こうということに。

 恋愛のこととか、仕事のことでかなり悩みを抱えてしまって
いるみたいで、一度話し出すともう次から次へと言葉が出てくる
ようで、トーンは低くても、ずっと流れるようにあれもこれもと
電話の向こうの僕に向かっていろいろ言葉をかけてきました。
 ただ、どうあっても「死にたい気持ち」っていうのが抜けない
らしくて、本当に毎日「死にたい」って思いながら生きている
そんな状態なんだそうです。

 僕は、こう言葉を返しました。
 「死にたいって思うことは別に悪い事じゃないよ」と。
 自殺したいって気持ちにずっと悩まされていた頃からずっと
考えていることなんですが、「自殺したい」って思うこと
それ自体は「悪いこと」ではないと思っているんですよ。
一応、日本には「思想・良心の自由」ってのがあるわけだし。
ただ、思うことと実行することはまた別物です。生きていた方が
辛いなら、さっさと死んでしまえばいいとは言いませんけども、
「生きることも死ぬこともできない」っていう心理状態よりは、
「まだ、私は『死ぬ』という逃げる余地がある」と心のどこかで
感じていた方がまだ楽なような気がするんですよ。
 以前、青酸カリ入りのカプセルを「お守り」としてネットで
販売して、実際に人が死んでしまったという事件がありましたが、
あれも「これさえあれば……」という感じで薬の実効的な薬理
作用よりも、精神的な充足感を得るという目的の方が大きかった
のではないかなぁと思ってます。現にそういう論説をした本も
多く出版されているようですし。

 で、さらに言うのはこんなことでした。
 「でもさ、死ぬのなんていつでも出来るんだし。そうやって、
『死に急ぐ』こともないんじゃないのかなー?」ってこと。
 まぁ、確かに死ぬ事なんていつでも出来るんですよ。本当。
それこそ、今すぐにでもロープとちょっとした高低差があれば。
だからこそ「いつでも出来るんだし、もっと後でもいいんじゃ
ないのかな?」と思うわけですよ。それで、結果的に心が楽に
なって、自殺するのを回避できれば万々歳です。そこからもっと
心の重荷を軽くするような方法を用いていけばいいんですから。

 死ぬことはいつでも出来るんだから、まぁ、死に急ぐことは
ないんですよね、本当に。
 貞子って言っても、元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんの
ことです。こないだ、BSの討論番組に出ていたのを見かけた
んですが、そこでこんなやりとりがあったそうです。

司会者:「派遣される自衛隊員に危険はないでしょうか?」

緒方:「皆さん、自衛隊員の身の安全は心配されても、
    民間人として活動されている人達のことは心配されて
    いないようですね」

司会者:「そうではありませんが……」

 なんだか、このやりとりを見ると、そりゃそうだよなぁと
思ってしまいました。自衛隊員は大丈夫かってことはそれこそ
毎日報道されるけども、民間人としてイラクに行って、
取材なり救援活動やってる人達のことはほとんど俎上に登って
こないもんなぁ。そういうのを見てると「日本人のことだけ
心配してるんじゃないの?」って言われても仕方ないような
気がする。日本の自衛隊員派遣に反対するならば、イギリスや
オランダや韓国の派兵にも反対しなきゃいけないはずなのに。

 まー、なんていうか、海外で飛行機が墜落しても、犠牲者に
日本人がいるかいないかを真っ先に報道して、いないのであれば
「乗客に日本人はいませんでした」で終わらせるんだもんな。
 最近読んだ本にこんな内容のことが書いてありました。
残念ながら、雑誌名やタイトルは忘れてしまったのですが。
だいたい、こういう内容でした。

