「がんがんがんばれ、受験生♪」(これを知ってる人は
どれだけいるんだろうかなー)
 どうもこんばんは、水瀬であります。お元気ですか?
どうも最近こっちの日記の更新が遅くなってしまってます。
家にある紙ベースの日記にはちゃんと毎日書いているんですが、
やっぱ自宅でネットに繋いでないと書きたいネタが浮かんだ時に
すぐにカキコできないから不便ですね。でもなぁ、一ヶ月しか
ないからここで繋いでもしょうがないっすねい。単発バイトの
お金で繋げないこともないんですけども。ま、実家帰って
初任給出るまでの辛抱ですな。(と言うか、最近になって
「ちゃんと卒業できるんだろーか」ってことが不安になって
きつつあるし。こないだ見た「卒業生発表の時に、自分の
名前がない!」って夢見たからかなぁ)

 そんなわけで今日の水瀬日誌始めて参りましょうか。

 今日は受験生のほとんどが経験する第一関門、センター試験の
日であります。僕もちょうど4年前、地元の大学にノートや
参考書と脆弱な知識を持って乗り込んだことを覚えてます。
そして自己採点して勝手に顔を青くしていたりした頃。
うーん、今となっては懐かしいですなー。あの頃はまさか
今のようにダメ人間化してるとはつゆとも知らず。
(いや、あの当時もダメ人間か。ダメというより、別方面で
イタイ人間ではあったんだけども。そういう意味じゃ変わってないな)
 一応あの当時は国公立志望だったので、センター試験は
受けなきゃならなかったんで必死になってやってましたよ。
3年になってから結構講習受けてやってみたんですがね、
結局のところは国立ダメで公立一つ蹴って私立に行ったんです。
あの時はもうなんだか「とりあえず全部の教科受けてやれ!」って
気分でとにかく一日中大学に張り付いていたような気がします。
受験した大学が、社会も理科も「一番いい教科の点数を取る」って
所だったので、ほとんど分からない科目をやったなぁ。(地学だったかな)
それでいて、本職の生物に匹敵するような点数が取れてたって
時はなんだか微妙な気分になったけど、それもセンター試験の
マジックなんだろうね。マーク式だからあてずっぽ答えても
五分の一で正解にぶち当たるんだもの。(あれ、センターって
選択肢4つだったっけ。5つは公務員試験だけだったかな)
社会はある程度得意科目だったから、地理と政経と両方受けたな。
あの時は地理がやたら簡単で、日本史がかなり難しくなって
得点調整が行われたぐらいだった。あの時は「なんで向こうの
点数上げるんだよ」なんてガキっぽく思っていたけども、
そういう制度なんだし他の受験生はまさに死活問題だったんだから
それはそれで仕方なかったんだなぁって今思います。
その前の年なんかは点数調整の制度がまだ確立してなくて、
かなりの受験生が「犠牲」になったってことを高校の先輩が
話していたこともあったし。みんな必死だったなぁって思う。

 でも、今にして思うとあのセンター試験が終わった翌日に
学校に行って自己採点とか二次予想(駿台とか河合塾とかの)の
書類書いたりしてた時はなんだか楽しかったなぁ。教室には
いつもの4分の1ぐらいしかいなかったんだけど、お互いに
「ここ行けそう?」「いやー、どうかねぇ……」なんて
話していたりするあの空間がやたらと居心地良かったのを
覚えていたり。周りのみんなはやたらとハイレベルな所に
行っていて、逆に自分はそーでもないような感じだったので
「なんだかなー、みんなスゲー」なんて気分にもなったり
してましたけど、あれはあれで不思議と気分が良かったな。
高校の時にはあまり将来のことをお互い真剣に話をすることは
なかったような気がするので、そういった意味で深く印象に
残っているんでしょうな。

 そんなことが水瀬のセンター試験の思い出であります。
受験生の皆さん、あと一日頑張って下さいね。あと、出来れば
政経とか倫理も受けてから帰るようにして下さい。意外と
点数取れるものでありますぞー。

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