違う自分になりたい!
2002年6月11日 実家のネットが復活したので、久々にネットカフェじゃない
所から書いています。いやー、ここまで長かった。まぁ、ウチが
それまでその気を出してなかったからっていうこともあるんで
しょうけどね。まぁ、これからはちょくちょく日記書きが
できるのは嬉しいことだなぁ、と。なんだか、職場の同期の人が
見てるらしいんですわな。どこまで本当なのかよく分からないけど。
こんな一回の内容が1000文字近くなんて日記を本当に
読んでるわけないよなぁとか思いながらも、ぼちぼち書いて
行きましょうかね。
それじゃ、今日の水瀬日誌始めてまいりましょー。
こないだの香山リカさんの「若者の法則」を読んでみて
思ったことその2ということで。なかなか微妙な本なんだよなぁ。
こういう本を見るとすぐ何か文章1本書きたくなるもんな。変なの。
それはさておき。
自分の性格が好きっていえる人はどれだけいるのかなぁと
ふと疑問に思うときがある。ウチは自分の性格が正直言って
好きじゃないんで、他の人はどう思っているんだろうかなんて
いうことを考えてしまうんだけども。臆病で、暗くて、
融通が利かないし、上手く人と合わせることが出来ないし……
なんて自分の嫌なところを全部いっぺんに直すことが出来たら
どんなに素晴らしいだろうかって思うんだ。基本的にマイナス指向強いし。
そういうイヤな自分を部分部分で直すんじゃなくて、いっぺんに
「違う自分になりたい!」って重うことだってある。
ただ、この「違う自分」っていうものがクセモノだったりするもので、
「違う自分になる」っていうことが、「あるシステムや価値観に
丸ごと身を委ねちゃう」ということだったりするんだとか。
どうしたもんかなーって思ってしまうんだけど。
新興宗教とか、自己啓発セミナーとかは割とその辺の
システムが上手く構築されていて、参加していると何だか
自分が生まれ変わったような気がするというのは意外と真実らしい。
自分の価値観が変わるということはそれほどまでに大事だったり
するみたい。「価値観=視点」だしねぇ。無理もないのかなぁ。
何かの価値観を盲目的に信じるってことで、自分の迷いとか
悩みを捨ててしまえるんだろうな、きっと。それにどっぷり
つかってしまって、「シンプルで分かりやすい」行動原則に
自分をあてはめて過ごすっていうのは実際すごく楽なんだろうね。
最近になるとどうも昔ほど「違う自分になりたい!」なんて
思うエネルギーは小さくなったような気がする。学生の頃なんかは
「こんな自分イヤだ、死んでしまいたい!」なんてことを
周りの迷惑も考えずに平気でいってたりしたもんだけど、
今はどうも落ち着いて「まぁ、仕方ないんじゃない?」っていう
レベルになっていたりする。就職して、仕事のことを考えるように
なったっていうことももちろんあるんだろうけども、
今ひとつその「理想の自分」っていうもののイメージ観が
どうも胡散臭いものだっていうことに気づき始めたからなのかもしれない。
「理想の自分像」って、よくよく考えてみると、
「強くて、明るくて、賢くて、美しくて、仕事が出来て……」なんて
だいたい誰もが描く理想像に気味悪いくらい合致してしまうんだわ。
学生の頃の友達(今もあちらは大学にいるけど)なんかは
これをまんま当てはめたような人だったから、よく一緒に遊んでても
コンプレックスばりばりだったんだよね。「なんで……」って
いうくらい。自分が惨めに見えてねぇ。
性格を変えて違う自分になりたいっていうことは、
「いつも笑っていて、何でも悩むことなく出来る」のっぺりした人に
なりたいって言ってるんじゃなかろうかな……なんてことを
思ってしまったわけ。自分がなんか「何でも出来ますよー」って
ニコニコしてる映像ってどうもイヤミったらしくて、
なおのこと自分のことを嫌いになってしまいそうなそんな気がする。
だからといって、「今のあなたも充分個性的だし、
長所も魅力もあるよ」なんて言われても今ひとつ嘘っぽく
聞こえてしまう。はぁ、なんだだろうね。
その「今の自分の長所」を上手く現実の世界で生かして
評価されるようなことがあれば自分自身をよりよく感じて
「なんだ、オレも案外捨てたもんじゃないな」って思えるように
なるんだろうけど……そんなとこ、ないよねぇ。