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 中高生や学生達が「この世の中は意味のないことばかりだ」と
世間に絶望していることを口走ることがある。
 しかし、少し考えてみて欲しい。
 18や20そこそこで「意味のあること」に出会えること自体
めったに無いことだ。そういう人達はそれこそほんの一握りだ。
 「意味のあること」は、日々体験することの中に隠れている。
「意味のあること」に出会いたいなら、物事を多く体験すること。
空振りでもいいから、いろいろな物に出会えばいい。
 勉強もそのための手段の一つだ。
 「勉強だけ出来ても……」という人もいるが、それは少し違う。
勉強によって得る知識は必要だが、その知識が社会でどう生か
されているか、その事に気づくことが重要だ。
 きっかけはどこにでもある。要はそれに気づくかどうかだ。
小説や新聞のほんの数行の文章、ある1枚の写真、何気ない会話、
こういう所からでも「意味のあること」の一端はあるのだ。
 それに「気づく」ために、いろんな体験をしよう。
 砂をかむような受験勉強も、その一つなのだ。

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 ……ちょっと、久々に考えさせられました。
 僕もちょっと世の中というか、自分自身に絶望していた時期が
あったものですから、余計に響いたのかも。最近はこういう風に
自分自身を考えさせてくれる文章があちらこちらにあるので、
なんだか楽しいです。
 結構、自分でもあらゆることから逃げてしまっているので、
自己嫌悪がひどくなっています。逃げる自分が情けなくて。
でも、逃げてばっかりじゃいけないんですよね。
 もうちょっと、しっかり向き合って、何でも真剣にしないと。
しっかりしなきゃ。
 ちょっと今日は臨時で飲み会が入りまして、仕事帰りに
合流させていただきました。職場の先輩方とだったんですが。
仕事上のこととか、普段の生活とか、そーいう極めて無難で
なんてことないけど、そこに面白さがあるそんな話題で
盛り上がっていたんですが。

先輩:「そういえば、水瀬くんの日記見たよ」
 僕:「あー、どうも。相変わらずよく分からない話題ばかりで」
先輩:「映像の世紀見てたのかい?」
僕を除く全員:「あー、見てたよぉ」
 僕:「!?」

 は?
 先輩方、今なんとおっしゃいましたか?
 「映像の世紀」を見てたと?
 確かにとても良く出来たドキュメンタリーだけど、同年代では
ほとんど見てる人いないと思っていたんだけど……。

「着メロにもしてるよ」
 えー、なんだよぉ。そんなの着メロにしてるって普通の人は
「?」って思うんじゃないかなー。だから、自分の携帯では、
一発で分かるように「パリは燃えているか」を使ってたのに。
その飲み会は僕含め4人参加だったんですが、4人中3人
(僕含む)が携帯に「パリは燃えているか」をダウンロード
しているという事実が判明。しかも、番組自体に至っては
4人全員がちゃんと見ていたというある意味衝撃の事実が。

 ……なんか、うちの職場ってある意味凄いのかも。
 ちょっと表現は違うような気もしますが。
 他の友達から聞いた話なんですが、高校を卒業してかれこれ
3年ほどずーっと公務員目指して勉強に勉強を重ねていた
知り合いが、このたびめでたく国家?種試験に合格して、
4月から厚生労働省で働くことになったということを聞きました。
 直接その人の話を聞く機会はあんまり無いのですが、それでも
国家?種に合格したっていうのはいいニュースです。このご時世
倍率がとんでもなく跳ね上がっているという中で、3年頑張り
続けてようやく合格したっていう話を聞くと素直に「おめでとう」と
伝えてあげたいなぁって思います。

「公務員なんてどうせコネじゃないのー?」って言いますけど、
さすがに「コネのみ」で入れるほど甘くはないみたいです。
(それは一般の企業でも同じだとは思うのですが)
 三年間、一つの目標に向かって頑張り続けるって現実には
なかなか出来ることじゃありません。それでも、どうにかこうにか
忙しい中でも自分を磨いて一歩ずつでも前進していっている姿は
文句無くカッコイイと思いますし。なんか、口ばかりで実際には
何もしていない自分がとても恥ずかしいです。
 もうちょっと頑張らなきゃなぁ。

