最後の学祭の残したモノ(その2)
2001年10月10日 こんにちは、水瀬です。元気にしてますか?
僕はなんとなく体だけは変に調子よく過ごしています。
どういうことなんだかよく分からないですが。明日の
市役所の面接もこのように上手く行くといいんですけどね。
それでは、昨日の続きの水瀬日誌始めて参りましょう。
それで、二次会はカラオケだったわけです。歌を歌うのも
久しぶりなんで、ちょっとばかし張り切っていたんですね。
桐生編集長とかが歌い始めて、なんとなく気分も乗り気に
なってきて、楽しくなってきました。徐々に自分の番が
近づいてきます。おーし、歌うぞぉと意気込んで、マイクを
持った次の瞬間。
「あれ? 声が、出ない?」
曲はもう始まっています。焦る僕。みんなもなんだか
不思議そうな顔をしています。いつもの水瀬さんとは
どうも様子が違います。いつもいっぱいいっぱいの彼ですが、
今回はどうもちょっと違うような……。
「ゴメン、声が、出ないみたい」
蚊の鳴くようなミクロな声でしかものが言えない水瀬さん。
いつも変な声で小ネタを振りまいている彼ですが、しゃべれなくては
何も出来ません。小ネタは鮮度が命、やり直しなしの
一発勝負なのです。小ネタのない水瀬さんなんて「歌を
忘れたカナリヤ」以下のレベルです。これは大ピンチ。
とまぁ、声が出ないんだからカラオケなんて出来るわけもなく、
その後もなんとかして歌おうとしても声が出ないわけです。
もうなんか、どこかの場末のニューハーフみたいな声になる始末。
たまったもんじゃありません、ひどいもんです。
そんなこんなでカラオケも定番の「みかんのうた」で
終わり、珍しく3次会へ行くことになりました。
いつもは二次会が終わった時点で「僕、スガイ寄りますんで」とか
「明日バイトなんで……」とか「家でメイドを待たしてるんで……」
なんていろんな理由で帰っていくんですが、この日は
珍しくみんな行く気でした。
3次会は500BAR。ほとんどのメニューが500円で
統一されているという幹事にとっては実に計算しやすい
所であります。そこで、なんだかんだと2時半位まで
過ごしていました。その間も水瀬さんの喉はどんどんと悪化、
ついにはほとんど言葉が聞き取れないレベルにまでなって
しまいました。もうここまで来るとボディランゲージ&
筆談で意志を伝えるしかありません。
帰りは会長&真島さん&軍曹でタクシーでした。
話せないので、ここでも封筒の裏に行き先を書いて渡す
というある意味「ゴルゴっぽい」ことをやっていました。
帰り際、真島さんからたくさんののど飴をもらいました。せんきゅう。
翌日、起きた所で全く状況は変わっておりませんでした。
相変わらず蚊の鳴くようなレベルのハスキーヴォイス。
かみりょうお嬢様のメールで「耳鼻咽喉科に行ってみれば?」と
教えていただいたので、さっそく行ってみることに。
(実はその前に真島先生ご推薦の「葛根湯」と買いに行った
のですが、あいにくどこも品切れ。さすがはアンアンの選ぶ
「間の悪い男NO.1」の水瀬さんであります。手抜かりありません)
耳鼻科に行ってみたものの、内装はなんだかとても古く、
まるで「軍医殿」が出てきそうな雰囲気。正直「帰りたい」と
思いましたが、明後日には大事な市役所の面接があるのです、
背に腹は代えられません。保険証を出して、順番を待ちました。
「水瀬さーん」
看護婦さんの声で診察室に入る僕。そこに現れた先生。
「……ぐ、軍医殿だ」
なんだかタイムスリップような気分になりました。
目の前にいる先生はどう見ても明治時代の文豪「森鴎外」大先生に
そっくりであったのです。ヘミングウェイのそっくりさん
コンテストが開催されているんだから、森鴎外コンテストが
あってもおかしくない。この優勝候補だよ、うん。
「まぁ、そこに座って」
そう言われるまま、診察台に座る僕。いすも器具も古いです。
なんとかして、「声が出ないんです」という状態を伝えると
「軍医殿」は僕の喉を調べ始めました。
「あー、声帯が真っ赤だねぇ。これはしばらく通わんと
元通り治らないよ」と、軍医殿。
「先生、明後日には面接があるんで、どうにかなりませんか?」と、僕。
「そんなこと言われても困るねぇ」と、軍医殿。
「先生より僕の方がずっと困ります」と、僕。
思いっきり喉を痛めておいて「明後日に面接があるから
どうにかしろ」という患者は横暴にも程がありますが、
当の水瀬さんにとっては死活問題であります。必死だったのです。
こんなやりとりをしながら、診察してもらって、最後は
のどの薬を吸入していました。でも、これはただ「しょっぱい蒸気」
ってだけで、その後もほとんどのどの痛みが引かなかったん
ですけども。んー、困ったものです。
結局、処方箋を書いてもらって調剤薬局で薬をもらって
家に帰りました。相変わらず声は出ておりません。
果たして市役所の面接は大丈夫なのでしょうか?
