詳しい地獄と、平凡な天国。
2004年9月30日 日常 作家の岩井志麻子さんがある本でこんなことを書いていました。
「天国って退屈なんですよね、花畑があって、暖かくて、
食べ物も何でもあって……。反対に地獄は詳しいんですよね。
酒飲みが落ちる地獄とか、嘘をついた人間が落ちる地獄とか、
すごく細かくて具体的なんですよね。天国はすごく平凡なのに。
だから私は、地獄のことを想像している方が楽しいんです」
うんまぁ、確かにそう。
いろんな宗教における地獄ってのは確かに妙に細かいですよね。
いや、別に地獄における扱いが違うことがおかしいってことじゃ
なくて、なんでこんなに細かく分ける必要があったのかなって
思って。人間にとっちゃ血の池に入れられようと、火あぶりに
されようと、氷づけにされようと、針の山に登らされようと
苦しくて辛いことに代わりはないわけなんだろうし。
それに、地獄って「未来永劫苦しむものなんだっけ?」とも。
おおよそのイメージとしては、生前に起こした罪に対して裁きを
受けて罰を与えられるといったものなんだろうけど、それに期間
とかってあったのかなって。
例えば、盗みをした人が血の池に落とされるとしよう。
1000円の物を盗んだ人と、1000万円の物を盗んだ人は
同じ血の池に落とされても同じ期間苦しまなきゃいけないのか、
それとも違いがあるのか、と。1回だけの人と、数十回と盗みを
繰り返した人とは何か地獄における扱いが違うのかな、とも。
それとは逆に、天国でもどうだろう、と。
天国ではそこに来た人は全て暖かい衣服と、食べ物と永遠の
命を与えられて、満足に幸せに過ごすことが出来る……ってな
もんなんだろうか。どんな人間も本当に平等に扱われるのかな
なんてのも思うわけでして。「善いこと」にも程度の違いは
あるだろうに。
こんな風に書いてみましたが、仮説でもないけど、こんな風に
違いがある原因としてはこんなことがあったからじゃないか、と。
人間を見る時、大抵の場合は短所がまず目に付く。長所なんて
なかなか気がつかない。古代では生活の規範めいたものも、
宗教者が指導していた所があるから、堕落した生活を戒める
ために、わざと地獄を細分化していったんじゃないのかな……
なんて思うわけですよ。
まぁ、実際のところは宗教学を詳しく見ていけばはっきり
することなんでしょうけどね。
しかし、こんな罰当たりな僕の未来は地獄行きなんだろうなぁ。
「天国って退屈なんですよね、花畑があって、暖かくて、
食べ物も何でもあって……。反対に地獄は詳しいんですよね。
酒飲みが落ちる地獄とか、嘘をついた人間が落ちる地獄とか、
すごく細かくて具体的なんですよね。天国はすごく平凡なのに。
だから私は、地獄のことを想像している方が楽しいんです」
うんまぁ、確かにそう。
いろんな宗教における地獄ってのは確かに妙に細かいですよね。
いや、別に地獄における扱いが違うことがおかしいってことじゃ
なくて、なんでこんなに細かく分ける必要があったのかなって
思って。人間にとっちゃ血の池に入れられようと、火あぶりに
されようと、氷づけにされようと、針の山に登らされようと
苦しくて辛いことに代わりはないわけなんだろうし。
それに、地獄って「未来永劫苦しむものなんだっけ?」とも。
おおよそのイメージとしては、生前に起こした罪に対して裁きを
受けて罰を与えられるといったものなんだろうけど、それに期間
とかってあったのかなって。
例えば、盗みをした人が血の池に落とされるとしよう。
1000円の物を盗んだ人と、1000万円の物を盗んだ人は
同じ血の池に落とされても同じ期間苦しまなきゃいけないのか、
それとも違いがあるのか、と。1回だけの人と、数十回と盗みを
繰り返した人とは何か地獄における扱いが違うのかな、とも。
それとは逆に、天国でもどうだろう、と。
天国ではそこに来た人は全て暖かい衣服と、食べ物と永遠の
命を与えられて、満足に幸せに過ごすことが出来る……ってな
もんなんだろうか。どんな人間も本当に平等に扱われるのかな
なんてのも思うわけでして。「善いこと」にも程度の違いは
あるだろうに。
こんな風に書いてみましたが、仮説でもないけど、こんな風に
違いがある原因としてはこんなことがあったからじゃないか、と。
人間を見る時、大抵の場合は短所がまず目に付く。長所なんて
なかなか気がつかない。古代では生活の規範めいたものも、
宗教者が指導していた所があるから、堕落した生活を戒める
ために、わざと地獄を細分化していったんじゃないのかな……
なんて思うわけですよ。
まぁ、実際のところは宗教学を詳しく見ていけばはっきり
することなんでしょうけどね。
しかし、こんな罰当たりな僕の未来は地獄行きなんだろうなぁ。
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