 努力してる姿を人に見せるか見せないかっていう話は昔から
ありますけども、本当はそんなのどうでもいい話なんですよね。
どうでもいい話なんですけども……。気になる。気にしてるうちは
まだまだ人間として未熟なんでしょうね、本当。そう思います。

 前に「夢うんぬん」ってことで結構キツ目に書きましたけど、
軽々しく「夢は〜」ってことを話すのがどうなのかなーって
思っていたので書いたんですよ。自分でもそういう所あるから。
ただ、そういうのを抜きにしても「継続する努力」って凄いなと
素直に思うんですが……皆さんいかがなもんでしょう?
 貴乃花といえば「無限に広がる大宇宙」「銀河の歴史がまた
1ページ」「宇宙、それは人類最後のフロンティア」
。とまぁ、
いろいろ思い浮かぶわけですが。
 何の脈絡もなく貴乃花が「宇宙」というイメージで語られている
わけではないんですよ。それなりに理由はあるんです。それなりに。
ここで書くと余計に訳分からないような代物になるので。

 いや、……っていうか今日書きたかったのはこれだけなんですわ。
たぶん、笑いは取れないけど。

 しかし、貴乃花ももはや「親方」だもんなぁ。
 気が付いた時にはもう前頭筆頭とかだったような気もするし。
 新機能は使ってみねば。
 「ボタンはとりあえず押してみる」水瀬でございます。
 ニュースの論説っぽいこともできるようなので、今回は
このニュースを選んでみました。どんなもんでしょ。

 凶悪事件の時効延長や、有期刑の上限を引き上げるなどの
内容の刑法・刑事訴訟法改正案要綱を法制審議会に諮問しました。
予定では9月頃に答申が出て、今秋か来年の国会で法案成立を
目指しているそうです。
 今回の刑法・刑訴法の改正は、増加する凶悪事件への対策
という名目があるそうです。法定刑の上限を引き上げれば、
犯罪を犯しにくくなるだろうという意見があるからなのですが。
 刑法の考え方として「『犯罪は割に合わない』と思わせるのが
犯罪抑制につながる」というものがあります。特にこれは、
誘拐事件の時なんかには言われるんですが。「誘拐で逃げ切った
犯人はいない」ということに象徴されています。以前、とある
番組で「3億円事件は割に合うか」ということで、3億円手に
入れた犯人グループを想定して、生活費から何から諸々の経費を
計算し、時候の日まで暮らすとして月々いくらかという数字を
弾き出したことがありました。
 おおよそ8人くらいのメンバーだと想定して、15年間生き
続けるとすると、「月給」にしておおよそ10万円前後という
結果が出ました。「3億円奪っても、月割りすると10万円
程度しかないんだよー、その間逮捕を恐れて過ごさないと
いけないよー、だから犯罪は割に合わないよー」と。

 ん、まぁ、確かにそんなもんです。
 ただ、逆に「割に合わないから犯罪を起こさない」というのは
ありえないんじゃないかという考え方もあるわけで。犯罪を
起こすのは大抵は経済的に困窮している人達が多数なので、
その人達を保護する政策を考えた方がいいのではないかという
考え方です。
 これらの考え方については、もっと詳しく書いたサイトが
ありますので、グーグルとかで検索してみて下さいませ。

 このニュースを聞いて、果たして犯罪抑止力は上がるのかなと
思ったりするわけです。確かに今の刑はなんとなく逆の意味で
「割に合わないなー」って思っていたりするわけなんです。
単純に人を1人殺しただけではまず死刑にはなりませんし。
(まぁ、いろいろ「加工」したり、物を奪っているとかなら
話は別になってくるんですが)
 犯罪が増えているというか……検挙率が下がっているから、
なおのこと「犯罪が増えているように見える」んじゃなかろうか。
犯罪起こしても、昔ほど捕まる危険性が薄くなったから、
踏み出す気持ちが出て来やすくんなったじゃないかなって。
法定刑を引き上げるのなら、検挙率を上げる方にもぜひぜひ
力を入れて欲しいなぁって思うわけです。