自分にとって最後の学祭、水瀬さんにはこういった「遺産」が残されていたのでした。
僕はなんとなく体だけは変に調子よく過ごしています。
どういうことなんだかよく分からないですが。明日の
市役所の面接もこのように上手く行くといいんですけどね。
それでは、昨日の続きの水瀬日誌始めて参りましょう。
それで、二次会はカラオケだったわけです。歌を歌うのも
久しぶりなんで、ちょっとばかし張り切っていたんですね。
桐生編集長とかが歌い始めて、なんとなく気分も乗り気に
なってきて、楽しくなってきました。徐々に自分の番が
近づいてきます。おーし、歌うぞぉと意気込んで、マイクを
持った次の瞬間。
「あれ? 声が、出ない?」
曲はもう始まっています。焦る僕。みんなもなんだか
不思議そうな顔をしています。いつもの水瀬さんとは
どうも様子が違います。いつもいっぱいいっぱいの彼ですが、
今回はどうもちょっと違うような……。
「ゴメン、声が、出ないみたい」
蚊の鳴くようなミクロな声でしかものが言えない水瀬さん。
いつも変な声で小ネタを振りまいている彼ですが、しゃべれなくては
何も出来ません。小ネタは鮮度が命、やり直しなしの
一発勝負なのです。小ネタのない水瀬さんなんて「歌を
忘れたカナリヤ」以下のレベルです。これは大ピンチ。
とまぁ、声が出ないんだからカラオケなんて出来るわけもなく、
その後もなんとかして歌おうとしても声が出ないわけです。
もうなんか、どこかの場末のニューハーフみたいな声になる始末。
たまったもんじゃありません、ひどいもんです。
そんなこんなでカラオケも定番の「みかんのうた」で
終わり、珍しく3次会へ行くことになりました。
いつもは二次会が終わった時点で「僕、スガイ寄りますんで」とか
「明日バイトなんで……」とか「家でメイドを待たしてるんで……」
なんていろんな理由で帰っていくんですが、この日は
珍しくみんな行く気でした。
3次会は500BAR。ほとんどのメニューが500円で
統一されているという幹事にとっては実に計算しやすい
所であります。そこで、なんだかんだと2時半位まで
過ごしていました。その間も水瀬さんの喉はどんどんと悪化、
ついにはほとんど言葉が聞き取れないレベルにまでなって
しまいました。もうここまで来るとボディランゲージ&
筆談で意志を伝えるしかありません。
帰りは会長&真島さん&軍曹でタクシーでした。
話せないので、ここでも封筒の裏に行き先を書いて渡す
というある意味「ゴルゴっぽい」ことをやっていました。
帰り際、真島さんからたくさんののど飴をもらいました。せんきゅう。
翌日、起きた所で全く状況は変わっておりませんでした。
相変わらず蚊の鳴くようなレベルのハスキーヴォイス。
かみりょうお嬢様のメールで「耳鼻咽喉科に行ってみれば?」と
教えていただいたので、さっそく行ってみることに。
(実はその前に真島先生ご推薦の「葛根湯」と買いに行った
のですが、あいにくどこも品切れ。さすがはアンアンの選ぶ
「間の悪い男NO.1」の水瀬さんであります。手抜かりありません)
耳鼻科に行ってみたものの、内装はなんだかとても古く、
まるで「軍医殿」が出てきそうな雰囲気。正直「帰りたい」と
思いましたが、明後日には大事な市役所の面接があるのです、
背に腹は代えられません。保険証を出して、順番を待ちました。
「水瀬さーん」
看護婦さんの声で診察室に入る僕。そこに現れた先生。
「……ぐ、軍医殿だ」
なんだかタイムスリップような気分になりました。
目の前にいる先生はどう見ても明治時代の文豪「森鴎外」大先生に
そっくりであったのです。ヘミングウェイのそっくりさん
コンテストが開催されているんだから、森鴎外コンテストが
あってもおかしくない。この優勝候補だよ、うん。
「まぁ、そこに座って」
そう言われるまま、診察台に座る僕。いすも器具も古いです。
なんとかして、「声が出ないんです」という状態を伝えると
「軍医殿」は僕の喉を調べ始めました。
「あー、声帯が真っ赤だねぇ。これはしばらく通わんと
元通り治らないよ」と、軍医殿。
「先生、明後日には面接があるんで、どうにかなりませんか?」と、僕。
「そんなこと言われても困るねぇ」と、軍医殿。
「先生より僕の方がずっと困ります」と、僕。
思いっきり喉を痛めておいて「明後日に面接があるから
どうにかしろ」という患者は横暴にも程がありますが、
当の水瀬さんにとっては死活問題であります。必死だったのです。
こんなやりとりをしながら、診察してもらって、最後は
のどの薬を吸入していました。でも、これはただ「しょっぱい蒸気」
ってだけで、その後もほとんどのどの痛みが引かなかったん
ですけども。んー、困ったものです。
結局、処方箋を書いてもらって調剤薬局で薬をもらって
家に帰りました。相変わらず声は出ておりません。
果たして市役所の面接は大丈夫なのでしょうか?
自分にとって最後の学祭、水瀬さんにはこういった「遺産」が残されていたのでした。
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