昔からシューティングゲームの敵役ってのは、軍隊だったり
帝国だったりゲリラ部隊だったりエイリアンだったりと、
いろいろあるわけなんですけども、共通している点があります。
 何かと言いますと、敵は「なんだかよく分からないけど、
強大な軍事力を持った、とんでもない好戦的な連中」というイメージです。
しかもその敵役はどんな政治思想だとか、どういう目的のために
軍事行動をしてるのかは説明されません。言ってしまえば、
ただただ破壊や殺戮だけを目的に、主人公のいる所へと
攻撃を仕掛けてきます。
 圧倒的な軍事力の前に、脆くも崩れ去っていく平和。
破壊されていく世界。そんな世界を救うために、主人公は
ただ一人立ち上がり、戦いの中へと身を投じていく……と
いったものが、大体のシューティングゲームのストーリーは
こんな感じで構成されています。

 自分の大切な人(国でもいいけど)を守るためには、
主人公は何でもやります。高性能な戦闘機一機で、敵軍の
戦闘機や戦車、果ては戦艦や要塞までどんどん撃破していきます。
そして、最後には総大将もろとも敵を根絶やしにて、
「世界には平和が訪れた」というようなメッセージが出てきて、
ゲームは終わるわけです。その間、主人公には一切悩みなんて
ありません。敵機を駆る連中にも家族や大切な人がいるんだろうなと
いうことなど微塵も感じずに、ただただ殺戮を繰り返す主人公。
まぁ、当然です。敵は良心のかけらもない、極悪非道な連中。
同情の余地なんてありゃしません。良い子ぶるには、悪役が必要なので。
サクサク敵機や敵艦を撃破していきます。
ゲームを進めているうちには気付かないんですが、エンディングを
見終わった後、「はて、悪役は果たしてどっちだったんだろう」なんて
気分にもならないわけではありません。

 でも、そんなことをいちいち考えていたんでは、シューティングを
やっても全然さっぱりした気分になれないので、そんなのは
頭の中から排除してしまっています。いや、それでいいんです。
そんなことをいちいち考えてる人はかえって妙な感じです。

 ……ただ、この構図ってどこかで見たような。
 「好戦的で残虐な敵国の攻撃から、私達はやむを得ず
武器を手に取り立ち上がった。これは自衛のための戦争だ」と。
ね、どこかで見たことありませんか。

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