 んー、ここまで書いたけど論評になってないなぁ。
映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た【NSDS-4659】 =>2…
↑これを見て一言思いました。

「スターリンが岡田真澄に似てるのは自明の理だが、ムッソリーニが西川のりおに似ていると今日気が付いた」

 本日の小ネタ、以上。
 札幌から「書け」いう圧力がかかったので。
 「対話と圧力」ってこんな意味じゃないような気がするのだが。
 文章自体は高校の時から書いていました。
 それ以前にも、頭の中で物語というかストーリーを考えるのが
好きな実に奇妙な少年時代を送っていたせいか、短編小説のとっ
かかりみたいなものはいつも頭の中にあるんですよ。物語の
冒頭というか、本当にとっかかりの設定とか書き出しだったり
とか。それを紙上なり、wordの文章なりにしておけば、立派な
プロットとして出来上がるんでしょうけども、そこは天下のズボラ
人間たる水瀬つかさ、そんなことは全然考慮に入れていないわけ
なんです。浮かんでは消えるアイデア。
うーん、もったいないったらありゃしない。

 で、今日何気なく散歩していたらまた一つ頭の中にポンと浮かん
だわけですよ。「おっ、いいかなー」なんて思って、徐々にいろ
いろな設定を付け加えていく。最近、人物とか世界とかの設定を
考えるのが妙に楽しくて、考え出すとどんどん悪ノリしていく
自分がいるわけなんですけども。
 こういうのは不思議なもので、「何か別なことをやっている時」
に浮かんだりすることが多いんですよ。ゲームやってたりとか、
勉強してた時とか、ベース弾いてた時とか。ただ単純に椅子に
座って、そのことだけをぼーっと考えていると、全然浮かばない
んですよね。

 とりあえず一通りの世界観とか人物像みたいなものが、出来た
かなと思った頃、タイミング良く(?)喫茶店がある。むむ、じゃ、
ちょっと「ひとまとめしますかねぇ」なんてよく分かりたくもない
独り言を言いながら喫茶店へ。そこで「ホットカルピス」なんて
ものがあるので注文。「新製品には目がない」「ボタンはとりあ
えず押してみる」な僕ではありますが、残念ながら血液型はAB。
(その辺はどうでもいいか。ABと言うと、何故かみんなは納得。
僕は変人だからねぇ)
 ちょうど持っていたカバンの中に、メモ帳とボールペンがあった
ので頭の中にあった人物像や世界観をパラパラ書いていくことに。
こういう設定を完成させていくのは、ジグソーパズルが完成されて
いく時のような不思議な快感を覚えるものです。

 それで、見た目はどうもただの牛乳にしか見えないホットカル
ピスを飲みながらメモ帳を埋めること小一時間。一応の骨格は
出来ました。あとは、これを実際に文章として創作する意欲が
あるかどうかですが、それはまぁ、なんというか「久々に書き
たいな〜」って気分なので、ひょっとしたら完成してお披露目
するってことになるかもしれません。
 それがいつ頃かってのは全然分かりませんけどね。さすがに、
死ぬまでには「完成か中止か」って決めているんだろうけどね。

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 で、ちょっと本文とは関係ない話題。
 ここの日記の一番下にはバックナンバーのリストがあるんだ
けども、そこを見ると「43」って数字が出てる。この日記が1ページ
10日分表示されるから、「43ページ×10日=430日分」。
 おおー、なんなんだこの数は。かれこれ3年くらいになるのに、
430日分、1年と3分の1くらいしかないんだなぁ。うーん、なんか
ズボラなことを改めて証明しているような、そんな気になるなぁ。

