いつの間にやら「反戦歌」。
2003年12月20日 ちょっと前の話題になりますが、SMAPの「世界に一つだけの花」が
レコ大の受賞を辞退したってニュースがありました。
詳しい経緯は省略しますが、なんでも「曲の趣旨からして、
大賞の受賞というのには、そぐわない」ということなんだそうです。
まぁ、受賞しようが何しようがその辺は勝手ですし、
そのことについて「賞の権威が……」とかいうのもなんだか
無粋な気もするし。そのあたりは放っておきましょう。
で、この「世界に一つだけの花」。作詞作曲は槇原敬之さん。
「どんなときも」や「もう恋なんてしない」といえば、
記憶がある方も大勢いらっしゃることでしょう。
この曲は世間的には「反戦歌」ってことになってるそうです。
この曲が発表された頃、世界はイラク戦争の気配がしていました。
世界が「開戦間近か」という緊張に包まれる中、日本では
「空爆反対! 戦争反対! 平和! 平和!」と非常に熱心に
反戦運動を行ういろんな団体の方々の間にこの曲が流行りだしました。
「争い事は止めて、みんな平和に暮らそうよ」というメッセージ性が
この反戦運動にピッタリだということで火がついたみたいですけども、
僕自身では本当にそんなメッセージがあるのかなぁと思いながら
その「反戦歌ブーム」を見ていました。
なんていうか、おそらくベトナム戦争の頃からだと思いますけど、
「反戦」っていうのが文化の一端を担ってきたんじゃないかなぁ、と。
それまでは「反戦」っていう形で、メディアに登場して
あるジャンルの商品が売れるというのはあまり無かったんじゃ
ないかなと思うわけです。朝鮮戦争や中東戦争の時には
これほどまでに「反戦」でご飯が食べられるようなことが
無かったんじゃないかな。本来、反戦を訴えていた左系の方々が、
その昔は暴動や騒乱を起こしていたのは正直「なんだかなぁ」な
感じはありますけど、それは「闘争」だ「たたかい」だと
表現するんじゃないかなぁと。
国外に暴力振るうのは必死になって止めるけど、国内には
暴力振るってもいいんかいと、そう思うわけです。
話が横道にそれましたが。
最初、この曲を発表した時にはそういうメッセージを込めた
ものではなかったんですけども、いつの間にやら持ち上げられて
「反戦歌」ということに「されてしまった」んじゃなかろうかと。
あながち不可能ではないだけに、そう邪推してしまうわけですが。
と、いいますか、作詞作曲の槇原さんが以前逮捕された時に
あれほど誹謗中傷の嵐をぶつけ、非買運動まで起こした団体の方々が、
今回は手のひらを返して擦り寄ってきて「これが私たちの
テーマソングです!」ってニコニコ笑顔で歌うその姿が
どうにもこうにも信用できないわけですよ。勝手だなぁって。
あの時「あんな犯罪者の曲なんて聞くんじゃありません!」って
言っていたのはどこのどいつだって。SMAPが歌うんだから、
関係無いじゃんっていうのも違う気がするし。
誰だって戦争はしたくないです。もちろん人だって殺したくない。
人を傷つけるよりも、人を助ける仕事がしたい。それは、
人間なら誰しもがそう考えるでしょう。
ただ、自分の身近な人が戦争で殺されたらどう思うだろうか。
知人だったり、友人だったり、恋人だったり、家族だったりしたら、
その時もあなた達全員は本心から「平和」という言葉を
叫び続けることが出来るだろうかと思うわけです。
自分達のことを守るにも素手じゃ何もできないから、
せめてそれに見合う武器を持って自分達を守ってくれる人達に対して
「武力行使はいけないから、銃や大砲は持ってくるな」って
言えるだろうかなと思うんです。
正直言うと、僕は身近な人が戦争で殺されても頑固に「平和」って
言える気はしません。
でも、今年の紅白には「反戦歌」ということで紹介
されるんだろうなぁ、この曲。曲自体はいいのに、こういう
