こんちはっす、水瀬でござーい。
 連休も最終日、実家に帰ってましてその帰りに寄った
ネットカフェよりお送りしております。
 はてさて、書いていきましょうねー、水瀬日記。
前振りするから後で字数が足りなくなるんだよな。
ただでさえ、最近日記の分量が少なくなってるというのに。

 それで、連休はずっと実家に帰っていました。
正確には3日の昼から6日の昼までなんだけどね。
正月にもろくに実家に帰ってなかったので、連休という
機会を捕まえて帰省したというわけなんだけども。
 連休中は家にいることが多かったせいなのか、はたまた
いつもなら暇つぶしの道具として絶大な力を発揮する
プレステが無いせいか、あるいはヘヴンさんのにうに
惹かれて買ったゲットバッカーズをほっておいたせいか、
なんだかやたらと物を考える暇がありました。
 第一には帰る前に爆笑問題の「三三七拍子」を買って
読んでいたっていうことがあるんだけど、それにしても。
 元々僕は独り言が多くて、一人で暇になるといっつも
何かよく分からない事を考えるクセがあるみたいで、
他の人から見ると「なんじゃお前はぁ!」ってな感じに
なるみたいで。(現に今年の新入生にはそう思われてるらしい)
 で、気になったのはその中で太田さんが「人は皆、自分を
愛したいからこそ人を愛するのだ」という一節がある。
そのちょっと前の部分で「愛とエゴイズムを混同するな」って
いう文面があって、そこで太田さんは「私はその考えとは
逆で、人間の愛=エゴイズム」と言っている。
 とまぁ、ここまで読んで「頭痛いわぁ」と思った方は
この後読まない方がいいです。似たよーなこと書きますんで。

 たぶん、この「混同するな」って言ってる人の「エゴじゃない愛」
ってのは「神の愛」っていうものなんだろう。僕はクリスチャン
じゃないんで、正確なことは言えないけど一般的には「無償の愛」
なんてなことだったような感じだと聞いた気がする。
 そこで「無償の愛ってのは、子供が車に轢かれそうに
なったのを身を投げ出して助けるようなそういう感情だ」ってな
ことを書くわけで。それ以外は「愛」じゃないという評論家の
方がいる。それについてのコラムだったんだけど、読んで
色々と考えてみたわけ。
「無償の愛」ってのは見返りを求めないってことなんだから、
冷静に考えればかなりこれって残酷なことなんじゃない
だろうかなんてことを思うわけでね。これって、かなり
僕がクリスチャンの人を冒涜してるしてるように見えるんじゃ
ないかって思いながら書いているんだけど、ここではあくまで
一意見として見て欲しい。ダメ書評の一部だと思って。
 話を戻すと、「見返りを求めない」ってことは相手に何の
リアクションも求めないっていうことなんだから、向こうが
完璧に気付かずに無視しててもある意味では仕方ないって
ことにならないのかな。「相手が反応しない一方的な片想い」に
何か似ているような気がしてならない。別に、それが悪い事
じゃないし、キリスト教の教えが人の心の支えになるって
いうことだって十分承知した上でこれを書いているわけで。
やっぱり人間の行為ってのはどうしても「自分」に対する
リアクションがあって欲しいと思う所がミクロン単位でも
あると思う。それはかのマザーテレサでもそうだったん
じゃないかな。「そんなことありません!」ってヒステリックに
叫ぶのも結構、ただね、「世界のために何かしたい」って
いう所はなかったろうか。ボランティアでも、そういう
「自分の力を生かしたい」っていう考えはほんの数ミクロン
でもある気がする。
 相手からのリアクションがあって(愛されるとか感謝されるとか)
改めてそこでその価値を知って「愛」ってものに繋がって
くるんじゃないかなーなんて夜中ベッドに転がって思った
訳ですよ。人間の持つ「愛」ってのはそういうレベルで
いいんじゃないかな。人類愛っていうのもいいんだけどね。
「完璧に見返りを求めない」って言い張るのはどこでも
窮屈になりはしないだろうかって思うわけなんですな。
 ……しかし、完璧にクリスチャンの人を怒らせてしまった
かもしれない。ちょっと調子に乗りすぎたかな。
HPのリンクは秘密メモの方にあります。それではまた。

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