大学の学食

2004年2月7日 日常
 こんにちは、水瀬です。更新滞っててすいません。まぁ、いろいろ
ありまして。日記書けるような感じではなかったんです。ぼちぼち
書かなきゃいけないなぁとは当然思ってるんですけどね。
 昔に比べてどうも筆が重くなったのは単純に創作意欲が無くなった
とかネタが尽きたとかそんな感じではないんですけども。んー、
またこの話は今度書きましょうか。

 でもって、本日のお話。
 今住んでいる町……というか実家なんですが、一応大学なんて
ものがあって、生協とか学食とかある程度自由に出入りできるんです。
大学自体には、小学生の時から学校祭とかでいろいろ遊びに行ったり
していたんですが、学食はさすがに行ったことがなかったんですよ。
 初めて行ったのは高校生の時ですから、かれこれ6〜7年くらい前。
何を頼んだのかはさすがに覚えてないですけども、とにかく「安くて
美味しかった」ってのは印象に残ってます。

 大学4年間は自炊しながらも、かなり学食で済ませていた所もある
ので、舌はすっかり学食の味に慣れてしまっているわけで。友人の
中には「学食なんてマズくて食えねぇよ」と言っていた人もいるん
ですが、まぁ味覚なんて本当に人それぞれだし。確かに油っこいものが
多かったから、苦手な人は本当にダメだったんだろうけど。慣れると
その辺は不思議と大丈夫な感じなんだけど、無理なんだろうな。
いつまで経っても僕がアルコールに弱いのと同じように。
(水割りが特にダメなんですよねぇ。すぐに頭痛起こすし)

 今日久々に食べたメニューはこんなラインナップ。
 ライス大盛り、豚汁、鮭フライセット、野菜キムチ炒め、生卵。
結構食べてますけども、全部合わせて税込み610円。学食にしては
かなりの豪遊です。自分でも食い過ぎな感じします。
 でも……今の学食って普通に家族連れとか来てるんだなぁ。土曜日の
昼間っていうこともあるんだろうけど。「安くて美味い」からかな。
揚げ物や肉類が多くなりがちですけども、その辺はメニューを上手く
選べば結構バランス良く食べられますし。お近くに大学がある方、
学食に一度足を運んでみてはいかがなもんでしょう?
 学校の歴史の時間はいつも古代から始まっていた。人類発祥
から四大文明、ギリシャ・ローマ、中世、ルネサンス、産業革命、
フランス革命、近代帝国主義と、実に多くのことを僕は学んで
きた。世界史・日本史は受験に使わなかったけども、それだけの
理由で切り捨てられるほど僕の頭は合理的には出来ていなかった。
何故だかよく分からないけども、「社会科」という教科には強く
惹かれていた。
 今にして思えば「自分が今いるこの時代には、どういう道のりを
辿ってやってきたんだろうか」という素朴な疑問が、ずっと心の
中に深く沈殿していたからなんじゃないだろうかと。

 ただ、僕がそうやって「今いる自分の世界」へ向かって勉強
していても、学校の授業はせいぜい近代で終わってしまう。学校の
時間割の関係もあるし「受験に出ない所をやっても……」という意
見があるのも十分分かる。でも、僕はそんな風に明治・大正・昭和
の部分を削ってしまってるのは「なんだかなぁ」って思ってます。
 
 学校の授業で現代史、つまり大正・昭和を扱わない大きな理由と
して、「現代史はまだ歴史的な評価が定まっていない」というのが
あるんだそうです。聖徳太子や源氏と平氏、織田信長・豊臣秀吉・
徳川家康なんて物凄く細かく「これでもか」ってくらいに勉強
するのに、明治に入ると急にトーンダウン。大正・昭和なんて
ノータッチ。それらの前段を抜かしておいて、今僕らは「平成」
って世の中に生きているわけで。頭の中で歴史がプッツリ断ち
切られて、そのまま現代に放り出されてしまっているそんな状態。

