ロシア人質立てこもり事件解決。
2002年10月25日 実はこの日記は土曜日に書いています。先に26日の
日記を書いてしまっていたので、日付が前後してますけども。
こんばんは、水瀬でございます。
それでは、今日の水瀬日誌いきますです。はい。
ロシア人質立てこもり事件、解決しました。
特殊部隊の突入により、犯人グループのうち2名を逮捕、
その他は全員射殺。人質は65名が犠牲になり、750名以上は
救出されました。これで、事件は一応の解決を見たわけです。
いつも、この手の立てこもり事件を聞くと心が重くなります。
去年の9月、同時テロがあった頃の日記に、「テロは生存理由を
主張するために行われてるかもしれない」ということを
書いていました。メンタリティとしては、子供が自分の方を
見て欲しくて物をイタズラしたり、人にちょっかいかけたり
するアレに根元の所は似ているような気がします。もちろん、
やり方としては最悪なわけですが。
基本的にテロというのは「暴力、謀略などの手段をもって、
ある対象(政府、企業など)に、ある目的を止めさせる(実行させる)」と
いうことを目指しているものですから、今回の立てこもりでは、
「劇場の観客を人質にする」ことで、「ロシア政府」に
圧力をかけ、「チェチェンからの撤兵」を要求するという
図式になってくるわけです。
その試みは僅かながら成功しかけました。マスコミを通じて、
「チェチェンから撤兵して!」という人質からのメッセージを
流すことには成功したわけですし。ただ、それ以降に進展する前に
今回の解決を見たわけなのですが。
しかし、「テロリズムはすべからく憎むべきものだ」という命題、
実はこれは微妙なところで落とし穴があったりします。
テロリズムというのは往々にして反政府活動に繋がってきます。
「反政府活動」というと、20世紀の中でもナチス・ドイツに
抵抗したチトー・パルチザンや「自由フランス」なども
広い意味では「テロリスト集団」になってしまいます。
また、インドネシア領だった東ティモールを独立に導いた
シャナナ・グスマン氏も自身の親衛隊「黒い旅団」を率い、
独立要求を掲げて長年反政府活動を行ってきました。
ただ、ご承知の通り、これらは国際的な非難の対象になっていません。
それどころか、「圧政に立ち上がった、勇気ある民衆」という
歴史的評価を受けています。これらの違いはどこから
生まれてくるものなのでしょうか。
問題は「圧政」というものの主体が何かということです。
前者はナチス・ドイツなわけですし、後者はスハルト大統領率いる
インドネシア政府です。両者とも、当時の世論では「圧政の
象徴」というイメージで語られてきました。
要は国際世論をいかにして味方につけるか。近代から
現代にかけてその「世論」というものは大きなキーポイントに
なってきています。
現在でも、テロリストと呼ばれる人々が世界各地でテロを
行っています。「テロリズム憎し」という世論が現在では
強固なものになっていますが、何かのきっかけでその価値判断が
ひっくり返されてしまうとも限りません。
テロリストの戦略の一つに、「『強者(政府)の過剰な防衛』を
引き出して、国際世論に『政府の暴虐』を訴える」というものが
あります。この戦略を実際に行ったのがベトナム戦争でした。
ベトナム各地でゲリラ戦を挑み、緊張が限界点を超えた
アメリカ軍が「ゲリラがいるかもしれない」村という村を焼き払い、
村人を殺害していったというニュースを世界各地に配信したわけです。
現代において、情報・世論は大きな武器の一つです。
ニュースはある意味戦車や攻撃機よりも深刻なダメージを
与える場合があります。
いつテロリストが「国際世論」というものを味方につけて
テロ活動を行ってしまうか。そういう世の中には絶対に
なって欲しくないと、特殊部隊が突入する映像を見ながら
考えていました。
日記を書いてしまっていたので、日付が前後してますけども。
こんばんは、水瀬でございます。
それでは、今日の水瀬日誌いきますです。はい。
ロシア人質立てこもり事件、解決しました。
特殊部隊の突入により、犯人グループのうち2名を逮捕、
その他は全員射殺。人質は65名が犠牲になり、750名以上は
救出されました。これで、事件は一応の解決を見たわけです。
いつも、この手の立てこもり事件を聞くと心が重くなります。
去年の9月、同時テロがあった頃の日記に、「テロは生存理由を
主張するために行われてるかもしれない」ということを
書いていました。メンタリティとしては、子供が自分の方を
見て欲しくて物をイタズラしたり、人にちょっかいかけたり
するアレに根元の所は似ているような気がします。もちろん、
やり方としては最悪なわけですが。
基本的にテロというのは「暴力、謀略などの手段をもって、
ある対象(政府、企業など)に、ある目的を止めさせる(実行させる)」と
いうことを目指しているものですから、今回の立てこもりでは、
「劇場の観客を人質にする」ことで、「ロシア政府」に
圧力をかけ、「チェチェンからの撤兵」を要求するという
図式になってくるわけです。
その試みは僅かながら成功しかけました。マスコミを通じて、
「チェチェンから撤兵して!」という人質からのメッセージを
流すことには成功したわけですし。ただ、それ以降に進展する前に
今回の解決を見たわけなのですが。
しかし、「テロリズムはすべからく憎むべきものだ」という命題、
実はこれは微妙なところで落とし穴があったりします。
テロリズムというのは往々にして反政府活動に繋がってきます。
「反政府活動」というと、20世紀の中でもナチス・ドイツに
抵抗したチトー・パルチザンや「自由フランス」なども
広い意味では「テロリスト集団」になってしまいます。
また、インドネシア領だった東ティモールを独立に導いた
シャナナ・グスマン氏も自身の親衛隊「黒い旅団」を率い、
独立要求を掲げて長年反政府活動を行ってきました。
ただ、ご承知の通り、これらは国際的な非難の対象になっていません。
それどころか、「圧政に立ち上がった、勇気ある民衆」という
歴史的評価を受けています。これらの違いはどこから
生まれてくるものなのでしょうか。
問題は「圧政」というものの主体が何かということです。
前者はナチス・ドイツなわけですし、後者はスハルト大統領率いる
インドネシア政府です。両者とも、当時の世論では「圧政の
象徴」というイメージで語られてきました。
要は国際世論をいかにして味方につけるか。近代から
現代にかけてその「世論」というものは大きなキーポイントに
なってきています。
現在でも、テロリストと呼ばれる人々が世界各地でテロを
行っています。「テロリズム憎し」という世論が現在では
強固なものになっていますが、何かのきっかけでその価値判断が
ひっくり返されてしまうとも限りません。
テロリストの戦略の一つに、「『強者(政府)の過剰な防衛』を
引き出して、国際世論に『政府の暴虐』を訴える」というものが
あります。この戦略を実際に行ったのがベトナム戦争でした。
ベトナム各地でゲリラ戦を挑み、緊張が限界点を超えた
アメリカ軍が「ゲリラがいるかもしれない」村という村を焼き払い、
村人を殺害していったというニュースを世界各地に配信したわけです。
現代において、情報・世論は大きな武器の一つです。
ニュースはある意味戦車や攻撃機よりも深刻なダメージを
与える場合があります。
いつテロリストが「国際世論」というものを味方につけて
テロ活動を行ってしまうか。そういう世の中には絶対に
なって欲しくないと、特殊部隊が突入する映像を見ながら
考えていました。
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