所から書いています。いやー、ここまで長かった。まぁ、ウチが
それまでその気を出してなかったからっていうこともあるんで
しょうけどね。まぁ、これからはちょくちょく日記書きが
できるのは嬉しいことだなぁ、と。なんだか、職場の同期の人が
見てるらしいんですわな。どこまで本当なのかよく分からないけど。
こんな一回の内容が1000文字近くなんて日記を本当に
読んでるわけないよなぁとか思いながらも、ぼちぼち書いて
行きましょうかね。
それじゃ、今日の水瀬日誌始めてまいりましょー。
こないだの香山リカさんの「若者の法則」を読んでみて
思ったことその2ということで。なかなか微妙な本なんだよなぁ。
こういう本を見るとすぐ何か文章1本書きたくなるもんな。変なの。
それはさておき。
自分の性格が好きっていえる人はどれだけいるのかなぁと
ふと疑問に思うときがある。ウチは自分の性格が正直言って
好きじゃないんで、他の人はどう思っているんだろうかなんて
いうことを考えてしまうんだけども。臆病で、暗くて、
融通が利かないし、上手く人と合わせることが出来ないし……
なんて自分の嫌なところを全部いっぺんに直すことが出来たら
どんなに素晴らしいだろうかって思うんだ。基本的にマイナス指向強いし。
そういうイヤな自分を部分部分で直すんじゃなくて、いっぺんに
「違う自分になりたい!」って重うことだってある。
ただ、この「違う自分」っていうものがクセモノだったりするもので、
「違う自分になる」っていうことが、「あるシステムや価値観に
丸ごと身を委ねちゃう」ということだったりするんだとか。
どうしたもんかなーって思ってしまうんだけど。
新興宗教とか、自己啓発セミナーとかは割とその辺の
システムが上手く構築されていて、参加していると何だか
自分が生まれ変わったような気がするというのは意外と真実らしい。
自分の価値観が変わるということはそれほどまでに大事だったり
するみたい。「価値観=視点」だしねぇ。無理もないのかなぁ。
何かの価値観を盲目的に信じるってことで、自分の迷いとか
悩みを捨ててしまえるんだろうな、きっと。それにどっぷり
つかってしまって、「シンプルで分かりやすい」行動原則に
自分をあてはめて過ごすっていうのは実際すごく楽なんだろうね。
最近になるとどうも昔ほど「違う自分になりたい!」なんて
思うエネルギーは小さくなったような気がする。学生の頃なんかは
「こんな自分イヤだ、死んでしまいたい!」なんてことを
周りの迷惑も考えずに平気でいってたりしたもんだけど、
今はどうも落ち着いて「まぁ、仕方ないんじゃない?」っていう
レベルになっていたりする。就職して、仕事のことを考えるように
なったっていうことももちろんあるんだろうけども、
今ひとつその「理想の自分」っていうもののイメージ観が
どうも胡散臭いものだっていうことに気づき始めたからなのかもしれない。
「理想の自分像」って、よくよく考えてみると、
「強くて、明るくて、賢くて、美しくて、仕事が出来て……」なんて
だいたい誰もが描く理想像に気味悪いくらい合致してしまうんだわ。
学生の頃の友達(今もあちらは大学にいるけど)なんかは
これをまんま当てはめたような人だったから、よく一緒に遊んでても
コンプレックスばりばりだったんだよね。「なんで……」って
いうくらい。自分が惨めに見えてねぇ。
性格を変えて違う自分になりたいっていうことは、
「いつも笑っていて、何でも悩むことなく出来る」のっぺりした人に
なりたいって言ってるんじゃなかろうかな……なんてことを
思ってしまったわけ。自分がなんか「何でも出来ますよー」って
ニコニコしてる映像ってどうもイヤミったらしくて、
なおのこと自分のことを嫌いになってしまいそうなそんな気がする。
だからといって、「今のあなたも充分個性的だし、
長所も魅力もあるよ」なんて言われても今ひとつ嘘っぽく
聞こえてしまう。はぁ、なんだだろうね。
その「今の自分の長所」を上手く現実の世界で生かして
評価されるようなことがあれば自分自身をよりよく感じて
「なんだ、オレも案外捨てたもんじゃないな」って思えるように
なるんだろうけど……そんなとこ、ないよねぇ。
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