 「歴史とは解釈だ」と、高校の世界史の先生は言っていた。
 何百年も前の出来事ならば、その背景や経過などからいかよう
にでも解釈できるし説明もできる。ただ、現代史にはそのための
「材料」が決定的に不足している。それは「解釈のための時間」
なんだとか。出来事を分析し解釈するということには、「解釈でき
るようになるための時間経過」というのが必要だと。
 要するに「今じゃなくて、後で考えさせて下さい」ってこと。

 ただ、やっぱり平成の時代を生きる僕は、少なくとも「大正・
昭和」という時代がどういう世界だったのかを知りたかった。
そうでないと、「なぜ、自衛隊という存在があるのか」とか、
「なぜ、北朝鮮は日本をあれほどまでに敵視するのか」とか
「なぜ、東側ではなく西側を選んだのか」とか
「なぜ、イラクに自衛隊を出すことになったのか」という数々の
疑問に答えが出せないからだった。
 今でも左右いろいろな考えの人達がこれらの問題について論戦を
戦わせている。あの中に正解があるのかもしれないけど、僕は
きっと100%これが正しい事実のみを述べているものなんてない
と思う。絶対に「見たくないもの」は自分の口で述べてないんだ。
戦前の日本軍は野蛮でとんでもない連中だったのかもしれない。
アジア全域で相当恐ろしいことをやったのは、おそらく事実だろう。
ただ、日本軍全体がそんな鬼畜生の集まりだったとは到底思えない。
少なくとも、日本軍が出ていったことによってなにがしかのプラス
面はあったんだろうと思うことは、100%間違いではないはずだ。
左右両方とも「見たくない物」は隠している。その中身を僕は
知りたいとずっと思っている。

 まだ歴史の評価が定まらないうちに、これらについて意見を
述べることは、自分の思想や立場を明らかにするのが恐ろしいからだ……ととある本に書いてあった。結局の所、昭和史を語らない
のはこれがあるからなんだろう。昭和史を批判めいた文章で書き
殴る人達がどうも僕の目に胡散臭く見えるのは、このことを全く
知らずに書いているのか、もしくは敢えて無視して書いているか。
どちらかだろう。
 職場帰りのバスの中で、とある高校生2人がいろいろと話を
しておりました。学校の先生のこととか、部活のこととか、まぁ
いろいろと内容は多岐に渡っていたんですが、ふとこんな言葉を
口に出すのです。
 授業とかの合間の会話で、学校の先生がネタついでにいろいろ
話をするそうなんですが、そこでドラゴンボールや北斗の拳が
元ネタだったりすると今の「標準的な高校生」はキョトンとする
そうです。ただ、そのバスの中にいた高校生のお二人はしっかり
心得ているようで、ちゃんと笑っていたそうです。その時に
言った台詞が「平成生まれにゃ分かるめぇ」と。

 うーん、「平成生まれ」。
 いつかこの言葉を聞く時が来るとは思っていましたけどねぇ。
うーん、ちょっとばかり頭がふらりと来ました。なんだかなー。
 献血してきました。特に理由は無いんですけども、やってたり
します。初めて献血したのは高3の時なんですけども、大学生の
時はなぜか全然そんな気にならなくて、社会人になってこらまた
突然「献血やってみようかな」なんて、不思議な心理状況になって
みたりするわけです。自分でもこのいい加減さはなんとかしたい
なぁとは思っているのですが。

 で、今日は札幌に来ているんですが、大通の献血ルームでやって
きました。AB型だし貴重なのかなぁとか心の中に変な自信を持ち
ながら、いざルームへ。日曜日の昼間という時間帯のためか、中は
結構な人だかり。家族連れとかカップルだとか、友達連れだったり
なかなかバラエティに富んでます。
 さすが札幌、人多いなぁと今更ながらに感心しながら、問診を
受けることに。内容はまぁ、3ヶ月以内に大きな病気をしたとか、
マラリアとかの伝染病が蔓延している国に行った事があるかとか、
不特定多数との性的交渉があったかとか大体そんな感じ。あとは
体調とか睡眠時間だとかを申告して、再び待つ。
 そうだ、くれぐれも「エイズ検査」という目的で献血
しないように。これは窓口でも結構念を押されて聞かれたなぁ。
前に誰かがネットで「献血したら、タダでエイズ検査してもら
えるよ」って書いたのが発端らしい。
 これはかなり迷惑なことなんで、この目的では止めましょうね。

