あんだーこんすとらくしょん。
2001年3月11日 最初の「あんだー」は方言っぽく発音しましょう。
その方がなんとなく味があっていいでしょ、ね。
まぁ、ウチのHP自体もそんな感じだし、タイトル通りって
言えばそうなんだけどね。まだまだ工事中な所はいっぱい
ありますがな。趣味モノも追加しておかなきゃいけないん
だけど、趣味を系統立てて文章化するのって難しいんだよね。
「何故好きか」ってことを理論的に説明しなきゃいけないって
のは意外と苦しい作業なんだ。例えば僕のHPには爆笑問題に
ついても触れているんだけども、自分で書いていていまいち
歯切れがよくない。なんだか独りよがりなものになって
しまってないだろうか……と。自分の趣味に関しては、とかく
無闇にハイテンションに喋りまくるってことになってしまうん
だけども(知人にもそういう人がいるんだけど)ネットでは
そう言った喋りのニュアンスみたいなものがいまいち伝わらない。
文章では直接的な「熱意」が伝わりにくいような気がする。
履歴書の「志望動機」の欄を書いていていつも思うのは
そんな点だったりする。紙の上に書いた「自分の熱意」を
見ている自分はどうも冷めてしまっている気がする。
「何書いてるんだか」という気分になるんだろう。
それは「夜中に書いた手紙」と同じなんだろうね、たぶんだけど。
頭がハイになってる状態ではまともな文章なんて書けやしないと
僕は思っているんだけど、実際の所どうなんだろう?
ハイになってる状態だったら確かに言葉数は多くなるけども、
どうもそこに一貫性や論理性が見えてこないような気がする
わけで。僕自身「夜中に書いた手紙」にはちょっとした
エピソードがあるんでこんな事を言ってしまったりもする
わけなんだけど。(詳しくは過去の日記をどうぞ)
好きなものを割と冷静にかつ正確に書こうと思ったら
谷崎潤一郎(おお、一回で出た)の「陰翳礼賛」みたいな
いかにもねちっこい書き方をしなきゃいけなくなってしまう
ような。本当はもっとさっぱりした書き方をしたいんだけど、
そうするとなんだかそのものの「魅力」を十分に話し尽くして
いないような気になる。いや、難しいもんですな。
話は変わって、こないだ友達からもらったメールの返事を
再び書くことにしてみた。話題はどういうわけかこれまた
「結婚」についてなんだけど。(影響力あるんだなー、この話題)
で、いろいろと書いていたわけなんだけど、書いていて
頷いたり「それは違う」とか思うことも結構あるわけで、
久々に物事をゆっくり考えながらメールを書いた気がする。
いつもはへんてこな内容しか書いてないものだし、日記の
内容もバカっぽいのばっかりだから少しくらい物を考えて
みてもいいんじゃないかなとか思ってみるわけ。
メールの中ではお互い結婚なんて縁遠いなんて話が続いて、
「適齢期って?」なんてお話になるわけですわ。
結局は「その人が『結婚したい』と思う人に逢って、
『結婚したい』と思った時がその人の適齢期なんじゃ
ないだろうか」っていう所に落ち着いたわけなんだけど。
そう書いておきながら「ベタですかね?」「んー、いや、
妥当な線じゃない?」なんて会話もしたりしてるし。
ただ、やっぱり実家に帰ってくるともう中学とか高校の
同級生が結婚したなんて話をぼちぼち聞くようになり始める頃
ではありますな。高校卒業して就職した人なんかは割と
そんな話を聞きやすかったりするんだけど。それは大学に
行った僕らよりも社会人生活が長い分、「結婚」という
イベントにも身近なんだろうかとか思ってしまうわけでね。
そんな事を恋愛もまともに出来ないうちから考えるのは
未熟そのものなんだろうけど、少しくらいは指針めいた物を
そこから考えられないだろうかって思うわけ。おそらくは
僕も一度は経験するであろう(出来れば何度もってのは
避けたいな)ことには自分なりに考えてみる必要があるんじゃ
ないだろうかなぁなんてココアを飲みながら思いに耽って
みたりするわけでしてね。
ま、そんなことをぼーっと考えながらバイトに就職活動に
勤しんでる水瀬でしたとさ。
あ、そうそう、PBMに参加していた時のイラストレーター
さんの名前を18禁のマンガ雑誌に見つけた。なんか
ちょっぴり複雑な笑みを浮かべながらも、結局その本は
手に取りませんでした。見てみたい気はするけどね。
