以前みたいな自殺願望みたいなものは、もう大分小さくなって
きているんですが、相変わらず自殺をテーマにした本を読んで
いたりします。全くその言葉から離れるというのもいいんで
しょうけど、少しばかり「興味」を持ってしまったので。
 「自殺に興味」なんて書くと、マジで引かれてしまうような
気もするんですが、なんていうか……自分がなったせいもあって
解説本などから「あの時の自分はどんな感じだったのか」という
ものを客観的に見てみたいなぁと思いまして。

 こないだも、ある友人から「死にたい気持ちが膨らんできて、
なくならない……」という電話がありました。前にも何度か、
そういった形で助けを求めるような電話やメールがあったことも
あり、今回もゆっくりじっくり話を聞こうということに。

 恋愛のこととか、仕事のことでかなり悩みを抱えてしまって
いるみたいで、一度話し出すともう次から次へと言葉が出てくる
ようで、トーンは低くても、ずっと流れるようにあれもこれもと
電話の向こうの僕に向かっていろいろ言葉をかけてきました。
 ただ、どうあっても「死にたい気持ち」っていうのが抜けない
らしくて、本当に毎日「死にたい」って思いながら生きている
そんな状態なんだそうです。

 僕は、こう言葉を返しました。
 「死にたいって思うことは別に悪い事じゃないよ」と。
 自殺したいって気持ちにずっと悩まされていた頃からずっと
考えていることなんですが、「自殺したい」って思うこと
それ自体は「悪いこと」ではないと思っているんですよ。
一応、日本には「思想・良心の自由」ってのがあるわけだし。
ただ、思うことと実行することはまた別物です。生きていた方が
辛いなら、さっさと死んでしまえばいいとは言いませんけども、
「生きることも死ぬこともできない」っていう心理状態よりは、
「まだ、私は『死ぬ』という逃げる余地がある」と心のどこかで
感じていた方がまだ楽なような気がするんですよ。
 以前、青酸カリ入りのカプセルを「お守り」としてネットで
販売して、実際に人が死んでしまったという事件がありましたが、
あれも「これさえあれば……」という感じで薬の実効的な薬理
作用よりも、精神的な充足感を得るという目的の方が大きかった
のではないかなぁと思ってます。現にそういう論説をした本も
多く出版されているようですし。

 で、さらに言うのはこんなことでした。
 「でもさ、死ぬのなんていつでも出来るんだし。そうやって、
『死に急ぐ』こともないんじゃないのかなー?」ってこと。
 まぁ、確かに死ぬ事なんていつでも出来るんですよ。本当。
それこそ、今すぐにでもロープとちょっとした高低差があれば。
だからこそ「いつでも出来るんだし、もっと後でもいいんじゃ
ないのかな?」と思うわけですよ。それで、結果的に心が楽に
なって、自殺するのを回避できれば万々歳です。そこからもっと
心の重荷を軽くするような方法を用いていけばいいんですから。

 死ぬことはいつでも出来るんだから、まぁ、死に急ぐことは
ないんですよね、本当に。

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