「不祥事と自殺の関係」
2004年3月8日 時事ニュース
ニュースなどでご存じの方も多いかとは思いますが、浅田農産の
会長夫婦が今日の朝自殺しているのが発見されました。
鳥インフルエンザによる通報の遅れや、感染拡大の防止策を
怠ったことを批判されていましたが、その最中に会長の自殺という
事件が起きてしまいました。
亡くなった会長は、日本養鶏協会の副会長を勤めるほどの
仕事熱心な方で常に周囲への指導を忘れない方だったそうです。
自分の養鶏に対する情熱というのも相当なものだったんでしょう。
それだけに、今回の鳥インフルエンザに対して人一倍重圧と責任を
感じていたことは想像に難くありません。
今回の鳥インフルエンザだけでなく、何らかの不祥事があった時、
「誰かが自殺する」という構図が最近の事件では出来つつあります。
「責任を取って」という形なのか「責任を取らされて」なのか、
それとも何かもっと別な理由があるのか、その辺は定かでは
ないのですが。
サッカーゴールが倒れて、生徒が下敷きになり死亡した学校の
校長先生も自殺してしまいました。日歯連の不正経理事件でも、
疑惑の渦中にあった議員の秘書が自殺しています。労働局での
裏金プールが問題になった時も、ハローワークの所長が自殺。
どういうわけか立て続けに発生しています。こうしている間にも
「あぁ、また自殺していくのか」と思ってしまう自分の感覚が
なんとも薄ら寒いです。感情がほんの少しずつ削り取られていく
その感覚がどうにも。
さんざんこの日記では自殺の話を書いています。
ただ、それは「自殺を考えること自体はタブーじゃない」という
僕の考え方に基づくものです。考えることと実行することは、
別物ですから。一応、「思想・良心の自由」なんてものが
あるわけですから。いい世の中だと思っております。
でも、自殺を実行してしまうのはちょっと勿体ないから
しないだけ。「ちょっと死ぬのは勿体ないな」と思えなくなった
時は僕も死を選ぶことになるんでしょう、たぶん。今は、幸いにも
そういう状況ではないので。
「命でもってお詫びをする」ということなのでしょうけども、
実際の所、自殺してしまった人に対しては不思議と怒りや追求の
感情が鈍ってしまうというのもまた事実なわけでして。
「死者に鞭打つようなことはしない」という考え方が根底に
あるので、死んでしまった相手に対してはどうしても怒りが
鈍ってしまうのかもしれません。「死は免罪符である」なんて
ことは決して思ってはいないはずでも、起こり得る感情です。
おそらく、今回の浅田農産に対しての追求は若干鈍くなる
のでしょう。それは前述の感情があるからではないかと思います。
「自殺する」ということは出来るだけ避けたいことです。
今日の昼休みにこのニュースが流れた時に、職場のある人が
「最悪だ……」と呟いたのを耳にしました。僕もそう思っています。
ただ、「自殺」という選択肢を選んだ背景には何があるか、
それをしっかり考えていきたいと、そう思っています。その背景に
あるものをしっかり見つめて考えていくこと、それが生きている
人達がしなければいけないことだと思っています。
当然僕も同じように。僕は、「生き残った人間」でしたから。
会長夫婦が今日の朝自殺しているのが発見されました。
鳥インフルエンザによる通報の遅れや、感染拡大の防止策を
怠ったことを批判されていましたが、その最中に会長の自殺という
事件が起きてしまいました。
亡くなった会長は、日本養鶏協会の副会長を勤めるほどの
仕事熱心な方で常に周囲への指導を忘れない方だったそうです。
自分の養鶏に対する情熱というのも相当なものだったんでしょう。
それだけに、今回の鳥インフルエンザに対して人一倍重圧と責任を
感じていたことは想像に難くありません。
今回の鳥インフルエンザだけでなく、何らかの不祥事があった時、
「誰かが自殺する」という構図が最近の事件では出来つつあります。
「責任を取って」という形なのか「責任を取らされて」なのか、
それとも何かもっと別な理由があるのか、その辺は定かでは
ないのですが。
サッカーゴールが倒れて、生徒が下敷きになり死亡した学校の
校長先生も自殺してしまいました。日歯連の不正経理事件でも、
疑惑の渦中にあった議員の秘書が自殺しています。労働局での
裏金プールが問題になった時も、ハローワークの所長が自殺。
どういうわけか立て続けに発生しています。こうしている間にも
「あぁ、また自殺していくのか」と思ってしまう自分の感覚が
なんとも薄ら寒いです。感情がほんの少しずつ削り取られていく
その感覚がどうにも。
さんざんこの日記では自殺の話を書いています。
ただ、それは「自殺を考えること自体はタブーじゃない」という
僕の考え方に基づくものです。考えることと実行することは、
別物ですから。一応、「思想・良心の自由」なんてものが
あるわけですから。いい世の中だと思っております。
でも、自殺を実行してしまうのはちょっと勿体ないから
しないだけ。「ちょっと死ぬのは勿体ないな」と思えなくなった
時は僕も死を選ぶことになるんでしょう、たぶん。今は、幸いにも
そういう状況ではないので。
「命でもってお詫びをする」ということなのでしょうけども、
実際の所、自殺してしまった人に対しては不思議と怒りや追求の
感情が鈍ってしまうというのもまた事実なわけでして。
「死者に鞭打つようなことはしない」という考え方が根底に
あるので、死んでしまった相手に対してはどうしても怒りが
鈍ってしまうのかもしれません。「死は免罪符である」なんて
ことは決して思ってはいないはずでも、起こり得る感情です。
おそらく、今回の浅田農産に対しての追求は若干鈍くなる
のでしょう。それは前述の感情があるからではないかと思います。
「自殺する」ということは出来るだけ避けたいことです。
今日の昼休みにこのニュースが流れた時に、職場のある人が
「最悪だ……」と呟いたのを耳にしました。僕もそう思っています。
ただ、「自殺」という選択肢を選んだ背景には何があるか、
それをしっかり考えていきたいと、そう思っています。その背景に
あるものをしっかり見つめて考えていくこと、それが生きている
人達がしなければいけないことだと思っています。
当然僕も同じように。僕は、「生き残った人間」でしたから。
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