その方がなんとなく味があっていいでしょ、ね。
まぁ、ウチのHP自体もそんな感じだし、タイトル通りって
言えばそうなんだけどね。まだまだ工事中な所はいっぱい
ありますがな。趣味モノも追加しておかなきゃいけないん
だけど、趣味を系統立てて文章化するのって難しいんだよね。
「何故好きか」ってことを理論的に説明しなきゃいけないって
のは意外と苦しい作業なんだ。例えば僕のHPには爆笑問題に
ついても触れているんだけども、自分で書いていていまいち
歯切れがよくない。なんだか独りよがりなものになって
しまってないだろうか……と。自分の趣味に関しては、とかく
無闇にハイテンションに喋りまくるってことになってしまうん
だけども(知人にもそういう人がいるんだけど)ネットでは
そう言った喋りのニュアンスみたいなものがいまいち伝わらない。
文章では直接的な「熱意」が伝わりにくいような気がする。
履歴書の「志望動機」の欄を書いていていつも思うのは
そんな点だったりする。紙の上に書いた「自分の熱意」を
見ている自分はどうも冷めてしまっている気がする。
「何書いてるんだか」という気分になるんだろう。
それは「夜中に書いた手紙」と同じなんだろうね、たぶんだけど。
頭がハイになってる状態ではまともな文章なんて書けやしないと
僕は思っているんだけど、実際の所どうなんだろう?
ハイになってる状態だったら確かに言葉数は多くなるけども、
どうもそこに一貫性や論理性が見えてこないような気がする
わけで。僕自身「夜中に書いた手紙」にはちょっとした
エピソードがあるんでこんな事を言ってしまったりもする
わけなんだけど。(詳しくは過去の日記をどうぞ)
好きなものを割と冷静にかつ正確に書こうと思ったら
谷崎潤一郎(おお、一回で出た)の「陰翳礼賛」みたいな
いかにもねちっこい書き方をしなきゃいけなくなってしまう
ような。本当はもっとさっぱりした書き方をしたいんだけど、
そうするとなんだかそのものの「魅力」を十分に話し尽くして
いないような気になる。いや、難しいもんですな。
話は変わって、こないだ友達からもらったメールの返事を
再び書くことにしてみた。話題はどういうわけかこれまた
「結婚」についてなんだけど。(影響力あるんだなー、この話題)
で、いろいろと書いていたわけなんだけど、書いていて
頷いたり「それは違う」とか思うことも結構あるわけで、
久々に物事をゆっくり考えながらメールを書いた気がする。
いつもはへんてこな内容しか書いてないものだし、日記の
内容もバカっぽいのばっかりだから少しくらい物を考えて
みてもいいんじゃないかなとか思ってみるわけ。
メールの中ではお互い結婚なんて縁遠いなんて話が続いて、
「適齢期って?」なんてお話になるわけですわ。
結局は「その人が『結婚したい』と思う人に逢って、
『結婚したい』と思った時がその人の適齢期なんじゃ
ないだろうか」っていう所に落ち着いたわけなんだけど。
そう書いておきながら「ベタですかね?」「んー、いや、
妥当な線じゃない?」なんて会話もしたりしてるし。
ただ、やっぱり実家に帰ってくるともう中学とか高校の
同級生が結婚したなんて話をぼちぼち聞くようになり始める頃
ではありますな。高校卒業して就職した人なんかは割と
そんな話を聞きやすかったりするんだけど。それは大学に
行った僕らよりも社会人生活が長い分、「結婚」という
イベントにも身近なんだろうかとか思ってしまうわけでね。
そんな事を恋愛もまともに出来ないうちから考えるのは
未熟そのものなんだろうけど、少しくらいは指針めいた物を
そこから考えられないだろうかって思うわけ。おそらくは
僕も一度は経験するであろう(出来れば何度もってのは
避けたいな)ことには自分なりに考えてみる必要があるんじゃ
ないだろうかなぁなんてココアを飲みながら思いに耽って
みたりするわけでしてね。
ま、そんなことをぼーっと考えながらバイトに就職活動に
勤しんでる水瀬でしたとさ。
あ、そうそう、PBMに参加していた時のイラストレーター
さんの名前を18禁のマンガ雑誌に見つけた。なんか
ちょっぴり複雑な笑みを浮かべながらも、結局その本は
手に取りませんでした。見てみたい気はするけどね。
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