職場の昼休み、外に用事を足しに
出ていたら道新の支社に張り出してある
今日の朝刊に目が止まった。
 紙面には、車内で4人が練炭自殺している
ニュースが書いてあった。僕はその紙面を
しばらく眺めながら、重苦しい気持ちに
なっていた。

「そうやってまた、何かに絶望して死んでしまうんだな……」
 口には出さずに、そう考えていた。自殺してしまう人は毎年
大勢出てしまう。その理由は様々だとしても、自らの手でこの世に
別れを告げる人が大勢いるという現実は心の中に重く沈殿する。

 自殺事件を報道すること自体は必要なのかもしれないけども、
こう何回も継続してしまうとやはり心が角質化してしまって、
「日常的なこと」って受け止められてしまうのが恐ろしい。
そう思ってしまいかねない自分自身にも。

 ワイドショーに限らず、雑誌の評論や読者の投書に至るまで
「ネット自殺」にいろいろ語っていますけども、こうもたくさんの
「ネット自殺者」が出てしまうのには「練炭自殺」という新しい
方法が広まったからだと思う。
 それまでも自殺サイトみたいなものはあった。「ドクターキリコ」
事件なんてのはそこから出てきたわけだし。ただ、その時は薬を
手に入れられる人だけが現実に自殺を決行できて、それ以外の人は
「本当に死ぬ方法」が無かったわけで、死ぬこともなかった。
 ただ、最近になって「練炭自殺」という「簡単・便利・綺麗」な
手段が提示されたために、一気に妄想だったものが現実化して
しまったんじゃないかな……と。

「まったく、死にたきゃ、一人で死んでよね」
 不意に、その言葉で現実に引き戻された。通りの新聞をちらっと
見てこんな言葉を吐き捨てた人がいた。確かにそうかもしれない。
確かに、そうなのかもしれない……けど。

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