 で、血液の検査のためにまずは一旦採血。
 「お客さん、結構健康な血管してますね」という、どう解釈して
いいのか良く分からない誉め言葉をいただきました。ここでは、
自分の血が果たして献血に向くかどうかっていうことを検査します。
ヘモグロビンとかの数値を見るわけです。まぁ、要は「血の濃さ」
を見るんですが。結果は問題無し、と。

 検査が終わった後にいよいよ実際に献血をすることになります。
今回も太っ腹(?)に400mlすることに。400mlというと、牛乳瓶
2本分ですから想像すると「うわぁ」な量なんですけども、パック
にすると意外とそうでも無いことが判明。凄い色してますけど。
 採血針を刺して、採血開始。隣でぐわんぐわんぐわんと血液
パックを入れた機械が動いている。パックを回すのはおそらく
凝固しないようにするためなんだろうと勝手に推測。
 不思議なもので、採血されてる間「あー、血が抜けてる」って
いう感じは全然無くて、微妙に頭の中がじんわりする程度。前回
やった時はなんともなかったんだけどなぁ。今回何か違うのかね。
場所以外に。(前回は実家近くで献血しました)

 ものの数分で僕の血は400ml集まりました。おおよそ5分くらい。
いやー、早いもんだと。
 帰りにジュースを飲んで帰りました。人間、400くらい抜いても
意外とこれが何ともないように出来てるんだなぁと無駄に感心しな
がら、献血ルームを出ました。次に献血できるのは4月。おおよそ
3ヶ月くらい間を空けるそうです。

 皆さんも、もし時間があったらやってみて下さいませ。
 もちろん、無理にとは言いませんけど。貴重な血液型の人なら
なおさら。必要としてる人がいるんですから。
 なんだか良く分からないうちにいろいろとこの番組のものを
集めてしまっております。買ってしまいましたよ、サントラ。
ここまでくると私も結構ヘビーだなぁとか思ったりもするのですが、
やはりこのシリーズは凄いんだなぁと、妙なところで実感。

 ちなみに少し書きますと映像の世紀は95年春から始まった、
NHKスペシャルの番組のこと。20世紀を映像の記録で振り返ろうと
いうシリーズです。全11回。DVDも出ていますので、よろしければどうぞ。
 テーマ曲の作曲は加古隆さんです。

 でもって、注文してからかなりの日数が経ったんですけども、ようやく
届きました。ネットの通販って便利なんだけど、若干遅くなるのが玉に傷。
 頭から全部通して聞いてみましたが、中でも珠玉なのが「最後の海戦?」。
重いウッドベースから始まるこの曲は本当に体にしみてきます。不思議です。
メインテーマ「パリは燃えているか」のジャズバージョンもありますが、
これもなかなかいい感じです。なんか、1920〜30年代っぽさが出てるような。

 サントラってのは不思議なもので、聞いているとその番組の光景が
頭の中にふわっと浮かんでくるんですよね。テーマを聞いていると、
モノクロの映像の中、忙しく走り回る人々の姿が浮かんでくるんです。
(そういえば、前々から思っていたんですが、昔の映像を流す時は
なんであんなに早回しなんだろう、と)
 そのモノクロの映像の中でもちゃんと人物がしゃべっているのも分かるし。
チャーチルやルーズベルトとか、スターリンやケネディやキング牧師とか。
いやぁ、まさに映像の世紀。

 僕らが年をとった後、22世紀にはどんな感じでこの21世紀を振り返る
のかなぁとか考えてしまったりするわけです。

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