思想がくっついてくると本当に嫌な感じがします。
レコ大の受賞を辞退したってニュースがありました。
詳しい経緯は省略しますが、なんでも「曲の趣旨からして、
大賞の受賞というのには、そぐわない」ということなんだそうです。
まぁ、受賞しようが何しようがその辺は勝手ですし、
そのことについて「賞の権威が……」とかいうのもなんだか
無粋な気もするし。そのあたりは放っておきましょう。
で、この「世界に一つだけの花」。作詞作曲は槇原敬之さん。
「どんなときも」や「もう恋なんてしない」といえば、
記憶がある方も大勢いらっしゃることでしょう。
この曲は世間的には「反戦歌」ってことになってるそうです。
この曲が発表された頃、世界はイラク戦争の気配がしていました。
世界が「開戦間近か」という緊張に包まれる中、日本では
「空爆反対! 戦争反対! 平和! 平和!」と非常に熱心に
反戦運動を行ういろんな団体の方々の間にこの曲が流行りだしました。
「争い事は止めて、みんな平和に暮らそうよ」というメッセージ性が
この反戦運動にピッタリだということで火がついたみたいですけども、
僕自身では本当にそんなメッセージがあるのかなぁと思いながら
その「反戦歌ブーム」を見ていました。
なんていうか、おそらくベトナム戦争の頃からだと思いますけど、
「反戦」っていうのが文化の一端を担ってきたんじゃないかなぁ、と。
それまでは「反戦」っていう形で、メディアに登場して
あるジャンルの商品が売れるというのはあまり無かったんじゃ
ないかなと思うわけです。朝鮮戦争や中東戦争の時には
これほどまでに「反戦」でご飯が食べられるようなことが
無かったんじゃないかな。本来、反戦を訴えていた左系の方々が、
その昔は暴動や騒乱を起こしていたのは正直「なんだかなぁ」な
感じはありますけど、それは「闘争」だ「たたかい」だと
表現するんじゃないかなぁと。
国外に暴力振るうのは必死になって止めるけど、国内には
暴力振るってもいいんかいと、そう思うわけです。
話が横道にそれましたが。
最初、この曲を発表した時にはそういうメッセージを込めた
ものではなかったんですけども、いつの間にやら持ち上げられて
「反戦歌」ということに「されてしまった」んじゃなかろうかと。
あながち不可能ではないだけに、そう邪推してしまうわけですが。
と、いいますか、作詞作曲の槇原さんが以前逮捕された時に
あれほど誹謗中傷の嵐をぶつけ、非買運動まで起こした団体の方々が、
今回は手のひらを返して擦り寄ってきて「これが私たちの
テーマソングです!」ってニコニコ笑顔で歌うその姿が
どうにもこうにも信用できないわけですよ。勝手だなぁって。
あの時「あんな犯罪者の曲なんて聞くんじゃありません!」って
言っていたのはどこのどいつだって。SMAPが歌うんだから、
関係無いじゃんっていうのも違う気がするし。
誰だって戦争はしたくないです。もちろん人だって殺したくない。
人を傷つけるよりも、人を助ける仕事がしたい。それは、
人間なら誰しもがそう考えるでしょう。
ただ、自分の身近な人が戦争で殺されたらどう思うだろうか。
知人だったり、友人だったり、恋人だったり、家族だったりしたら、
その時もあなた達全員は本心から「平和」という言葉を
叫び続けることが出来るだろうかと思うわけです。
自分達のことを守るにも素手じゃ何もできないから、
せめてそれに見合う武器を持って自分達を守ってくれる人達に対して
「武力行使はいけないから、銃や大砲は持ってくるな」って
言えるだろうかなと思うんです。
正直言うと、僕は身近な人が戦争で殺されても頑固に「平和」って
言える気はしません。
でも、今年の紅白には「反戦歌」ということで紹介
されるんだろうなぁ、この曲。曲自体はいいのに、こういう
思想がくっついてくると本当に嫌な感じがします。
コメント